東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

551の豚まんには気をつけろ

恒例の真夏の大阪訪問。昼間外をうろうろするにはあまりに暑すぎ、マイレージで取った夕方の飛行機の予約が変更できず時間を持て余し、サウナで汗を流してこざっぱりした服に着替え、冷房の効いた梅田の居酒屋で一人昼飲み。

ようやく日も傾き、バスで伊丹空港へ。金曜日の夜から大阪にいて土曜の晩帰宅なのでさすがに家族に何か買って帰ろう、と土産を探していたら551の蓬莱があった。豚まんお土産にしよう。

そう思って並んでいたら、お土産用だけでなく蒸したての豚まんを売っているのが見えた。2個から買えるらしい。昼飲みしていたのでそこそこ大きな豚まんをさらに2個も食べられるかわからないし出発時刻まであまりなかったが、出来たて蒸したてを食べられるのも大阪だけなのだし「せっかくだから」と自分に言い訳。

ちょっとうきうきそわそわしながら赤い紙箱に入れられた蒸し器から出てきたばかりの豚まんをもって保安検査場を通り、ラウンジへ急ぐ。なんと割安に買える幸せなのだろう。

空港が民営化されたせいで新しくなったと思われるJALラウンジでは、国内4メーカーの生ビールサーバーが置かれていてそれぞれ飲み比べることができる。すごい。それぞれのサーバーから1杯ずつ、4杯飲み比べをやりたくなるぐらい喉が渇いているがさすがに目の前にグラスを4つ並べるのは照れる。

冷蔵庫で冷やされたビールグラスを台に置いてボタンを押す。金色のシュワシュワした液体がグラスを満たしていき、白い泡が上端に達する前に自動でグラスが傾き始めて最後は白い泡だけがグラスに注がれる、という一連の動きを眺める。よくできていていつも見入ってしまう。

そしてカウンター席に陣取っておもむろに赤い紙箱を開け、よく蒸されて角のあたりが薄黄色っぽく半透明になった豚まんを半分に割り、あんがギュッと詰まっているのを確かめてから口の中に放り込む。

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旨い。ほろりとした豚肉から肉汁が染み出て、胡椒のようなスパイスのわずかな辛みともちもちの皮の甘みと混然一体となって口の中に広がる。そしてキンキンに冷えたビールが炭酸の刺激とともに喉を通り過ぎていく。控えめに言っても最高以外の何物でもない。

さてもっと食べようか、と思っていたらいきなり女性に「タケヒロ?(仮名)」と声をかけられた。その呼び方をするのは高校時代の友人しかいない。???と思い顔を上げると目の前には黒いノンスリーブのワンピースから色白の腕をのぞかせる妙齢のマダムが。

一瞬誰だか分らなかったが、そこにいたのは高校の一年先輩。昔からお美しくてあこがれの存在だった。直近選挙で再選されたばかりの元アナウンサーの国会議員が同級生。お二人とも十代のころから素敵だった。

おおお、お久しぶりです。でもなんだか恥ずかしい。こっちは551の豚まんにかぶりつきながらグビグビビール飲んでいる、絵に描いたようなおっさんなのだから。
飛行機の出発時刻が迫っていたこともあって、あまり意味のある会話も出来ず、めちゃくちゃ照れると人は物凄い勢いで当たり障りのない話をし社交辞令をたくさん述べるのだ、ということが分かった。

東京に戻り、別の仲良かった先輩に偶然の再会を報告。そしたらスクリーンショットが送られてきた。先輩がたのLineグループで公開処刑済みであった。

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この年になってさらされるとツラい。ツラすぎる。


だが断言しておく。下手な居酒屋で飛行機の時間調整するより空港の551で豚まん(とシュウマイ)買って、冷えたビール飲むほうが圧倒的に大阪を満喫できる。間違いない。

JALラウンジ使える方はぜひラウンジ内にて「豚まんの匂い充満テロ」を敢行するよう強くお勧めしておきます。

 

 


 

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高知に行ってきた、オチは特にない

5月31日でJALのマイルが数千マイル失効することに気づき、急遽飛行機予約して日帰り一人高知の旅へ。5月31日期限の自動車税2台分と軽自動車税1台分の納税はほったらかしなので身勝手なものなのだけど。

もういい歳なのに前の晩の仕事の飲み会で煽られて変な紹興酒をさんざん一気飲みさせられた酔いが残る中、5時半に起きて7時25分の羽田からのフライト。

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9時半にははりまや橋にいた。意外と近い。街をふらふらして、本日10時発売のmotoGP日本グランプリのZ席のチケットをコンビニで買う。いまからとても楽しみだ。


それからひろめ市場に行くとすでにみんながんがん飲んでいる。
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こちとらまだ昨日の酒が残っているというのに、すでに酔い潰れてテーブルに突っ伏し、フライドポテトの入ったアルミの皿に顔を突っ込みながら寝ているおばさんもいた。いきなりマウントポジション取られた気分。高知すげえ。

ひろめ市場は、食べ物屋さんで注文して普通に食べるだけでなく、魚屋さんで売っている刺身を買ってお箸つけてもらってその場で食べてもいい、というフードコート拡大版的スタイル。私は魚屋で大好きな塩カツオのたたきを購入。「薄切りにしますか、厚切りにしますか」と聞かれ東京では確実に厚切りと超厚切りだよこれ、と思いながら薄切りをもらって食べた。めちゃくちゃうまくて腹が立つ。

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わらで炙ったことで出てくる脂の甘みと微かな香ばしさ、それを受け止めるさわやかな赤身のしっかり感のコントラストがあまりにも明確で、東京で食べる炙った皮目がふやけたカツオのたたきの解凍されたものとは比べ物にならない。そして薬味のネギやニンニクまでがいちいち旨くて腹が立つ。ポン酢掛けても塩掛けても旨すぎてマジ反則。ついでに鯛の刺身が乗った鯛めしと鯛のあらで出汁を取ったお吸い物も二日酔いの体に吸い込まれていった。大満足。

そしてはりまや橋からバスに乗ってベタに桂浜に行く。15年ほど前に明治維新というか司馬遼太郎がマイブームだったことがありその時訪問して以来かもしれない。その時のイメージは小さな綺麗な丸い石が敷き詰められた海岸、というものだったのだが今は波打ち際以外は普通の砂浜になっていた。勘違いだろうか。夏の雲が出ていて泳ぎたくなる。

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ガチで外海、太平洋なので透明感が半端ない。汚れた心が海の青さに洗われる。

そういえば以前「高知遺産」という本を買って帰ったのだった。「失う前に、もう一度」、と題された2000年ごろの街のアーカイブ。あれから時が流れ、空港からは高速道路もでき、街も随分きれいになった。この本に出てくるおばあちゃんたちも多くの方が鬼籍に入られたのだろうと思う。当時はこの世にいなかったうちの子供も大きくなっているのだからある意味当たり前なのだが、改めて時間の流れを思う。

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桂浜からはランニングではりまや橋まで戻る。およそ10㎞。打ち捨てられた民家の庭に咲き乱れているユリなど眺めながら浦戸湾沿いを走り、長浜まで出る途中で酒蔵を発見。酔鯨だった。日本酒は詳しくないが、司牡丹、酔鯨、土佐鶴が代表的な高知の酒だという程度のことなら知っている。

