東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

幻の蒸留所、Kininvieオフィシャル17年

最近珍しい酒を飲んだので少し備忘録的に書いておく。Kininvie。Balvenieと一緒に作られているのだが、Balvenieが自家でフロアモルティングされているのに対しKininvieはモルトスターから買ってきた麦で作られている。そして発酵にかかる時間もBalvenieより長い。正確に言うと蒸留と発酵はKininvie独自に行っているが、発酵する前の液体はBalvenieの蒸留所から送られてきている。

蒸留所は1990年開設と比較的新しいのだが、ブレンディッドのClan MacGregorに使われたり、GlenfiddichとBalvenieと一緒にMonkey Shoulderにブレンドされていて、ほとんどオフィシャルのボトルが発売されていない幻の酒。Monkey Shoulderって飲んだことがなく、単なるブレンディッドかと思っていたらバッテッドのトリプルモルト、すなわちグレーンウイスキー使っていない3種のモルトウイスキーからのみ出来ているとは知らなかった。

アメリカンオークとシェリー樽で熟成されていて、大げさに「幻の酒!」と叫ぶようなものではないにせよ真面目に作られていて旨い。これまでほとんどリリースされなかったものをわざわざ出してきたのだから、流石に不味いものは出てこない。

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その隣の二本はいずれも有名バーの周年記念ボトル。一番右は最近リリースされたばかりの日赤通りのヘルムズデールのClynelish、真ん中は目黒マッシュタンのArran。たまたま店の方とお話ししていて「よそのお店の記念ボトルを自分の店のお客様には勧めにくいんですよ」という話をされたので、お店のバックバーの回転に貢献するためにもこちらからあえてお願いしていただいた。

あとは季節がら桜のラベル。九州の酒屋キンコーさんのボトル。1982年のGlenLivet30年。

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実は10日ほど前にこのKininvieを飲んでからしばらく禁酒をしていた。というのも昨日、5人で読売新聞社前から芦ノ湖までタスキをつないで走り切る「なんちゃって箱根駅伝」の4区21㎞を走ったため。今年で21回目の開催かつ20チームほどで競り合うというかなりガチで伝統あるレース。私は2003年から毎年参加(ただし東日本大震災の年は中止)しているので14回目の参加になる。自分だけのレースならともかく、チーム戦なのでタスキがつながらない事態を招くわけにもいかず、節制して臨むことにしたのだ。

そしてわざわざ禁酒までした結果は、というと、山登り5区の担当は胃腸炎で2日ほど固形物を食べていない、という状況の中で2時間で走り切り、私の前走者は3区21㎞を1時間34分で走り切ったのに、4区の私は1時間51分というタイムでチームの足を引っ張ってしまった。

わざわざ禁酒までしたのに自分の力が発揮できずチームに対しても自分に対しても何だか悔しくて、打ち上げ後は気が付いたら(?)渋谷のいつものバーのカウンターに座り、久しぶりにバーで飲む有難味をしみじみと噛みしめながら時間を過ごした。だらだら飲むよりもせっかくの機会に何を飲むか真剣に考えて、決めた後はくつろいで飲む、というのもメリハリがあってなかなか良かったように思う。

 

 

 

 

いいバーを見つけるのが難しいたった一つの理由

いいバーはなかなか見つからない。少なくとも食べログのような一般的インターネットメディアを使って探すのは非常に難しい。それにはちゃんとした理由、それも構造的な理由がある。いいバーほど「隠れて」いるのだ。あえて意図的に「隠されている」と言ってもいい。

いいバーは、当たり前だが常連客から愛されている。その愛情の対象は、バーのオーナーやバーテンダーかもしれないし、彼らの紡ぎ出す一杯の旨さなのかもしれない。あるいはバックバーにあるボトルの趣味かもしれない。だが我々にとってそれらに負けず劣らず重要なのは、店の雰囲気であり、その雰囲気を作っている自分以外のお客さんと彼らとお店とのコミュニケーションなのだ。

したがって常連客(とお店)にとって、自分の愛する店の雰囲気を尊重してくれるかどうかわからない一見のお客さんがいきなり増えることは何のアップサイドもない。だからいい店であればあるほど、あるいは常連客に愛されている店であればあるほど、誰の目に触れるかわからない食べログのようなメディアに店を愛する客からわざわざ好意的なコメントを寄せて有象無象の客を引き寄せるインセンティブが全く働かない、という仕組みになっている。

だから一般的なソースでいい店を探すのは難しいのだ。

もっと言うと、食べログ的なメディアはバーのような趣味性の高いところを評価するのには適していない。その一つの理由は、ネット上の「悪意ある情報と善意の情報の量の非対称性」、砕けた言い方をすると「悪口バイアス」による。

振り返ってみてほしい。あなたは一度行ったお店でとても良くしてもらったとき、ウェブでお店のコメントを書かなきゃ、と思ったことがあるだろうか。逆にすごく嫌な気分にさせられた時の方が、ウェブの口コミで何か書いてやろう、と思うのではないか。


人はおそらく何かを誉めるよりも批判する方が好きな残念な生き物だ。それは酒場で上司の悪口言いながら飲んでいる人の数と、上司を褒め称えながら酒飲んでいる人の数と比べてみればすぐにわかる。さらに飲食に関しては「サービス業の人にお金払っているんだから良くしてもらって当たり前、お金払っている上に店から気分害されるなんてとんでもない」、という心理が働くので、人は批判的なコメントをまき散らしがちになる。

つまり口コミサイトでは、通常悪いコメントの方が良いコメントよりも多くなるバイアス、偏りが自然発生する仕組みになっている。それはバーだけではなく通常の飲食店に対してもそうだ。そしてこのバイアスは、一般人が簡単に情報発信できるようになるにつれて脅威を増す。少しでも気に入らないことがあるとわざわざご丁寧にネットに批判のコメントを書く一部の人たちの情報の方が、店に好感を持って家に帰っていく大多数の人たちの感想よりも圧倒的に多くSNS食べログ的なメディアに転がっていて、その情報に基づいて店を選ぶ人たちが一定量いるからだ。

もっと言うと、口コミは民主主義の最悪の一面をさらに酷くしたものを垣間見られる空間でもある。(口コミや民主主義が最悪だとは言っていませんので念のため)。なぜかというと経験値の低い人も経験値の高い人も一票は一票、かつ悪口言う人の方が投票率が圧倒的に高く、さらには一人一票とも限らず悪口言う人は何度も悪口を投稿することもできて投票率は100%超えることもあるという意味で。

違う言い方をすると、ネット上ではラウドマイノリティ(声の大きい少数者)がサイレントマジョリティを駆逐する。そして人を疑うことを知らない善良な人たちの多くは、ネガティブなバイアスを自分で補正することなく口コミ情報を素直に信じて批判的な口コミの書かれている店を避けたり、食べログ2点台から3点台前半の店には行かなかったりする。

