東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

卵焼きとマグダラのマリア

仕事のあと、遅めの時間にいつものバーへ。たまに店で顔を見かけ軽く挨拶を交わすぐらいの仲だった男性と隣り合わせに。彼の前にはアイラとスペイサイドの酒が数本並んでいる。私のタリスカーソーダが半分なくなった頃、彼に話しかけられた。彼と話すのは初めてのことだった。

 

 この店でお通しが出てくると、お袋がよく冷蔵庫の中のあり合わせのもので親父の酒のつまみを作っていたのを思い出すんですよ。

 

ここでは出来合いのお通しが出てきたことはなく、手作りで必ず一手間掛かっている。毎日の準備はさぞかし大変だろう。私より一つ、二つ若いぐらいの彼が遠くを見るような目をしながら続けた。

 

 お袋の作ったしらす入りの卵焼きをつまみに焼酎を飲むのが親父は好きでした。釜揚げしらすの柔らかな塩気と、卵の甘さがなんともいえず、僕もその卵焼きが大好きで、酒も吞まないのにもらって食べました。あの味が懐かしい。もう一度お袋の作った卵焼きを食べたいです。

 

話を聴きながら不思議な感じがして、一口ソーダを啜ってなぜそう感じたのかようやく気がついた。過去形なのだ。それに気づいてか、若干の間を置いて彼は再び口を開いた。

 

 母はずいぶん前に死んじゃいましたけどね。

 

意外だった。あまり年の変わらないように見える彼が随分早く母親を亡くした、ということがすぐには飲み込めなかった。私の両親は二人とも元気に暮らしているせいで。

 

丁度そのとき店に3人連れが入ってきたので、彼はじゃあそろそろ失礼します、と言って去っていった。ほんの短いすれ違いのような会話だった。

 

わずかなエピソードからも、彼の家庭がとても温かいものだったことが分かる。そして彼は若い頃にそれをいきなり失って苦労したであろうことも。幸せは時間をかけないとやってこないし時間をかけてもやってくるとは限らないほど儚いが、不幸せは一瞬にして訪れる。丹精に手をかけ育てたバラが心ないどこかの誰かに手折られるのは一瞬であるかのように。彼の人生の前半もそんな不条理に翻弄されたのかもしれない。

 

誰かと話がしたかったから店に寄った訳でもないのに、話し相手が突然出来て突然いなくなると寂しさを感じるのは不思議なものだなあ、と薄ぼんやりと考える。

 

お母さん、夢の中でいいのでもう一度だけ彼に卵焼きを食べさせてあげてほしい、息子さんはあなたのことをいつも思い出して会いたいと思っているんですよ。しらす入れるの忘れないでね。

 

顔を見たこともない天国の彼のお母さんにそうお願いしながらグラスを空け、勘定を済ませ渋谷の坂の上に立つと、若葉が生い茂る樹の間から夜の街の眩しさに負けないぐらい白く輝いている三日月が見えた。

 

そしてカレンダーの写真が何枚か変わった頃、私は大阪にいた。日中は仕事で顧客回り。「大阪は東京と違ってえらい暑いでしょ」とどこに行っても言われ、ここもと東京も異常気象で直近は大阪より暑いぐらいなんです、というとどこに行っても納得いかなさそうな顔をされる。そんなところまでいちいち東京と張り合わなくてもいいのに、と可笑しくなる。

いや、私も大阪に9年、京都に4年おりましたので東京とは種類の違う蒸し暑さだというのは肌で知っているんですけどね、というと不思議がる人が多く、そんな時は東京に出てきてから20年以上経っていて大阪弁が上手く話せなくなってしまったので仕事の時は東京弁で話すようにしているんですよ、家内は関西育ちなので家では違いますが。

ああなるほど、大阪だったんですね、どちらでしたか、とその後ローカルな話題で打ち解けるのがお決まりのパターン。

その日の夜の飛行機を予約してあったが、気が変わって翌日の土曜日の便に変更。仕事が終わり、急遽取った西梅田の宿に荷物を置くと窓からはプラザホテルも大阪タワーマルビルの電光掲示板もなくなっている景色が見え、大阪を離れてからの月日の長さを思い知らされた。

軽い食事のあと、西天満のバーで一人ゆっくりとウイスキーを飲んでいると日付の変わる少し前になっていた。このままホテルに帰っても良かったのだが、せっかくなので以前何度かお邪魔した新地のバーに立ち寄ることに。

店から出てくる人と、それを見送る胸ぐりの深いドレスの女性や和服姿のママたちをかき分けながら、大阪も意外と景気いいなと思いつつタクシーの営業所の斜向かいにある雑居ビルの階段を登る。

ドアを開けると「お久しぶりです」と声を掛けられる。カウンターにいた二人連れが丁度お会計をしていた。「今日は随分賑やかだったんですが、ようやく静かになりました。東京からわざわざありがとうございます」「いや、今晩帰る予定だったのですが、せっかく金曜日の晩に大阪にいるので一泊してから帰ろうと思ったんです」「わざわざ来てくださったんですね、それならいいものをお出ししましょう」、という流れでSt. Magdaleneという80年代前半に閉鎖された蒸留所のボトルが出てきてそれを頂いていた。