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ロゴはシャレオツ系だが仕込みは見学できないようだし特にビジターフレンドリーではないなあと思いながら折角なのでランニングを中断して写真を撮っていると、女性が出てきて「試飲していきせんか」と言ってくれる。気づかなかったが小さなアンテナショップみたいなのが工場の端っこにあった。
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本当はいろいろと試飲させてもらって酒の2本でも買って帰りたいところだけれど、こちとら二日酔いの上に炎天下のランで汗まみれ、飲んだらマジで使い物にならずバスで帰らないといけなくなるので2つの銘柄の味見だけさせてもらって、礼を言って辞去。4合瓶をリュックに入れて走るのは気が引けたので、季節限定の生酒を土産にはりまや橋の大丸で手に入れた。

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桟橋の通り沿いにとさでん交通チンチン電車の基地があった。中にずんずん入って行って写真撮りたかった。色々とノスタルジックでエモい。

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暑い中走ってパンツまでびしょびしょになった体をルーマプラザ高知で清める。がっつりととのったあと、携帯を充電するついでに休憩室でワカコ酒ゴールデンカムイを読み始めたら止まらなくなって結局4時過ぎまでいた。

ワカコ酒を読んでいるうちにぷしゅーっと酒が飲みたくなった。ツイッターで黒尊という居酒屋が最高だ、と教えてもらったが残念ながら予約で一杯。4時台から開いている店探すのも面倒になったので、地元の人の話でも聞かれれば、と再びひろめ市場に行ってまたカツオのたたき食べる。

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目の前で炙ってくれるだけでなんだかうれしくなってくる。バカな男は焚火とか暖炉とかカツオのたたきを炙る藁の火とかに弱い。

一人で遊び歩いている罪悪感もあり、家人に炙りたてのカツオを一本買って帰る。「どんな火でもいいので食べる前に10秒から15秒くらい軽く焙ると味が全然違います」と教えてもらった。絶対そうします、と心に誓う。
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ひろめ市場は意外と若い人が多い。たまたまデートと思しき二人連れと合コンっぽい飲み会やっている人たちがいるテーブルのはしっこに陣取ってしまったので、一人黙々と周りを観察しながら飲んで食べた。

向こうのテーブルでは綺麗なお姉さんが豪快に大ジョッキを飲み干している。目があったらちょっと恥ずかしそうにしていてそれもまたいい。まだ日も高いのに真っ赤な顔したおじさんたちもたくさんいる。

東京みたいな同調圧力の強いところから来た人間には、朝から堂々と酒が飲めて「細かいことはどうでもいいんだよ、楽しければ」、とみんな思っていそうな高知の雰囲気、悪くない。むしろ最高。また来たい。

 





 

 

 

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「聞かぬは一生の恥」をバーで学ぶ

Twitter眺めていたらこんなツイートが流れていた。ちょっと「釣り」っぽい気もするけれど。

 

えらいぞ高校生、素晴らしい。でももうちょっとリスクの低い別のやり方がある。普通のじいさんだったかもしれないお年寄りが「くそじじい」に変化するリスクも避けられ、「せっかく良かれと思ってやったのに」と自分の気分を害することにもならず、世の中にTwitterで拡散されることにもならずに同じ結果を達成できる可能性が極めて高いやり方。

それは、単純に「何も言わずに駅で降りるふりして席を立つ」というもの。


その男性がとても座りたいモードなのであれば席が空けば狙い通りに座ってもらえるはずだし、念のためあえてその人に気づかれやすいような移動の仕方をすることもできる。そうやっても座らない人は席を譲っても「年寄り扱いするな」という地雷の可能性が高い。

ダウンサイドは譲った席が他の人に取られてしまって上手くいかないこと。だが前述したように気づいてもらいやすいやり方はあるわけだし、仮に他のおばさんが座ってしまったとしてもそのおばさんも座りたくて仕方なかったわけだからあなたがいいことしたことに変わりはない。そのおばさんより疲れていない誰かに使命を託したと思えばいい。


このやり方だと地雷は回避できる。かなり高い確率で波風立てることなく誰にも気まずい思いをさせずに目的を静かに達成できる。ただしこのやり方は自分がいいことをした時には必ず相手の人から感謝してもらいたい人向きではない。私なら何も言わずに席を立ったなあ、と思いながらそっとTwitterを閉じた。

世の中で何が起きているかはぱっと見では分からないこともある。気づかない人は気づかない。気づいた人も何も言わない。そういうコミュニケーションの方がいい結果を生みやすい状況があって、そういうことができる人はトラブルを避けることもできる。そして大事なことは、こういったテクニックは意識しないと決して学習できない、ということ。だって誰にでも気づかれてしまったらそもそもの意味がないので。

例えばよく行くバーに行き、初めの一杯を飲んでいる。隣でマスターと和やかに話しているお客さんがお酒のイベントの話をしている。どうやらお酒のインポーターの営業の方らしい。

そんな時、次に何飲むか特に決まっていないのであれば、
「xxx  (そのインポーターさんから出ている酒)をお願いします、この前勧めていただいて美味しかったので」
とオーダーする。

実際にお店から以前勧めてもらったかどうかなんかまったく関係ない。むしろ勧めてもらってもいなければ店の人に与える印象はより大きくなるだろう。営業の人もお店の人も悪い気持ちがするわけがない。

そういうことをサラッとできる人は、やはりどこのお店に行っても良くしてもらえる。ただし勘違いして違うインポーターの酒をそうやって頼んでしまわないように。

こういう「世の中の知恵」は学校や会社のマナー研修などでは教えてもらえない。いわんや上司や先輩が業務時間中に教えてくれることでもない。だけどそれを知っているのと知らないのとでは時間の経過とともに凄く大きな差ができる。だから若いうちに身に着けることがとても重要になってくる。「正しい電車での席の譲り方」だけではなく、「ストリートスマート」、すなわち実際に場数を踏み、時には痛い目にも会いながら学んだ人生の知恵、を。

周りにいませんか、何かあっても全く動じず、交通機関のトラブルがあってもちゃんと着くべき時間に到着し、部下が起こした致命的なトラブルを見事にリカバリーできてしまうような人。
私にとってのストリートスマートの師匠は20代半ばの頃の上司だった。西海岸の大学に留学し、ロンドンで仕事していたこともあったおじさんで、アルファロメオ75のV6エンジン、右ハンドルという滅茶苦茶渋いクルマに乗っていた。

当時はちょっと前のビットコインバブルの頃に似たITバブルの時期で、ソフトバンク時価総額が2年で100倍になり20兆円を超えようとしていた頃だった。

そのおじさんは会社で私に向かって「本当に株が暴騰すると思うんだったらありったけ借金して会社も辞めて退職金も全部ぶち込んじまえ」と言い放ち、また当時私が好意を寄せていた女性が突然社内結婚することを聞いてショックを受けていたら、「本当に好きなんだったら今からでも引止めろ、なんでそうしないで黙っているんだ」と叱られた。

鮨屋でいつもお勘定を現金で払うので、「いつもはカードなのにどうしてですか?」と聞いたら「鮨屋仕入れは現金だから、カードだとタイミングずれたり他にも大人の事情があるんだよ、同じ魚頼んでもどこ切ってもらうかで味は全然違う、分かってない客にはそれなりのものしか出てこない」と教えてもらった。

六本木に飲みに連れて行ってくれて店の入り口ですれ違ったスーツ姿の二人組を見て、「あの二人、サラリーマンみたいに見えるだろ?G組(当時イケイケだった武闘派ヤクザ)の若いのだから。お前喧嘩っぱやいから気を付けろ」などと、なんでこの人そんなこと知っているんだ?というようなことも教えてくれた。