仮に情報の受け手側の多くがこの「悪口バイアス」を自ら補正できないとするならば、情報の出し手側で補正する方法はあるのだろうか。

その方法の一つはサイレントマジョリティをラウドマジョリティにすること。具体的には「訪れたらいい店だったのでその感動を折角なので他者に伝えたい」というような善意の情報量をウェブ上で増やすこと。そうすれば少しはバランスがとれるようになる。そのためにフェアなコメントをしてくれるレビュアーを増やすため、サービスプロバイダー側はいろんな工夫をしている。

だがバーのような業態に関しては、残念ながら飲食店とは異なり最初に述べたようにそれを阻む構造的な問題がある。店に好感を持っているリピーターであればあるほど、自分が好きな店の雰囲気を守りたいがゆえ、一般の人たちに向けて善意の情報を多く発信するという動機が働きにくいのだ。そのために、口コミサイトにおける評判は通常の飲食店以上にさらによりバランスの取れていない、すなわち悪口の流通量の方が好意的なコメント量よりも常に多くなってしまうのだ。

もちろん客が少なすぎてお気に入りの店が潰れてしまっては元も子もないので、常連客も何か店の宣伝をしなければ、と思って好意的な情報を発信することはあるだろう。だが先ほどの理由で、誰でも見るメディアである食べログ的なところではなく、店の雰囲気を尊重するバーでのマナーをわきまえた人たちがいる確率が高いところ(=特定の趣味を持った人たちが見ている可能性が高いSNSのコミュニティやブログなど)で紹介する可能性が高い。

したがって、ことバーのような趣味性の高い業態に関する情報を食べログ的な一般メディアで集めるのは極めて難しい。そしてそれらのメディアに出ている口コミの内容がポジティブでなかったとしても、必ずしも悪い店とは限らない。先ほど言ったように、情報を得られたとしても通常よりもきついバイアスがかかっている可能性があるし、情報の受け手側がバイアスを修正すべきなのだ。

好意的な評価よりも悪口の方が多い、というのはまだ情報があるだけいいかもしれないが、そもそも情報がない、あるいは少ない、ということも上記の理由で多々ある。このネット社会で「情報がない」というのは存在しないのとほぼ同義に近い。存在しない店が存在し続けるのは当然ながら極めて難しい。

だからいいバーを紹介なしで、あるいは自分の脚を使わずに探すのは非常に難しいし、さらにいうとバーという商売というのは非常に難しいと思うのだ。
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そういう訳で、常連客には一定の義務がある。自分たちにとって居心地のいい店であることを保つために、店は何か(例えば売上)を犠牲にしているかもしれない、ということに少しでも想いを馳せることは最低限のマナーだ。店の席が埋まり始めて酔いが回ってきたところで他のお客さんが来たら、お勘定をもらってさくっと帰るというのも一つの見識だ。店が他のお客さんに勧めにくいボトルを積極的に飲んでバックバーの回転に貢献する、というのもありだろう。だが、しょっちゅう店に顔を出して、店に金を落とすということ以上のことはないと思う。「あの店良かったのに潰れてしまって残念だ」、みたいなことを言う人がたまにいるが、「そう思うんだったらもっと頻繁に行ってあげればよかったんじゃないですか」と言うようにしている。そして微力ながら恩返しするために、品のいいマニアックな人しか読んでいないように思われる(?)当ブログでいつもお世話になっているお店について控え目に紹介しているつもりだ。

最後にウェブ上のバイアスについて一言。FacebookTwitterにはいろんな批判があることは承知しているが、彼らの最大の美点は「いいね!」ボタンがあることだ(はてなスターも同様だが、「いいね!」と比べるとメッセージの拡散性が低いように思われる)。悪口ばかりが溢れがちで人が何かを誉め讃えることがなかなかない世の中において、簡単に「いいね!」といえるというのは本当に素晴らしい。だから皆さんもできるだけ「いいね!」をクリックすることで、少しでも悪意を善意が駆逐する世の中になるようお手伝いをお願いします。いやマジで。

 

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洋食が好きでたまらない

洋食が好きでたまらない。肉や魚と、付け合わせのサラダと美味しいごはん、という黄金の組み合わせ。とんかつ、カキフライ、ポークソテー。どれもつやつやに光るお米と一緒に食べるととても幸せになる。

休日にわざわざ洋食を食べに行こう、と思うのは御徒町の「ぽん多」。初めての人をやや威圧する店構え。立派な木彫りの看板。入り口横に「創業   明治三十八年」と書かれている。

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食べ物屋にしては重い木のドアを開けるとキッチンとカウンターがあるのだが、その左には下の色紙が飾ってある。

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「これはいくさに負けなかった国の味である」。明治38年、1905年と言えば日本海海戦東郷平八郎率いる帝国海軍がバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした年だ。明治維新からわずか40年足らずで列強の地位の一角を占めるようになった日本の誇りがここぽん多にある。

家人が一緒だったのでカツレツ、ポークソテー、カキフライという3種を注文。キリンの中瓶を飲みながらじっと待つ。カツレツをとんかつと言ってしまうと訂正されるので注意。

最初に出てきたのはカキフライ。牡蠣の粒が大きい。衣はカリッと、噛むと中は官能的に柔らかく、海の塩と牡蠣のミルクの甘さが混然一体となって滲み出てきて後頭部がざわざわするぐらい。家族で奪い合いになる。

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そしてお待ちかねのカツレツが登場。肉の甘みが強い。ソースをつけずに食べるのが好きだ。ソースなしでも衣についている味とラードの旨みで全くご飯に負けない。綺麗に揚がっているので皿に接している面の衣が油でべとっとすることがない。

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そして一番の楽しみはポークソテー。肉そのものも旨いし、和風の甘辛いソースがご飯にぴったり。これぞ日本の洋食、という感じ。レタスも驚くほどパリッとしていて、レタスにソースつけるだけで大げさでなくご飯一杯は食べられそうだ。

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このポークソテー、下手な店でステーキ食べるよりも肉食べた、という気になる。牛肉にないぷるんという豚肉の弾力。噛めば噛むほど中から出てくる肉の旨み。これはやはり誇り高い日本の味だ。お勘定は少しお高いが、古き良き日本のサービスと日本の洋食の最高峰を楽しめると思うとそれだけの価値はある。

ぽん多本家

食べログ ぽん多本家

 

 

もう一つ私の大好きな洋食は神田の万平。ここのカキのバター焼きを食べると本当に幸せになる。小さなお店なのでいつも相席になるが、お客さんも気持ちいい人が多い。店構えは特別なことは何もないけれど手入れが行き届いていて、パリッとした暖簾からは江戸のプライドが伝わってくる気がする。

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本来はとんかつの店なのでロースもヒレも旨いが、牡蠣に小麦粉をまとわせてバター醤油で甘辛く味付けたカキバター焼が絶品。このアルマイトのようなお皿がクラシックな洋食屋ではお約束のような気が。

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ご飯に合うことこの上ない。最近いろんなところで紹介されてしまったので、なかなか入れなくなってしまって冬のこの時期の楽しみが奪われてしまった。

