東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

いいバーを見つけるのが難しいたった一つの理由

いいバーはなかなか見つからない。少なくとも食べログのような一般的インターネットメディアを使って探すのは非常に難しい。それにはちゃんとした理由、それも構造的な理由がある。いいバーほど「隠れて」いるのだ。あえて意図的に「隠されている」と言ってもいい。

いいバーは、当たり前だが常連客から愛されている。その愛情の対象は、バーのオーナーやバーテンダーかもしれないし、彼らの紡ぎ出す一杯の旨さなのかもしれない。あるいはバックバーにあるボトルの趣味かもしれない。だが我々にとってそれらに負けず劣らず重要なのは、店の雰囲気であり、その雰囲気を作っている自分以外のお客さんと彼らとお店とのコミュニケーションなのだ。

したがって常連客(とお店)にとって、自分の愛する店の雰囲気を尊重してくれるかどうかわからない一見のお客さんがいきなり増えることは何のアップサイドもない。だからいい店であればあるほど、あるいは常連客に愛されている店であればあるほど、誰の目に触れるかわからない食べログのようなメディアに店を愛する客からわざわざ好意的なコメントを寄せて有象無象の客を引き寄せるインセンティブが全く働かない、という仕組みになっている。

だから一般的なソースでいい店を探すのは難しいのだ。

もっと言うと、食べログ的なメディアはバーのような趣味性の高いところを評価するのには適していない。その一つの理由は、ネット上の「悪意ある情報と善意の情報の量の非対称性」、砕けた言い方をすると「悪口バイアス」による。

振り返ってみてほしい。あなたは一度行ったお店でとても良くしてもらったとき、ウェブでお店のコメントを書かなきゃ、と思ったことがあるだろうか。逆にすごく嫌な気分にさせられた時の方が、ウェブの口コミで何か書いてやろう、と思うのではないか。


人はおそらく何かを誉めるよりも批判する方が好きな残念な生き物だ。それは酒場で上司の悪口言いながら飲んでいる人の数と、上司を褒め称えながら酒飲んでいる人の数と比べてみればすぐにわかる。さらに飲食に関しては「サービス業の人にお金払っているんだから良くしてもらって当たり前、お金払っている上に店から気分害されるなんてとんでもない」、という心理が働くので、人は批判的なコメントをまき散らしがちになる。

つまり口コミサイトでは、通常悪いコメントの方が良いコメントよりも多くなるバイアス、偏りが自然発生する仕組みになっている。それはバーだけではなく通常の飲食店に対してもそうだ。そしてこのバイアスは、一般人が簡単に情報発信できるようになるにつれて脅威を増す。少しでも気に入らないことがあるとわざわざご丁寧にネットに批判のコメントを書く一部の人たちの情報の方が、店に好感を持って家に帰っていく大多数の人たちの感想よりも圧倒的に多くSNS食べログ的なメディアに転がっていて、その情報に基づいて店を選ぶ人たちが一定量いるからだ。

もっと言うと、口コミは民主主義の最悪の一面をさらに酷くしたものを垣間見られる空間でもある。(口コミや民主主義が最悪だとは言っていませんので念のため)。なぜかというと経験値の低い人も経験値の高い人も一票は一票、かつ悪口言う人の方が投票率が圧倒的に高く、さらには一人一票とも限らず悪口言う人は何度も悪口を投稿することもできて投票率は100%超えることもあるという意味で。

違う言い方をすると、ネット上ではラウドマイノリティ(声の大きい少数者)がサイレントマジョリティを駆逐する。そして人を疑うことを知らない善良な人たちの多くは、ネガティブなバイアスを自分で補正することなく口コミ情報を素直に信じて批判的な口コミの書かれている店を避けたり、食べログ2点台から3点台前半の店には行かなかったりする。