知らないことを教えてくれるだけでなく、既成概念というものをぶち壊して物事を考えろ、という考え方のフレームワークを教えてくれたおじさんだった。厳しい業界の荒波に揉まれ始めたばかりでまだ完全に学生気分が抜けきっていなかったその頃の私にとっては大変ありがたい学びがたくさんあった。仕事の後に食事や飲みに連れて行ってくれて仕事場では聞けない話を教えてもらい、生きていくための知恵を教わった。
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仕事は定刻でさっと帰り、会社の飲み会には原則不参加、一緒に飲むのは同年代だけ、というような今の若い人たちはこういう知恵をいつどこで誰から学ぶのだろう。

社会人になったら最近の就活塾みたいなチートは当然ない。若いうちに身に着けておかないとできる人とできない人でどんどん差が大きくなっていくし、そもそも歳をとってからだと周りから教えてもらうこともなくなる。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というけれどバカな質問しても許されるうちにいろいろ聞く方がいいと思う。

この人の話聞いてみたいな、という人がいれば、「一杯だけでいいのでお勧めの大人のバーに連れて行っていただけませんか」と思って言ってみるのはどうだろうか。目下の人間に「大人のバー」に連れて行ってくれ、と頼まれてイヤな気分がする人はいないし、連れて行く店は当然それなりの雰囲気の店になる。そんなお店でバカ話するわけもなく、せっかくなので、ということで普段では聞くことのできない話を教えてくれる可能性が高い。

そして一杯だけ、と言っておけばどちらにとっても負担感は少ないし、最悪話がつまらなかったときには「こんな私一人では来られないようなお店(=高そうな店)ですので約束した通り一杯で結構です、とても良い経験ができましたありがとうございます」と言って帰れば全く角は立たない。

ただし頼む際に「飲みに連れて行ってください」と言ってしまうと最悪居酒屋で自慢話、とか「大人」を強調しすぎると変な店に連れていかれたりしかねないので「大人のバー」と念押しすることを忘れないように。

筋トレと一緒で、ちょっと背伸びしてこれまでやらなかったこと、やれなかったことをやってみるのが成長なのだと思う。私もまだまだ学ばなければいけないことがあるので、上手に学べるよういろいろ工夫してみようと思う。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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祇園でウイスキーを飲みながら考えたこと

先日京都に行った際、Twitterでフォローしている方に教えていただいた祇園のバーに訪問した。ビルは比較的新しいのにお店の中は落ち着いて年季が入っている。聞いてみると3年前に銀座から移転してきて、その時内装ごと持ってきたのだそうだ。10人ほどは掛けられそうなカウンターは恐らく一枚板。巨大なマッキントッシュのアンプとこれまた巨大なJBLのスピーカー、大量のレコード。膨大なバックバーのボトル。コンクリートのスケルトンのスペースを居心地のいいウッディな空間に仕上げるのは相当お金がかかっているものと思われるが、引っ越しだけでも恐ろしく物入りだったに違いない。

奥にはおそらくテーブル席、6席ぐらいなのだろうか。カウンターからはよく見えない。普段の夜なら舞妓さんや芸妓さんを連れて飲んでいる旦那衆がいるのだろう。私がお邪魔したのはゴールデンウイーク真っただ中だったから目にしなかったけれど。

客の7、8割がたが注文するモスコミュールやハイボールを作り、出来上がったらテーブル席の客に飲み物を運び、レコードでジャズを流しながら入ってきた客を席に案内し、飲み終わった客の会計をつけるのを見ながら、この規模の店を一人で回すは経験長くないととてもじゃないが無理だろうな、と思いながらカウンターにてオーナーバーテンダーにお勧めいただいたモルトを飲む。私が入店したのは夜11時過ぎ。祝日ということもあって11時半閉店とのことで、一杯だけでも、とお願いしたところ快く受け入れていただけた。追い返されても文句の言えないところだ。ウイスキーが好きなのが伝わったのだとしたら嬉しい。

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最初のグレンオーディーを飲み終える頃には隣にいた最後のお客さんがお勘定を締めていて、私ももう失礼しますと言ったら「まだ片づけあるのでしばらく飲んでいて構いませんよ」とのこと。お言葉に甘えて追加で2杯。ブロラとタリスカーをいただいた。
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銀座時代のお話を聞いたり私の行きつけのバーの話をしたりしていい時間を過ごし、丁寧にお礼を申し上げ、オーナーの名刺を頂戴して失礼した。

翌日も花見小路の土塀のところをちょっと入ったところにある割烹で食事をしたので件のバーを再訪。昨日閉店間際に無理を言って飲ませていただいたので裏を返しに行った。

裏を返す、という言葉は最近聞かない気がするので念のため説明しておくと、客として払った値段以上に良くしてもらったり特別なサービスをしていただいた後に、その店を再訪してお店でお金を使って借りを返して帰ってくることをいう。

祇園の南側というのは京都に4年しか暮らしたことのない浅薄な私の知識からしてみてもかなり特殊な立地。路地の石畳には水が打たれ、その両側には赤い提灯を灯したお茶屋と割烹が立ち並び、舞妓さんを連れて歩くような地元の旦那衆もいれば国内外の観光客も多い。その中には「一見さんお断り」と言われても全く文句の言えない祇園の敷居の高さを理解している人はどれぐらいいるのだろうか。
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私の勝手な感覚だが京都の街中ではよそから来た新参者にとても冷たく、同じ場所で5年ぐらい商売して初めて仲間として認められる、というイメージがある。その中でもさらに祇園、それも四条通の南側の店は地元の目の肥えた厳しい客に試され、認められないと生き残っていかれないのだと想像する。

せっかく厳しい旦那衆が試しに店に来てくれて何とか寛いでもらっているところに、店のコンセプトを理解しないグループ客や、HUBみたいな飲み屋での飲み方と日本のちゃんとしたモルトバーでの飲み方の違いの分からない外国人観光客が入ってきてせっかく作り上げた店の雰囲気をぶち壊したり、一人でお店を切り盛りしているのに必要以上に世話の焼ける訳の分かっていない客が来店したりして他のお客さんへの対応に手が回らなくなったりしたら本当にシャレにならないだろうな、そういう客は裏を返してくれるわけでもないし大したお金も落としていかないだろうし、と思いながら大ぶりのバカラのカクテルグラスに満たされたマンハッタンから一杯目を飲み始める。

「銀座で有名やったバーが祇園に来たっていうから冷やかしに行ったったけど訳わかってない客ばかり入れてて雰囲気ぶち壊しや、銀座がなんぼのもんや」「さすが銀座から来てくれはったお店だけあって賑やかでいろんなお客さんが来てくれはってよろしおすな(=ここは祇園だからうるさくしない客を選べ)」などと旦那衆に吹聴されたら狭い京都では贔屓にしてくれる地元の客がつかず、内装などに恐ろしく金掛かっているのに回収できずに最悪店畳まないといけなくなるかもしれない。自分がお店を開くところを想像してちょっと震えた。

もちろんちゃんとしている一見のお客さんもいるだろう。しかし場所柄ウォークインしてくる一見客はそうでない方が確率的に高い気がして大変な土地でのご商売だと思う。そういう意味で昨日閉店間際でふらっと一人で初めて現れた私を温かく迎えてくれたのは太っ腹なことで自分の幸運にあらためて感謝した。

