東京ウイスキー奇譚 Islay Whisky’s blog

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 その1 その2 その3
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

北新地 ターロギー ソナ (Tarlogie Sona)にて

10歳の頃、大阪に来た。大阪に引っ越す、と言われても、湘南の海の近くの小学校から徒歩20分圏内ですべてが完結していた小学校4年生には、それがどういうことなのか全くわからなかった。

転校した梅田からほど近い小学校は、お父さんがタクシー運転手で夜は一人で過ごさなければいけない女の子が同級生だったり、町工場を経営するお父さんを持つ子供とそこで働く職人さんの子供が同じクラスだったり、家にお風呂がない子どうしが夜銭湯に行く約束を帰り道でしたり、と自分とよく似た環境で育ってきた友達に囲まれてきた私が全く経験したことのない世界だった。

市立の小学校なのに制服があった。給食費も前の学校と比べてえらく安かった。遠足に母親が魔法瓶に入れてくれた紅茶を持っていったらクラスの仲間から「ハイカラやな!」と言われて大騒ぎになった。人権教育の授業があった。クラスで幅を利かせていた同級生はだぼだぼのジーンズを履いていて、ジーンズはタックが多ければ多いほどかっこいい、とされていた。小学校から近くの公園には毎週土曜日に自転車に乗った紙芝居のおっちゃんが来ていた。近所のおばちゃんが焼いてくれていたたこ焼きは7個100円だった。住んでいたマンションの隣にあった町工場からは毎日アセチレン溶接の臭いがしていた。近所にはスーパーがなくて公設市場、というものしかなかった。カボチャはナンキンで、さやいんげんは三度豆で、おでんは関東煮(かんとうだき)で、鶏肉はかしわで、じゃんけんはインジャンだった。湘南の言葉しか話すことができず、いつも「自分、訛ってへん?」とよくからかわれた。思い返すといじめられていたのかもしれないが、私はあまり気にしていなかった、のだと思う。

そんな街には1年半しか住まなかった。小学校4年生の時にやってきて、6年生の2学期には大阪の北のベッドタウンに引っ越すことになった。わずかな時間しかいなかったので、その頃の友達は今ほとんどいない。

そんな街を久しぶりに訪れた。大阪に2泊3日の出張、会食のない日の夕方、ホテルに仕事のカバンを置いてスーツのままで。本当に梅田から10分ちょっとで歩けたので小さく驚く。JR貨物線の横を歩き、シンフォニーホールを見て、殺風景な通りを少し上がると子供の頃よく遊んだ公園があった。公園そばの交番は昭和56年に見たのと何も変わっていない。

通っていた小学校は昔のままだった。日も暮れたのに子供の声がしていたが、昔も学童保育はあったのだろうか。昔は家の前の道ばたで遊んだり、駄菓子屋に自転車で乗り付けたりしていた子供がたくさんいたのだが、歩いていて見たのはキャッチボールをする兄妹一組だけだった。

学校の正門の前には傾きかけた木造の家があり、そこのガラス窓の中には昭和の女優のポスターが飾ってあったり、観光地の土産物が置いてあったりしてちょっとしたカオスだった。小学生相手に何をアピールしているのか。築40年は経っていると思しき文化住宅がいくつも並び、出世湯、と赤い字で書かれたレトロな銭湯はそのまま残っており、シャッターを閉ざした町工場もたくさんあって、たいていの工場の前の道路は長年ふりまかれた鉄粉でオレンジ色に染まっていた。

当時はまだ日本にバブル景気がやってくる前だったのでみんな貧乏だったのだな、と以前は整理していたのだが、改めて訪れてみるとその認識は必ずしも正しくないことがはっきりわかった。公立の小学校なのに制服があったのには、着ている服の違いで子供に気まずい思いをさせないという大人の気遣いがあったのだ、と気が付いた。


