東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

ブラックニッカ アロマティックがフライング気味に届く

先週転倒して走れなくなったバイクの応急処置が終わったとの連絡を受け、宇都宮で引き取って門前仲町近くのディーラーまで自走。東北道でそれなりにスピード出したが問題なさそう。修理の依頼をして帰宅したら、玄関にブラックニッカ アロマティックのケースが置かれていた。確か発売日は21日火曜日だったはず、なので2日ほどフライング。

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青いブレンダーズスピリット、黒いクロスオーバーと来て今年最後の限定発売の赤いアロマティック。

早速飲んでみた。

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淡い熟れたバナナの香りと薄い輪ゴムの匂い、口に含むと若草、コルク、アプリコットジャムとトフィーの甘味、フィニッシュは穀物の甘みが静かに消えていく。飲み疲れしない優しさでウイスキーを飲みつけていない人にも受け入れられそう。

黒のクロスオーバーは口開けしたばかりだとアルコホリックというかアタックがきつくてちょっと、と感じたが時間が経って柔らかみが増すとモルトとピートがしっかり重なり合って私好みの味に変わった。青のブレンダーズスピリットは最初から旨かったがアロマティックも同様に口開けしてすぐでもスムースな飲み口で旨い。

以下が現在の家飲みラインナップ。直近の一番のお気に入りはBBRのGlenGoyne13年、2000年蒸留、こればかり飲んでいるのですぐ無くなりそうで直近Longmorn1990年26年ものを開けたところなのだが、アロマティックもローテーション入り間違いなし。

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この価格でこの旨さならウイスキー初心者も含めて買ってみて損はないと思う。
限定発売で販売数量は12000箱。年間のブラックニッカの出荷量は360万箱(700mlx12本)なのでそのうちのわずか0.33%という言い方もできる。気になった方はお早めに入手されることをお勧めします。


 

 

宇都宮の南海部品でバイクに再会した時、リアのウインカーが割れたままで東京に帰るかどうか悩む。そのままだと整備不良で捕まるリスクがあり、すこし悩んでLEDのウインカーに換装したいとお願いした。親切な対応で作業を受けてくださった方は先週電話越しにバイクを受け入れて修理してくれること快く引き受けてくれた方。今日初めて会った彼が店の中でてきぱき働いているのをよく見ると歩き方がぎこちなく、左手も力が入らず不自由なよう。バイクの事故の後遺症なのだろう。

そんな彼がバイクで転んだ私にとてもにこやかに対応してくれ、複雑な気持ちになった。家族のために事故のないよう東京に帰らないといけないと改めて思ったが、失ってからでないと分からないありがたさもたくさんあり、ありがたさに気づける人の方がもしかすると人にやさしくできたりして幸せなのかもしれないとも思う。人に親切にされると自分の至らなさを思い知らされて辛くなる。本当はとてもありがたいことなのだが。

 

一期一会

久しぶりにバイクに乗って、久しぶりに盛大に転んだ。そしてあまりよく知らない土地で初めて会う人たちに親切にしてもらい、長い話をして別れ、初めての店で酒を飲んで家路についた。人生とは、などと大きく振りかぶるつもりもないが、一期一会、予想もつかない出来事というのはこういうことなんだな、ということを改めて思い知った。

土曜の午後、少し遅めの紅葉を見にバイクで塩原から日光へ。快晴だが風の強い東北道を下り、山に分け入っていくと空が暗く重くのしかかる。ヘルメットのシールドに水滴がつき、指先がどんどん冷たくなっていく、東京を出た時には予想していなかった展開。こんなところで転んだら電話も通じないしシャレにならない、と慎重に運転しているうちに水滴ではない白いものが降ってきた。

盛りは過ぎていたものの、広葉樹が完全に裸になっているようなところに突然燃えるような紅葉があってとても美しい。だがちらつく雪で視界が悪いうえ濡れた路面で転ばないのに必死で紅葉狩りを楽しむどころではない。日塩紅葉ラインに辿り着いて山を下りて来るうちに陽射しが出てきて路面も乾き、ようやく紅葉を楽しめるようになった。

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途中でバイクを降りて写真を撮ったりする余裕ができ、相当街に近づいたところでいきなりの転倒。自分でもびっくり。正直気が抜けていたのかもしれない。スピードは大して出ておらず、しっかりバイクを倒し込まないと曲がれない180度コーナーで若干乱暴にフロントブレーキの操作をしてしまい、乾燥はしていたがつるつるだった路面で前輪が滑って転んだ、というのが冷静になってからの分析。

不幸中の幸いはしっかりとしたプロテクターの入ったレザージャケットを着ていたのでほぼケガがなかったこと、対向車も後続車もいなかったこと。バイクのダメージは限定的だがクラッチレバーが折れてしまい、エンジンは掛かるものの自走不能に。

バイクを起こしていたら対向車線の車が止まって夫婦が降りてきて手伝ってくれる。保険会社に電話してレッカーを要請。1時間以上かかるという。オペレーターはマニュアル通りの丁寧さで対応してくれるものの、山の中の吹きさらしの路上から冷え切った体で電話している、というところまでは思いが至らない。電話をつなげたままでお待ちください、と言われたままずっと待たされ、少しでも日当たりがいいところに行かないと凍えてしまうので片手で携帯持ちながら坂道をバイクにまたがって下って行こうとしたら今度は立ちゴケ。バランスを崩して左足で踏ん張ろうと思ったらそこは溝。携帯が壊れたら万事休すだった。

そのかっこ悪い現場にツーリングの人たちが通りかかってまた助けてもらう。事情を話し、山を登ると雪が降っているので気を付けてください、と伝える。
件のオペレーターにレッカー到着までにバイクをどこに持っていくのか自分で探してください、レッカー車には同乗できないので自分で帰宅の足の手配をしてくださいと宿題を出される。

保険で無料対応なのは50㎞までのレッカーとのことだが最寄りのディーラーを調べたら一番近いところでも120㎞先。1㎞当たり500から600円程度レッカー代かかるので東京までだと10万円コース。バイクを買った店に電話で相談して、近くのバイク修理・販売店に片っ端から電話してみるものの「外車は扱ってません」「自分のところで売ったバイクしか面倒見ません」という答えしかなく途方に暮れる。