近くのとんかつ屋やまいちもいいけれど私にはちょっとラードの味が強いので、とんかつよりもかつ丼がおすすめ。かつ丼をここまで丁寧に作っているとんかつ屋はあまりない。

どこの店も食べる人のことを考えて丁寧に作っているのが皿から伝わってくる。そんな店は、店構えが違う。適当な仕事しかしない店は、店構えも適当でこだわりが感じられない。初めての店を選ぶときは、外観の写真をチェックすることをおすすめする。

店の入り口まで来て何か違う、と感じたら大体外れだ。
人間、飲める酒の量も食べる食事の回数も決まっていると考えると、変な酒で無駄に酔っぱらったり納得いかない食べ物で腹を満たしたりしている場合ではない。

 


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あの日から6年:思い出とPeer Pressure、ブラックニッカ クロスオーバー

あの日から6年が経つ。当時1ヶ月後に幼稚園に入ることになっていた娘は既に9歳。昨日「地震のこと覚えてる?」と聞いたら「覚えてない」と即答されたが、大人が不安に思っていたことは確実に伝わっていて、記憶の底に残っているはず。
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地震直後に家内と娘を京都の親戚が持つ使っていない家に送り、幼稚園が始まるまでそこに居させた。娘と家内の顔を見るために毎週末新幹線に乗った。
土曜の朝、京都で一人掘り炬燵に座って原発についてのニュースを暗澹たる気持ちで見ていたら、3歳の娘が座っている私の背中にくっついて立った。しばらくそのままテレビを見ていたのだが、ふと振り返ると彼女は私の背中で声を出さずに泣いていた。こんな小さな子が耐えられなくて泣いてしまうぐらい辛いのか、と思って呆然とした。
そして声を出さず黙ってぽろぽろ涙を流していたことを思うと「もっと大変な思いをしている人がたくさんいるから自分たちは少々の不便は我慢しなければ」という大人の思いがまだ小さな子どもにも何となく伝わっていたのかも知れない。
そして全く地震の実害のなかった我が家でこうなのだから、被害を受けた地域の無数の人たちとその家族は比べものにならないほど辛い思いをしているのだろう、と思っていたたまれなくなった。

当時は渋谷のスクランブル交差点は真っ暗だった。LEDのスクリーンや三千里薬局のネオンも節電のため全部消えていた。平日の夜は外食せざるを得ず、会社の周りの居酒屋によく行った。みんな飲み歩く気分でもなく自粛ムード、というか「今飲み歩くなんてあり得ないだろう、東北の人たちがあんなに辛い思いをしているのに」という同調圧力が強くてどのお店もガラガラで、顔を出すととても喜ばれた。来ないお客のために用意して無駄になってしまう食材があればそれ食べるのでお任せで、とどこに行っても言っていた。週末は京都で新幹線を降りると街が明るくてまぶしくてびっくりした。当然、と思っていたことは当然でないことを改めて教えられた。

やはり当時一番不思議だったのは、あまりにも強い同調圧力だった。昨日日本に初めて来たアメリカ人を連れて新幹線に乗ったのだが、彼は車内があまりに静かなことに驚いていた。何で街でも新幹線の中でもこんなに日本は静かなの?と聞かれて、多分Peer Pressureだと思う、と答えた。そうしないと周りから後ろ指差される、だから明文化されていない規律に服従しなければならない、という圧力のことだ。当時はその圧力がとんでもなく強かった。原発メルトダウンしようとしている時に「みんな逃げずにいるのに、お前何で東京から逃げるの?フクシマ50とか命張って頑張ってるのにありえなくね?」的な言葉がインターネット掲示板的なところに満ちあふれていた。

東電の関係者が圧力容器が爆発しそうなときに福島第一から退避しようとして大きな非難を浴びた。それと同様の非難が、万が一のことを考えて東京を離れようとしていた一般の人たちにもぶつけられていた。東電や政府関係者がいないと原発事故は収束しないので彼らに残れ、というのは百歩譲って理解できるが(本当にダメになってしまうときに(実際に本当にダメになってしまう一歩寸前だった)技術や知識を持って現場で動ける人たちが現地で全員死んでしまえば、その後誰も何も出来なくなってしまうことをみんなちゃんと考えたのだろうか)、我々一般人が東京にしがみついていたところで何の問題解決にもならない。だがたとえばツイッターを多用する社会学者的な言論人が家族と東京から避難したときは悪意ある言葉がたくさんインターネット上にばらまかれた。
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原発に万一のことがあっても緩やかに放射能で汚染されるだけだから慌てて逃げるやつはバカだ、みたいな言い方もよく聞いたが、最悪の事態が起これば1300万人、日本の人口の1割を超える人たちが日本の西側に大移動する、という飛んでもないことが起きたはずで、そうなれば地震当日の都内のようにどこも大渋滞、公共交通網も機能しない事態になっていたことは想像に難くない。そうなる前に東京を念のため離れ何もなかったら戻ってくる、というのは大したコストも掛からないヘッジなのでリスクリターンを考えたら当然のことだと思うが、それを感情的に許さない人たちがたくさんいた、ということだ。津波に関しては少しでも大きな余震が来たら高台に逃げることが強く推奨されていたのに、違うリスクについては何の根拠もなく過小評価(することが正義だと)されていたのだ。

人は自分が何らかの事情で出来ない、あるいは自ら何らかの理由で抑圧している欲望を他人がやってのけた時、他人が欲望を満たしたことが露見した時に最も嫉妬心が刺激される。くっそー、あいつだけいい思いしやがって、というやつだ。長い列に並んで横入りされると腹を立てたり、主婦が不倫するタレントを嫌うのも、もしかしたらそういうことなのかも知れない。実はこの「空気の重さ」みたいな同調圧力が日本の社会を目に見えない形で形作っていて、それが何かのきっかけで噴出するのではないのだろうか。

日本人はゴミ捨てるときに手間かけてリサイクルするのは素晴らしい、新幹線を降りるときはリクライニングを直すのは他人に対して配慮していて素晴らしい、携帯電話を車内で使わないのは素晴らしい、道にゴミが散らばっていないのは素晴らしい、高速道路で一台一台譲り合って交互に合流するのはマナーが良くて素晴らしい。その素晴らしさの裏には嫉妬心と密接に結びついた同調圧力が存在する。そんなことを昨日、都内某所のバーで飲みながらつらつら考えた。やはり酒を飲むと記憶の抽斗が開く。そして最後にお店の方と二人、ブラックニッカを飲んだ。

 

モルトバーと呼ばれるところで閉店間際まで、あるいは他のお客さんが居なくなるまで色々飲んだあと、お店の方と「じゃあ二人でゆっくり飲みますか」となった時、すなわち営業ではなくプライベートに近い形で飲む時の「あるある」の一つに、「ブラックニッカ飲みましょう、これが一番コストパフォーマンス高いよね」というのがある。少なくとも2つの有名なモルトバーで同じセリフを聞いたし、実際熟成されたスコットランドシングルモルトをおすすめ頂いて何杯も飲んでお勘定が済んだあと、お店の方が裏からブラックニッカを持ってきて、お勘定要らないので、といわれながら改めて一緒に飲んだことも何度かある。そして二人でしみじみと「これって旨いよねー」とつぶやいてしまう。昨日もまさにその展開だった。

