東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

無駄は無駄ではないことを知る

ふと、WolfburnのBatch 128がいいのではないか、と思った。そもそもオフィシャルがまだ若いのに矢鱈と旨い。だから初期の限定ボトルとなるBatch 128を買っておき、10年後ぐらいに思い出して飲んでみたら凄いことになるのでは、と考えた。だが今飲まずに買って10年後に開けるのもちょっと違う。そう思い、どこの店に行ったら飲めるのだろうと悩む。

しばらく考えて、こういう時こそInstagramだ、#ウルフバーンでBatch 128の写真を見つけてそのバーに行けばいい、そう思いついた。池袋と浜田山のバーにありそうなことが分かった。こういう時こそSNSはありがたい。

池袋はたまに行くが、浜田山は通り過ぎたことしかない。だから行ってみた。Trackside Scotchpub。駅から歩いて3分、線路沿いの角を曲がったところにあった。

金曜日の夜だが先客はいない。カウンターに座ると目の前のバックバーにいきなり70年代オフィシャルのLinkwoodが2本。ある意味結構危険な店だ。お目当てのWolfburnは…あった、ありました。ハーフでいただく。

ちょっとまだ固くて角があるが、ウッディさが前に出すぎず上品な仕上がり。香りもビスケットのような水仙のような。膝を打って「これは旨い!」というところまではいかないが、十分旨い。

ここもオフィシャルのオールドボトルが沢山。先ほどの危険な店、というのはどれ頼んでいいかわからない人が自分の知っている銘柄見つけて指差して頼むと結構な年代のものだったりする、という意味で危険。だが全部高いわけでは全然なく、後から頼んだ私の大好きなGlen Elginの90年代オフィシャルボトルはハーフショットで900円とのこと。とてもスムースなバーボン樽熟成のお手本のような一本で、口開け直後にもかかわらずちゃんと開いてくれた。

そしてマイナー系が好きだ、という話をしたらGlenugieの80年代のボトルを出してくださった。飲んだことなかったよGlenugie。でもこれも私の好きな穀物感とクリーミーさがあり、その上にいいパフューミーさが加わっている一本。

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私の後に入ってきた女性のお客さんがカウンターのボトルを見て、「そのウイスキーなんて読むんですか?しらす?」とおっしゃったので笑いを噛み殺すのに一苦労。予想もしなかった質問だったので。「そんなことも知らないの」とかそういう意味でなくノーガードの脇腹に切れ味鋭いボディー決められたかのようにツボった。そんな裏技繰り出すの止めてほしい。マダムが「白州です」と平静にスルーした大人の対応にも感心。

中野Southparkの二方さんに勧められ、中野でベルギービールのお店をやっていらっしゃったのを浜田山でモルトバー始めることにした、とのこと。面白いお店が見つかってよかった。3杯ハーフで飲んで4野口でお釣りが来た。

じゃあWolfburnを発注するか、と思ったのだが、ウェブを眺めているうちにどうしてもArranのマスターディスティラーJames Mactaggart10周年記念ボトルとTullibardineのThe Murrayが気になって仕方なくなり、売れ行き見たらどちらもすぐ売り切れているところが多かったのでとりあえず3本ずつ発注。Batch 128はまさかの後回し。久しぶりのウイスキー大人買い、といってもちょっと前にブラックニッカ アロマティック箱買いしたばかりか。

週末クルマで出かけようとしていたところにいつも来てくれるクロネコのおじさんが我が家向けらしい段ボールを積んだ台車を押しているのを発見して引き取る。帰ってきて開けてみると、ArranもTullibardineも立派な箱入り、磁石で蓋が閉まる造りで驚いた。

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結局「試飲する前にボトル買うのはなんだかな」と思っていたところから、飲まずにとりあえず在庫のあるうちに買ってしまえ、となってしまいわざわざWolfburn目当てに浜田山まで行かなくてもよかったじゃん、何やってんだか、という展開。まあ嗜好品なのでそういう無駄があってもいいのでは、という適当な説明で自分を納得させた。浜田山のバーでGlenugieやElginに出会えたことを考えると無駄じゃなかったとも言える。

今度は自分が買ったボトルを飲める店をインスタで探さなければいけなくなった。改めて考えると、効率だけ求めるのなら、腕時計は中国製のデジタルウォッチでいいし、食器は100円ショップのものでいい。酒も安い酒で無駄な時間をかけず手っ取り早く酔っ払えばいい。むしろ酒なんか飲まなくてもいいかもしれない。だが私はそんな彩りのない人生を歩むほど生き急いではいない。

名古屋Bar Barns、津Bar Amberなど:オチのない年末年始の飲み食いの記録

名古屋にて

2017年のクリスマスディナーは名古屋の昭和の居酒屋で一人飲み。大須のその名も大須。絵に描いたような赤提灯。手羽先が旨い。狭い店だがアットホームでアウェイなのに変な緊張感を強いられないのがいい。

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少し歩くとBar Barnsがあるので行ってみた。階段を下りてドアを開けるまでと開けた後もいくつか客に対する注意書きのようなものがあって、ちょっと不安になった。客に対する注文の多い店は、オーナーバーテンダーの料簡が狭いか、客筋が悪いかで居心地の悪い可能性が高いので。だがそれは杞憂だった。

オーナーバーテンダーの平井さんをはじめスタッフが適度の距離感をとりつつも温かくもてなしてくれる。マイナー系の蒸留所が好きで、バーボン樽熟成の穀物感があってクリーミーウイスキーが一番の好み、というとバックバーから色々持ってきてくれた。Glenburgieの京都津之喜向けボトリングや、閉鎖蒸留所Glenlochyのボトル(最初はGlenlossieの間違いなんじゃないかと思った)、Croftengea(Inchmurrinと同じLoch Lomond蒸留所で作られているピートの強い銘柄)など珍しいものを沢山いただく。

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しかし大須亭で飲み過ぎたこともあり、テイスティングの記憶が飛んだ。帰りの新幹線で読書していたが寝落ちし、品川で降りる時に読み掛けの本を置き忘れてしまうという失態を犯す。そんなことは滅多にないのだが。ある意味いい感じで酔っ払った幸せなクリスマスだったのかもしれない。

神田にて

この冬はカキフライをたくさん食べた。神田のやまい、というとんかつの店のカキフライが途轍もなくいい。少ししっかりした衣の中にはカキが3粒ぐらい使われていて、それが一つのカキフライになっている。ここの特ロースにカキフライを二つつけてもらって食べるのが最高の贅沢の一つ。やまいちはとんかつだけでなくかつ丼でも有名だが、実はカキフライが美味いということは意外に知られていない。