仮に情報の受け手側の多くがこの「悪口バイアス」を自ら補正できないとするならば、情報の出し手側で補正する方法はあるのだろうか。

その方法の一つはサイレントマジョリティをラウドマジョリティにすること。具体的には「訪れたらいい店だったのでその感動を折角なので他者に伝えたい」というような善意の情報量をウェブ上で増やすこと。そうすれば少しはバランスがとれるようになる。そのためにフェアなコメントをしてくれるレビュアーを増やすため、サービスプロバイダー側はいろんな工夫をしている。

だがバーのような業態に関しては、残念ながら飲食店とは異なり最初に述べたようにそれを阻む構造的な問題がある。店に好感を持っているリピーターであればあるほど、自分が好きな店の雰囲気を守りたいがゆえ、一般の人たちに向けて善意の情報を多く発信するという動機が働きにくいのだ。そのために、口コミサイトにおける評判は通常の飲食店以上にさらによりバランスの取れていない、すなわち悪口の流通量の方が好意的なコメント量よりも常に多くなってしまうのだ。

もちろん客が少なすぎてお気に入りの店が潰れてしまっては元も子もないので、常連客も何か店の宣伝をしなければ、と思って好意的な情報を発信することはあるだろう。だが先ほどの理由で、誰でも見るメディアである食べログ的なところではなく、店の雰囲気を尊重するバーでのマナーをわきまえた人たちがいる確率が高いところ(=特定の趣味を持った人たちが見ている可能性が高いSNSのコミュニティやブログなど)で紹介する可能性が高い。

したがって、ことバーのような趣味性の高い業態に関する情報を食べログ的な一般メディアで集めるのは極めて難しい。そしてそれらのメディアに出ている口コミの内容がポジティブでなかったとしても、必ずしも悪い店とは限らない。先ほど言ったように、情報を得られたとしても通常よりもきついバイアスがかかっている可能性があるし、情報の受け手側がバイアスを修正すべきなのだ。

好意的な評価よりも悪口の方が多い、というのはまだ情報があるだけいいかもしれないが、そもそも情報がない、あるいは少ない、ということも上記の理由で多々ある。このネット社会で「情報がない」というのは存在しないのとほぼ同義に近い。存在しない店が存在し続けるのは当然ながら極めて難しい。

だからいいバーを紹介なしで、あるいは自分の脚を使わずに探すのは非常に難しいし、さらにいうとバーという商売というのは非常に難しいと思うのだ。
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そういう訳で、常連客には一定の義務がある。自分たちにとって居心地のいい店であることを保つために、店は何か(例えば売上)を犠牲にしているかもしれない、ということに少しでも想いを馳せることは最低限のマナーだ。店の席が埋まり始めて酔いが回ってきたところで他のお客さんが来たら、お勘定をもらってさくっと帰るというのも一つの見識だ。店が他のお客さんに勧めにくいボトルを積極的に飲んでバックバーの回転に貢献する、というのもありだろう。だが、しょっちゅう店に顔を出して、店に金を落とすということ以上のことはないと思う。「あの店良かったのに潰れてしまって残念だ」、みたいなことを言う人がたまにいるが、「そう思うんだったらもっと頻繁に行ってあげればよかったんじゃないですか」と言うようにしている。そして微力ながら恩返しするために、品のいいマニアックな人しか読んでいないように思われる(?)当ブログでいつもお世話になっているお店について控え目に紹介しているつもりだ。

最後にウェブ上のバイアスについて一言。FacebookTwitterにはいろんな批判があることは承知しているが、彼らの最大の美点は「いいね!」ボタンがあることだ(はてなスターも同様だが、「いいね!」と比べるとメッセージの拡散性が低いように思われる)。悪口ばかりが溢れがちで人が何かを誉め讃えることがなかなかない世の中において、簡単に「いいね!」といえるというのは本当に素晴らしい。だから皆さんもできるだけ「いいね!」をクリックすることで、少しでも悪意を善意が駆逐する世の中になるようお手伝いをお願いします。いやマジで。

 

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