東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

2時間半だけネコの飼い主になった話

我が家に新しい家族がやってくることになった。2歳半のオスネコのザザくん。飼い主だったご夫婦に最近生まれた赤ちゃんが、発疹や鼻づまりなどネコアレルギーとみられる症状に苦しんでいるので引き取り手を探しているという話がネット経由で家人にやってきて、我が家に里子に来ることになったのだ。

 

ザザくんはメインクーンというネコの中で最も体が大きい種類。写真は知り合いが飼っている別のメインクーンだが、どれぐらい大きいかはわかってもらえるだろう。成猫では体重10㎏を超えるものも少なくない、というからラブラドルレトリバーの一回り小さくなったぐらいかもしれない。

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私がツイッターで流れてくるネコの動画をいつも見ているので、家人が「見るだけでも見に行ってみよう」と最近保護ネコ譲渡会のようなところを見つけてきては連れて行ってくれていた。家人もムスメも皮膚科に行って猫アレルギー検査をし、そこまでひどくないことが分かったのでチャンスがあればネコ様を我が家にお迎えしようかと話していた。

 

奄美大島では希少生物であるアマミノクロウサギを守るためにネコの駆除が行われていて、そこで保護されたネコの譲渡会に行った際に一匹引き取ろうかと思ったのだが、人慣れしていない野生のネコは緊張していて固まったまま。
ネコを一度も飼ったことのない我が家で果たして育てられるのか正直自信がなかった。

 

そんな中でザザくんの話が飛び込んできた。飼い主の方から「しつけもできていておっとりして頭もよく、飼いやすい子ですよ」と言われ、「お譲りした後もザザのことを見に行ってもいいですか、たまに動画を送ってくださいますか?」と聞かれ、飼い主の身勝手な事情で手放したがっているわけではないことが分かり、安心感とともに我が家に家族として迎える勇気が出た。

 

そしてついに今週土曜日にザザが我が家に来ることになった。

 

水曜日ぐらいからは家族3人何だかそわそわし、いつもよりも家の中の整理整頓が進み、夕飯の食卓の話題はザザくんの話ばかり。ベッドをどこに置こうか、旅行に行くときはどうしよう、カットはどれぐらいの頻度なのだろうか、爪は我々上手に切れるかな、などなど。家人もムスメもなんだか楽しそうで、我が家の雰囲気がいつもの2割増しぐらい明るくなった。

 

そして待ちに待った土曜日。ザザくんが来るのが待ち遠しくて時間の経過が遅く感じられるようになることが自分で分かっていたので、気を紛らわせるためにいろんな作業をした。バイクが納車された日もこんなにそわそわしなかった。

 

在宅勤務が始まって以来IP電話だのラップトップPCだのの配線が戦場のように散らかっていた書斎を徹底的に片付け、シスコのIP電話の電源アダプタが弁当箱みたいに巨大なことに殺意を覚え、こんな綿ぼこりはどこから来るのだろうと思いながら丁寧に掃除機をかけ、家を建てて初めて家の外壁を自分で高圧洗浄機できれいにし、途中で昼食をとり、さらにガレージを掃除して3月の連休に京都に行って以来汚れたままだったクルマも洗った。

 

洗車の最後で約束の3時が近づいてきたので慌てて仕上げ、シャワーを浴びて着替えていたら飼い主のTさんがご夫婦でクルマでやってきた。生後3か月の赤ちゃんと、2歳半のザザくんと。

 

30代半ばぐらいのご夫婦か。ちょっと緊張されていたが人の良さそうで日に焼けたお顔のご主人。奥さんはご挨拶されたとき少し鼻声だったが、後から伺ったらザザとの別れが辛くてクルマの中で泣いていたそうだ。

 

大人が両手で抱えて3往復しなければならないほどの荷物を車から降ろして家へ。ネコのサイズがサイズなだけにベッドもトイレも両手で抱えるほどの大きさ。自動エサやり機は時間になったらエサをあげられるのはもちろん、外からでもスマホでエサやりができる上にカメラを通してネコの様子が見られるとのこと。すげえ。自動給水機や気に入っていたネコのおもちゃ、おやつもあった。

 

ザザくんはキャリーバッグの中に入って大人しくしていた。ベッドを置くことになるリビングでバッグから出たザザくんは、部屋を一周したあと階段をすたすた降りていく。そして1階の玄関に置かれたTさんのベビーバギーの後ろに隠れたまま出てこない。飼い主が泣いていたりして何かおかしい、と頭のいいザザは分かったはず。自分が逆の立場ならとても不安に感じるはずなのでそれも仕方ない。

 