昨日伺った話だと、直近ブレンダーズスピリットが再発売されたばかりだが、5月にはシェリーの香りとピートの煙さが同時に楽しめるクロスオーバーというのがリリースされるらしい。これもとても楽しみだ。

キーモルトはピートの強いモルト(ということは余市?)で、それぞれの酒販店から入った予約の数だけしか作らない、ということで限定発売、ということだそうだ。今年はブレンダーズスピリットの再発売とあと2種類ブラックニッカの限定品がリリースされるうちの一つ、ということらしい。しばらくするとプレスリリースで詳細が明らかになるらしいが、どうやらフライング気味に情報が出てしまっている模様。

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数量限定と聞いて、また本当の大人はやらないはずの大人げない大人買い、というのをやってしまった。まとめて買ったはずのブレンダーズスピリットも、飲んでしまったり人にあげたりで随分なくなってしまったので、と自分に言い訳しながら。


 


 

 

 

 

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「騎士団長殺し」とイチローズモルト秩父ウイスキー祭2017(ネタバレしませんのでご安心を)

最近酒の量を控えていた。そして飲みに行っても11時前には帰宅するようにしていた。なぜならば家でゆっくり「騎士団長殺し」を読みたかったからだ。


ウイスキー飲みながら家のソファーに寝そべって好きな小説を読むのは最高の贅沢だ。本を読みながら寝てしまう、というのはさらに贅沢。というのも本の世界に自分を閉じ込めたまま現実に引き戻されずに済むから。そして好きな本を読んでから寝るほうが熟睡できる。

だが適量を守らなければならない。飲み過ぎるとそもそもすぐに眠くなってしまったり、折角味わって読みたい物語の咀嚼が不十分になるので。「これはあそこからつながっているのか」「そういえばこのフレーズは以前ねじまき鳥で読んだな」「このモチーフは壁と卵からだな」などというのが分からなくなってしまう。
美味しい酒を厳選しながら少しずつ啜り、静かに読書できるバーがあれば最高だが、やはりそれはなかなか難しい。そういえば突然思い出したが南青山のBar Radioは図書館っぽいインテリアだった。たまに行きつけのお店が空いていると、「今日は本読みたいのでカウンターじゃなくてテーブル一人で使っていいですか?」と言ってみるときはあるけれど、やはりガヤガヤしたりタバコの煙が気になったりで集中できない。

そういうわけで、最近は仕事の後だらだらと飲むのではなく、美味しい酒をささっと飲んで帰宅するという健全(?)な生活を送っていた。例えばこんな酒。
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お店の売上を考えるとどこでいただいたのか書いた方がいいのかもしれないが、パラフィルム巻いてしばらく置いておきたい、とオーナーがおっしゃっていたのでバーの名前は差し控える。イチローモルト秩父ウイスキー祭2017記念ボトル。小さなシェリー樽で熟成させたとのことで、6年物とはとても思えない熟成感と厚みを感じさせる一本。最後にシェリーの香りが強く立ち上がる。これは気合入った造りですね、と男二人で盛り上がる。
このボトルはインターナショナル・スピリッツ・チャレンジのような世界的コンテストに出品されるらしい。この出来だと山崎シェリーカスクのようにかなりいい評価になるのではないだろうか。そもそも二百数十本限定なので、受賞しなくても飲むことは中々叶わないし、受賞したらとんでもないことになるだろう。

そのお店を再訪して別の酒を飲んでいたら、カウンターの端に座った男性二人連れがこちらとOn the wayをオーダー。どうやらあまり限定バージョンはお気に召さなかったらしい。自分の好みを人に押し付けたりすることはしないが、自分が気に入った酒を人に気に入ってもらえないと少し淋しい気持ちになることが改めて分かった。

お気に入りのウイスキーを時間をかけてちびちび飲むように、立ち止まっては考え、味わいながら少しずつ読み進めていた「騎士団長殺し」もついに読了。出張中の新幹線の中で最後のページに辿り着いてしまった。最後に話が大きく動いて、夜まで待てなかったので。ある意味勿体ないことをした、のかもしれない。だが今晩から思う存分酒が飲める。 

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小説の中にはシーバスリーガルやタリスカー、アイラの話もちらっと出てきます。ぜひご一読を。

 

 

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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

池袋 Nadurraにて: もし僕らのことばがウィスキーであったなら

久しぶりに村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を本棚から引っ張り出してきて読んだ。機内誌向けに書かれたものだと思うが、酒をテーマにしたアイラ島アイルランドの訪問記。氏の奥様による素朴で家族旅行のスナップ写真を思わせる(失礼!)、だが商業写真家が撮るそれとは明らかに異なる写真に彩られていて、気軽にすぐ読める。

酒はそれが作られている近くで飲むのが一番旨くて、なぜかというと酒ができる土地柄、作っている人たち、それを飲む人たちなど雰囲気、空間全てを含めて「そこで」味わうことという体験が特別なものだからだ、という思いが書かれている。それは人の曖昧な記憶のような「かたちのないかたち」でしか残ることはなく、そこに含まれていたメッセージにいつ気づくかもわからないけれど、かたちのない幸福を与えてくれる旅という極めて個人的な経験は素晴らしい、という意味の言葉で終わっている。

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今と違ってまだシングルモルトはごくごく一部のマニアの人たちだけのものだった20年近く前に酒を飲まない人も含めて誰でも手にする可能性がある媒体向けに書かれたようなので、冗長に思えるところもある。おそらくこの本をきっかけにシングルモルトに興味を持った人はたくさんいるのだろう。氏の文章が(特に後半のアイルランド訪問記の方で)比喩表現の点で今と大きく違っているのを確認するだけでも面白い。

村上氏の言うとおり、酒そのものを味わうだけでももちろん悪くはないが、想い出を思い起こすスイッチとして飲む酒も悪くない。私の記憶の再生機はそもそも随分頼りない上にアルコールが入るとあちこちの画像が消えていたり、前後が勝手に編集されてしまっていたり、人の顔がのっぺらぼうになっていたりするものの、記憶の抽斗の中には酒以外にもいろんなものが放り込まれていて、ふと突然何かが渾然一体となって飛び出してくる。感覚の塊のようなものが。香水の香りをふと嗅いだのをきっかけに、昔の彼女の記憶がまとまって一気に脳内に鮮烈にフラッシュバックする、みたいなものか。

たまには自分の内側にある滅多に開けることのない抽斗を開けてみるのも悪くない。再生機以上にポンコツでたてつけの悪い抽斗は、よっぽどタイミングが良くないとなかなか開いてくれないが。ちなみにどれぐらい出来が悪いかというと、本棚にもう一冊「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」があったぐらいだ(恥かきついでに言うと「村上朝日堂」も2冊あってさらに凹んだ)。
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酒を飲む以外にも、淡々とランニングをしているときもいろんな記憶の抽斗が開くことがある。長い距離を走っている間は退屈だし、脳内が酸欠気味になっているせいか、普段あまり思い出さないことや考えないことが突然頭の中で展開する。昨日も走って汗を流した後にバーでウイスキーを飲んだけれど、実はランニングと酒を飲むという行為は遠いようで近いのかもしれない。