マンハッタンがとても口に合ったので結構な勢いで半分以上飲んでしまったら、「飲むの早いですね、うちのマンハッタンは時間とともに味が変化するので少しゆっくりと味わってみてください」とのこと。「早く飲まないとせっかく作っていただいたのに申し訳ないかと思って」というと「昔はカクテルグラスも小さかったし3口で飲め、なんて言ったものだけれど最近はグラスも大きくなったしお時間かけて飲んでいただいて構いません」と教えてもらう。まだまだ勉強すべきことはたくさんある。

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ふと気になって、外国人観光客向けのSNS(Yelp)でこのお店がどのように評価されているか観てみたら案の定だった。名の通ったホテルのコンシェルジュやそれなりの割烹からの紹介でやって来るぐらいの人であればまだしも、素性もわからない世話が焼ける可能性が高いウォークインの客を喜んで迎えたところで先ほども述べたように店にはリスクが高いだけでアップサイドはあまりない。むしろ厄除けとしてそのままの評価にしておいた方がいいのだなと思った。

ちゃんとしたバーで「フレッシュなフルーツでカクテルお願いします」という注文をする人は、それなりの鮨屋に行っても「「新鮮な」魚の握りをお願いします」というのだろうか。それは注文される方も穏やかではないだろう。自分の言った言葉の意味が自分で分かっていない人も含めて世の中にはいろんな人がいて、食べログの口コミ見ていると2chまとめサイトよりも面白い。

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前にも書いたが、居心地のいい店はその居心地を守るために大抵何かを犠牲にしているであろうことを客は忘れるべきではないと思う。席が空いているのにフリーの客に満席だと告げているバーテンダーを見ることはままあるが、彼はその客からの売上を犠牲にしてでも店の雰囲気を守っているかもしれない。そしてその客は店の悪口をどこかで言うかもしれない。そのコストよりも店の雰囲気を守るほうをそのバーテンダーは選んだことに我々は思いを巡らせるべきだ。そしてそれは彼が自分のため、自分の店のためにしているように見えても実は客である我々のためにして(くれて)いるのだということも。

そんなことを考えながらまた京都に来たらお邪魔することを約束して店を出た。実はもう一軒、裏を返しに行くべきところがあったから。寺町夷川を一本西に入ったところにある王田珈琲専門店。前日ランチを食べた後、家族連れでコーヒーだけ飲みに行ってなにも話さずそっと帰ろうとしたら、昨年末初めて訪問した際にグレンエルギン好きだ、といったのを覚えてくださっていてお勘定の際に「美味しいエルギン入れときましたからまた来てください」と言ってくださったので。京都のお店の情報を様々教えていただき、夜中まで楽しい時間を過ごすことができた。

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色々考えた結果、今回は祇園のお店の固有名詞をあげて紹介することは控えることにします。バーに対してリスペクトの念を持つウイスキー好きな人やスカイ島の蒸留所の名前を聞かれてすぐに思い浮かぶ人にとってはとても、とても素晴らしい店だと思います。二度しか訪問していない私が言うのも恐れ多いことではありますし、私が心配申し上げずともすでに地元にしっかり根を下ろして愛されるお店になっていらっしゃると思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

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一座建立

こだわりが強すぎて生きて行きにくい、というのがどういうことか、マトモな方々にはなかなか想像できないと思うので、どれぐらい生きにくいかを少し書いてみる。

 

ランチに何かいいもの食べようと思い立つ。せっかくの一食を無駄にしないよう、いろんなツールを使って店を全力で調べる。ああでもないこうでもない、そして気がついたら午後2時。行きたかった店が閉まってしまい、空腹のピークも過ぎてもうどうでもよくなってしまう、なんてことが割とある。どうかしてるわ俺、と自分でも思う。

(流石に平日はこれだと仕事にならないので、自分の中で絶対滑らない限られたレパートリーの中からローテーションで選ぶ。仕事と車の運転の時は基本完全に別人格。)

 

レストランだけでなく、旅行先を決めるときでも本屋で本を買う時でも似たようなことになる。

 

自分の「こだわり条件」の数が多すぎて、そもそも全ての希望を満たす店を見つけるのが困難過ぎる。そして全ての希望を満たす店を諦めた後に条件a、条件b…条件xのウェイト付け、つまりどの希望をより優先させどれを諦めるべきかのロジックが自分でなかなか決められないので精神的にとても消耗する。つらい。

 

今一番食べたいと頭に浮かんだものがマンゴーのタルトだとする。食べられる店を調べたが見つからない。リンゴよりバナナ、バナナよりマンゴーが好きで、パフェよりケーキ、ケーキよりタルトが好きなのだけど、目の前にリンゴのタルトとバナナケーキとマンゴーパフェしか選択肢がない。その中で何を食べるべきか思い悩む。自己決定力の低さに自分で辟易してつらい。わかります?

 

最近になってようやく、色々試してみて少しぐらい失敗してもいいではないかと思えるようになった。それでもハズレを引いた時に(それが選んだ店のせいなのか、たまたま居合わせた客との相性のせいなのか、体調やメンタルなど自分のせいなのかは別にして)自分を責め、俺ってセンスないわーと自己肯定感を下げて精神的自傷行為をしてしまう。つらい。

 

そして具合が悪くなってくると物事を決めるのをなんでも先送りし始める。なぜかというと、具合悪い時に悩み始めると本当に疲れるからだ。つらい。その結果「やばいゴールデンウィーク目前なのにどこも宿予約してない、空いてるところもう2軒しか無くてそれならこっちでしょ」的に、先送りによって選択肢の数を減らすという(荒)技を使うようになるのだ。そしてハズレを引いた時でも「ゴールデンウイークだからどこも混んでいるので仕方ない(=ので失敗したのは俺のせいではない)」と、決定を先送りにしてベストのものを探す努力をしなかった自分を棚に上げて一見客観的に聞こえる言い訳を探すのだ。ただし念のため言っておくと、先送りにしている間は知らんぷりしているわけではなく、罪悪感に苛まれていて心は晴れない。先延ばしにしている決定力のないだらしない自分につらく当たる。つらい。

 

そういう訳で私にとっては、「たまに見つかる自分の好きなバーやレストラン」とか「満員電車で嫌な思いはするけどそれでも比較的マシな前から3両目の優先席近くのドア横のスペース」とか「10年間通ってずっと同じ人に髪を切ってもらっている理容室」とか「堀口珈琲のエチオピアのコーヒー豆、シティロースト豆のまま」とか「仕事の時に履く伊勢丹で売っているハイソックス」とかがとても、とても重要なのだ。なぜならそれらの選択は時間をかけて熟慮に熟慮を重ねた結果で、その選択に従う限り自分の心がこれ以上煩わされることはないという安全毛布、最後の砦だから。それらがないとまた一から思い悩まなければならず、心の平安が脅かされるのだ。つらい。
だからスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグがいつも同じ格好をしていることを心から理解できる(自分を彼らのような何かを成し遂げた人と一緒くたにしているわけではない)。彼らも「(しょうもない)選択に心を煩わされたくない人族」で仲間なのだ。多分。わかる。

 

こんな感じで心が擦り減っていく。そしてストレスのないどこかに逃げ込みたくなる。

 