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京都にて

年末になって2017年初めての京都。2泊3日だったが初日は東京からの運転疲れで引きこもり、2日目の晩に満を持して出動。東山東一条のイタリアンでの夕食後、家人たちを帰して四条寺町から一筋西を下ったところにあるBar Rocking Chairへ。カクテルが有名な店だが、ウイスキーも充実。一番奥のカウンター席に座ったのだがその奥の窓際のテーブル席で向き合ってロッキングチェアで揺れているカップルがいて、ちょっと羨ましい(女性連れの男性が、というわけではないので念の為)。
入口左には暖炉があり、その前にもロッキングチェアがあった気がする。ゆらゆらと揺れる炎を見ながら酒を飲むのは本当にくつろげて贅沢だ。前にも書いたが。
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Glenallachie、Glen Elgin、Glenrothesと頂き、せっかく京都に来たので季の美で何かいただけますか?と伺い、やはり日本の香草が溶け込んだジンを味わうのでしたら、とお勧めいただきマティーニを。薄白くもやがかかったような絶妙な色合いの一杯を頂き、そのまま幸せな気持ちで帰ればいいのに、烏丸今出川の天下一品に寄ってしまう。

今は北白川本店をはじめどの店もセントラルキッチンで作られたスープを使ってラーメンを供しているが、昔は少なくとも直営店では各々の店でスープを作っていて、私は今出川店の味が一番好きだった。改めて食べてみたけれどやはり他の店と同じ、今どきの味だった。しかし懐かしかった。

松阪・津にて

毎年恒例のお伊勢参りの途中で必ず寄りたいバーがある。津のBar Ambar。昨年は1946年蒸留のMacallanを頂いた。今年は何が頂けるか楽しみに、新東名から伊勢湾岸、東名阪を走って津へ。だがその前にもう一つのお楽しみ、松阪牛を食べに海津本店へ。

車で行って飲めないと寂しいので、津から近鉄に乗って30分ほどの松ヶ崎、という無人駅へ。そこから伊勢街道沿いを10分弱歩くと、巨大な海津本店の看板が出現。店もとても大きな和風建築、まるで大旅館。部屋に通されると今度は窓から大きな庭園が見える。なんだか凄い。

これまでは和田金とか牛銀にお邪魔していたけれど、地元の方はどうやら海津に行くらしい、と言うのを聞いてこちらにやってきたので期待も高まる。確かに松阪の中心部からは離れるので、観光客がこちらに来るというのもなかなか難しい。

家族3人で焼肉定食1人前とすき焼き定食2人前を注文。焼肉定食というと1000円ぐらいでお釣りが来そうな感じがするが、お値段8600円也。なぜかすき焼き定食の方が100円だけ高い。部屋に火鉢があって、そこに炭を敷いて網の上で仲居さんが肉を焼いてくれる。結論から言うと、こんなに旨い焼肉を食べたのは石垣島のやまもとで焼肉食べて以来2回目。正直びっくりするレベル。その後食べたすき焼きもただ柔らかいだけでなく肉の旨みが強く伝わって美味しかったが、焼肉だけずっと食べても幸せだったかもしれない。焼肉はレモンスライスの浮いた特製のタレにくぐらせてから網焼きにする。一人前わずか4切れだが、満足度は非常に高い。あまり火を通さずにすぐにレアで頂くので下手すると肉だけなら3分ぐらいで完食できるかも。時速20万円弱。次回は予約して200gのステーキとか食べるともうとろけるしかなくなるような気がする。

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そしてまた津まで戻り、家人をホテルに帰してBar Ambar(アンバール)へ。1年ぶり3回目。

今年の目玉はSpringbank Millennium Editionの50年だった。昨年の訪問もマスターに覚えていただいていた。改めて思うが、この店のオフィシャルのオールドボトルや限定ボトルの在庫には圧倒される。日本でこんなに残っているところは他にあるのだろうか、というレベル。マスターにそう言うと、「いやー田舎なんで頼む人があんまりいないんですよね」とのこと。実はワインもそうでして、とおっしゃるので見せていただいたのが97年ペトリュス。そろそろ飲まないとまずいんですけどね…でもラベルにラップを巻くのを忘れていたのでカビが生えてしまって、とのこと。ワイン好きな方にとってはラベルが重要なので、ラベルが傷んだペトリュス飲む人はあまりいないのでは、とおっしゃっていた。今普通に店で買うと100万円近くしますが、ラベル痛んでいるので55万円でいかがですか?と言われてしまった。

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青山のバーラジオで修行されていた時代にウイスキーもワインも相当買われたそうだ。そして津で独立。東京だとウイスキー人口が多いのでバックバーの回転も速くなるが、津だとそこまで売れないので物凄いものが残っている。

Tullibardineの27年のオールド、おそらく60年代蒸留も印象に残る一杯。またGlen Albynも初めて飲んだ。

わざわざ東京から飲みに出かける価値は十分あると思う。来年も間違いなく来るだろう。

 

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その他

年末に築地の宮川食鳥鶏卵店で1時間半並んで合鴨を買い、家で鴨鍋を食べたらあまりの旨さにはまってしまった。年末でなければそこまで混まない上、値段もバカ高くなく、家ですき焼きするのを一度スキップしてぜひ築地で合鴨買って鴨鍋食べてください。
鍋で鴨の脂を炒めてそこに1カップのみりんとしょうゆ、酒、お出しを半カップずつ入れ、煮立ったら合鴨、ゴボウのささがき、セリ、ネギ、焼き豆腐と麩を入れてゆずの皮を削るだけ。とても簡単に幸せな気持ちになれる。京都の鞍馬口駅前の鞍楽ハウディに入っている鶏楽で真鴨を買って合鴨ではない本物の鴨鍋作ったがそれも美味だった。

そして築地のもう一つのおすすめは大政のタコ。友人が某有名イタリアンレストランでのクッキングスクールに参加した時、築地でどこで何を買ったらいいかを教えてもらえるツアーにも連れて行ってもらい、タコはこの店で間違いない、と聞いて来た。築地でタコを売っているところはあっても、タコを塩もみした後茹でているのはこの店だけ。手間がかかるだけあって本当に旨いとのことで、レシピを見ながらリゾットとタコのガーリックソテー作ったが本当に旨かった。

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今年は自分で作るほうもより頑張ろうかと思っております。

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浅草サンボアにて

年末にランニングで浅草に行き、前から行きたかった温泉銭湯の蛇骨湯で汗を流した。流石かつての東洋一の歓楽街、大好きな昭和の居酒屋も含めたくさん惹かれる店があったが、年の暮れに家人をほったらかしにして街をふらふらしている訳にもいかず、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。

そして新年を大して意識しないままに私の2018年は始まり、4日から出社、翌日金曜日の夕方には流石に手持ち無沙汰になり、早く切り上げる。さあどうする、そうだ浅草行こう、と思い立ち地下鉄に。

私は銀座線が好きだ。そして丸ノ内線も。古いだけあって浅い地下に作られていてすぐ乗れ、バスのような温かみを感じる。昔は銀座線は終点直前に一瞬停電して車内が真っ暗になっていたような気がするが、それはいつまでだったのだろうか。あるいは記憶違いなのだろうかと訝しみながら構内で反対側のホームに通り抜けできない古い造りの田原町で降り、国際通りを上がる。