悪戦苦闘しているうちにあっという間に時間が経ち、レッカー車が到着。街から上がって来るのかと思ったら峠を下ってきたのと、車が載せられるぐらい大きなのが来たので少し驚く。20代前半から半ばに見える若いお兄さんが降りてきて事情を説明。名刺をいただき自己紹介され、「身体冷え切っているでしょう、レッカーの助手席座っといてください」と声を掛けられて言葉に甘える。結局行先もそのSさんが宇都宮の南海部品がいいですよ、と教えてくれる。後日ディーラーからクラッチレバーを南海部品に送ってもらって装着し、翌週末にでも電車で宇都宮まで来て東京までバイクで自走して帰ってくることに。

宇都宮までは本来無料の50㎞をわずかに超えるが、「ほんのちょっとだからいいですよ」と言ってくれ、本来ならレッカーには同乗できないことになっているけど南海部品まで乗せていってくれる、と言う。大きな駐車場に停まったのでどうしたのかな、と思ったら「体冷えて寒いでしょうから自動販売機であったかいもの買って飲んだらどうですか?」と言ってくれる。1時間半ほどトラックの中で話し、レッカーの仕事がどんな仕事なのか、峠はどの辺が危ないのか、先週末に新潟に抜ける峠道で動けなくなってしまった車を助けに行ったら積雪30㎝だったとか、サマータイヤでスキーに来る人を助けるのは仕事ながらアホらしい、とかいろんな話を聞いた。

S君は塩原の実家に住んでいて、私が若いころに乗りたかったS13シルビアを駆って峠でドリフトするのが楽しみらしい。だからレッカーの仕事もある意味仕事と趣味の両立のような感じだそうだ。でも全然ヤンキーっぽくなく、今どきの顔立ちの整った目のきれいな好青年だった。「僕らも地元だけど峠は一人では行きませんよ」。そう言われ少し反省。一人呑み、一人遊びが好きなのだから仕方がないのだが。

1時間半ほどで目的地に到着、遠慮するS君の手に心付けを無理やり握らせ、お礼を言って別れる。

宇都宮の駅までバスで出るともう7時過ぎ。家人も心配しているだろうと思い、「バイクにトラブル発生したので今まだ宇都宮、先に食事済ませといて」とLine。さすがに転んだとは言えない。

駅前の焼鳥屋で角ハイボールを飲みながら、今日出会った人たちはみんな親切だったことに想いを馳せる。バイクは傷つき、直すのにも物入りではあるものの、それよりも目に見えない得たものが大きかった気がした一日だった。


 

卵焼きとマグダラのマリア

仕事のあと、遅めの時間にいつものバーへ。たまに店で顔を見かけ軽く挨拶を交わすぐらいの仲だった男性と隣り合わせに。彼の前にはアイラとスペイサイドの酒が数本並んでいる。私のタリスカーソーダが半分なくなった頃、彼に話しかけられた。彼と話すのは初めてのことだった。

 

 この店でお通しが出てくると、お袋がよく冷蔵庫の中のあり合わせのもので親父の酒のつまみを作っていたのを思い出すんですよ。

 

ここでは出来合いのお通しが出てきたことはなく、手作りで必ず一手間掛かっている。毎日の準備はさぞかし大変だろう。私より一つ、二つ若いぐらいの彼が遠くを見るような目をしながら続けた。

 

 お袋の作ったしらす入りの卵焼きをつまみに焼酎を飲むのが親父は好きでした。釜揚げしらすの柔らかな塩気と、卵の甘さがなんともいえず、僕もその卵焼きが大好きで、酒も吞まないのにもらって食べました。あの味が懐かしい。もう一度お袋の作った卵焼きを食べたいです。

 

話を聴きながら不思議な感じがして、一口ソーダを啜ってなぜそう感じたのかようやく気がついた。過去形なのだ。それに気づいてか、若干の間を置いて彼は再び口を開いた。

 

 母はずいぶん前に死んじゃいましたけどね。

 

意外だった。あまり年の変わらないように見える彼が随分早く母親を亡くした、ということがすぐには飲み込めなかった。私の両親は二人とも元気に暮らしているせいで。

 

丁度そのとき店に3人連れが入ってきたので、彼はじゃあそろそろ失礼します、と言って去っていった。ほんの短いすれ違いのような会話だった。

 

わずかなエピソードからも、彼の家庭がとても温かいものだったことが分かる。そして彼は若い頃にそれをいきなり失って苦労したであろうことも。幸せは時間をかけないとやってこないし時間をかけてもやってくるとは限らないほど儚いが、不幸せは一瞬にして訪れる。丹精に手をかけ育てたバラが心ないどこかの誰かに手折られるのは一瞬であるかのように。彼の人生の前半もそんな不条理に翻弄されたのかもしれない。

 

誰かと話がしたかったから店に寄った訳でもないのに、話し相手が突然出来て突然いなくなると寂しさを感じるのは不思議なものだなあ、と薄ぼんやりと考える。

 

お母さん、夢の中でいいのでもう一度だけ彼に卵焼きを食べさせてあげてほしい、息子さんはあなたのことをいつも思い出して会いたいと思っているんですよ。しらす入れるの忘れないでね。

 

顔を見たこともない天国の彼のお母さんにそうお願いしながらグラスを空け、勘定を済ませ渋谷の坂の上に立つと、若葉が生い茂る樹の間から夜の街の眩しさに負けないぐらい白く輝いている三日月が見えた。

 

そしてカレンダーの写真が何枚か変わった頃、私は大阪にいた。日中は仕事で顧客回り。「大阪は東京と違ってえらい暑いでしょ」とどこに行っても言われ、ここもと東京も異常気象で直近は大阪より暑いぐらいなんです、というとどこに行っても納得いかなさそうな顔をされる。そんなところまでいちいち東京と張り合わなくてもいいのに、と可笑しくなる。

いや、私も大阪に9年、京都に4年おりましたので東京とは種類の違う蒸し暑さだというのは肌で知っているんですけどね、というと不思議がる人が多く、そんな時は東京に出てきてから20年以上経っていて大阪弁が上手く話せなくなってしまったので仕事の時は東京弁で話すようにしているんですよ、家内は関西育ちなので家では違いますが。

ああなるほど、大阪だったんですね、どちらでしたか、とその後ローカルな話題で打ち解けるのがお決まりのパターン。

その日の夜の飛行機を予約してあったが、気が変わって翌日の土曜日の便に変更。仕事が終わり、急遽取った西梅田の宿に荷物を置くと窓からはプラザホテルも大阪タワーマルビルの電光掲示板もなくなっている景色が見え、大阪を離れてからの月日の長さを思い知らされた。