そんな中年にも救いはある。どこのバーに行くべきか知らない土地なら悩むこともあるけれど、東京ならいつ行っても居心地の良いバーをいくつか知っている。そこでは心の平安を脅かされることはなく、何か思い煩うこともない、そんな場所。勧められるお酒は間違いなく、知らないことも教えてもらえて勉強になる。様々な経験をされていろんなことをご存じの素敵なお客さんと出会うこともある。わざわざ情報収集したり早起きして列を作ったり買い出しに行ったりしなくても、座っているだけで貴重なボトルも素晴らしいカクテルも飲むことができる。そんなバーで感謝の気持ちとともに酒を飲み、心の澱を少し落としてから家に帰る。

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そんなバーは私にとって大変貴重な隠れ家。受け入れてもらえなくなったら困る。だからお店の人が眉をひそめるようなことをする理由は私には全くない。さりとてお店に媚を売ったりもしない。酔いが回ったことを自覚したり、店が混んできたら帰り時。感謝を伝えるためと店が長く続いてくれることを祈り、できる範囲内でできるだけおカネを落とす。自分が行かれないときもあるので代わりに行ってくれる信頼できる友達を紹介する。

 

そんな気持ちでバーに来て、そんな中年のことを理解してくれている店に感謝の念を持ちながら酒を飲む。バーに行くときには心の片隅に置いている言葉、一座建立。お店のためにも、他のお客さんのためにも、自分のためにも。

 

いちざこんりゅう【一座建立】

茶道の言葉で、茶席を開く側と招かれた側のお互いが「その場をいいものにしたい」という気持ちで通じ合うこと

 

 

 

 

 

 

 

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バーでの作法

皇居を走り、汗を流してからバーに出かけた。4月中旬の夜の街はいつもと雰囲気が違う。居酒屋から出てきて2次会の場所確保を待っていると思しき若い大人数のグループが道をふさいで通れない。酔いつぶれて介抱されている人も。新入社員の同期会か。

仕事場でまだ自分が受け入れてもらえていない疎外感や孤独、不安を打ち消すために弱いもので群れる。それは仕方のないことだ。自分も通った道なので目くじら立てようとも思わない。

そんな街の光景を眺めながら初めてのバーに入った。声のボリュームのコントロールを忘れてウイスキーのうんちくを熱く語る若い二人連れがいた。静かに味わって飲みたいと思っていたのだが、行きつけの店でもないのでおとなしく飲む。

二杯ほど飲む間に、私の隣にいた外国人カップルが次にどの店に行くべきか相談していた。女性はどうやら日本語を学んだことがあるらしく、片言の日本語で懸命にお店の方とコミュニケーションを取ろうとしていた。口を挟もうか少し悩んだがジャパニーズウイスキーが好きで白州蒸留所にて3日過ごした、と言っているほどだったので「すぐ近くにWhisky Risingにも紹介されているイチローモルトがたくさん置いてあるバーがあるよ」とおすすめしたら喜んでいた。Whisky Risingというのはベルギーとスコットランドで育った著者によって書かれた、日本のウイスキーやバーをさまざま紹介している本。邦訳も出ている。

すると奥の二人が「あそこのオーナーバーテンダーは英語しゃべれないんじゃないの?」と言っているのが聞こえる。そしてイチローモルトが充実している別の店のマスターの名前を出して、「××さんの店の名前何だったっけ?そっちの方がよくない?」と今飲んでいる店のバーテンダーに聞いている。

自分たちの発した言葉が様々な方面に対して持つ意味を彼らが理解できているとはとても思えなかった。悪気はないのは分かるが、想像力に欠ける。残念な気持ちをオールドのグレンリヴェットとともに飲み干し店を出た。
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グレンリヴェットは昔サイレンスバーで飲んだものを期待して注文したのだが、東南アジアの免税店向けリッターボトルの保存状態があまりよくなかったせいかそこに感動はなかった。店での出来事とは全く無関係だが。

やはりホームグラウンドのバーで飲む方が様々な意味で気持ちよく飲める可能性が高いのは間違いない。

そんな目にあったので、ふと昔のバーでの作法というのはどうだったのだろう、と気になり、本棚にある池波正太郎の「男の作法」という本を引っ張り出した。もう40年近く前に書かれた本。時代遅れになってしまっているところもあるが、「高い腕時計しているのに安いボールペン使うとかはバランス悪いから、時計の前にいい筆記具を買いなさい」、「鮨屋では通ぶる客が一番軽くみられる、職人の符丁のあがりとかガリとか言わず、お茶、しょうがと言え」などと書かれてあって今読んでもなるほどな、と思うことが多い。手元にある文庫本は平成23年の83刷。ロングセラーなのは今でも通用することが書かれているからなのだろう。
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ちなみに池波正太郎は「鬼平犯科帳」などの著者、時代小説の大家で食通としても名が高く、当時人生経験豊富なダンディーなおじさんの一人とされていた。今の人で喩えるのは難しいが、ビートたけしが「昔の芸人はこういう感じで粋な人が多かった」と話すようなものか。

彼の述べるバーでの作法について簡単にまとめると以下のようになる。

食事の前にバーに立ち寄って、ギムレットマティーニ、マンハッタンなどのスタンダードなカクテルを2杯ぐらい飲んでから出かけ、食後にまた同じ店に帰ってきてブランデーなど飲むのが男らしくていい

バーの醍醐味はちゃんとした店で見つけた自分が好きなバーテンダーと仲良くなること

つまらない店にいろいろ行くぐらいなら、そのお金を貯めておいていい店にたまに行くほうがいい

いい店のバーテンダーからは気の配り方など客が学べることが多くある

 

格のある店のちゃんとしたバーマンと仲良くなる、というのは口で言うほど簡単ではない。客としてどういう振る舞いをすべきか、してはいけないかの常識がそもそもないといけなくて、そうでなければ仲良くなれない。どう振舞えばいいは本を読んで覚える類のものではない。

この本には初めて行く敷居の高い食べ物屋でどう振舞うべきなのか、混んできた店で長居することがどんなにかっこ悪いのかなど、飲みに行ったときにも役立つことがたくさん書かれている。

最高のハイボールやショートカクテルを飲みたいと思うのであれば、細部にまで注意を払って最高の状態で仕上げられた一杯が目の前におかれたらしっかり味わいつつも時間のたたないうちにさっと飲むべきで、携帯いじったり話に興じている場合ではない。それはお酒だろうが鮨だろうが天ぷらだろうが変わりない。昔は注意してくれたお店の人もいたのだと思うが、今はそんな人は減ってしまった。その代わり、単純に次の一杯が最高の仕上がりのものでなくなる(可能性が高まる)だけだ。自分が作り手の立場だったらベストのものを作ったのにそれが時間がたっても口にしてもらえない状況でどう思うか、次の一杯にも自分のベストを尽くそうと思うか、想像してみればわかるだろう。

注意してくれる店の人がいれば、むしろそれは感謝した方がいいかもしれない。注意されなければ一生気が付かずにいろんな店で同じ間違いを犯し続け、同じ金を払ってもちゃんとした人よりもレベルの低いサービスしか常に提供されないかもしれないのだから。

そう考えれば、格のあるバーで客として認められるための作法というのは究極的には「バーマンの、あるいは店の他の客の立場になって考えてみたらどうだろう?」と想像力を巡らせられるかどうかの一点に尽きるのではないか。

 

 

 

 

 

 

男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)

 

 

 

 

ウイスキー・ライジング: ジャパニーズ・ウイスキーと蒸留所ガイド決定版

ウイスキー・ライジング: ジャパニーズ・ウイスキーと蒸留所ガイド決定版

 

 

 