いつもの金曜の夜だともっと賑やかなのだろう、ようやく築地の河岸も始まったばかり、まだ休みの人も多いのだろうか、と思いながら路地をぶらつくが、ホッピー通りに辿り着くと楽しそうに飲んでいる人たちが沢山いた。ぼっちだとちょっと入りにくいところもあり、一人で静かに飲める店はないかと探して結局水口食堂に落ち着く。

壁一面に貼られた木札がお品書き、おそらく100以上あるのだろう、なかなかに悩ましい。冷えた体を温めるべく麦焼酎のお湯割りを注文。頼んだカキフライも名物のいり豚も下町の食堂というか居酒屋としてはお上品な量だったので物足りず、肉豆腐を追加したらこれが豆腐ほぼ一丁分が入っているという特大サイズ、最後にぶちのめされる。一人で大テーブルの端に座って皿をつついていたら、松方弘樹を思い起こさせる、貫禄のあるがっしりした体つきをした常連客が入ってきた。藤井、と名前が大きく胸に書かれた外套を着ている。コートではなく、ゴム引きの外套。その下には和服を着ていても全くおかしくない。こういう街にはこういう人がふさわしい、と妙に感心しながら店を出た。

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最後に暴力的に腹が満たされ、寒空の下でまた街をふらつきバーを探す。そういえば浅草にはサンボアがあった。

街が意外とコンパクトなのですぐに店は見つかり、バーにしては明るいライトに店内が照らされているのが通りから見える。もっと古めかしいのかと思ったが店に入るとイメージが覆され、まだ新しいカウンターが肘に気持ちいい。だが寺町サンボアを思い出す。

何を頼もうか、ここでも悩むがバックバーにWolfburnを見つけたのでお願いする。私の好きなCaperdonich蒸留所(閉鎖)のウォッシュ槽が仕込み水のタンクとして使われている、スコットランドで最も北にある蒸留所。2013年1月25日に復興後初めての蒸留が行われた新しいブランド。ラベルに描かれているオオカミはスコットランドの北にはかつて沢山生息していて、言い伝えでは海面を歩くことのできる海狼がいると信じられていた。そしてそれを見ることができた人には幸運が訪れるとされた。

アメリカンオーク樽熟成のまだ若い薄飴色の液体がショットグラスになみなみと注がれる。この店は常にダブルショット。カウンターの上に置かれたコースターのユニオンジャックがチョコレート色のカウンターに映える。そしてあては薄皮つきの落花生。サンボアに来た、と思わせられる瞬間。

f:id:KodomoGinko:20180105202751j:plainコースターには100th anniversary renewed in 2018と書かれていた。落花生の薄皮を乱雑に床に落とすのはためらわれるぐらいの新しさ。

Wolfburn Northlandを少しずつ味わいながら店の中を眺める。どう聞いてもみずほ銀行の管理職のおじさんとしか思えない会話をしている二人連れ以外は若者ばかり、なのにやはり、というか夕刊が置いてあった。読売とスポーツ新聞。当たり前だが寺町サンボアではないので京都新聞はない。今どきの若い人たちは紙の新聞なんて読んだりしないだろう、やはり新聞は綺麗に折り畳まれたままの姿でカウンターの端にあった。

「次は何にしますか?」白いバーテンダーコートを着た若いバーテンダーが聞く。ぐるっと見渡して、季の美のマティーニを頼む。作ってもらっているうちに、若い客が店に入ってきてバーテンダーと新年の挨拶を交わした後、バーテンダーがその客に何か小さく囁き、彼はすぐに照れたように帽子を取った。

店の中では帽子を取る。昔はそれが普通だった気がするが、最近はそんなことを注意する店などほとんどないだろう。新聞にしろ、脱帽のルールにしろ、浅草にはまだ大人の店が残っていた。


外に出るとまだスーパームーンの名残が残っていて、月明かりが街を明るく照らしていた。何かに祝福されているような気分になって家路に着いた。

 

 

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浅草サンボア

食べログ 浅草サンボア

 

 

 

 


 

ブラックニッカ アロマティックがフライング気味に届く

先週転倒して走れなくなったバイクの応急処置が終わったとの連絡を受け、宇都宮で引き取って門前仲町近くのディーラーまで自走。東北道でそれなりにスピード出したが問題なさそう。修理の依頼をして帰宅したら、玄関にブラックニッカ アロマティックのケースが置かれていた。確か発売日は21日火曜日だったはず、なので2日ほどフライング。

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青いブレンダーズスピリット、黒いクロスオーバーと来て今年最後の限定発売の赤いアロマティック。

早速飲んでみた。

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淡い熟れたバナナの香りと薄い輪ゴムの匂い、口に含むと若草、コルク、アプリコットジャムとトフィーの甘味、フィニッシュは穀物の甘みが静かに消えていく。飲み疲れしない優しさでウイスキーを飲みつけていない人にも受け入れられそう。

黒のクロスオーバーは口開けしたばかりだとアルコホリックというかアタックがきつくてちょっと、と感じたが時間が経って柔らかみが増すとモルトとピートがしっかり重なり合って私好みの味に変わった。青のブレンダーズスピリットは最初から旨かったがアロマティックも同様に口開けしてすぐでもスムースな飲み口で旨い。

以下が現在の家飲みラインナップ。直近の一番のお気に入りはBBRのGlenGoyne13年、2000年蒸留、こればかり飲んでいるのですぐ無くなりそうで直近Longmorn1990年26年ものを開けたところなのだが、アロマティックもローテーション入り間違いなし。

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この価格でこの旨さならウイスキー初心者も含めて買ってみて損はないと思う。
限定発売で販売数量は12000箱。年間のブラックニッカの出荷量は360万箱(700mlx12本)なのでそのうちのわずか0.33%という言い方もできる。気になった方はお早めに入手されることをお勧めします。


 

 

宇都宮の南海部品でバイクに再会した時、リアのウインカーが割れたままで東京に帰るかどうか悩む。そのままだと整備不良で捕まるリスクがあり、すこし悩んでLEDのウインカーに換装したいとお願いした。親切な対応で作業を受けてくださった方は先週電話越しにバイクを受け入れて修理してくれること快く引き受けてくれた方。今日初めて会った彼が店の中でてきぱき働いているのをよく見ると歩き方がぎこちなく、左手も力が入らず不自由なよう。バイクの事故の後遺症なのだろう。

そんな彼がバイクで転んだ私にとてもにこやかに対応してくれ、複雑な気持ちになった。家族のために事故のないよう東京に帰らないといけないと改めて思ったが、失ってからでないと分からないありがたさもたくさんあり、ありがたさに気づける人の方がもしかすると人にやさしくできたりして幸せなのかもしれないとも思う。人に親切にされると自分の至らなさを思い知らされて辛くなる。本当はとてもありがたいことなのだが。

 