軽い食事のあと、西天満のバーで一人ゆっくりとウイスキーを飲んでいると日付の変わる少し前になっていた。このままホテルに帰っても良かったのだが、せっかくなので以前何度かお邪魔した新地のバーに立ち寄ることに。

店から出てくる人と、それを見送る胸ぐりの深いドレスの女性や和服姿のママたちをかき分けながら、大阪も意外と景気いいなと思いつつタクシーの営業所の斜向かいにある雑居ビルの階段を登る。

ドアを開けると「お久しぶりです」と声を掛けられる。カウンターにいた二人連れが丁度お会計をしていた。「今日は随分賑やかだったんですが、ようやく静かになりました。東京からわざわざありがとうございます」「いや、今晩帰る予定だったのですが、せっかく金曜日の晩に大阪にいるので一泊してから帰ろうと思ったんです」「わざわざ来てくださったんですね、それならいいものをお出ししましょう」、という流れでSt. Magdaleneという80年代前半に閉鎖された蒸留所のボトルが出てきてそれを頂いていた。

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Facebookでつながっているのであまり久しぶりな気がしませんね、などと言いながら一人でカウンターに立つオーナーバーテンダーの長谷川さんと近況報告などしていると、背中にドアが静かに開く気配が。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」客が一人入ってきて、カウンターに通されて冷たいおしぼりを受け取っているのを見て驚いた。先日渋谷で卵焼きの話をしながら一緒に飲んだ彼がそこにいたのだ。彼も私同様にびっくりしていた。


 凄い偶然ですね、それも大阪で。バーなんて世の中星の数ほどあるのに。


 いや、ウイスキーが好きな人が行くバーは星の数なんてないですよ。だからこんなところ、失礼、悪い意味ではなくて、でお会いするんです。でも私もびっくりしました。またお会いできないかな、とずっと思っていまして。いや、これも変な意味ではなく、ご報告したいことがあったものですから。


 ではまず何かオーダーして頂いて、一息ついてから。

そう私が言うと、彼は私が飲んでいるものと同じものを、同じくストレートで、と注文。二人で乾杯して改めて味わうと、香ばしいビスケットとわずかのオレンジピールの香りが口に含むとキャラメルやシャルドネの樽香のような甘みに変わっていき、長く余韻の残る素晴らしい一杯だった。

 どうして大阪にいらっしゃるのですか?お仕事で?

と彼が聞く。

 ええ、今日一日仕事して、夜に東京に戻る予定だったのですが一泊することにしました。明朝、昔亡くなった親友の墓参りをしてから帰ることにしたんです。実は毎年命日近くに来てまして。今年はまだちょっと早いんですが。


だからこの時期にお見えになるのですね、いつも暑い頃にいらっしゃるイメージがあります、と長谷川さんが口を挟んだ。

 いつ頃その親友は亡くなられたんですか?

 私が一浪して大学に入った年の夏、ですからもう25年以上前になります。彼も浪人して、まず受からないだろうと言われていた東京の大学に翌年見事合格して、彼女も出来て幸せな生活をしている、と聞いていました。私がある日下宿に帰ると、留守番電話がやたらと点滅していて、M君がアルバイト先の塾に原付で向かう途中でコンクリートミキサーに巻き込まれて亡くなった、早く連絡しなさい、といううちの母の涙声のメッセージが吹き込まれていました。
 それからしばらく、彼が第一希望の大学に受かっていなければ死なずに済んだかも、と思ったりして幸せというのが一体何なのかが分からなくなりました。今も分かっているわけではありませんが。


今日は前回と違って、彼が聞き役に回る日だった。

 

 明日はM君の親御さんのところに顔を出されるのですか?

 いえ、お葬式の時に私を見て「なんでこの子じゃなくてうちの子がこんな目に遭わなければいけないの?」と思われるだろうな、ととても強く感じられ、それ以来何だか申し訳なくて後ろめたくて、ちゃんとご挨拶できなくなってしまいました。本当に立派なご両親だったから、そんなことは決してお考えにならなかったと思いますが。
 だから毎年一人で墓参りだけ行って帰ることにしているのです。
 実は中学、高校の6年間ずっと彼とはとても仲が良かったんですが、高校3年生の時にMと私の間でつまらない諍いごとがあって、お互いその後は受験もあって忙しく、ずっと仲直りするきっかけを見つけられないままになっていたんです。
そしてその出来事が起こって、永遠にMとは仲直りできなくなってしまいました。
四十九日の法要の時にお母様が「あの子が一番近しく思っていたのはYくんだったのよ」と私の名前を挙げてくれた時には後悔で胸を締め付けられました、改めて申し訳なくて。
 
 

 そうでしたか。でも多分M君とは仲直りできると思いますよ。


そういって彼は微笑んだ。


 どうして? どうしてそう思うんですか?


彼を問い詰めるような私の声がさほど広くないバーに響いたことに、自分でも軽く驚いた。

 ごめんなさい、大きな声を出してしまって。


 いえいえ、こちらこそ驚かせてしまってすみません。早くお伝えしなきゃ、と思っていたのですが、実はご報告というのは、Yさんと前回お会いしたあの晩、夢の中に母が出てきて、私に卵焼きを作ってくれたのです。それも私が大好きだった、しらすが入った卵焼きを。母が亡くなってから初めて母と会えました。そしてあの懐かしい味の卵焼きが食べられました。本当に、本当に嬉しかったです。それを早くお伝えしたかったのです。でも大阪でお会いするとは思いませんでした。だから、YさんもきっとM君と会えて仲直りできますよ。


そういえば、と長谷川さんの顔が真顔に変わった。今飲んでいるSt. Magdalane、ウイスキーの中では唯一聖人の名前が付いているんです。聖マクダレーン。日本では「マグダラのマリア」と言った方が通りがいいでしょう。そう、あのダヴィンチ・コードで出てきた、イエス・キリストの死後、神の子の復活を最初に目撃し証人になった女性のことです。そんな酒をこんな偶然にも東京から遠く離れたこのバーでお二人がお会いできて飲んでいるんですから、天国にいるお友達にだってきっと会えると思います。彼が亡くなったお母さんと再びお会いできたように。


Mが亡くなったのは平成も初めの頃のこと、何度となく私の心の中で後悔が繰り返された出来事だったので、もう大きく心が動くことはないだろう、と思っていたが、彼らの言葉を聞いて大粒の涙がこぼれて止まらなくなった。

願えば、叶う。そう信じてMと仲直りが出来る日を心待ちにしている。

 

 

(フィクションです)


 


 