自宅から北上して1時間ほど走り、東京なのにとんでもなく濃い錆色をした塩分の強い天然温泉に460円で浸かることができる銭湯、桜台の久松湯で汗を流した後普段乗らない黄色い電車に乗って都心へ戻る。

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そして前から気になっていた池袋のNadurraへ。駅から少し歩いたビルの2階。なぜかこの辺りはモルトバーが密集。
ビルの前のサイネージから几帳面な感じが伝わってきたのでおそらくお店の中もそんな感じなんだろうな、と思いながらドアを開けると、バーにしては明るい照明と、予想に違わないしかし初めての客も包み込む雰囲気が広がっていた。土曜日の夜10時半ということもあってか先客はなく、カウンターの真ん中に座る。

明日は秩父ウィスキー祭りのボランティアスタッフとして朝5時起きで出掛けるのでいつもより早く11時半に店を閉める、ということだったので、一杯目からフルスイングしてBBR復刻ラベルの1982年、27年のClynelish。かなりの年数を経ているのにしっかり度数を感じるうえ、ストラクチャーがロバストで力強い。

オーナーの名前をうかがうことを忘れてしまったが(こちらが名乗らなかったのがいけないのだが)、物腰の柔らかい懐の深そうな方で間合いのとり方が上手なので、初めての訪問なのだが気疲れしない。

バーボン樽の感じがしっかり伝わってくるものが好きだ、と好みを伝えると出してくれたのがG&MのGlenRothes。The Whisky Hoop向けのボトリング。華やかな感じが予想以上。GlenRothesは昔ロンドンの友達から丸っこいボトルのオフィシャル貰って飲んで以来。

f:id:KodomoGinko:20170219095911j:imageその後、常連と思しき大人の男女がお店に入ってきたので一人静かに飲む。そして最後にこれもThe Whisky Hoop向けにCadenheadが詰めたLinkwood。どれも旨かったがこれが一番突き刺さった。おそらくこの日飲んだうちで一番安いと思うのだが、値段と旨さは必ずしも比例しないということを再確認。

寝ないと調子が出ないので夜は比較的早く店を閉めてしまうんですよ、この商売なんですがね、と笑いながらオーナーが話す。私もそうですよ、と言って小さな共通点を確認。そして彼の睡眠時間を削るのも忍びなく、11時半に店を出た。池袋は一応職場から帰宅途中にあるとも言えなくない。また来ようと思えるいい店を見つけることができた。

 

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 

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バー ナデューラ

食べログ バー ナデューラ

 

 

 

 

 

代々木上原 Milestone にて

仕事を終えた後、家に帰る前にどこかで時間を過ごしたくなることがある。まっすぐ帰宅して食事を摂ってゆっくり風呂につかり、その後お気に入りのグラスで家に何本もあるボトルのどれかを飲めば安上がりなのに。

冷静に考えればその通りだと思うのだが、大抵理性がうまく働かずバーに寄ってしまう。家の中に昼間とりつかれた禍々しい何かを持ち込まない、という無意識が動物の本能として働いているのかと思ってしまう。バーに寄ろう、と決めるとその前に一人飯を食べる。ウイスキーに響かなさそうなものを選んで。酒に失礼のないように。

そこまでして外すと悲しいので、わざわざ行くべきバーは厳選せざるを得ない。バーマン、置いてある酒、その時の自分の心持ちの3つがどこに行くかを考える時の一番大きなポイント。客筋がイシューになるときもある。いいバーマンがいる店は客筋もいいことが多く、よほど運が悪い時ぐらいしか例外はない。

バーマンは好きだけど優しいウイスキーの品揃えが多くて今晩はガツンとしたのを飲みたいんだけどどうしよう、とか、前訪れた際に飲みたいと思った酒があったけど居心地が微妙でどうしよう、とか、バーとお酒は完璧だけどあの常連さんが話しかけてくるかと思うと今はその気分じゃない、とか様々な想いが巡る。そして一軒目で外してしまったときは大抵損切りして帰宅。

店でのバーマンや居合わせたお客さんとの会話が楽しみな時もあるが、背負っている何かをしばし忘れ酒を愉しんでいる時に、その意図はないのはわかっているとはいえあれこれ話しかけられて結果的に色々詮索されると酔いが醒めてしまう時もある。自分の抽斗は人に開けられるより開けたくなった時に自分から開ける方がいい。

先日まさに真っ直ぐ帰らずにいつもと少し違ったところで落ち着いた感じで飲みたい、それもできれば外れがないように知っている店で、という心持ちになった。そんな時に思い出したのが代々木上原のMilestone。駅から少し離れた井ノ頭通り沿いにある。

気をつけないと通り過ぎてしまいそうな控えめなファサード。風除けのためのドアを二つ開けるとライトに薄く照らされた静かな空間が広がる。私とあまり歳の変わらない西川さんという方がやっているお店。

静かで時間がゆっくり流れる。最初はSpringbankのオフィシャル15年からお願いした。
この店は酒も旨いが、実はとても上等なフルーツを用意してくれている。この晩はお願いしてラフランスを切ってもらった。
たかが洋ナシ1個、と思っていたら結構な量で、白い大皿がねっとりとしたラフランスで埋まる。まるで一人しゃぶしゃぶみたいだな、と思いながらそれをつまみ、官能的な甘みとわずかな酸味に合うように選んでいただいた加水のClynelish、1993年蒸留G&Mの14年を頂く。

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お店を一人で切り回す西川さんは接客のプロ。やはりわざわざ立ち寄るわけだから、落ち着いた気分にならないバーだと意味がなく、そういう意味でとても安心。

最後にSpringbankのLocal Barleyをいただく。もうお目にかかることはほとんどなくなってしまった貴重なもの。他のお客さんも帰られて、男2人で毒にも薬にもならない話をしながら、「実はこんなのもあるんですよ」と店のBGMがジャズからロックに変わる。なんかこの感じ、覚えがあるな、と思ったら学生時代に友達の下宿で好きな音楽聞きながら無駄話していたことを思い出した。こういう息抜きできる場所があると、いろんな意味で大変助かる。

近くの住宅街の中にセララバード、という有名なレストランがあるけれど、そこに寄られた後にでも、あるいは代々木上原で降りてわざわざ足を運んでもいいかもしれない。ただし、大人の方だけで。

バー マイルストーン

食べログ バー マイルストーン




 

 

 

 

 

 

 

Bowmore 9年 シェリーカスク、日本未発売、を個人輸入してみた

(2018年1月20日加筆: 先日武川蒸留酒販売のHPで税込み3980円でまだBowmore 9年 シェリカスクマチュアード買えることを発見しました。今日時点で残り70本です。念のためですが私には一円も入りません、はてなスターでも代わりに下さい(笑))

 

