東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

一座建立

こだわりが強すぎて生きて行きにくい、というのがどういうことか、マトモな方々にはなかなか想像できないと思うので、どれぐらい生きにくいかを少し書いてみる。

 

ランチに何かいいもの食べようと思い立つ。せっかくの一食を無駄にしないよう、いろんなツールを使って店を全力で調べる。ああでもないこうでもない、そして気がついたら午後2時。行きたかった店が閉まってしまい、空腹のピークも過ぎてもうどうでもよくなってしまう、なんてことが割とある。どうかしてるわ俺、と自分でも思う。

(流石に平日はこれだと仕事にならないので、自分の中で絶対滑らない限られたレパートリーの中からローテーションで選ぶ。仕事と車の運転の時は基本完全に別人格。)

 

レストランだけでなく、旅行先を決めるときでも本屋で本を買う時でも似たようなことになる。

 

自分の「こだわり条件」の数が多すぎて、そもそも全ての希望を満たす店を見つけるのが困難過ぎる。そして全ての希望を満たす店を諦めた後に条件a、条件b…条件xのウェイト付け、つまりどの希望をより優先させどれを諦めるべきかのロジックが自分でなかなか決められないので精神的にとても消耗する。つらい。

 

今一番食べたいと頭に浮かんだものがマンゴーのタルトだとする。食べられる店を調べたが見つからない。リンゴよりバナナ、バナナよりマンゴーが好きで、パフェよりケーキ、ケーキよりタルトが好きなのだけど、目の前にリンゴのタルトとバナナケーキとマンゴーパフェしか選択肢がない。その中で何を食べるべきか思い悩む。自己決定力の低さに自分で辟易してつらい。わかります?

 

最近になってようやく、色々試してみて少しぐらい失敗してもいいではないかと思えるようになった。それでもハズレを引いた時に(それが選んだ店のせいなのか、たまたま居合わせた客との相性のせいなのか、体調やメンタルなど自分のせいなのかは別にして)自分を責め、俺ってセンスないわーと自己肯定感を下げて精神的自傷行為をしてしまう。つらい。

 

そして具合が悪くなってくると物事を決めるのをなんでも先送りし始める。なぜかというと、具合悪い時に悩み始めると本当に疲れるからだ。つらい。その結果「やばいゴールデンウィーク目前なのにどこも宿予約してない、空いてるところもう2軒しか無くてそれならこっちでしょ」的に、先送りによって選択肢の数を減らすという(荒)技を使うようになるのだ。そしてハズレを引いた時でも「ゴールデンウイークだからどこも混んでいるので仕方ない(=ので失敗したのは俺のせいではない)」と、決定を先送りにしてベストのものを探す努力をしなかった自分を棚に上げて一見客観的に聞こえる言い訳を探すのだ。ただし念のため言っておくと、先送りにしている間は知らんぷりしているわけではなく、罪悪感に苛まれていて心は晴れない。先延ばしにしている決定力のないだらしない自分につらく当たる。つらい。

 

そういう訳で私にとっては、「たまに見つかる自分の好きなバーやレストラン」とか「満員電車で嫌な思いはするけどそれでも比較的マシな前から3両目の優先席近くのドア横のスペース」とか「10年間通ってずっと同じ人に髪を切ってもらっている理容室」とか「堀口珈琲のエチオピアのコーヒー豆、シティロースト豆のまま」とか「仕事の時に履く伊勢丹で売っているハイソックス」とかがとても、とても重要なのだ。なぜならそれらの選択は時間をかけて熟慮に熟慮を重ねた結果で、その選択に従う限り自分の心がこれ以上煩わされることはないという安全毛布、最後の砦だから。それらがないとまた一から思い悩まなければならず、心の平安が脅かされるのだ。つらい。
だからスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグがいつも同じ格好をしていることを心から理解できる(自分を彼らのような何かを成し遂げた人と一緒くたにしているわけではない)。彼らも「(しょうもない)選択に心を煩わされたくない人族」で仲間なのだ。多分。わかる。

 

こんな感じで心が擦り減っていく。そしてストレスのないどこかに逃げ込みたくなる。

 

そんな中年にも救いはある。どこのバーに行くべきか知らない土地なら悩むこともあるけれど、東京ならいつ行っても居心地の良いバーをいくつか知っている。そこでは心の平安を脅かされることはなく、何か思い煩うこともない、そんな場所。勧められるお酒は間違いなく、知らないことも教えてもらえて勉強になる。様々な経験をされていろんなことをご存じの素敵なお客さんと出会うこともある。わざわざ情報収集したり早起きして列を作ったり買い出しに行ったりしなくても、座っているだけで貴重なボトルも素晴らしいカクテルも飲むことができる。そんなバーで感謝の気持ちとともに酒を飲み、心の澱を少し落としてから家に帰る。

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そんなバーは私にとって大変貴重な隠れ家。受け入れてもらえなくなったら困る。だからお店の人が眉をひそめるようなことをする理由は私には全くない。さりとてお店に媚を売ったりもしない。酔いが回ったことを自覚したり、店が混んできたら帰り時。感謝を伝えるためと店が長く続いてくれることを祈り、できる範囲内でできるだけおカネを落とす。自分が行かれないときもあるので代わりに行ってくれる信頼できる友達を紹介する。

 

そんな気持ちでバーに来て、そんな中年のことを理解してくれている店に感謝の念を持ちながら酒を飲む。バーに行くときには心の片隅に置いている言葉、一座建立。お店のためにも、他のお客さんのためにも、自分のためにも。

 

いちざこんりゅう【一座建立】

茶道の言葉で、茶席を開く側と招かれた側のお互いが「その場をいいものにしたい」という気持ちで通じ合うこと

 

 

 

 

 

 

 

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