焚き火を眺めると心が落ち着く理由を(飲みながら)考える

台風に直撃された9月の3連休、焚き火を囲みながら外で夜ウイスキーを飲むという人生初の体験をした。残念ながら星空の下で、という訳にはいかなかったが。

キャンプ上級者の友人家族と山梨県北杜市のキャンプ場へ。バンガローの横に雨よけのタープを男二人で張って、炭をおこして薪と一緒に焚き火台に置く。台風が接近している割には雨風共に強くない。飯盒で米を炊き、七輪でサンマを焼き、ダッチオーブンローストチキンを作り、クラムチャウダーで暖を取りながらふた家族で楽しい夕ご飯。ついでにつまみの燻製も作る。ちびっ子たちはたらふく食べて幸せそうだ。食事が終わると家人たちは屋根の下に引っ込むが、我々二人はタープに落ちる雨音を聞きながら焚火に当たってウイスキーを啜る。 つまみに作ったチーズとかまぼこの燻製はおかずとして食べられてしまった。

焚火は薪の下から沢山の青い炎の筋が伸び、その先端が輝きながら赤く細く揺れ、まるでたくさんの蛇がこちらに向かって舌をちらちら揺らしているようで、ぼおっと眺めていても全く飽きない。

ほんのり立ち上る煙に燻されながら気の置けない友人とウイスキーをゆっくり飲みつつ話をしていると、こんなに幸せなことはあまりないかもしれない、という気がしてくる。

普段は焼酎を飲む友人も、G&M Macphail's CollectionのPulteney 2005を美味い美味い、と言って飲んでくれる。舌の上でバーボン樽ファーストフィル独特の南国の花や黄桃を思わせる甘い香りがフレッシュグレープフルーツの味に置き換えられていく。

人間が文化的な生活を送るようになったのは人類の歴史の中でほんのつい最近、ここ数百年ぐらいで、それより前の二千年ぐらいは暗くなったら焚き火を囲んで野生動物から身を守り、暖を取りながら群れでくつろぎさまざまな会話をしていたはず。闇の中でも焚き火があれば大丈夫、と太古の記憶がDNAに刷り込まれているから、揺れる炎を見ているとそれが蘇って心から寛げるのではないか、というのが私の勝手な仮説。

蛇のような細長くて動くものが大嫌いな人は大脳の中の理性が及ばない古い皮質が真っ先に反応して反射的に怖がるというが、それも人間としての本能が世代を超えてDNAに刷り込まれているわけだから、焚き火でほっとするのは動物として正しい反応なのかもしれない。

口切りしたボトルを二人で三分の二ぐらい飲んでしまい、火の始末をしてから就寝。翌日は朝7時から近所のパン屋がキャンプ場にパンを売りに来るのの整理券をもらうために並び、その間に七輪に再び火を起こしてお湯を沸かし、コーヒー豆をミルで挽いてハンドドリップ。朝からまた至福の時間。

至福の時間を再現できればと、家のベランダや屋上でも焚き火ができるように焚火台を買い、また同じPulteneyを手に入れた。寒くなったらまた火を囲みながら、友と語らいたいと思う。
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バーでの客としての立ち居振る舞いについて

仕事の後、軽くどこかで飲んで帰るか、と思って新宿三丁目へ。初めてのお店で少し刺激を得てリフレッシュできれば、と思い以前から行ってみたかったバーへ。

ビルのエレベーターを降りるとお店の中、というたまにあるやつで、初めて訪れるバーの扉を若干の緊張とともに開ける、という儀式のようなものが省かれるパターン。6、7人も座れば満席になるくらいのお店。先客は二人連れが二組。促されるままにカウンターの一番端に座ると、いきなり隣から声を掛けられる。会社の後輩が人を連れて男二人で飲んでいたのだ。座る前には気が付かなかった。

なんでも大学時代の友人と久しぶりに会って、仕事の情報交換も含め旧交を温めている、とのこと。彼らもこの店は初めてで、どこかで食事しようかと思ったがどこも混んでいて、一軒目からバーに来たらしい。よく来るんですか?と聞かれ、ここは初めてだけどウイスキー好きなのでいろんなバーに行っている、と答える。

せっかく後輩の友達との再会を邪魔してもいけないので、その旨伝えて店を出てもよかったのだが、それだと恐縮するだろうしお店にも悪いと思って一杯だけ飲んで帰ることに。

それなら最初からフルスイング、と思いこの店のオーナーが蒸留所でハンドフィルしたGlenlivet、バーボン樽18年をいただき、飲み終わって一息ついてから退散。オーダーする際に「フルショットにしますか?」と聞かれたのでそこそこのお値段なんだろう、と薄ぼんやり考えつつお勘定すると3500円。立派な殻付きのアーモンドが出てきたことを考えるとチャージ込み、フルスイングしにいったので仕方がないとはいえ、価格と味とのバランスが今一つ。いろんな意味でもやもやとした感じで店を後に。

予定外の展開で不完全燃焼ぎみだったので、副都心線に乗っていきつけの店へ。扉を開けるといつもとは雰囲気が全然違う。えらく騒々しい。見たことない顔の6人連れがカウンターの後ろでソファ席で大声をあげている。流石にまたバーを探して彷徨いたくもなく、そしてお店はしばらくいつもの二人態勢ではなくサブの方だけでのワンオペで、それで売り上げ落ちたらサブの方の面目が立たない状況、というのも知ってもいるので顔を出したからにはお金を落とさず帰れない。そもそも客の少ない8月、それも後半だし。

仕方がないので我慢して飲むことに。カウンターメインの静かな店に50過ぎのおっさんおばはんの6人連れは同窓会帰りらしく、大きな声で下ネタは言うわ、ガハガハ笑うわ、で完全に居酒屋のノリ。私のほかにはお酒のインポーターの営業のお姉さんが営業がてら一人静かに店の方と会話しながら飲んでいるだけ。こういう場合には客としてどう立ち振る舞えばいいのか。結構悩ましい。

スタッフに言って注意してもらう、というのは簡単だ。けれどそういうことをこちらからお店にお願いして、注意された客が逆恨みして食べログ的なところで店の悪口書いて店の評判を下げる、というのもありがちだ。そもそもこういうところで騒いではいけないと歳の頃50も過ぎているにもかかわらず分かっていないのだから、訳の分からないことをするリスクは普通の人に比べて高いに決まっている。