今家飲みしているのがこちらのBowmore。日本未発売。
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普段あまりBowmore飲まないのだが、いつもの渋谷のバーにお邪魔した時に「これYさんがくださったんですが旨いので飲んでみてください」と勧められたのがこの9年シェリー樽熟成。Yさんはウイスキー本の著作・翻訳もされている方でちょくちょく都内のバーでお見掛けする方。
頂いてみたらいい意味で軽快感のあるシェリーとバーボン樽、そしてピートのバランスが取れた飲み疲れしない一本だった。

蒸留所のテイスティングメモには以下のように書いてある。

  • ノーズ: リッチなココア、胡椒とレーズンの香りが柑橘系の刺激、微かなアイラのスモーキーさと調和
  • パレート: ピートを感じるシェリーの複雑さの後にダークフルーツと甘いクレマカラメルの味
  • フィニッシュ: 海の塩とピートの煙の完璧な調和

そして何よりの美点はオフィシャル12年と値段がほとんど変わらない、ということ。だが残念ながら日本では販売されていないという。

そこで初めてのウイスキー海外通販をトライしてみることに。「本当にすぐ来るし、日本への輸出も慣れているし、梱包もしっかりしているしびっくりするぐらいちゃんとしている」と複数のバーにて教えていただいたことがあるWhisky Exchange経由で。

やってみると拍子抜けするぐらい簡単。ウェブサイトも親切で、国内でオンラインショッピングやったことがある人であれば特段問題ない、はず。そして4日ほどでサクッと到着。なぜか中途半端な7本という本数で輸入してしまったが、送料と関税、通関手数料で1万円ほど。一本当たり1500円程度なので、日本で買えないものはもちろん日本で買うとバカみたいなプレミアム付いているものは輸入がお勧め。

上のBowmoreはこの記事を書いている時点で20.79ポンド。3000円ぐらい。

それにLagavulinの200周年記念の8年を追加。52.95ポンド。7500円ぐらい。日本で買うと1万円オーバーかな。

国内ではDHLを通して配送。送料と関税、通関手数料を受け取るときに支払う。
結局出来上がりはこれぐらいの値段となった。

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Benriachを一本おまけに注文。

 

注文4日後に届いたものがこちら。

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梱包がイギリス人の仕事とは信じられないくらい丁寧で、この緑っぽい緩衝材が全体にぎっちり詰められていたうえ、ウイスキー一本ずつを覆う箱の中にもご丁寧に緩衝材を詰めてあった。ピンクの紙に梱包の担当者の手書きのサインが。

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内容物は注文通りBowmore2本、Lagavulin4本とBenriach1本。これぐらい買うと送料、関税などとのバランスがちょうどいいように思われるので、一人で本数がまとまらないのであれば周りのウイスキー好きと相談してある程度まとまった本数を購入するのが吉かと。ポンドもまた140円割れてきていることもあり今がチャンスかも。

だが前にも書いたが信濃屋で買った方が安いものも意外とあるのでしっかりチェックを。ヤフオクで変な値段をつけている転売屋を儲けさせるよりもご自身でいろいろされてみたらいかがでしょうか。(ただし自己責任、At your own riskでお願いします)

 

 

 
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ボウモア 9年 シェリー カスク マチュアード 40度 700ml
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islaywhiskey.hatenablog.com

 

 

 

 

1946年蒸留の52年物Macallanを飲む

1946年蒸留の52年物のMacallanを飲んだ。「次の年末年始にはこのボトル開けようと思っています、よかったらまた来てください」と昨年言われた津のAmberにて。Macallanなのにピートで焚いた唯一のビンテージ。戦時中で石炭がなく「ウイスキーロールスロイス」が泥炭で焚かれスモーキーなフレーバーが付いた。またピートで焚いたMacallan飲みたいな、などと言うドイツ人がいたらなかなかシュールだ。一度ピートで焚くとなかなか香りが取れないというが、1947年も薄くピートが香ったのだろうか。

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翌朝クルマで出発というのに、金曜日の仕事の後会社の同僚と焼鳥屋でビールとワイン1本ずつ開けた後新橋のバーCaperdonichで飲んでしまう。

f:id:KodomoGinko:20170109224010j:plain右のボトルから順々に飲んでいったのだが、どれも外れがない。あまり世に知られていないバーなのかもしれないが居心地もよく置いてあるボトルの趣味もとてもいい上に良心的な価格設定なのでお勧め。

そして土曜日の朝起きると微妙な血中アルコール濃度を自覚。コーヒーその他の水分を摂取してしゃきっとしたところで東名に乗る。

土曜日の朝に東京をクルマで出て、津で一泊して日曜日早朝に伊勢神宮参拝して神宮会館泊、翌日成人の日に再び早朝参拝して帰京、というスケジュール。家人向けには「伊勢西ICと伊勢ICは通行規制で降りられないので、規制が始まる朝8時45分までに伊勢市内にいるには津から朝一で出発するのが一番」、と説明していたが、なぜこのスケジュールなのかの本当の理由は先述の通り。

 

道中それほど混んでおらず富士山が美しく見えた。新東名を調子乗って走っていたら走行車線のバスの陰に隠れていたパンダみたいな車が追越し車線を行く私のクルマの後ろについて赤色灯回した時点で気づいてブレーキ踏んだが間に合わず。次のサービスエリアに連行。


数年ぶりにパンダカーの後部座席に座らされ、「スピード出していたことは認めます。でも追尾始めて赤色灯回した途端にブレーキ踏みましたよ」、と言うと案の定計測できておらず。
結局追越し車線を2㎞以上走ったという通行区分帯違反、1点6000円の青切符をいただく。不幸中の幸いというべきか。高速バスの前にぴったりついて隠れていて2㎞以上追越し車線を走ったことを目視できたはずはないのだが、スピード違反も通行区分帯違反も認めない、となると相当揉めるしあるいは下手して血中アルコール濃度が残っていてもシャレにならないので俺のファンのおじさん二人にサインをくれてやった、と思うことにした。指紋の捺印も。

放免された後は、次は死んでも捕まらないぞと心に固く誓う。皆様も新東名で高速バスや大型トレーラーを抜く際にはお気を付けください。家人曰く去年も名古屋近辺で覆面パトカーをぶち抜いた途端に気が付いて慌てて減速したらパトカーの後部にある電光掲示で「スピード超過」という素敵なメッセージを頂戴したらしい。覚えてないけど。

運転しながら腹が減ったので東海道随一の宿場町桑名にて焼きハマグリを食べる。その手は桑名の焼き蛤、というやつ。麻雀する時の「そいつは東芝日曜劇場」的なクラシックなやつをやってみたかったのだ。はまぐり食道という駅前の店に入り、ハマグリ定食とハマグリフライ定食、焼きハマグリを頼んで家族3人でむしゃむしゃ食べる。ちょっと高いがハマグリ美味い。ひつまむしのようにお茶漬けのように見えるご飯の中にはハマグリのしぐれ煮が入っていて、最初はそのまま食べ、それから急須に入っただし汁をかけていただく。そして焼きハマグリ。
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夕方前に津に到着。城跡近くのホテルにチェックインし、旧伊勢街道のうら寂しいアーケード商店街をふらふら歩く。電器屋さんのショーウインドーにはこんなものがあった。

f:id:KodomoGinko:20170110224004j:image松阪牛で有名な朝日屋を冷やかし、駅前の居酒屋伊勢門にて地元の魚介や肉をいただいて満腹になり、家人たちをホテルに帰してから満を持して私だけAmberへ。