最近のプチ幸せ

平野啓一郎さんが私のツイートをリツイートしてくれた。伸びなかったけど。SNSならではの出来事。「壮大に」ではなくて「盛大に」でしたね。

ちなみにマイケル・シェンカーとは70-80年代に「神」と崇め奉られたドイツ人の元アルコール依存症ギタリストで、ワウを使った独特のギタートーンとクラシカルかつオーソドックスなスケールでむせび泣くようなソロで世の中のギター小僧を虜にしたおじさん。今も現役。

 

新橋のキャパドニックさんのカウンターが満席で、入口に近いテーブル席で勧めていただいたボトルを一人味わって飲んでたら、お客さんが私のテーブルに来たので一瞬喧嘩でも売られるのかと思ったら「ブログ読んでます!大学の後輩です」と言われた。面割れてた。ブログにはほとんどコメントつかないので永遠の一人壁打ちテニスモード、だったんだけど初めての生のフィードバック、ごっつぁんです。

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最近買ったソニーノイズキャンセリング機能付きヘッドフォンが超優秀だった。これ着けてたら神経質な俺でもレオパレス住めて、スピードラーニング流す人がいても住民の中で俺だけ全く英語が上達しないレベル。ゴルゴ13の背後に行列ができる法律相談所を開設しても気付かれないレベル。

渋谷みたいな街を歩くと「バーニラ、バニラ高収入〜」とかホストクラブの宣伝広告トラックの大音響攻撃に晒されて心の平安が削られるけれど、これを着けていると外出しても心が健康で文化的な生活がもれなく保証される。

アマゾンでケチつけてるオタクっぽい人いるけど、窓開けて外の叫び声や騒音入ってくる中で超高音質のスピーカーで音楽聴くのと、外部ノイズから遮断された部屋でそこそこ音質のいいスピーカーで音楽聴くのとどっちがいいかなんて自明じゃないか、と思う。

 

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グレンリヴェットの60、70年代の5ヴィンテージを垂直試飲出来たこと。伊勢神宮参拝の際に立ち寄る津のアンバールさんにて。年に一度しかお邪魔していないのにいつも良くして頂いて本当に感謝。


伊勢神宮でたまたま奉納大相撲を行なっていて、白鵬鶴竜の土俵入り、豪太郎や貴景勝玉鷲を生で見られたこと。

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渋谷の行きつけのバーの仲良くさせていただいていたバーテンダーが辞めたことで危うくバー難民化しかかったのだけれど、居心地のいい新しいバーを知り合いから紹介いただいて無事着地できていること。渋谷の新しい、といっても前から知り合いのバーテンダーも私の好みのボトルのコレクション持っていて振舞ってくれること。

 

2013年初出場以来毎年楽しみにしている石垣島トライアスロンに私の不手際で出場不可になりかかったのだけれど、ある親切な方に助けていただき今年も出場できるようになった。日本で一番西にあるモルトバーにまた行かれるし、俺がこれまで食べてきた焼肉は一体なんだったのだろうと思わずにはいられなくなる焼肉やまもとの予約をトライアスロン仲間が取ってくれたこと。

 

苦手だったスイムにようやくブレークスルーがあって、1キロぐらい泳ぐのは何ともなくなった。これまでは1キロ泳ぐぐらいなら15キロ走った方がいいわ、ぐらいだったのが8キロランぐらいになったイメージ。水中の中立姿勢がしっかり取れる感覚が出来て、大胸筋などではなく背中の肩甲骨周りの筋肉を使ってローリングの反動を活かしながら省エネで前に進むことが継続してできるようになった。今度のレースでどんなタイムが出るのか楽しみ。

 

飲みたかったタリスカー8年とグリーンヴェイルという名のダルユーインを飲めた。大した苦労もなく自分が飲みたいボトルが置いてある店を見つけて飲みに行けるというのは、あんまりみんな認識していないかもしれないけれど東京のビューティーの一つだと思う。間違いない。

このタリスカー飲んだ後で自分の家で空いているHoopの6年タリスカー飲んでみたけれど、HoopはHoopで負けていないことが確認できて、それもプチ幸せの一つだった。

それぞれの人のそれぞれの事情

平日昼間に母から携帯にショートメールが来た。仕事終わりにようやくチェックしたら悲しい知らせだった。実家で飼っていたフレンチブルドッグが死んでしまった。

「コパンが昨夜亡くなりました。ずっとテレビを見ていて、気が付いたのは寝るときでした。眠ったままで行ってしまいました。ワンとも言わないで。17日に荼毘に付します」 


老いた親からの短いメッセージに込められた気持ちを思うと二重に悲しくなった。

さぞかし気落ちしているだろうと思い、両親の顔を見に週末バイクで伊豆へ。事前に連絡するのもと思い、あえて熱海から電話してみると父はいるが母は入れ違いに東京に来ているとのこと。虫の知らせとかそういうものはないのだな、と心の中で苦笑いしながらとりあえず無事に実家に着く。土曜日の昼下がり、父は居間で一人本を読んでいた。コパンがいなくなった家が余計にがらんと感じられた。

コパンは骨になって立派な白い布がかぶせられた桐の箱の中にいた。わが実家に来ておよそ15年。大往生だった、と思う。元気な頃はフレンチブルドッグらしい陽気な性格でみんなに愛されていた。ここ数年は目もあまり見えず、あまりしっかり歩けなくなっていたので生きていたのも苦しかったはず。この世の苦しみから解放されて天国に行かれたのであれば長生きしてほしいと思うのは我儘だったのだろう。

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親の顔を見るべくやってきたにもかかわらず、男二人で家にいるのも気づまり、というたいていの男性ならわかるはずの状況になり、実家を出て伊豆熱川まで15㎞ほどのランニングに出掛ける。山道を走った疲れを温泉とサウナで癒して伊豆急に乗り、ちょうど東京から戻ってきた母と合流して実家に戻った。伊豆高原の駅の早咲きの桜が見事に咲いていた。


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コパンのことが気になって早く東京から帰ってこないと、と今でも思うわ、と母が言う。それはそうだろう。母が東京で買ってきた総菜を3人で食べて、夜8時過ぎにバイクで東京に戻る。

夜には気温がぐんと下がり、小田原厚木道路走っていたら体の震えが止まらなくなった。海老名サービスエリアに入り、ジャケット着こもう、と思って背負っていたリュックを見たら口がぱっくり開いている。
まさか、と思って見てみると着たかったジャケットはそこにはなかった。背負っていたリュックの口が風圧で開いてしまい、中に入れていたNorth Faceのお気に入りのトレッキング用ライトシェルジャケットが吹き飛ばされてしまったのだ。とっても気に入っていたのに。
残念過ぎ、そして寒すぎて心が折れる。仕方がなく夜も10時になろうというのにスタバでショートドリップ飲んだ。カフェインと暖かさが身体に染み入ってくるのを感じながら、コパンのことを少し思った。

 

その後、今度バイク乗るときはいろいろ気を付けないと、と思っていたのにまたやらかした。首都高を走っていてガレージのシャッターのリモコンを落っことした。デニムのお尻のポケットにマッチ箱ほどの大きさのものを入れていたのだが、コーナーで身体を動かしているうちにポケットの中をせりあがってきてしまったようだ。結構な勢いで走っている時にブーツのかかとあたりに何か当たった気がして「まさかリモコン?」と一瞬思ったがそんなわけはなかろう、と考え直し、そのまま走り続けた。仮に目の前で落っことしたとしてもまさかバイク停めて首都高の真ん中で拾うわけにもいかない。気もそぞろに走り続け、パーキングエリアに止まって確認したらやはり、だった。