他のお客さん、例えばカップル、もいて、雰囲気ぶち壊しで迷惑かけているのであればまだ店に注意するようお願いしてもいいのかもしれないが、私一人が我慢すれば済むならあえて波風立てる必要はないかも、と思ってしまう。あるいは私が出ていけばいいのかもしれないが、飲み足りていない、店の売上に協力したい、もう彷徨いたくない、などの理由でちょっとためらう。インポーターのお姉さんは純粋に客でもないし、営業として店に文句言うわけにもいかないという何ともしんどい立場。

店に汚れ役を押し付けるのではなく、客の私が「もう少し静かにしてもらえませんか、いつも雰囲気を楽しみに来ているので」というやり方もある。それもなかなか難しい。うまくやらないとケンカになる。常連がえらそうにしている店、みたいに店の悪口言われるリスクも残る。でもこちらが腰低く下手に出るのであれば、店からではなく客の私の方から注意した方がいいのかもしれない、そんなことをつらつらと考えながら、気が付いたら5杯も飲んでいた。

新しく一見のカップルのお客さんが入ってきて、なおかつ私が5杯飲む間にそのうるさい団体客は追加の注文を一切せず。そのうちの男性一人は寝てしまっていじられている。店の売上に貢献せず、雰囲気ぶち壊しにしている客はまあ追っ払っても問題ないだろう、と思い団体客の幹事役と思しき人がトイレに立った際に私から静かにするよう言おう、と思ったら「お勘定」とのこと。ようやくか、と思ってほっとする。

幹事がまとめて払ったが、完全にプライベートの飲み会なのに某上場化学会社の宛名で領収書もらっているのが聞こえてしまい、さらに愕然とする。固有名詞はっきり聞こえたけどここでは晒さない。

ようやくうるさい客がいなくなって静寂が戻ったが、ささくれだった神経はまだ落ち着きを取り戻さない。ふらっとリフレッシュしにバー2軒に立ち寄ったのに、金払う客の立場なのにひたすら気疲れしてしまうという予想外の展開。早めに損切りして帰宅すればよかった。

仮に1軒目、2軒目のような状況におかれたら客としてどう振る舞えばいいか、どなたかご教示いただけないだろうか。カウンターの中の人の意見も聞いてみたい。ただし店が何とかすべきだ、という意見は横に置いておいて、純粋に客としてどう振る舞うべきか。

「火の用心しない方がおかしい」というご意見はごもっともだが、私が思い悩んでいるのは一度火事になってしまったらどうするのが正しいのか、ということなので。

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(写真は上記内容と関係ありません、このウイスキー飲ませてもらって美味かったから一生懸命探してようやく1本見つけることができました)

 

 

 

islaywhiskey.hatenablog.com

 

 


 

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モンテネグロとボスニアヘルツェゴビナでやたらと警察のお世話になるの巻

昼間の気温が35℃を超えるコトルから脱出し、車で2時間半ほどの世界遺産ドゥルミトル国立公園に出かけた。綺麗なところだ。こちらがBlack Lake、黒い湖。

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そしてこれがTara River Canyonを見渡す展望ポイントからの景色。ちょっとした登山。

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その帰り、幹線道路の超長い直線下り坂をちんたら走っていると突然、黒地に鮮やかに赤い縁取りが付いた制服を着た警察官が「止まれ」と書かれていると思しき制止用の棒のようなものを振り回して物陰から飛び出てきた。

どうやらネズミ捕りに引っかかってしまったらしい。

予想もしていなかったのでかなりびっくり。ガソリンが少なくなっていたのであまりスピード出さずに走っていたつもりで、前の車ともさほど変わらないスピードだったのに。

免許取りだそうとカバンに手を入れていきなり警官にズドンと撃たれてもシャレにならないし、一応旧共産国の警察相手なので慎重に対処。銭形警部を思わせる眉毛が太くてがっつりつながっている長身の警官が完全にモンテネグロ語、というかセルビア語で話しかけてくるので、何を言っているか分からないしそのまま言葉の壁を利用して立ち去ろうとしたが駄目だった。

モンテネグロジュネーブ条約加盟国ではないため、日本の免許証を携帯する義務がある。にもかかわらず国際免許しか持っていなかったので、下手するとめんどくさいことになるな、と思って素直にパトカーに連行された。もう一人の英語が少し話せる警官が「26㎞オーバーの時速76㎞で走ってただろ、罰金払え」、という。確かに何だかおもちゃのようなスピードガンみたいなブツがパトカーの助手席に置いてあるのだが、計測した数字を見せられたわけでもなく今一つ納得できない。前の車で計測してその数字で私を検挙しようとすればできてしまうではないか。

だがそんなこと言って怒らせても意味はなく、しょうがねえ、日本の点数減るわけでもなし時間も勿体ないので金で解決するのが簡単だわ、と思っていたら「罰金20ユーロ」とのこと。3000円弱。切符切られて銀行で納付するのか、と思ったら「今ここでキャッシュで払え」だって。結局罰金払ったが何の書類ももらえなかった。つまるところ私の払った20ユーロは彼らのビール代にでもなったはず。モンテネグロの警官は、地元の車捕まえるよりも他国のナンバーの車捕まえて、切符切らずにカツアゲするという副業をしているような気がする。

その数日後。今度はモンテネグロの海水浴で有名な街プトヴァの宿からバルカン半島最大の湖であるシュコダル湖に遊びに行く途中、海沿いの幹線道路と山に入っていく地方道の分岐でどっち行こうか、と一瞬迷って止まって山側の道に入ったところでまた警官が例の棒を振り回してやってきた。今度はティアドロップのサングラスをかけた強面かつガタイのいい警官一人。そして全く英語を話さない。それも超高圧的。揉めるとマジで逮捕されそうな勢い。警官が何言っていたのかはあくまでも私の想像だが、「お前あそこの分岐で一時停止しなかっただろ、パスポート見せろ」、「いやホテルが預かったままなので持ってない」、「なんで持っていないんだ」、「いやホテルがチェックアウトまで預かるというから渡してある」、「外国人はパスポート携帯しなきゃダメだろ、どこのホテルだ」、みたいな押し問答を二か国語ですれ違いながらずっと繰り広げ、最後まで俺はあそこの分岐でちゃんと止まった、と毅然と主張し続けた。国際免許見て「どこの国から来たんだ」というから「日本からだ」と答えたらようやく放免。

もしかするとモンテネグロクロアチアナンバーのレンタカーに乗っているのは、甲子園球場の1塁側にジャイアンツの帽子かぶって座っている、みたいなものなのか。もしくはサッカー日韓戦でアウェイで日の丸振るみたいなものか。気のせいなのかもしれないが。