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Facebookでつながっているのであまり久しぶりな気がしませんね、などと言いながら一人でカウンターに立つオーナーバーテンダーの長谷川さんと近況報告などしていると、背中にドアが静かに開く気配が。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」客が一人入ってきて、カウンターに通されて冷たいおしぼりを受け取っているのを見て驚いた。先日渋谷で卵焼きの話をしながら一緒に飲んだ彼がそこにいたのだ。彼も私同様にびっくりしていた。


 凄い偶然ですね、それも大阪で。バーなんて世の中星の数ほどあるのに。


 いや、ウイスキーが好きな人が行くバーは星の数なんてないですよ。だからこんなところ、失礼、悪い意味ではなくて、でお会いするんです。でも私もびっくりしました。またお会いできないかな、とずっと思っていまして。いや、これも変な意味ではなく、ご報告したいことがあったものですから。


 ではまず何かオーダーして頂いて、一息ついてから。

そう私が言うと、彼は私が飲んでいるものと同じものを、同じくストレートで、と注文。二人で乾杯して改めて味わうと、香ばしいビスケットとわずかのオレンジピールの香りが口に含むとキャラメルやシャルドネの樽香のような甘みに変わっていき、長く余韻の残る素晴らしい一杯だった。

 どうして大阪にいらっしゃるのですか?お仕事で?

と彼が聞く。

 ええ、今日一日仕事して、夜に東京に戻る予定だったのですが一泊することにしました。明朝、昔亡くなった親友の墓参りをしてから帰ることにしたんです。実は毎年命日近くに来てまして。今年はまだちょっと早いんですが。


だからこの時期にお見えになるのですね、いつも暑い頃にいらっしゃるイメージがあります、と長谷川さんが口を挟んだ。

 いつ頃その親友は亡くなられたんですか?

 私が一浪して大学に入った年の夏、ですからもう25年以上前になります。彼も浪人して、まず受からないだろうと言われていた東京の大学に翌年見事合格して、彼女も出来て幸せな生活をしている、と聞いていました。私がある日下宿に帰ると、留守番電話がやたらと点滅していて、M君がアルバイト先の塾に原付で向かう途中でコンクリートミキサーに巻き込まれて亡くなった、早く連絡しなさい、といううちの母の涙声のメッセージが吹き込まれていました。
 それからしばらく、彼が第一希望の大学に受かっていなければ死なずに済んだかも、と思ったりして幸せというのが一体何なのかが分からなくなりました。今も分かっているわけではありませんが。


今日は前回と違って、彼が聞き役に回る日だった。

 

 明日はM君の親御さんのところに顔を出されるのですか?

 いえ、お葬式の時に私を見て「なんでこの子じゃなくてうちの子がこんな目に遭わなければいけないの?」と思われるだろうな、ととても強く感じられ、それ以来何だか申し訳なくて後ろめたくて、ちゃんとご挨拶できなくなってしまいました。本当に立派なご両親だったから、そんなことは決してお考えにならなかったと思いますが。
 だから毎年一人で墓参りだけ行って帰ることにしているのです。
 実は中学、高校の6年間ずっと彼とはとても仲が良かったんですが、高校3年生の時にMと私の間でつまらない諍いごとがあって、お互いその後は受験もあって忙しく、ずっと仲直りするきっかけを見つけられないままになっていたんです。
そしてその出来事が起こって、永遠にMとは仲直りできなくなってしまいました。
四十九日の法要の時にお母様が「あの子が一番近しく思っていたのはYくんだったのよ」と私の名前を挙げてくれた時には後悔で胸を締め付けられました、改めて申し訳なくて。
 
 

 そうでしたか。でも多分M君とは仲直りできると思いますよ。


そういって彼は微笑んだ。


 どうして? どうしてそう思うんですか?


彼を問い詰めるような私の声がさほど広くないバーに響いたことに、自分でも軽く驚いた。

 ごめんなさい、大きな声を出してしまって。


 いえいえ、こちらこそ驚かせてしまってすみません。早くお伝えしなきゃ、と思っていたのですが、実はご報告というのは、Yさんと前回お会いしたあの晩、夢の中に母が出てきて、私に卵焼きを作ってくれたのです。それも私が大好きだった、しらすが入った卵焼きを。母が亡くなってから初めて母と会えました。そしてあの懐かしい味の卵焼きが食べられました。本当に、本当に嬉しかったです。それを早くお伝えしたかったのです。でも大阪でお会いするとは思いませんでした。だから、YさんもきっとM君と会えて仲直りできますよ。


そういえば、と長谷川さんの顔が真顔に変わった。今飲んでいるSt. Magdalane、ウイスキーの中では唯一聖人の名前が付いているんです。聖マクダレーン。日本では「マグダラのマリア」と言った方が通りがいいでしょう。そう、あのダヴィンチ・コードで出てきた、イエス・キリストの死後、神の子の復活を最初に目撃し証人になった女性のことです。そんな酒をこんな偶然にも東京から遠く離れたこのバーでお二人がお会いできて飲んでいるんですから、天国にいるお友達にだってきっと会えると思います。彼が亡くなったお母さんと再びお会いできたように。


Mが亡くなったのは平成も初めの頃のこと、何度となく私の心の中で後悔が繰り返された出来事だったので、もう大きく心が動くことはないだろう、と思っていたが、彼らの言葉を聞いて大粒の涙がこぼれて止まらなくなった。

願えば、叶う。そう信じてMと仲直りが出来る日を心待ちにしている。

 

 

(フィクションです)