伝説のモルトバー 丸亀 サイレンスバー
伝説のモルトバー、丸亀のサイレンスバーへ。
全く無計画の行き当たりばったりの旅行中、夕食後家人たちをホテルに残し、高松駅からディーゼルエンジンの特急に20分ほど揺られて丸亀へ。
バーは駅から1㎞ほどなのでタクシーに乗るほどでもなく、満月の月明かりの下独り歩く。街は寂しい。クリスマスの夜9時なのに、駅を離れると人気はほとんどない。10分ほどすると港町につく。船が出航の準備をしている。こんなところに本当にバーはあるのだろうか。
岸壁から一本離れた元倉庫らしき建物に、件のバーを見つけた。ネオンが控えめに光る。ドアを開けると、団体のお客が2組。地元の人たちのようだ。カウンターはがら空きなのだが、そこは世の中クリスマスで予約が入っているらしく、若いバーマンが一番端に席を作ってくれた。
ここの噂を渋谷のCaol Ilaで聞いて、機会があったら一度訪ねようと思っていた。なぜこのバーが伝説のバーといわれるかはこちらを見て欲しい。想像もできない数のオールドボトルが眠っていて、丸岡さんとおっしゃるバーテンダーがあまりにかっこいいのだ、と聞いていた。
見るところ丸岡さんはいらっしゃらず。まず一杯目はタリスカーソーダ。高松で穴子の刺身を初めて食べ、ふわふわとした食感のカワハギの肝などをしこたま食べてうどんで締めた後だったので、渇いた喉にソーダがしみじみ沁み込んでいく。
さあ二杯目は何を頼もうか、と考えていたら御大が登場。私の後に店にきて隣に座ったお客さんに「東京からわざわざありがとうございます」と声をかける。出たとこ勝負の私と違って彼は事前に電話を入れていたようだ。いくつもバーの名前を挙げて、そこのだれだれさんから紹介されてきました、と言っていた。丸岡さんは店の名前を言われるとそこのバーテンダーの名前がすらすら出てくる。
私も名前を聞かれて渋谷のCaol Ilaからの紹介できた、というと、小林君のところか、この前行ったよ、とのこと。
カウンターががら空きなのに二人端っこで片寄せあっているので、 「バーで知り合うっていうのもいいですね」と言われたのだが、その時はまだ隣の方とは一言も口をきいていなかった。
タリソー作ってくれた若いバーマンは、実は丸岡さんの息子さんの大介さんだったことが後程判明。一息ついて店内を見渡すと、L字型のカウンター十数席ほどの後ろにはびっしりとボトルが並べられている。私は丸岡さんにハイランドかスペイサイドで何かおすすめのものをお願いします、とお願いした。そうするとカウンターの裏に彼は消えて、しばらく経ってDalmore 12年の70年代か80年代と思しき黒いラベルのボトルとともに現れた。
「これは男らしいウイスキーなので試してみてください」
私はこれまでDalmore飲むきっかけがなかったので比較のしようがないが、オールドになってもストラクチャーがはっきりしているので確かに男らしいなあと思いながらいただく。
「一杯目はなんでしたか?」
「タリソーいただきました」
「うちは毎日一本はタリスカー空くね、若いころはウイスキーをわざわざソーダ割にして飲むなんて、と思っていた頃があったけど、お客さんから教えられたよ。旨いウイスキーはどう飲んでも旨いんだって。そこからタリスカーソーダばっかりだね」
そう言いながら自分のグラスでぐいっと飲まれる。実は丸岡さんが一晩でボトル半分ぐらい飲んでいるのではないか、と思って声を出さずに笑ってしまう。
次、何をお願いしようか悩み、このところ最もおいしいものの一つだ、と思うようになったDaluaineをお願いした。
「珍しいものを知っていらっしゃますね、ほとんど注文を受けたことないです」
「いや、最近好きなんですよ」
「じゃあちょっと持ってきますか」
そして持ってこられたのがThe Societyのもの。 昔はロゴは紙のラベルに描かれていたとは知らなかった。1981年4月蒸留の15年物。何だかさらにすごくなってきた。
丸岡さんはThe Societyの設立メンバーだとのこと。ボトルナンバーが1番のものも倉庫には何本かあるらしい。もうこのあたりのものになると、私が感想を述べるのもおこがましくなってくる。