一期一会

久しぶりにバイクに乗って、久しぶりに盛大に転んだ。そしてあまりよく知らない土地で初めて会う人たちに親切にしてもらい、長い話をして別れ、初めての店で酒を飲んで家路についた。人生とは、などと大きく振りかぶるつもりもないが、一期一会、予想もつかない出来事というのはこういうことなんだな、ということを改めて思い知った。

土曜の午後、少し遅めの紅葉を見にバイクで塩原から日光へ。快晴だが風の強い東北道を下り、山に分け入っていくと空が暗く重くのしかかる。ヘルメットのシールドに水滴がつき、指先がどんどん冷たくなっていく、東京を出た時には予想していなかった展開。こんなところで転んだら電話も通じないしシャレにならない、と慎重に運転しているうちに水滴ではない白いものが降ってきた。

盛りは過ぎていたものの、広葉樹が完全に裸になっているようなところに突然燃えるような紅葉があってとても美しい。だがちらつく雪で視界が悪いうえ濡れた路面で転ばないのに必死で紅葉狩りを楽しむどころではない。日塩紅葉ラインに辿り着いて山を下りて来るうちに陽射しが出てきて路面も乾き、ようやく紅葉を楽しめるようになった。

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途中でバイクを降りて写真を撮ったりする余裕ができ、相当街に近づいたところでいきなりの転倒。自分でもびっくり。正直気が抜けていたのかもしれない。スピードは大して出ておらず、しっかりバイクを倒し込まないと曲がれない180度コーナーで若干乱暴にフロントブレーキの操作をしてしまい、乾燥はしていたがつるつるだった路面で前輪が滑って転んだ、というのが冷静になってからの分析。

不幸中の幸いはしっかりとしたプロテクターの入ったレザージャケットを着ていたのでほぼケガがなかったこと、対向車も後続車もいなかったこと。バイクのダメージは限定的だがクラッチレバーが折れてしまい、エンジンは掛かるものの自走不能に。

バイクを起こしていたら対向車線の車が止まって夫婦が降りてきて手伝ってくれる。保険会社に電話してレッカーを要請。1時間以上かかるという。オペレーターはマニュアル通りの丁寧さで対応してくれるものの、山の中の吹きさらしの路上から冷え切った体で電話している、というところまでは思いが至らない。電話をつなげたままでお待ちください、と言われたままずっと待たされ、少しでも日当たりがいいところに行かないと凍えてしまうので片手で携帯持ちながら坂道をバイクにまたがって下って行こうとしたら今度は立ちゴケ。バランスを崩して左足で踏ん張ろうと思ったらそこは溝。携帯が壊れたら万事休すだった。

そのかっこ悪い現場にツーリングの人たちが通りかかってまた助けてもらう。事情を話し、山を登ると雪が降っているので気を付けてください、と伝える。
件のオペレーターにレッカー到着までにバイクをどこに持っていくのか自分で探してください、レッカー車には同乗できないので自分で帰宅の足の手配をしてくださいと宿題を出される。

保険で無料対応なのは50㎞までのレッカーとのことだが最寄りのディーラーを調べたら一番近いところでも120㎞先。1㎞当たり500から600円程度レッカー代かかるので東京までだと10万円コース。バイクを買った店に電話で相談して、近くのバイク修理・販売店に片っ端から電話してみるものの「外車は扱ってません」「自分のところで売ったバイクしか面倒見ません」という答えしかなく途方に暮れる。

悪戦苦闘しているうちにあっという間に時間が経ち、レッカー車が到着。街から上がって来るのかと思ったら峠を下ってきたのと、車が載せられるぐらい大きなのが来たので少し驚く。20代前半から半ばに見える若いお兄さんが降りてきて事情を説明。名刺をいただき自己紹介され、「身体冷え切っているでしょう、レッカーの助手席座っといてください」と声を掛けられて言葉に甘える。結局行先もそのSさんが宇都宮の南海部品がいいですよ、と教えてくれる。後日ディーラーからクラッチレバーを南海部品に送ってもらって装着し、翌週末にでも電車で宇都宮まで来て東京までバイクで自走して帰ってくることに。

宇都宮までは本来無料の50㎞をわずかに超えるが、「ほんのちょっとだからいいですよ」と言ってくれ、本来ならレッカーには同乗できないことになっているけど南海部品まで乗せていってくれる、と言う。大きな駐車場に停まったのでどうしたのかな、と思ったら「体冷えて寒いでしょうから自動販売機であったかいもの買って飲んだらどうですか?」と言ってくれる。1時間半ほどトラックの中で話し、レッカーの仕事がどんな仕事なのか、峠はどの辺が危ないのか、先週末に新潟に抜ける峠道で動けなくなってしまった車を助けに行ったら積雪30㎝だったとか、サマータイヤでスキーに来る人を助けるのは仕事ながらアホらしい、とかいろんな話を聞いた。

S君は塩原の実家に住んでいて、私が若いころに乗りたかったS13シルビアを駆って峠でドリフトするのが楽しみらしい。だからレッカーの仕事もある意味仕事と趣味の両立のような感じだそうだ。でも全然ヤンキーっぽくなく、今どきの顔立ちの整った目のきれいな好青年だった。「僕らも地元だけど峠は一人では行きませんよ」。そう言われ少し反省。一人呑み、一人遊びが好きなのだから仕方がないのだが。

1時間半ほどで目的地に到着、遠慮するS君の手に心付けを無理やり握らせ、お礼を言って別れる。

宇都宮の駅までバスで出るともう7時過ぎ。家人も心配しているだろうと思い、「バイクにトラブル発生したので今まだ宇都宮、先に食事済ませといて」とLine。さすがに転んだとは言えない。

駅前の焼鳥屋で角ハイボールを飲みながら、今日出会った人たちはみんな親切だったことに想いを馳せる。バイクは傷つき、直すのにも物入りではあるものの、それよりも目に見えない得たものが大きかった気がした一日だった。


 

卵焼きとマグダラのマリア

仕事のあと、遅めの時間にいつものバーへ。たまに店で顔を見かけ軽く挨拶を交わすぐらいの仲だった男性と隣り合わせに。彼の前にはアイラとスペイサイドの酒が数本並んでいる。私のタリスカーソーダが半分なくなった頃、彼に話しかけられた。彼と話すのは初めてのことだった。

 

 この店でお通しが出てくると、お袋がよく冷蔵庫の中のあり合わせのもので親父の酒のつまみを作っていたのを思い出すんですよ。

 

ここでは出来合いのお通しが出てきたことはなく、手作りで必ず一手間掛かっている。毎日の準備はさぞかし大変だろう。私より一つ、二つ若いぐらいの彼が遠くを見るような目をしながら続けた。

 

 お袋の作ったしらす入りの卵焼きをつまみに焼酎を飲むのが親父は好きでした。釜揚げしらすの柔らかな塩気と、卵の甘さがなんともいえず、僕もその卵焼きが大好きで、酒も吞まないのにもらって食べました。あの味が懐かしい。もう一度お袋の作った卵焼きを食べたいです。

 