恐らく後続の車に踏まれてバラバラになっているだろうな、と想像し、いつも楽しい首都高ぐるぐるひとりツーリングなのだけど気持ちが折れて帰宅。いつもならリモコン使ってシャッター開けるのにヘルメットかぶったままで家の鍵を開け、ガレージの中からシャッター開けてバイク片付ける、という作業の不便さにさらに凹んだ。

翌日シャッター会社に電話して値段を聞いたら1個1万5千円を超えるとのこと。5千円ぐらいかと思っていたから予想以上。首都高にバイク停めて落っことしたリモコン拾って轢かれたら1万5千円ではきかないのでまあしょうがないか、と訳の分からない納得の仕方をした。不注意は高くつく。

車で高速道路を走っているとなんでこんなものが道に落ちているんだろう、と思う時があるが、それぞれの落下物にはそれぞれの事情があることがよく分かった。

不幸はいくつかあったが、最近は小さな幸せにもいくつか恵まれた。

後輩と目黒の焼きとん仲垣で散々食べてあまりの旨さに結構びっくりした後、二軒目どこ行くか考えた挙句、マッシュタンでもGosseでもなくFractaleというラムが飲めるバーに行くことに。当たり前だがウイスキーだけが蒸留酒ではなく、ウイスキーだけが美味い酒だというわけではないのだ。

この店はバックバーというものがなく、おすすめのボトルを数本持ってきてもらいそれぞれ説明してもらって香りをかぎ、気に入ったものを注文するというスタイル。なのでボトルの写真を撮り損なうと何を飲んだのか忘れてしまいがちで、詳しくないラムの詳細はアル中ハイマーの中年の酔っ払いにはなおのこと覚えられない。一杯目にいただいたラムはブラインドテイスティングすると10人中8人はブランデーと言いそうなくらいブドウの香りとコクで驚き、二杯目は…。なんだっけ。

それからウイスキーで何か面白いものありますか、と聞いたら結構びっくりするものが出てきた。イチローズのThe Game、ミズナラカスクミズナラ特有のオリエンタルな香りはあまり感じられなかったがキレのある綺麗な麦を感じる軽快なドラム。少しソーピーだった記憶もあるが気のせいかも。羽生の酒ももう飲めなくなってきているので想像していなかったところで飲めてうれしかった。もしかしたら酒好きオーラが伝わったのかもしれない。

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小さな幸せその2。スーパームーンの翌日に海岸通りをランニングしていて見られた東京湾に映る月。奥はお台場。品川埠頭の近くから。海外にも関西にも住んでいたことはあるのだけれど、東京が大好きでたまらない。こういう景色が見られることも含めて。

 

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小さな幸せその3、というか自己満足。30年近く前に買ったピクチャーレコードを引っ張り出してきて、ヨドバシExtremeでレコード専用のフレームを買って自分の部屋に飾ってみた。レコードそのものも名盤だと思うし、ジャケットも歴史を感じていいと思っていたので飾れてよかった。Roadrunnerから出ていたレコード。

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小さな幸せをいろいろ探して考えてみたけれど、やはりコパンがいなくなってしまってとても寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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よい子はロックバーでQueenを見境いなくリクエストしない

私のこれまでのストレス解消法といえば、ランニングしてお風呂で汗を流しサウナで瞑想し水風呂入ってととのったあと(マッサージが受けられればなお良い)、さっぱりとした格好に着替えて美味いもの食べていつものモルトバーで美味い酒飲んで少しおしゃべりする、というもの。これを全てしっかりこなすには結構時間がかかるけれど、コンプリートするとココロもカラダも仕上がって数え役満上がった状態。

だが好事魔多し。ランニングとサウナと飲酒のコンボで脱水状態となり脈拍下がらず寝つきが悪くなり、食べ過ぎて苦しく、夜更かしして飲み過ぎて眠りの質も低下した上に起きても酒が残っていて、自己嫌悪も含めて翌日ストレスたまりまくりの状況でスタート、なんてことはよくある。なにせもうおっさんだから。数え役満和了って調子乗ってたら2分後に親に役満放銃したようなもので、差し引きマイナス1万6000点逆転不能。現に今がそうだ。いつも土曜の朝は子供を車で習い事に送ることになっているのに全く起きられず、起きてきても完全に酒気帯び状態で使い物にならず、子供は寒い中一人で電車に乗って出かけたと嫁にやや棘を含んだ声で聞かされる。絵に描いたようなダメ親父。

そういうわけで上記のコンボとは違う何かをずっと見つけたかったのだが、最近ようやく新しいストレス解消法を発見した。

先日立ち飲みのパブで会社の飲み会があり、たまたまそこで昔よく聴いたLed ZeppelinのKashmirが流れていた。ハードロックの授業が存在したならこれ必ず試験に出るよと言われそうな、演歌でいうと与作みたいな曲。耳にはうるさくないけれど腹が震える大きなスピーカー独特の音を聴くと、何故だか不思議とリラックス。ああこれいいわととのう。身体全体で音楽を受け止める感じ。ヘッドフォンで耳だけで聴くのとはだいぶ違う。心の奥の硬い何かがマヨネーズのような固体と液体の間に変わる。そうだった、ロックバーに行けばいいのか。昔よく行ったけど忘れてた。でかいスピーカーで腹に響く音楽掛けてくれるところ。出来れば美味い酒があればなおいい。

そういうわけでウイスキーが充実していて大きめのスピーカーから70-80年代のロックが流れるバーを探してみることにした。

ウェブを眺めていて一つかなりイメージに近いところを発見。新橋の行きつけのサウナからほど近い、雑居ビルの地下にあるカウンターだけのロックバー。6人も入れば閉所恐怖症の人なら思わず出口を目で追って探してしまうような店。照明は暗く、入り口の横にはLed ZeppelinDeep Purpleが来日した時のコンサートのポスターが貼ってある。

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Led Zeppelinの来日公演ポスター

換気が行き届いていてそれほどタバコ臭くない。焼酎の品揃えが豊富なのが売りだがスタンダードなアイラやイチローズのホワイトラベルなども置いてある。私にとっては理想的なバーだ。

店の中ではWishbone AshのThe King will Comeが流れている。レコードではなくCDで。普通の声で話ができるぐらいのボリュームで音はすごくいいのだが残念ながら小さめのスピーカーで腹には響かない。一杯目はアードベッグソーダをお願いする。

奥に座っているおじさんはタバコをふかしながら一人静かにウイスキーロックをゆっくり飲む。最近Wishbone Ashが来日したらしく、隣のおばさんはずっとその話をマスターにしている。その言葉の弾幕をかいくぐりながら二杯目を注文するのに一苦労。

カウンターにMotörheadというバンドが出しているウイスキーがあったのでそれを注文。中身はスウェーデンシングルモルトらしい。単にボトルが気になっただけなのだが、気を遣ってバンドの代表曲、OverkillAce of Spadesを立て続けにかけてくれた。埃っぽいド直球の男のロックで改めて聴くとカッコ良い。

そのあとRolling StonesのSympathy for the Devil、悪魔を憐れむ歌、が流れる。久しぶりに聴くがこれまたクール。そりゃそうだ、昔からStonesといえばカッコ良いバンドの代表、そのバンドの代表曲なんだからクールに決まってる。