どうして店を開こうと思ったのか、という話を教えていただきながら飲み続ける。一見の客の私にここまで良くしていただくのも恐れ多いと思いながら、問わず語りに耳を傾ける。
「アイラが好きなんでしょ」と言って次に持ってきてくださったのはこちら。Bulloch LadeのCaol Ila、12年43°。
そしてGlenFarclas25年43°、Grant Bondingのボトリング。どうしてこういうものが残っているのだろう、と不思議になる。ボトルのネックの埃は払っては罰が当たりそうな気がしてきた。蒸留されたのは日本でオリンピックが開催される頃かその前かもしれない。丸岡さんはそれぞれのボトルについて蘊蓄を語らないが、伺えばたくさんのエピソードが紡ぎだされるのだろう。
「日本中のウイスキー好きなバーの方から良くして頂いてありがたいんです」とおっしゃっていたが、ウイスキー好きで彼に敬意を払わない人がいたらびっくりしますよ、と思いながらグラスを傾ける。
そして締めにはCadenheadのSpringbank。
何気なく持って来られて自分の前に置かれたボトルによって、自分が生まれる前の世の中に間違って辿り着いてしまったかのような「時間」という概念が麻痺するという初めての経験。
そんなタイムスリップを経験するには、東京からいくつもの大きな橋を渡ってやってきて、人気のない道を満月の明かりに照らされて歩くことが求められていたのかもしれない。
大事にしたいバー
ひょんなことから、2日連続して同じモルトバーに行った。
「あと三杯は飲んでいただけないと赤字になるのでお出しできません」
しばらく前に腰を痛めずっと運動できなかったせいで、ウイスキーばかり飲んでいる日々が続いた。前日飲みすぎて朝起きるのが辛かったにも関わらず、仕事が終わると「今晩はどこで飲もうか、何を飲もうか」と考えていたり。正直、最近何度か「もしかして俺アル中?」と自問自答した。
そんな中、昨日はトレーニング、クルマ、相撲観戦(テレビでだが)、ランニング、銭湯めぐり、モルトバーめぐりという多くの趣味を両立できた。リア充、ってやつかもしれない。
朝9時から洗車。そして子供を習い事にピカピカになった車で送り、その足でジムに行って時間をかけてストレッチと軽い筋トレ。シャワーを浴び、海ほたるで友人と待ち合わせ。渋谷から30分もあれば行くぜ、と思っていたら大間違い。3号線上りもC1も東京港トンネルもアクアラインも海ほたる駐車場も渋滞していて、海ほたるのスタバでコーヒー飲み始めるまで1時間以上。だが時間をかけて到着した海ほたるから見る浦賀水道は日差しがキラキラ反射して息をのむ美しさ。
そこから木更津金田のIC出てすぐのお店で、ポルシェ好きなモータージャーナリストやクルマ雑誌の編集者の方々が集まる会に参加。いろんな経緯で、なぜか過去から参加させていただいている。久々にお目にかかる方もいたが、全然皆さんお変わりなく、楽しい時間を過ごす。ポルシェの会、と書くとなんか高いクルマびらかし系と思われて感じ悪いと思われるかもしれないが、基本は「古いクルマを持っている人のほうがエライ」という謎の会。私のクルマはもう20歳で、普通の感覚で行くと結構おんぼろグルマなのだが、それでもまだ若いほう。
手前から3台目は1972年製だから私とほとんど歳が変わらない。
ちょっと前までは国産スポーツカーみたいな値段で買えたクルマも多かったのだが、直近は欧州で昔のポルシェの人気が高まったことから、信じられないような値段がつくケースも。下の写真のクルマは某モータージャーナリストの所有だが、おそらく欧州に輸出されると地方県庁所在地の新築70平米のマンション一室ぐらいの値段になる。
97年以前のポルシェは、ドイツ人をはじめとするヨーロッパ人の間でカルト的な人気を博しているために高値が付くようになってきている。ある意味ウイスキーとも近い。
クルマの仕事をしていて趣味もクルマ、という人たちは、クルマ見ながらずっと話していても全く飽きない、それも前会った時のクルマと何も変わっていないのに、という濃い人たち。