話を聴きながら不思議な感じがして、一口ソーダを啜ってなぜそう感じたのかようやく気がついた。過去形なのだ。それに気づいてか、若干の間を置いて彼は再び口を開いた。

 

 母はずいぶん前に死んじゃいましたけどね。

 

意外だった。あまり年の変わらないように見える彼が随分早く母親を亡くした、ということがすぐには飲み込めなかった。私の両親は二人とも元気に暮らしているせいで。

 

丁度そのとき店に3人連れが入ってきたので、彼はじゃあそろそろ失礼します、と言って去っていった。ほんの短いすれ違いのような会話だった。

 

わずかなエピソードからも、彼の家庭がとても温かいものだったことが分かる。そして彼は若い頃にそれをいきなり失って苦労したであろうことも。幸せは時間をかけないとやってこないし時間をかけてもやってくるとは限らないほど儚いが、不幸せは一瞬にして訪れる。丹精に手をかけ育てたバラが心ないどこかの誰かに手折られるのは一瞬であるかのように。彼の人生の前半もそんな不条理に翻弄されたのかもしれない。

 

誰かと話がしたかったから店に寄った訳でもないのに、話し相手が突然出来て突然いなくなると寂しさを感じるのは不思議なものだなあ、と薄ぼんやりと考える。

 

お母さん、夢の中でいいのでもう一度だけ彼に卵焼きを食べさせてあげてほしい、息子さんはあなたのことをいつも思い出して会いたいと思っているんですよ。しらす入れるの忘れないでね。

 

顔を見たこともない天国の彼のお母さんにそうお願いしながらグラスを空け、勘定を済ませ渋谷の坂の上に立つと、若葉が生い茂る樹の間から夜の街の眩しさに負けないぐらい白く輝いている三日月が見えた。

 

そしてカレンダーの写真が何枚か変わった頃、私は大阪にいた。日中は仕事で顧客回り。「大阪は東京と違ってえらい暑いでしょ」とどこに行っても言われ、ここもと東京も異常気象で直近は大阪より暑いぐらいなんです、というとどこに行っても納得いかなさそうな顔をされる。そんなところまでいちいち東京と張り合わなくてもいいのに、と可笑しくなる。

いや、私も大阪に9年、京都に4年おりましたので東京とは種類の違う蒸し暑さだというのは肌で知っているんですけどね、というと不思議がる人が多く、そんな時は東京に出てきてから20年以上経っていて大阪弁が上手く話せなくなってしまったので仕事の時は東京弁で話すようにしているんですよ、家内は関西育ちなので家では違いますが。

ああなるほど、大阪だったんですね、どちらでしたか、とその後ローカルな話題で打ち解けるのがお決まりのパターン。

その日の夜の飛行機を予約してあったが、気が変わって翌日の土曜日の便に変更。仕事が終わり、急遽取った西梅田の宿に荷物を置くと窓からはプラザホテルも大阪タワーマルビルの電光掲示板もなくなっている景色が見え、大阪を離れてからの月日の長さを思い知らされた。

軽い食事のあと、西天満のバーで一人ゆっくりとウイスキーを飲んでいると日付の変わる少し前になっていた。このままホテルに帰っても良かったのだが、せっかくなので以前何度かお邪魔した新地のバーに立ち寄ることに。

店から出てくる人と、それを見送る胸ぐりの深いドレスの女性や和服姿のママたちをかき分けながら、大阪も意外と景気いいなと思いつつタクシーの営業所の斜向かいにある雑居ビルの階段を登る。

ドアを開けると「お久しぶりです」と声を掛けられる。カウンターにいた二人連れが丁度お会計をしていた。「今日は随分賑やかだったんですが、ようやく静かになりました。東京からわざわざありがとうございます」「いや、今晩帰る予定だったのですが、せっかく金曜日の晩に大阪にいるので一泊してから帰ろうと思ったんです」「わざわざ来てくださったんですね、それならいいものをお出ししましょう」、という流れでSt. Magdaleneという80年代前半に閉鎖された蒸留所のボトルが出てきてそれを頂いていた。

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Facebookでつながっているのであまり久しぶりな気がしませんね、などと言いながら一人でカウンターに立つオーナーバーテンダーの長谷川さんと近況報告などしていると、背中にドアが静かに開く気配が。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」客が一人入ってきて、カウンターに通されて冷たいおしぼりを受け取っているのを見て驚いた。先日渋谷で卵焼きの話をしながら一緒に飲んだ彼がそこにいたのだ。彼も私同様にびっくりしていた。


 凄い偶然ですね、それも大阪で。バーなんて世の中星の数ほどあるのに。


 いや、ウイスキーが好きな人が行くバーは星の数なんてないですよ。だからこんなところ、失礼、悪い意味ではなくて、でお会いするんです。でも私もびっくりしました。またお会いできないかな、とずっと思っていまして。いや、これも変な意味ではなく、ご報告したいことがあったものですから。


 ではまず何かオーダーして頂いて、一息ついてから。

そう私が言うと、彼は私が飲んでいるものと同じものを、同じくストレートで、と注文。二人で乾杯して改めて味わうと、香ばしいビスケットとわずかのオレンジピールの香りが口に含むとキャラメルやシャルドネの樽香のような甘みに変わっていき、長く余韻の残る素晴らしい一杯だった。

 どうして大阪にいらっしゃるのですか?お仕事で?

と彼が聞く。

 ええ、今日一日仕事して、夜に東京に戻る予定だったのですが一泊することにしました。明朝、昔亡くなった親友の墓参りをしてから帰ることにしたんです。実は毎年命日近くに来てまして。今年はまだちょっと早いんですが。


だからこの時期にお見えになるのですね、いつも暑い頃にいらっしゃるイメージがあります、と長谷川さんが口を挟んだ。

 いつ頃その親友は亡くなられたんですか?

 私が一浪して大学に入った年の夏、ですからもう25年以上前になります。彼も浪人して、まず受からないだろうと言われていた東京の大学に翌年見事合格して、彼女も出来て幸せな生活をしている、と聞いていました。私がある日下宿に帰ると、留守番電話がやたらと点滅していて、M君がアルバイト先の塾に原付で向かう途中でコンクリートミキサーに巻き込まれて亡くなった、早く連絡しなさい、といううちの母の涙声のメッセージが吹き込まれていました。
 それからしばらく、彼が第一希望の大学に受かっていなければ死なずに済んだかも、と思ったりして幸せというのが一体何なのかが分からなくなりました。今も分かっているわけではありませんが。


今日は前回と違って、彼が聞き役に回る日だった。

 

 明日はM君の親御さんのところに顔を出されるのですか?