なんだか胸が締め付けられ、その街を足早に去ってホテルに戻った。気分転換に着替えて走りに出かけた。あみだ池筋なにわ筋を南下すると、自分が昔住んだ街よりももっともっと古くてもっともっと小さな家が肩を並べて建っているところがたくさんあった。多くの家には電灯がともっていない。古い市営住宅がだれも住まないまま放置されてゴーストタウンのようになっているところ、大きな幹線道路の横に広大な空き地が広がっているところ、東京にはない景色が広がる。

そんな風景を眺めながら1時間半ほど走った後、ホテルに戻ってコンシェルジュの紹介のカウンター割烹の店で食事をとる。心斎橋の桝田さんに先週行って美味しかったので、同様の店があれば、と言ってお勧めしてもらった。値段は東京で同等のものを食べるのの半分ぐらい。ただもしかするとこの食事の値段と今日たくさん見た小さな家の家賃はあまり変わらないかも知れないと思うと、彼我の差はどこから来るのかと考える。かつての同級生たちは今頃どうしているのだろう。いろいろとお腹がいっぱいになる。

そんな気分を引きずりながら、ウイスキーを飲みに行く。北新地のタクシー乗り場の近くのビルの2階にある、ターロギーソナ。ターロギーというのはGlenMorangieの蒸留所の水源のことだろうがソナ、というのは何なのかよくわからない、と思いつつドアを押す。ドアには「Since 2014」と書かれている。

厚くて密度のある一枚板のカウンターが存在感を主張する。先客が二組。カウンターの真ん中に陣取り、スペイサイドのバーボン樽で何かおすすめがないかお願いすると、Scotch Malt SocietyのLongmorn10年が出てきた。猫がこちらを見ている。 

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期待していたほどバーボンの樽が効いている感じではなかったが旨い。
カウンターは榊原さん一人。隣の女性二人連れは、一人はどうやら常連さんらしく、もう一人がウイスキーにあまり詳しくない方で、榊原さんが丁寧に好みを聞いてそれに合わせて次のボトルを決めていて、その過程がとても興味深かった。常連の女性が頼んでいたSt. Magdaleneがとても良さそうだったので、あまりしないことだが隣の方が飲んでいるものを、といってお願いしたらそれが大当たり。

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昔のSocietyの紙のラベル。1983年に閉鎖になった蒸留所の82年10月蒸留、16年熟成。度数が64.8%と高いので口に含むと力強い刺激が。かといってアルコホリックなわけでなく、力強い余韻が長く続くタイプ。これはいい。見つけたらぜひ買いたい。

次は何か珍しいものを、とお願いしたら榊原さんの師匠のお店の10周年記念のMortlach。Mortlachは大好きな蒸留所の一つだ。スムースで滑らかに口の中で広がる甘い香り。これも好みだ。

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バックバーに置かれたボトルの中で、ガラスのケースに仕舞われたものはおそらく高いのだろうな、と思ってみていたが、その中で和馨、と書かれたボトルを見つけた。なんと読むのかすらわからず、聞いてみると「わきょう」、だそうだ。信濃屋がサントリーにアプローチして作った山崎ミズナラを使ったブレンディッド。後で調べたら2015年3月に539本限定で作られたものらしい。かなりのお値段だとのことだったがせっかくなので飲んでみることにした。

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確かにミズナラの香りが強く感じられる。だがかつて山崎のミズナラを普通に飲めていたことを考えると昔が懐かしい。2012年の暮れに金沢に行ったとき、ふらっと入ったバーで山崎シェリーカスク、バーボンバレル、パンチョン、ミズナラと一通り飲み、その後勢い余って白州シェリーカスクとヘヴィリーピーテッドまで飲んだことを思い出した。

そんな話をしながらフェイスブックをチェックすると、2016年ヴィンテージの山崎シェリーカスクの当選メールがすでに届き始めているとのこと。私も申し込んだが残念ながら落選したようだ。2013年は3本買えたのだが、あの頃はもう戻ってこないのだろう。

気がついたら日付が変わっていた。大阪に来ると忘れていた昔の思い出がよみがえってきてつい飲みすぎる。