そしてさらにその数日後、ボスニアヘルツェゴビナ、というかスルプスカ共和国のトレビニエでも捕まった。今度は駐禁。

街の中心に大きなプラタナスが生い茂って木陰ができている素敵な広場があって、その横の駐車スペースにクルマを停めて広場に面するホテルのテラス席で優雅にランチを食べた。その後オーガニックフードの店を冷やかしたり観光案内所で話を聞いたりして戻ったところ、フロントガラスに素敵な書類が。さらにご丁寧に前輪はでかい金具でロック。

駐車区画から3分の1馬身ほどはみ出て停めたせいなのか。前の車もはみ出していたから車が出せなくなっても困るのでそうしたのに。なかなかイラっとする。

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書類の一部は英語で書かれていて、30兌換マルク(2000円強、ボスニアヘルツェゴビナはなぜかいまだに旧ドイツマルクが通貨となっていて、実質ユーロと100%リンクしている)を銀行もしくは郵便局で払った後ロックを解除してやる、とのこと。

小さな銀行の支店がすぐ見つかったのだが、反則金を納付するのも一苦労、まずカウンターに8人ほどが列を作っていて、一人一人の処理に結構時間がかかって私の番が来るのに小一時間。そして英語が話せて反則金納付の書類の書き方がわかるマネージャーを連れてきてもらい、カードで下した30兌換マルク払ったら手数料をさらに払わなければならず、それをクロアチアクーナから両替して、たかだか数百円程度の両替なのにパスポート見せろとかそれはまたややこしい。後ろに並んでいたお兄ちゃんがイライラしているのが分かって申し訳ない。でもみんな毒づいたりせず紳士的。

何とか反則金を支払い、その領収書みたいなものを誰に見せたらロックを解除してもらえるのかわからないので再び観光案内所へ。
さきほど街について案内してもらった切れ長の目をした栗色の髪の超美人なお姉さんに相談したら、「ついてってあげるわ」、とのこと。車まで一緒に来てもらってロック解除の手続きしてくれる人を見つけてくれた。超親切で感激。「駐車料金払ってなかったからよ」と言われ、「いや、サインが出てないからわからなかった」といったら「確かにわからないわね、申し訳ないわ」と言われてこちらが恐縮。

不幸中の幸いは金曜日の銀行の営業時間中に駐禁切られたことに気付いたこと。これで銀行が閉まってしまったら車輪のロック解除ができず、月曜までモンテネグロでもなくクロアチアでもなくスルプスカ共和国(ボスニアヘルツェゴビナの一部)で足止め食らったかも。

異国の地、それも旧共産国での警察がらみのトラブルが続いたが、意外と何とかなるものだ。だがモンテネグロでのスピード違反と一時停止違反、ボスニアヘルツェゴビナでの駐禁をやらかしたときの対処の仕方、なんて日本国民の99.97%にとっては「ホッキョクグマのレバーを生で食べ過ぎると死ぬ」ぐらい全くなんの役に立たない豆知識、だと思う。

 

 

 


 

モンテネグロで見つけたヤバい飲み物、缶入りジャックダニエルのコーラ割り

モンテネグロのスーパーで、レジの近くにあったのでつい買ってしまった。ジャックダニエルのコーラ割り。
ホテルのミニバーに無理やり突っ込んでそろそろ冷えただろうと思ってドア開けたら落下してしまい、ひしゃげているのはご愛嬌。

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海外では日本でいうところの缶チューハイ的なRTDは流行らないものだと思っていたけど、こんなものがあったとは。モンテネグロで作っているわけもなく、よくよくラベルを見るとイギリスからの輸入もの。確か3ユーロしなかったと思う。

モンテネグロは民族的にも国家的にも言語的にも歴史的にもロシアとのつながりが強い国なので、レストランに行くと地元のセルビア語に加えてロシア語と英語でメニューが表記されている。そういうわけで店に行くと必ずウオッカが置いてあるのだが、ジャックダニエルも大抵メニューに載っている。でも乾いた痩せた石灰岩質の土地にブドウ畑がたくさんあり、地元のワインが安くてとても旨く、レストランではワインを飲むか、暑いのでビールを飲んでいる人が多い。

前置きはともかく、缶入りジャックダニエル&コーラのお味は、というと、まさに「まんま」。東京にいるとわざわざ店に入ってコーラ飲もうなんてほとんど思わないのに、こちらにいると暑くて汗かいて疲れて、冷たいコーラをカフェで飲みたくなる。それと同じでバーボンやスコッチをコーラで割るなんて畏れ多くて注文したことなどほとんどなかったが、実際飲んでみると美味い。ジャックダニエルのちょっとくどさのある樽の甘みとコーラの炭酸のシュワシュワ感が絶妙のマッチング。後味もベタっとした感じが全然ない。

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トライアスロンのレース中、エイドステーションで氷で炭酸を飛ばしたコーラが出てくるときがあって(石垣島など)、疲れた体にカフェインと糖ががっつり染み込むのがたまらなく気持ちいい。それと同様に、運動後や仕事の後での初めの一杯、というのに実はジャックダニエルのコーラ割というのは実は理に適っているのかもしれない。いつもの一杯目はタリスカーアードベッグのソーダ割りを頼んでいるけれど、今度はジャックダニエルのコーラ割りにしてみようかと真面目に思う。

ジャックダニエルのインポーターのアサヒビールさんというかニッカさん、ちょっと製品化を検討されてみてはいかがでしょうか。

 

 

 


 

モンテネグロは猫に優しい

夏休みはモンテネグロに来ている。何でモンテネグロなの?という真っ当な質問への答えは、綺麗な海があって世界遺産はやたらと沢山あり、物価が安くて飯が美味くていい意味でも悪い意味でも超適当で、人はみんな優しいけどクルマ運転させると人が変わってガンガン飛ばす、という素晴らしい国だから、ということになる。

そしてこの国の人はどういうわけか猫に優しい。世界遺産コトルのスターリグラッド、旧市街の中は別名「猫の街」だ。レストランのテラス席の下に猫がうろうろしていても、店員は追っ払ったりしない。

こいつはコトル旧市街から数キロ離れた我々の宿の近くの海岸にいた。
人に慣れているのか、近づいてきた我々を全く警戒することなくおねだりしてきたが、我々は全く何の食べ物も持っていなかった。残念でした。

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コトル周辺の気温は40℃近くまで上がり、海からすぐなので湿度も多くてしんどい。だから人間様は老若男女みんな昼間海に入って涼んでいる。この辺の家はクーラーないところも多いし。猫も昼間の暑さでぐったり、夕涼みして体力回復、といったところか。