 いえ、お葬式の時に私を見て「なんでこの子じゃなくてうちの子がこんな目に遭わなければいけないの?」と思われるだろうな、ととても強く感じられ、それ以来何だか申し訳なくて後ろめたくて、ちゃんとご挨拶できなくなってしまいました。本当に立派なご両親だったから、そんなことは決してお考えにならなかったと思いますが。
 だから毎年一人で墓参りだけ行って帰ることにしているのです。
 実は中学、高校の6年間ずっと彼とはとても仲が良かったんですが、高校3年生の時にMと私の間でつまらない諍いごとがあって、お互いその後は受験もあって忙しく、ずっと仲直りするきっかけを見つけられないままになっていたんです。
そしてその出来事が起こって、永遠にMとは仲直りできなくなってしまいました。
四十九日の法要の時にお母様が「あの子が一番近しく思っていたのはYくんだったのよ」と私の名前を挙げてくれた時には後悔で胸を締め付けられました、改めて申し訳なくて。
 
 

 そうでしたか。でも多分M君とは仲直りできると思いますよ。


そういって彼は微笑んだ。


 どうして? どうしてそう思うんですか?


彼を問い詰めるような私の声がさほど広くないバーに響いたことに、自分でも軽く驚いた。

 ごめんなさい、大きな声を出してしまって。


 いえいえ、こちらこそ驚かせてしまってすみません。早くお伝えしなきゃ、と思っていたのですが、実はご報告というのは、Yさんと前回お会いしたあの晩、夢の中に母が出てきて、私に卵焼きを作ってくれたのです。それも私が大好きだった、しらすが入った卵焼きを。母が亡くなってから初めて母と会えました。そしてあの懐かしい味の卵焼きが食べられました。本当に、本当に嬉しかったです。それを早くお伝えしたかったのです。でも大阪でお会いするとは思いませんでした。だから、YさんもきっとM君と会えて仲直りできますよ。


そういえば、と長谷川さんの顔が真顔に変わった。今飲んでいるSt. Magdalane、ウイスキーの中では唯一聖人の名前が付いているんです。聖マクダレーン。日本では「マグダラのマリア」と言った方が通りがいいでしょう。そう、あのダヴィンチ・コードで出てきた、イエス・キリストの死後、神の子の復活を最初に目撃し証人になった女性のことです。そんな酒をこんな偶然にも東京から遠く離れたこのバーでお二人がお会いできて飲んでいるんですから、天国にいるお友達にだってきっと会えると思います。彼が亡くなったお母さんと再びお会いできたように。


Mが亡くなったのは平成も初めの頃のこと、何度となく私の心の中で後悔が繰り返された出来事だったので、もう大きく心が動くことはないだろう、と思っていたが、彼らの言葉を聞いて大粒の涙がこぼれて止まらなくなった。

願えば、叶う。そう信じてMと仲直りが出来る日を心待ちにしている。

 

 

(フィクションです)


 


 

焚き火を眺めると心が落ち着く理由を(飲みながら)考える

台風に直撃された9月の3連休、焚き火を囲みながら外で夜ウイスキーを飲むという人生初の体験をした。残念ながら星空の下で、という訳にはいかなかったが。

キャンプ上級者の友人家族と山梨県北杜市のキャンプ場へ。バンガローの横に雨よけのタープを男二人で張って、炭をおこして薪と一緒に焚き火台に置く。台風が接近している割には雨風共に強くない。飯盒で米を炊き、七輪でサンマを焼き、ダッチオーブンローストチキンを作り、クラムチャウダーで暖を取りながらふた家族で楽しい夕ご飯。ついでにつまみの燻製も作る。ちびっ子たちはたらふく食べて幸せそうだ。食事が終わると家人たちは屋根の下に引っ込むが、我々二人はタープに落ちる雨音を聞きながら焚火に当たってウイスキーを啜る。 つまみに作ったチーズとかまぼこの燻製はおかずとして食べられてしまった。

焚火は薪の下から沢山の青い炎の筋が伸び、その先端が輝きながら赤く細く揺れ、まるでたくさんの蛇がこちらに向かって舌をちらちら揺らしているようで、ぼおっと眺めていても全く飽きない。

ほんのり立ち上る煙に燻されながら気の置けない友人とウイスキーをゆっくり飲みつつ話をしていると、こんなに幸せなことはあまりないかもしれない、という気がしてくる。

普段は焼酎を飲む友人も、G&M Macphail's CollectionのPulteney 2005を美味い美味い、と言って飲んでくれる。舌の上でバーボン樽ファーストフィル独特の南国の花や黄桃を思わせる甘い香りがフレッシュグレープフルーツの味に置き換えられていく。

人間が文化的な生活を送るようになったのは人類の歴史の中でほんのつい最近、ここ数百年ぐらいで、それより前の二千年ぐらいは暗くなったら焚き火を囲んで野生動物から身を守り、暖を取りながら群れでくつろぎさまざまな会話をしていたはず。闇の中でも焚き火があれば大丈夫、と太古の記憶がDNAに刷り込まれているから、揺れる炎を見ているとそれが蘇って心から寛げるのではないか、というのが私の勝手な仮説。

蛇のような細長くて動くものが大嫌いな人は大脳の中の理性が及ばない古い皮質が真っ先に反応して反射的に怖がるというが、それも人間としての本能が世代を超えてDNAに刷り込まれているわけだから、焚き火でほっとするのは動物として正しい反応なのかもしれない。

口切りしたボトルを二人で三分の二ぐらい飲んでしまい、火の始末をしてから就寝。翌日は朝7時から近所のパン屋がキャンプ場にパンを売りに来るのの整理券をもらうために並び、その間に七輪に再び火を起こしてお湯を沸かし、コーヒー豆をミルで挽いてハンドドリップ。朝からまた至福の時間。

至福の時間を再現できればと、家のベランダや屋上でも焚き火ができるように焚火台を買い、また同じPulteneyを手に入れた。寒くなったらまた火を囲みながら、友と語らいたいと思う。
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バーでの客としての立ち居振る舞いについて

仕事の後、軽くどこかで飲んで帰るか、と思って新宿三丁目へ。初めてのお店で少し刺激を得てリフレッシュできれば、と思い以前から行ってみたかったバーへ。

ビルのエレベーターを降りるとお店の中、というたまにあるやつで、初めて訪れるバーの扉を若干の緊張とともに開ける、という儀式のようなものが省かれるパターン。6、7人も座れば満席になるくらいのお店。先客は二人連れが二組。促されるままにカウンターの一番端に座ると、いきなり隣から声を掛けられる。会社の後輩が人を連れて男二人で飲んでいたのだ。座る前には気が付かなかった。

なんでも大学時代の友人と久しぶりに会って、仕事の情報交換も含め旧交を温めている、とのこと。彼らもこの店は初めてで、どこかで食事しようかと思ったがどこも混んでいて、一軒目からバーに来たらしい。よく来るんですか?と聞かれ、ここは初めてだけどウイスキー好きなのでいろんなバーに行っている、と答える。