頂いたものの使い方を説明してもらい、久しぶりに見る赤ちゃんがかわいくてリビングで一緒に遊ぶ。それでもずっとザザは玄関から出てこない。見に行ってザザ、ザザ、と何度か呼ぶとようやく私の方にやってきたが、するりとすり抜けて行き止まりになっているエレベーターの扉の前へ。エレベーターのボタンを押して扉が開いたらめちゃくちゃびっくり、そして何とかエレベーターに乗らせたら動いてまたびっくり、扉が開いて三度びっくり。リビングのある3階に戻ってこれで少し落ち着くかな、とみんなで話していたらまた階段を下りて玄関まで戻ってしまった。バギーの後ろ、玄関の角で隠れて瞳孔を大きくしたまま微動だにせずこちらを見ている。かわいそうなので慣れるまでそっとしておくことにした。

 

コーヒー淹れてイチゴ食べながらしばらくTさん夫妻と飼い方の相談や世間話をし、「いつでもザザくんに会いに来てくださいね」といってLINEのアドレスを交換。そして「そろそろ失礼します」となって玄関まで全員で降りる。泣きそうになってしまう奥さんは赤ちゃんを抱いて先にクルマの中へ。私は玄関でザザくんを抱っこし、ご主人が「ザザ、元気でね」と別れを告げる。ザザは左足で私の腕をゆっくり、何度も蹴る。ああ、この子は別れを分かっているんだ、そう思った。そしてご主人が再び別れを告げに来た。

 

ザザくんをムスメに任せ、私はクルマの誘導を兼ねて外に出てT夫妻に手を振った。

 

家に戻ると、ザザくんはリビングの角にあるソファーの下に隠れてずっと出てこない。大好きだと聞いていた猫じゃらしで誘うものの、また角にうずくまって真っ黒な瞳孔を開いて我々のことをじっと見ているだけ。ムスメは怖がらせてはいけないといつもより静かな音でピアノの練習をした。

 

もうこれはあまり構わずに、お腹減って出てくるのを待つか、何だかあっちは楽しそう、行ってみようか、と思わせる雰囲気にするか、最悪ネコが大好きなチュールで釣るしかないか、という結論に達した。私はチュールを買うついでにランニングすべく着替えてリビングでストレッチ、家人は夕飯の準備、ムスメは学校の宿題に取り掛かった。

 

そんな中で突然家人の携帯のLINEの電話が鳴った。Tさんから。家人が「ザザくんはまだソファーの下に隠れて出てこないんですよ」と状況を説明したが、表情が曇る。ご主人が泣きながら電話してきていると私にジェスチャーで知らせる。

 

「はい、わかりました。お願いします」と家人は言った。ああ、そういうことか。私もすぐに分かった。

 

Tさんのご主人は電話口で「玄関口で最後のあいさつした時にザザが『捨てるんだ』って顔をしたのが忘れられなくて、大変申し訳ないですがやはりなかったことにさせてもらえませんか、今からすぐに引き取りに行きます」と泣きながら言われたそうだ。

 

家人と私でセットしたベッドや砂を入れたトイレ、全自動エサやり機などを無言でまとめているうちに、再びご主人が一人でクルマでやってきた。ザザくんはまだソファーの下に隠れたままだ。「本当に申し訳ありません、ブサイクで」。普段通りの顔でそう謝られた後、ソファーの下にいるザザに声を掛けた。

 

ご主人が呼べばすぐに出てくると思ったけれど全然出てこない。ストロング、というザザの好物を出せば出てきますよ、とご主人はおっしゃってそうしてみるものの、身動き一つしない。結局二人がかりでソファーを動かし、ご主人がザザを抱え上げた。「ザザ、よかったな」。私は思わずそう声が出た。

 

ザザは慣れ親しんだキャリーケースの中に納まり、再び恐縮しながらお詫びをされたご主人とともに海の近い東京の真ん中にある家に帰って行った。ドイツ製の大ぶりの四駆のセダンのフロントのタイヤがリアと比べて摩耗が目立った。たぶんご主人はああ見えて飛ばし屋なんだろうな、となぜかそんなことを思いながら小さくなっていく車を見送った。

 

ザザくんの写真の一枚も撮る余裕もなく、2歳半のオスのメインクーンの飼い主になっていたのはわずか2時間半だけだった。

 

私は日課のランニングに出かけ、帰ってきてシャワーを浴びて渇いた喉に冷たい辛口の白ワインをたくさん飲みながら、家族で言葉少なに夕食をとった。すぐに酔いが回ってさっきまでザザがいたソファーの上でうたた寝し、いつもより早く寝て早く起き、一度も使ったことのなかったカバーを掛けられたピアノと急ごしらえで白いシーツを掛けたリビングのソファーを眺めながらこの記事を書いている。

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