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そして猫の親子。日が暮れてきたので活発に動き始めたところ。子猫は好奇心旺盛なので見ていて面白い。

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コトルを離れ、60キロほどに南下したところにあるバルという街を訪れた。港町で、フェリーでアドリア海を渡るとブーツの形をしたイタリアのかかとのあたり。旧市街には城の遺跡、というか廃墟があり、なかなか面白い。無慈悲に照り付ける太陽の下を歩いて数百年前の石造りの建物の残骸を見て歩き、あまりの暑さに痛めつけられてレストランで遅めのランチを食べていると、こやつが人間様を観察しにやってきた。暑くないのか君は。

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そういえば廃墟のような城の遺跡の中にも猫がいた。お母さん猫だ。暑くて逃げる気もわかないらしい。子猫がどこか近くにいたはずなのだが、探しても見つからなかった。なんだかエジプトの壁画に出てきそうなプロポーションをした不思議な猫だった。

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そして最後はおまけなのだが、モンテネグロではなくお隣のボスニアヘルツェゴビナのトレビニエという街にいた猫。トレビニエはいい気が流れている素敵な街で、大きなプラタナスが作る木陰で涼しい広場にレストランやカフェが並び、みんな幸せそうに夏の昼下がりを過ごしていた。そこにいた一匹。

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私は特段猫好きというわけではないのだが、旅行中ということもあっていつでも写真を撮る態勢だったのでつい沢山猫の写真を撮ってしまった。猫が幸せに暮らしている街は、多分綺麗に掃除されておらず、野良猫に苦情を言う人もおらず、みんなつまらないことで思い悩んだりせずに適当に幸せに暮らしているのではなかろうか、と思う。

西天満 Rosebank、北新地 Tarlogie Sonaにて

久しぶりの大阪。夕方まで仕事があり、その後東京に帰ってくる便を押さえてあったのだが、当日の朝になって気が変わって一泊することに。三連休前の金曜日だから、というのもあるが、友人の命日が二週間ほどでやってくるのでとんぼ返りするのではなく、翌朝少し早めに大阪の郊外にある彼の墓を参ることにした。

それにしても暑い。荷物が増えるのが嫌で下着の着替えだけ持ったのでシャツとスーツはそのまま翌日も着なければならず、汗かきたくないな、と思っていたが無理な話。大阪は暑いでしょう、とお客さんに言われたが、今年の東京は実はあまり変わらないぐらいかむしろ東京の方が暑いぐらいだ、というとなぜか納得いかなさそうな顔をされた。そんなところで張り合っても何もいいことないのに、だけどそこが大阪らしい、とちょっと可笑しくなった。

チェックインし部屋で仕事の続きを終えたのが7時半。さあどこに行こうか、と思うがあまりの暑さにビールの誘惑にボロ負け、というより惨敗。宿の近くのサッポロビールの直営らしい洒落乙な店に吸い込まれ、カウンターに座ってとても上手にタップから注がれる蒸留されていない麦汁でのどの渇きをいやし、正面のスクリーンに映る私以外誰一人興味を示していない自転車のイタリア選手権を身を乗り出してがっつり見入っていると、2時間ほどが過ぎていた。

いかんいかん、せっかくの大阪なので2軒はバーを廻りたい。ここで酔っぱらってしまうわけにはいかない。2軒目はRosebank。西天満まで歩いていくとまた文字通り汗びっしょり。もう10時前だというのに。

以前伺ったのはいつのことだったろう。そう思いながらドアを押す。カウンターの両端に女性が2人。真ん中に陣取る。「鴨川のカップルみたいですね」と右端の女性が誰に言うともなくつぶやく。いやそりゃそうでしょ、いきなりどちらかの女性の隣に座るわけにもいかない。もしかすると「じゃあお隣に失礼しますので一緒に飲みましょう」というのが正解だったとすると、難易度高すぎ。

カウンターの上にBowmore、Lagavulin、Laphroaigの2017年のアイラフェスボトルが3本並んでいる。どれを飲むか悩んだが、初めて飲んで感動する旨さだったのでおととい渋谷Caol Ilaで改めて頼もうとしたら目の前で売り切れたLagavulinをお願いすることに。

だがよく考えたらRosebankに来たのならここでしか飲めないオールドのボトルをお願いすべきだと思いLongmorn。常連さんとその連れが現れ、マスターとバー業界の話をする。それも西日本各地のモルトバーの情報をよくご存じで。大体そういう話は嫌味っぽく聞こえることが多いものの、全然そんなことがない。どこかの若旦那かな、と思ってお話を伺うと高校の先生とおっしゃるのでびっくり。お連れの方は同じく先生だが教え子、だそうで二度びっくり。

その後お勧めいただいたRoyal Bracklaのハイプルーフがとても美味かったが、正直ウイスキーについて語るには酔っぱらい過ぎ。最後にこれ飲んで帰れ、というのはありますか、と聞いて出てきたGlen Grant飲み終わってお勘定をお願いした後に、東京のバーの話になってそこからまた長くなった。

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そこからまた北新地へ向かう。途中にある酒屋でウイスキー売っている値段を確かめると、ちょっと異常。イチローモルトのオフィシャルが3倍の値段で売られていたりして、アジア人向け価格なのか、本気で売っているのか。

新地の店がはねる時間。帰るお客さんもいれば、おねえさんとアフター行くおじさんたちもいて。そんな人たちを見ながらTarlogie Sonaへの階段を上がる。店に入ると「お久しぶりです、でもFacebookで見ているのであまり久しぶりの気がしませんね」と榊原さん。

お店はおじさんたちが二組いるので結構混んでいる。二組目のお客さんが出ていくところでHighland Parkの硝子製の盾のようなものが落下して割れてしまう。自分が店をやっていたら気に入っていたグラスが割れたり物が壊れたりすると辛いだろうな、と思う。

他にお客さんがいなくなり、二人でたわいない世間話をしながら時間を気にせず飲むのは楽しい。明日は6時半に起きればいいし、飛行機の中でも寝ることができるだろう。私は平日は朝が早いのでいつもは1時を過ぎて飲むことはほとんどないが、今日は関係ない。

今日は泊りなんですよね?ええそうなんです。本当は日帰りのはずだったのだけど、明日の朝墓参りしてから帰ることにしたので。中学、高校の時の親友の墓なんです。大学入ったばかりの時に交通事故で死んでしまったので、もう25年以上毎年来ているんですが。親御さんには挨拶されるんですか?いえ、お葬式の時に自分が親だったら「なんでこの子じゃなくてうちの子なの?」と思うだろうな、ととても強く思って、なんだか申し訳なく感じてそれ以来あまりちゃんとできていません。