せっかく後輩の友達との再会を邪魔してもいけないので、その旨伝えて店を出てもよかったのだが、それだと恐縮するだろうしお店にも悪いと思って一杯だけ飲んで帰ることに。

それなら最初からフルスイング、と思いこの店のオーナーが蒸留所でハンドフィルしたGlenlivet、バーボン樽18年をいただき、飲み終わって一息ついてから退散。オーダーする際に「フルショットにしますか?」と聞かれたのでそこそこのお値段なんだろう、と薄ぼんやり考えつつお勘定すると3500円。立派な殻付きのアーモンドが出てきたことを考えるとチャージ込み、フルスイングしにいったので仕方がないとはいえ、価格と味とのバランスが今一つ。いろんな意味でもやもやとした感じで店を後に。

予定外の展開で不完全燃焼ぎみだったので、副都心線に乗っていきつけの店へ。扉を開けるといつもとは雰囲気が全然違う。えらく騒々しい。見たことない顔の6人連れがカウンターの後ろでソファ席で大声をあげている。流石にまたバーを探して彷徨いたくもなく、そしてお店はしばらくいつもの二人態勢ではなくサブの方だけでのワンオペで、それで売り上げ落ちたらサブの方の面目が立たない状況、というのも知ってもいるので顔を出したからにはお金を落とさず帰れない。そもそも客の少ない8月、それも後半だし。

仕方がないので我慢して飲むことに。カウンターメインの静かな店に50過ぎのおっさんおばはんの6人連れは同窓会帰りらしく、大きな声で下ネタは言うわ、ガハガハ笑うわ、で完全に居酒屋のノリ。私のほかにはお酒のインポーターの営業のお姉さんが営業がてら一人静かに店の方と会話しながら飲んでいるだけ。こういう場合には客としてどう立ち振る舞えばいいのか。結構悩ましい。

スタッフに言って注意してもらう、というのは簡単だ。けれどそういうことをこちらからお店にお願いして、注意された客が逆恨みして食べログ的なところで店の悪口書いて店の評判を下げる、というのもありがちだ。そもそもこういうところで騒いではいけないと歳の頃50も過ぎているにもかかわらず分かっていないのだから、訳の分からないことをするリスクは普通の人に比べて高いに決まっている。

他のお客さん、例えばカップル、もいて、雰囲気ぶち壊しで迷惑かけているのであればまだ店に注意するようお願いしてもいいのかもしれないが、私一人が我慢すれば済むならあえて波風立てる必要はないかも、と思ってしまう。あるいは私が出ていけばいいのかもしれないが、飲み足りていない、店の売上に協力したい、もう彷徨いたくない、などの理由でちょっとためらう。インポーターのお姉さんは純粋に客でもないし、営業として店に文句言うわけにもいかないという何ともしんどい立場。

店に汚れ役を押し付けるのではなく、客の私が「もう少し静かにしてもらえませんか、いつも雰囲気を楽しみに来ているので」というやり方もある。それもなかなか難しい。うまくやらないとケンカになる。常連がえらそうにしている店、みたいに店の悪口言われるリスクも残る。でもこちらが腰低く下手に出るのであれば、店からではなく客の私の方から注意した方がいいのかもしれない、そんなことをつらつらと考えながら、気が付いたら5杯も飲んでいた。

新しく一見のカップルのお客さんが入ってきて、なおかつ私が5杯飲む間にそのうるさい団体客は追加の注文を一切せず。そのうちの男性一人は寝てしまっていじられている。店の売上に貢献せず、雰囲気ぶち壊しにしている客はまあ追っ払っても問題ないだろう、と思い団体客の幹事役と思しき人がトイレに立った際に私から静かにするよう言おう、と思ったら「お勘定」とのこと。ようやくか、と思ってほっとする。

幹事がまとめて払ったが、完全にプライベートの飲み会なのに某上場化学会社の宛名で領収書もらっているのが聞こえてしまい、さらに愕然とする。固有名詞はっきり聞こえたけどここでは晒さない。

ようやくうるさい客がいなくなって静寂が戻ったが、ささくれだった神経はまだ落ち着きを取り戻さない。ふらっとリフレッシュしにバー2軒に立ち寄ったのに、金払う客の立場なのにひたすら気疲れしてしまうという予想外の展開。早めに損切りして帰宅すればよかった。

仮に1軒目、2軒目のような状況におかれたら客としてどう振る舞えばいいか、どなたかご教示いただけないだろうか。カウンターの中の人の意見も聞いてみたい。ただし店が何とかすべきだ、という意見は横に置いておいて、純粋に客としてどう振る舞うべきか。

「火の用心しない方がおかしい」というご意見はごもっともだが、私が思い悩んでいるのは一度火事になってしまったらどうするのが正しいのか、ということなので。

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(写真は上記内容と関係ありません、このウイスキー飲ませてもらって美味かったから一生懸命探してようやく1本見つけることができました)

 

 

 

islaywhiskey.hatenablog.com

 

 


 

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モンテネグロとボスニアヘルツェゴビナでやたらと警察のお世話になるの巻

昼間の気温が35℃を超えるコトルから脱出し、車で2時間半ほどの世界遺産ドゥルミトル国立公園に出かけた。綺麗なところだ。こちらがBlack Lake、黒い湖。

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そしてこれがTara River Canyonを見渡す展望ポイントからの景色。ちょっとした登山。

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その帰り、幹線道路の超長い直線下り坂をちんたら走っていると突然、黒地に鮮やかに赤い縁取りが付いた制服を着た警察官が「止まれ」と書かれていると思しき制止用の棒のようなものを振り回して物陰から飛び出てきた。

どうやらネズミ捕りに引っかかってしまったらしい。

予想もしていなかったのでかなりびっくり。ガソリンが少なくなっていたのであまりスピード出さずに走っていたつもりで、前の車ともさほど変わらないスピードだったのに。

免許取りだそうとカバンに手を入れていきなり警官にズドンと撃たれてもシャレにならないし、一応旧共産国の警察相手なので慎重に対処。銭形警部を思わせる眉毛が太くてがっつりつながっている長身の警官が完全にモンテネグロ語、というかセルビア語で話しかけてくるので、何を言っているか分からないしそのまま言葉の壁を利用して立ち去ろうとしたが駄目だった。

モンテネグロジュネーブ条約加盟国ではないため、日本の免許証を携帯する義務がある。にもかかわらず国際免許しか持っていなかったので、下手するとめんどくさいことになるな、と思って素直にパトカーに連行された。もう一人の英語が少し話せる警官が「26㎞オーバーの時速76㎞で走ってただろ、罰金払え」、という。確かに何だかおもちゃのようなスピードガンみたいなブツがパトカーの助手席に置いてあるのだが、計測した数字を見せられたわけでもなく今一つ納得できない。前の車で計測してその数字で私を検挙しようとすればできてしまうではないか。

だがそんなこと言って怒らせても意味はなく、しょうがねえ、日本の点数減るわけでもなし時間も勿体ないので金で解決するのが簡単だわ、と思っていたら「罰金20ユーロ」とのこと。3000円弱。切符切られて銀行で納付するのか、と思ったら「今ここでキャッシュで払え」だって。結局罰金払ったが何の書類ももらえなかった。つまるところ私の払った20ユーロは彼らのビール代にでもなったはず。モンテネグロの警官は、地元の車捕まえるよりも他国のナンバーの車捕まえて、切符切らずにカツアゲするという副業をしているような気がする。