一年ぶりのカウンター、男女二人連れの隣に座る。その二人はウイスキーマニア的な人で、すでに彼らの目の前には箱ごと件のMacallanが。まず一杯目は鷲のマークの大正製薬、じゃなかったArranのGolden Eagle 1999年。

腹も満ち足りているのでゆっくり飲む。一人で黙ってバックバーにらみながら酒飲んでいるほうがウイスキー談義に花を咲かすよりもウイスキーマニアっぽいのかもしれない。カウンターからオーナーの女性が声を掛けてくれたので、「一年前にお邪魔した時にこのウイスキー開けると伺っていたので、お伊勢さん行く途中改めて来てみました」と話す。だが去年おっしゃっていた値段でそのまま出しているとすると正直赤字なのではなかろうかと思うので、それだけ目当てだというとスーパーで特売品しか買わないおばさんのようだ、と少し反省する。

Craigellachieのボトラーものをいただいた後でついに女装が、じゃなかった助走が終わってMacallanお願いすることに。よく考えたらMacallanはCraigellachieにあるのだった。箱だけでもオークションで何万円もする、そうだ。ウイスキーの箱に鍵がついているというのも初めて見た。肩の赤いラベルには誇らしげに数字ではなく大文字でFIFTY TWO YEARS OLD、と書かれている。うちの母親が1歳だったころの蒸留か、と思うとさっき見たVictorの犬の人形が懐かしいというどころの騒ぎでないことに気づき、時の重さで胸が重たくなる。年だけなら私も7年後には負けなくなるのだが。

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とてもスムースな飲み口で一瞬加水されているのかと思ったが、時の流れで自然にアルコール度数が下がったため。ピントのボケる感じは全くせず、凛とした上品なストラクチャーが舌の上で感じられ、酸味の弱いタンジェリンのようなあるいはアプリコットを感じさせる甘みと軽いヴァニラが流れた後にピートの香りがほのかに鼻の奥で震える。これを飲んでピートが強い、という人はいないだろう。とても美しい、痩せて背の高い老婦人を思わせる。最初に「これは旨い!」と叫びたいようなものではなく、飲むうちにじわじわと圧倒される。


そもそも考えてみると、スコットランド銀行の10ポンド札の裏にMacallanのポットが描かれている、というのはすごいことだ。

 


隣の二人連れが引き揚げたので同い年と判明したマスターと少しウイスキー談義。次に何飲むか、というのもなかなかな難問。Macallanなのにピートというレアもの、からの流れでCaperdonichなのにシェリー樽、それも70年代のCadenheadのAuthentic Collection、というレアものを試す。

f:id:KodomoGinko:20170109223945j:plainそもそもこのAuthentic Collectionは欧州向けで今でもあまり日本に入ってきていないうえ、最近80年代ものも手に入らないのに70年代蒸留、そしてCaperdonichという閉鎖蒸留所、そしてこちらの蒸留所は多くがバーボン樽熟成なのにこれはシェリー樽、という意味で先ほどの52歳のスペイサイドの老貴婦人と負けず劣らずレアなのだ。マニア向け過ぎて知名度ないけど。

幸せな夜を抱えたまま津の人通りのない寒空の下一人ホテルまで歩き、二晩連続でスコットランドの液体が身体の中を駆け巡るまま床についた。

翌朝生憎の天気の中、外宮参拝、内宮御垣内で公式参拝、そして御饌をお受けしておかげ横丁の白鷹三宅酒店で1合立ち飲み、そして赤福本店というお決まりのパターン。そして月読宮に行き、4つ並んだまだ新しいお宮に感銘を受け、翌朝日の出前から内宮に改めて参拝して帰ってきた。

 

今年一年が良い年でありますように。

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一年前に初めて訪問した時の記事はこちら。

Amber

食べログ Amber

BAR CAPERDONICH

食べログ BAR CAPERDONICH

 

 

 

 

 

Today is not my day

今回も特段のオチもない長文で、時節柄よほどお暇な方以外は他のより建設的な読み物をされて新しい年を迎えられたほうがよろしいかと思いますので、念のため。夜も更けてまいりましたので大きな声での朗読はご近所の迷惑ですのでご遠慮ください。

年も押し迫ったというのに大阪出張。込み入った話を説明するためプレゼンテーション作成に数日かかり、ようやく本番。羽田発伊丹行きのANAの12時の便は満席、機材は3-3-3の並びのシートで、2-3-2のJALと比べて横幅も前後の幅もすごく狭くて辛い。

窓際の席に座ると、狭いのに隣の人が脚を組むので私の脛に靴が当たりそう。年末なので家族連れも多く、離陸する前から泣き叫んでいるちびっこもいて、いつもの出張とは雰囲気が随分と違う。
居心地悪い中、資料を入れたカバンを足元に置いてプレゼンに目を通していたら「離陸しますのでカバンは前の座席の下にお願いします」とCAに言われてしまい、座席の下に入れようとしたらシートを床に固定する金具が邪魔して自分の前の席の下には入らず、隣のおっさんは脚組んだまま寝てしまって脚が邪魔でカバンが入れられない。こちらは早く仕事に戻りたい。何とか四苦八苦しながらカバンを収納、でも定時を過ぎても動き出す気配はない。

しっかりとしたアナウンスがないまま10分過ぎ、20分過ぎる。伊丹に1時10分に到着予定で2時半からのアポ。30分遅れると結構ギリギリ。30分経ってようやく飛行機が動き始め、「羽田空港混雑のため出発許可を待っていたのと荷物の積み込みに時間がかかったので本機は35分遅れております」というアナウンスが。まあ遅れたのは百歩譲って許すが、時間が読めないと困るビジネス客多いんだから精神衛生のためも含めてもう少し前から状況説明のアナウンスがあってもいい。


予定外にプレゼン前のチェックの時間が取れたのはよかったのだが、着陸時にもカバンの収納についてCAに注意される。「もし座席下に入れにくいようでしたら荷物を上の棚に収納しましょうか?」とでも聞いてくれればいいのに、完全なマニュアル対応。ANAはおもてなしを売りにしていたのではなかったか。

ようやく伊丹に35分遅れで到着。時間の余裕を見ていた分をすべて食われてしまう。そして客先へと阪神高速で向かうと今度は事故渋滞で環状線まで45分という電光掲示。これはもう完全に遅刻だわ、と凹む。ややこしいプレゼンをしたり、難しい交渉事をする際には早目に先方についてアウェイでも余裕を持って対応する、というのが通常で、「遅れてすみません」とこちらが最初に詫びて相手が当初から心理的優位に立っている状況は相当不利。渋滞の中で焦れるが焦っても仕方ないのでバカ話をして気を紛らわせる。塚本あたりでしょうもない追突事故だった。だが何とか時間に間に合う。