それははるか昔、平成3年の夏のことで、もはや自分の感情が動くとはまさか思っていなかったのだが、ずっと仲が良かった二人の間につまらない諍いごとがあって、なかなか仲直りのきっかけが見つからずしばらく疎遠になってしまったときにその出来事が起こり、永遠に仲直りできなくなってしまったことが改めて悔やまれ、不意に涙が落ちそうになった。

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翌朝は自然と目が覚め、久しぶりの阪急電車に乗って大阪郊外へ。涼しかったことは過去一度もない。お墓はきれいに手入れされていて、前日にも誰かお参りした人が来た形跡が残っていた。朝早かったので花屋が開いていなくて手ぶらで来てしまったことを詫びながら、近況を手短に報告する。おそらく来年の今頃も、似たような話を書くのだろう。かつても似たようなことを書いた気がするが、それでいいのだ。一番の供養はいなくなった人のことを忘れないでいることなのだから。

 

islaywhiskey.hatenablog.com

 

 

 

 

 

本を読むことの意味(それもウイスキー飲みながら)

本を読むということは私にとって非常に重要なことだ。他者が人生の大部分を費やして辿り着いた経験知を簡単に手に入れられる。人が老いてからようやく気づいた後悔について書かれた自伝的小説を仮に読んだとすると、私が同じような過ちを犯して死ぬ前に同じように後悔する可能性はわずかながらかもしれないが下がる。その分、自分の人生を後悔なく生きることができるようになるわけだ。それも何十人、何百人といった人の人生の教訓を簡単に得ることができ、それにかかるコストは本代と読書にかかる時間のみ。(念のため言っておくがHow-to本を何百冊も読めとは死んでも言っていないので誤解のないように。それは多くの場合時間と金の無駄遣いだ。)私の生きる時間は有限で一度だけの人生だが、沢山の人が人生をかけて学んだことをわずかな費用と時間で得られる。そして人と会って話を聞くのと違っていつでも自分の都合がいいときに(寝っ転がりながらでも、酔っぱらいながらでも)それに触れることができる。こんなに費用対効果が高いものはない。

私の人生に大きな影響を与えた本「まぐれ」「ブラック・スワン」の著者ナシーム・タレブの邦訳が最近発売された。「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」という本だ。原書が2012年に出ているので、日本版が出るのに5年もかかったということになる。最近はその本を読むのが本当に楽しみだった。ちびちびとウイスキーを飲みながら読み、電車の中でのわずかな時間でも読む。そして自分の中でまた咀嚼する。
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彼の本から学べることのたくさんのうちからいくつか紹介する。

過去がこうだったから、将来もこうなるとは言えない。七面鳥は飼い主から毎日毎日手塩にかけて育てられ、七面鳥からすると飼い主からの愛情は永遠に続くと思えるかもしれないが、3年経った感謝祭の直前にそれが間違いだったことに気づくことになる。七面鳥は感謝祭のごちそうになってテーブルの上に乗る。1000日間同じことが続いたからと言って、1001日目も同じ1日になるとは限らない。逆もまた真。新しい技術や油田の発見のように毎日何の結果も出なかったとしても、ある日突然とんでもない発見をするかもしれない(逆七面鳥問題)。

したがって未来は予測できない(100年後に人間はとてつもなく荷物を運ぶのを簡単にする画期的な仕組みである車輪を発見する、と予想できる人がいたら、それはすでに「発見」されている)。予測できないが実現すると社会にとてつもなく大きな影響を与えるものをブラック・スワンといい、ブラック・スワンが起きた時に敗者にならず利益を得るものになるためにはどうすればいいのか考えるべきである。未来を予想することができると考えたり世の中で起きていることをモデルで説明できるという人は世の中に自分(あるいは人間)が知らないことはない、という傲慢な考えを他人に押し付けている。

この本がマニアックな本でとっつきにくいと感じる人も多いかもしれないが、全部を理解する必要はない。村上春樹の小説を読了して「だからなんなの?」という人がいるが、いや別に一つの結論とかってものはないんだけどそれが何か?と逆にこちらが聞きたくなる。それと一緒で、得ようとすれば学べることはいろんなところに転がっている。


酒を飲みながら、読んだことの意味を改めて自分の中で反芻する。前にも書いたが酒を飲むとずっとしまったままだった記憶の抽斗が開くことがある。バーテンダーの人と話す時間もそれなりにあるが、本から得たものを触媒にしながら時間に迫られることなく酒を飲んで記憶の抽斗から様々なおもちゃを取り出して脳内で遊んでいるうちに、本から得たものが自らの血肉になっていく気がしている。

最近圧倒的に旨かったのはLagavulinの2017年アイラフェスティバル記念ボトル。もともとLagavulinの16年はバランスがいいけれど、それをもっともっと洗練させてピートのスモーキーさがシェリーの甘さに包まれながら長い余韻が続く感じ。熟したベリーとマーマレード。素晴らしい。あまりの出来の良さに驚きWhisky Exchangeなどで買えるかと思って全力で調べてみたけれど全然見つからない。Caol Ilaのフェスティバルも悪くないけれど、Lagavulinの出来が良すぎて埋没。渋谷のCaol Ilaさんにて。

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新橋のCapadonichさんに久しぶりに行って飲んだElements of IslayArdbegも同系統の旨さだった。ArranもBenriachもバーボン樽のしっかり効いた骨太な造りで私の大好きなタイプ。

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Capadonichは他のお店に比べていいものがリーズナブルな価格でいただけるイメージがある。お一人でやっていらっしゃるからできることなのかもしれない。お客さんもそこからメリットを受けているわけだから、その辺のことをわかったうえでオーダーする人を見ると「ああこの人大人だな」と思う。あるお客さんが注文したカクテル作っていらっしゃるときに横から別のオーダー出したりせずにしばらく待っている人とか、シュワシュワ泡が出るものを頼むときには二人で同じもの飲むカップルとかは見ていて気持ちがいい。

レストランで本当に旨いパスタを食べたいのなら、何人かで出かけたとしても同じ種類のパスタを全員で注文しろ、とか、鮨とショートカクテルは出てきたらカウンターの上に置きっぱなしにするな、とかいうようなことも本や小説から学んだ知恵で、意外と本から得た知識は私の血肉になっている。どちらかというと肉というよりは脂肪として身についている気がするが。