その数日後。今度はモンテネグロの海水浴で有名な街プトヴァの宿からバルカン半島最大の湖であるシュコダル湖に遊びに行く途中、海沿いの幹線道路と山に入っていく地方道の分岐でどっち行こうか、と一瞬迷って止まって山側の道に入ったところでまた警官が例の棒を振り回してやってきた。今度はティアドロップのサングラスをかけた強面かつガタイのいい警官一人。そして全く英語を話さない。それも超高圧的。揉めるとマジで逮捕されそうな勢い。警官が何言っていたのかはあくまでも私の想像だが、「お前あそこの分岐で一時停止しなかっただろ、パスポート見せろ」、「いやホテルが預かったままなので持ってない」、「なんで持っていないんだ」、「いやホテルがチェックアウトまで預かるというから渡してある」、「外国人はパスポート携帯しなきゃダメだろ、どこのホテルだ」、みたいな押し問答を二か国語ですれ違いながらずっと繰り広げ、最後まで俺はあそこの分岐でちゃんと止まった、と毅然と主張し続けた。国際免許見て「どこの国から来たんだ」というから「日本からだ」と答えたらようやく放免。

もしかするとモンテネグロクロアチアナンバーのレンタカーに乗っているのは、甲子園球場の1塁側にジャイアンツの帽子かぶって座っている、みたいなものなのか。もしくはサッカー日韓戦でアウェイで日の丸振るみたいなものか。気のせいなのかもしれないが。

そしてさらにその数日後、ボスニアヘルツェゴビナ、というかスルプスカ共和国のトレビニエでも捕まった。今度は駐禁。

街の中心に大きなプラタナスが生い茂って木陰ができている素敵な広場があって、その横の駐車スペースにクルマを停めて広場に面するホテルのテラス席で優雅にランチを食べた。その後オーガニックフードの店を冷やかしたり観光案内所で話を聞いたりして戻ったところ、フロントガラスに素敵な書類が。さらにご丁寧に前輪はでかい金具でロック。

駐車区画から3分の1馬身ほどはみ出て停めたせいなのか。前の車もはみ出していたから車が出せなくなっても困るのでそうしたのに。なかなかイラっとする。

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書類の一部は英語で書かれていて、30兌換マルク(2000円強、ボスニアヘルツェゴビナはなぜかいまだに旧ドイツマルクが通貨となっていて、実質ユーロと100%リンクしている)を銀行もしくは郵便局で払った後ロックを解除してやる、とのこと。

小さな銀行の支店がすぐ見つかったのだが、反則金を納付するのも一苦労、まずカウンターに8人ほどが列を作っていて、一人一人の処理に結構時間がかかって私の番が来るのに小一時間。そして英語が話せて反則金納付の書類の書き方がわかるマネージャーを連れてきてもらい、カードで下した30兌換マルク払ったら手数料をさらに払わなければならず、それをクロアチアクーナから両替して、たかだか数百円程度の両替なのにパスポート見せろとかそれはまたややこしい。後ろに並んでいたお兄ちゃんがイライラしているのが分かって申し訳ない。でもみんな毒づいたりせず紳士的。

何とか反則金を支払い、その領収書みたいなものを誰に見せたらロックを解除してもらえるのかわからないので再び観光案内所へ。
さきほど街について案内してもらった切れ長の目をした栗色の髪の超美人なお姉さんに相談したら、「ついてってあげるわ」、とのこと。車まで一緒に来てもらってロック解除の手続きしてくれる人を見つけてくれた。超親切で感激。「駐車料金払ってなかったからよ」と言われ、「いや、サインが出てないからわからなかった」といったら「確かにわからないわね、申し訳ないわ」と言われてこちらが恐縮。

不幸中の幸いは金曜日の銀行の営業時間中に駐禁切られたことに気付いたこと。これで銀行が閉まってしまったら車輪のロック解除ができず、月曜までモンテネグロでもなくクロアチアでもなくスルプスカ共和国(ボスニアヘルツェゴビナの一部)で足止め食らったかも。

異国の地、それも旧共産国での警察がらみのトラブルが続いたが、意外と何とかなるものだ。だがモンテネグロでのスピード違反と一時停止違反、ボスニアヘルツェゴビナでの駐禁をやらかしたときの対処の仕方、なんて日本国民の99.97%にとっては「ホッキョクグマのレバーを生で食べ過ぎると死ぬ」ぐらい全くなんの役に立たない豆知識、だと思う。

 

 

 


 

モンテネグロで見つけたヤバい飲み物、缶入りジャックダニエルのコーラ割り

モンテネグロのスーパーで、レジの近くにあったのでつい買ってしまった。ジャックダニエルのコーラ割り。
ホテルのミニバーに無理やり突っ込んでそろそろ冷えただろうと思ってドア開けたら落下してしまい、ひしゃげているのはご愛嬌。

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海外では日本でいうところの缶チューハイ的なRTDは流行らないものだと思っていたけど、こんなものがあったとは。モンテネグロで作っているわけもなく、よくよくラベルを見るとイギリスからの輸入もの。確か3ユーロしなかったと思う。

モンテネグロは民族的にも国家的にも言語的にも歴史的にもロシアとのつながりが強い国なので、レストランに行くと地元のセルビア語に加えてロシア語と英語でメニューが表記されている。そういうわけで店に行くと必ずウオッカが置いてあるのだが、ジャックダニエルも大抵メニューに載っている。でも乾いた痩せた石灰岩質の土地にブドウ畑がたくさんあり、地元のワインが安くてとても旨く、レストランではワインを飲むか、暑いのでビールを飲んでいる人が多い。

前置きはともかく、缶入りジャックダニエル&コーラのお味は、というと、まさに「まんま」。東京にいるとわざわざ店に入ってコーラ飲もうなんてほとんど思わないのに、こちらにいると暑くて汗かいて疲れて、冷たいコーラをカフェで飲みたくなる。それと同じでバーボンやスコッチをコーラで割るなんて畏れ多くて注文したことなどほとんどなかったが、実際飲んでみると美味い。ジャックダニエルのちょっとくどさのある樽の甘みとコーラの炭酸のシュワシュワ感が絶妙のマッチング。後味もベタっとした感じが全然ない。

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トライアスロンのレース中、エイドステーションで氷で炭酸を飛ばしたコーラが出てくるときがあって(石垣島など)、疲れた体にカフェインと糖ががっつり染み込むのがたまらなく気持ちいい。それと同様に、運動後や仕事の後での初めの一杯、というのに実はジャックダニエルのコーラ割というのは実は理に適っているのかもしれない。いつもの一杯目はタリスカーアードベッグのソーダ割りを頼んでいるけれど、今度はジャックダニエルのコーラ割りにしてみようかと真面目に思う。

ジャックダニエルのインポーターのアサヒビールさんというかニッカさん、ちょっと製品化を検討されてみてはいかがでしょうか。