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数曲心地よく聞いた後、マスターが何か掛けましょうか、と聴いてくれる。少し悩んで、Uriah HeepのJuly Morningをお願いする。1971年発表のアルバムに収録。そういや西城秀樹もカバーしてた(今聞くと日本語の歌詞がかなり寒い)。ハードロックでギターよりもオルガンの方が印象的かつカッコいいというのは珍しい。今週はUriah Heepのリクエスト多かったなあ、とマスターと奥に座っているおじさんが話している。70年代のマイナーバンドどんだけみんな好きで聴きたがるんだよ。

思い起こすと昔はエンドルフィン、というレコードでロック聴かせてくれる神泉のバーに多い時には週に2回は行っていた。いい店だった。そこで色々見てきたのだが、ロックバーの難しいところは音楽が途切れてはいけないところ。レコードで音楽掛ける店では、客が聴きたい曲をリクエストすると、以下の一連の作業が発生する。それも薄暗い照明のもと。

沢山のアルバムのストックの中から目当てのアルバムを見つけ出す(ちゃんとどこに何があるか覚えていないと至難の業) → リクエストされた曲がアルバムのA面かB面どちらの何曲目に収録されているかを調べる(店が暗いと意外と難しい) → ターンテーブルにレコードをセットし埃を払う → 曲の頭からちゃんと流れるようにヘッドフォンを使ってレコード針を落とすところを調整(これも慣れないと難しい) → 今掛かっている曲が終わるのと同じタイミングで再生のスイッチを入れる → かけ終わったレコードをジャケットに入れ、棚に片づける

書き出すだけでも大変だ。長い曲ならまだしも、短い曲ばかりだととても慌ただしい。これに加えてドリンクの注文を受けたり、カクテル作ったり、つまみを用意したり、お勘定したりするといったバーの基本動作が加わる。だから一人でレコードから音楽流す店でやたらと自分勝手にリクエストするのは大顰蹙。

そんなことを思い出しながら、Led ZeppelinのAchliles Last Standをリクエスト。新橋の店はレコードを掛けているわけではないが、それでもリクエストした曲数と同じだけの飲み物注文しないと申し訳ないのでは、と勝手に思って都合5杯ほど飲んでしまった。さっきのおばさん見ていて店に気を遣わせた挙句大して金を落としていかない、他の客や店に気が利かない客にはならないようにしよう、と改めて心に誓ったせいもある。そういうわけで新しいストレス解消法を発見したどころかなぜか、というかやはり飲み過ぎて結局のところは逆効果、という展開になった。まあ最初から何となくわかっていたけれど。だが後悔は全くない。

Bohemian Rhapsody見てQueenに目覚めた若い人は、ロックバー探して行ってみれば新たな発見があるのではないでしょうか。ただしよい子のみなさんは、店に入っていきなりQueenの曲をリクエストするのはやめましょう!あなたが来るまでの1時間にBohemian RhapsodyWe will rock youとWe are the championが3回ずつぐらい掛かっている可能性が最近マジで普通にあります。あとおじさんがQueenの蘊蓄語るのはみんな聞き飽きている可能性があるので気を付けてください!


平野啓一郎 「ある男」を読了

「マチネの終わりに」に深く感銘を受けたので、平野啓一郎の新作「ある男」を読んだ。

バーでの出会いの回想から物語が語られ始める。その後もバーでの思索や会話が物語の中で重要なシーンを構成する。著者はシングルモルトよりもカクテル、あるいはウォッカがお好きな印象を受ける。小説家の酒や音楽についての描写からは著者の人となりが分かるので興味深い。

「ある男」を読了して「考えさせられる」小説、というよりは「考えさせる」小説、という印象を持った。正確に言うと「マチネの終わりに」は「考えさせられる」部分が多かったが、「ある男」では「考えさせる」部分が多かったように思う。

何を言っているのかわからないと思うので乱暴なたとえ話で説明すると、「沖縄の神社でおみくじ引いても凶しか出ません、だってもう「きち」は要らないから」というネタを披露した芸人と、お笑いのネタの中で沖縄の基地問題を含む現在の政治状況を直接的に批判した芸人がいたが、「考えさせられる」の例は前者で「考えさせる」の例は後者。

もう少しちゃんと説明すると以下の通りとなる。

ストーリーに著者の問題意識(=テーマ)が巧みに織り込まれ、物語が動き出すにつれて読者が引き込まれその物語に思いを馳せるにつれ知らず知らずのうちに著者が暗示的に提示したテーマについて自ら考え始める、というのが、私の考える「考えさせられる」小説の定義。

「考えさせる」小説というのは著者が自分の問題意識を明示的に物語の中でテーマとして提示し、物語の中で登場人物の行動や思索に投射された著者の主義主張をなぞっていくうちに物語が前に進んでいく、というもの。

もちろん二者択一ではなく、一つの小説の中で「考えさせられる」部分も「考えさせる」部分もあっていいし、どちらが良くてどちらが悪い、というわけでもない。

主人公である「ある男」はこの小説の中で一言も発せず、彼の周りの人が彼について話すこと、特に彼の家族の言葉によって彼の人となりが浮き彫りにされる中で、血のつながりとは何か、出自によって生まれながらに、あるいは自らのコントロールできない親の行動によって絶対的な不幸に突き落とされた人に対する救済はあり得るのか、というテーマが提示される。そしてそれに加えて自分の子供の幸せと親としての自らの幸せが一部両立しないときにどうするべきか、などといった著者が描きたい究極的なテーマについて「考えさせられる」のだが、「ある男」の苛烈な運命とそれを追う弁護士の両者が持つ自らがコントロールできない出自について描きたいがゆえに持ち込まれていると思しきテーマ(ヘイトスピーチや彼の国との距離感など)など一部の提示の仕方には少し硬さというか唐突感があって、物語を読むうちに自然に「考えさせられる」なあと感じるよりも小説が私に「考えさせる」、forced to think、すなわち著者の考えをなぞることを強いられていると感じてしまう部分もあった。

繰り返すが「考えさせられる」小説イコールいい小説で、「考えさせる」小説が悪い小説、というわけではない。明示的にテーマが提示される小説を読むほうが何について書かれているか分かりやすいので好きだ、という人もいるだろう。「何が言いたいのかわからなかった」「読後感がはっきりしない」というような書評を耳にするけれど、読者に自然に考えてもらおう、という「考えさせられる」系のアプローチをとった小説の方に対してはそのような感想を持つ人は必然的に多くなると思われる。

「考えさせる」アプローチの難しいところは、直接的に提示されるテーマが今日的で論争の多いものであればあるほど、そして著者の考え方が先鋭的であればあるほど(念のためだがこの小説ではそこまで先鋭的ではない)、物語上の一部で示される著者の意見と自らの意見の差異を克服できず物語全体を受け入れられなくなる読者が増えるリスクが出るところだ。残念ながら世の中では「自分と違う意見を持つ人」のことを肯定的に受け入れる人はそれほど多くないので。

およそ同世代の作家である平野啓一郎の様々な問題意識には共鳴させられることが多く、また彼の技量からすると読者が自然に「考えさせられる」ような物語を語ることは当然にできるはずで(「考えさせる」小説を書く方が難しくないように思える)、彼にはそのような現代の寓話を紡ぎ出してもらいたい、と思う。

なおここまでの議論は「マチネの終わりに」という小説と対比させた時の「ある男」という小説の感想であり、私が2018年に読んだ小説の中では白眉であることを念のため書き添えておく。

 

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ある男

ある男

 

 

 

 

 

 

 

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