お客様の偉い方々を前にしっかりつかみで冗談言って笑わせてから話を始めたのだが、自分の話が刺さっていないのが話しながら分かる。それが分かるので一生懸命話すのだが空回り。いや、そういうニーズがあるって担当営業が聞いてきたのでそのニーズへの解決策を話しているのだけれど。結局1時間以上いろんなテクニックを繰り出して話したものの、今一つで終わってまた凹む。とても時間をかけて準備してきたのに。

プレゼン終わっていろんな意味で脱力状態の中、もうオフィスに戻っても7時過ぎになるし年末なので片づけることも少ないはずで、大阪で何か食べていこうか、そういえば昼食も食べそこなったので、と思い同行者の予定を聞くと、とりあえず羽田に戻ります、とのこと。自分だけ大阪残っておいしいもの食べて帰ります、とは言いにくい雰囲気。後ろ髪引かれながらじゃあ私も、と羽田へ。

帰りの飛行機はJALで席も狭くなく定時到着。同行者二人はそれぞれ直帰するとのこと。えーそれなら大阪残って千草のお好み焼きでも食べて、そのあとRosebankにでも行って古いウイスキーでも飲めればよかったなあ、と後悔するが先に立たず。さらに凹んだがプレゼンの手元資料もずっしり重いし首都高激渋滞なので電車でとりあえず帰社。

オフィス戻るとがらんとした雰囲気。自分用の簡単な出張コールメモを作っていると猛烈に腹が減る。そういえば客先に早目について喫茶店で遅いランチを食べるはずだったのに食べ損なったのだった。

大阪でいいもの食べるつもりだったので、東京でラーメンとか安易に食べることは自分的に死んでも許せない状況。そもそも人生いつ死ぬかわからないので一食一食悔いが残らないよう妥協せず美味いものを食べる、また適当な酒で酔っ払わない、というのが私のポリシー。少し考え、会社から歩いて10分弱の前回ミックスフライ定食事件が勃発した洋食屋へ。

冷たい風が吹く中を歩いて店に着き、一人でも気兼ねなく食事できる4席あるカウンターに空きがあるか見ると、お母さんとちびっ子2人がカウンターにいて残り一席もお母さんのものらしきコートと荷物が置かれている。いつもオーダー取ってくれるおばさんが寄ってきて「だいぶお待ちいただきます」と言われてしまったので諦める。だが気持ちは完全に洋食モード、じゃあ遠いがぽん多にでも行くか、と思って御徒町へ移動。だがわざわざ行ってみたのに定休。またやられた、今日はついていない、と思い、携帯でググって近くのキッチンさくらいをトライ、だがこちらも満席で一人でも入れない、とのこと。心が折れてその下の階の生パスタの店、というので妥協しようとしたが、席に着いたら「お水はご自身でドリンクバーでお願いします、オーダー決まりましたらこのボタンを押してください」と言われファミレスもどきで俺は妥協するのかと我に返って店を飛び出た。
そうだ、ぽん多がダメなときは蓬莱屋だ、と我ながら名案思いつくじゃん、偉い偉いと自画自賛しながら行ってみるともうラストオーダー過ぎたとのこと。しょうもない店に入ったりしていなければ、と今日何度目かわからない後悔。全くもってついていない一日。


こうなったらどこかのバーにでも入ってゆっくり一杯飲みながら美味い店探そう、と思ってバーを探すもののあまりいい店がなく、結局上野駅近くのProntoで妥協してジムビームのハイボールを飲む。正直角ハイの方が好きだわ、とまたまた後悔。
スマホをいじって、近くに上野藪蕎麦があると分かったので、熱燗で体を温めてつまみ食べて蕎麦でも手繰るか、と決定。グーグル先生はまだ営業中とおっしゃったのに行ってみるとすでに閉まっていて、本日何度目の空振りか、と思って本当に心が折れる

もうなんでもいいや、と自暴自棄になり歩いているとえらく昭和なおでん屋が。火が出れば3分で全焼しそうな古い建物だがぱりっとした紺色の暖簾がかかっている。一瞬行き過ぎたが、思い直し戻って暖簾をくぐる。
 
予想通り昭和の雰囲気を色濃く残すおでん屋。カウンター10席程度、テーブル席は5テーブルぐらいだろうか。結構な繁盛ぶりで、遠慮しながらカウンターの一番右端に座る。壁には古ぼけた黒板にチョークで刺身その他の一品が書かれていて、目の前でおでんを煮ている。カウンターの奥には1億円札や招き猫などおなじみの昭和グッズ。中に立っているのは60絡みのこぎれいなお母さんと20代の女性。寒いので熱燗。追加でシマアジ刺しとおでんを数品頼む。

熱燗出てきたら二合徳利だった。さすが上野。最初だけカウンターの中からお酌をしてもらう。隣は常連さん3人連れ、うちの親父と同い年かちょっと上ぐらい。結構飲んでいるが、下町でよく見るきれいな飲み方。

味の染みた大根を食べ、ごっつい厚揚げを食べているうちに身体が温まる。背中越しに引き戸を開く音がして3人連れの客が入ってくる。カウンターの常連さんが一つ席をずれて私の隣に移ってきて、3人連れのために席を作ってあげている。常連さんは一見の客に席を譲る、というお約束が守られている。

私の隣にイトウさん、イトウさんと店の人から呼ばれているごま塩頭のずんぐりしたお父さんが座る。短い話をして最後に冗談を言ってハハハ、と笑うのを繰り返して楽しく飲んでいる。

「兄さん、この店は初めて?俺はね、この店昭和29年ぐらいから来ているよ。隣の新潟から出てきたこいつの地元は、村なのに競輪場があるんだよ、すごいねアハハ。」「この若い女の子はレンちゃんっていうんだよ。中国のハルピンから来た。中国語教えてもらってね、いい子なんだ。レンっていうのは、干支の寅って書くんだよ。後ろの女の子はくみちゃん。日本人。」と言って胸から手帳を取り出して、「くみちゃんは月、火、木曜日にいて、レンちゃんは基本毎日いる」と教えてくれる。黄色いポストイットにおでん屋のバイトの女の子のローテーションが几帳面な小さい字で書かれている。くみちゃんがそれを見て、「イトウさん、本当にメモ魔なんだから。お客さん、イトウさんのメモ帳いろいろ面白いこと書いてあるんですよ」と言って笑う。

イトウさんは東京オリンピックの前に新築の団地に親と一緒に引っ越した話をしてくれ、そのころの公団住宅は夢の未来の住宅みたいだったよ、と教えてくれた。隣の新潟の弥彦村出身の友達はちょっと前に綺麗な奥さんを亡くして寂しがっている、といいながら私のお猪口にお酒を注いでくれる。でも私のことをいろいろ詮索したりはしない。短くて太い指が関節ごとに曲がっていて、爪が横に広がって大きくて、今はツイードのジャケットを着ているけれどこれまでずいぶん苦労されたのだろうことが何も聞かずとも伝わってくる。イトウさんも奥様に先立たれてしまったのだろうか。上野のおでん屋はそんな寂しくても寂しいと言わない人たちのためにそこにあった。私が通り過ぎることができなかったのはもしかしたら偶然ではなく必然だったのか。