ランチを食べながら雑談していたのだが、アナゴ天丼の大きさにびっくりした。意外とあっさり食べられて二度びっくり。
それから帰宅し、照ノ富士が白鵬を寄り切ったのに大興奮した後、夕食を食べて腰痛からの復帰後2回目となるランへ。軽く10㎞強走って東京23区を離れ、いつも行く風情のある銭湯に使って汗を流す。
家族のある身だと、一度家で夕食を食べてから一人で外出するのはハードルが高いが、「ランニング行ってきます」とか「ジム行ってきます」というとリンボーダンス並みにハードルが下がる。それを利用してランニングからの銭湯めぐり、そして風呂上がりのウイスキーソーダのコンボを楽しむ、という黄金コース。
一杯目はLaphroaigソーダ。尿酸値問題でビールの飲めない私にとっては、風呂上がりの一杯はウイスキーソーダ。それもピーティーなやつ。体にしみこんでいく感じをゆっくりと味わう、つもりが結構な勢いで飲み干してしまう。
二杯目は少し悩む。カウンターの奥に先日飲んでそのコストパフォーマンスに驚いたGlenDronach 8yo Hielanがあったので、それに似たものをお願いしたらGlenLivetのNadduraが。シェリー樽の効いた上品な味。
三杯目はBen Navisを、とお願いしたら「これしかないんです」と見たことのないボトルを出してきてくれて、いきなり質問された。「あと何杯飲めます?」「えーと、あと二杯ぐらい?」「それだとちょっと…」「え、最後に飲んだほうがいいという意味ですか?」「いや、正直この値段で出すと赤字なので、できれば三杯ぐらい飲んでいっていただけませんか?」いやー初めてだわこの展開。そのスペシャルなBen Navisは最後に温存して飲むことに。
気を取り直してお勧めいただいた三杯目はGlenFarclasを小さな樽に入れて4年間熟成させたWee Cask。4年とは思えない熟成感。Farclasってボトラーズにはほとんど出さないイメージなんだけど。でもまぎれもなくあの家族経営の蒸留所の味がする。
そしてThe MaltmanのBunnaHabhainと鴨のスモークを頼んで、ようやく先ほどチラ見させてもらったBen Navisへ。
見たことないラベル。一口飲んで力強い味わいが口から鼻に抜けてなかなか消えない、分厚い香り。先日はBen Navis200周年記念ボトルを飲んだが、ここまで味わいはしっかりしていなかった。
「ウェブには載せないでくださいね」と言われた。それだけ貴重だということだろう。その趣旨を尊重して、どの街かも書かないし、どのバーでいただいたかももちろん秘密。
結局五杯飲んでつまみを一皿もらったにもかかわらず、諭吉を出したら三漱石と小銭が返ってきた。破格に安いのではないかと思う。でもどこのバーかは仁義があるので書けません。
クライヌリッシュ14年を信濃屋本店で買う
バランタイン12年のバッティッドモルトを飲み終わってしまい、我が家のバラエティが一つなくなってしまった。1本ぐらいなくなったところで、口開けしてあるボトルは10本近くあるので本当は困りはしない、のだが、それを言い訳にウイスキー飲みにとって日本で最も危険な場所の2か所のうちの一つ、信濃屋本店までてくてくと小一時間ほどかけて歩いて出かけた。
信濃屋をご存じない方のために簡単に説明すると、イメージ、明治屋や紀伊国屋のような輸入食品に強みを持つスーパーマーケットだが、信濃屋だけに向けたボトルをボトラーが用意したりするぐらいの高い信頼を得ているウイスキーのインポーター。ウイスキーのリテイラーとして世界のトップ3に選ばれたこともある。プロの料飲食店のみなさんも買い出しに来られるようなところ。本店は下北沢と三軒茶屋の間にあり、ウイスキーだけでなくワインやその他洋酒だけを扱う大きな店舗がある。
ちなみに信濃屋以外にもう一店日本で超危険な場所は目白の田中屋。
散歩を兼ねて家人たちと来たので、バランタインの値段よりも大幅に高いものを買うのは気が引けた。そこでそこそこの値段でいいものを選ぶことに。カリラ12年やグレンファークラス12年のリッターボトル、ベンネヴィスなどなど迷って仕方がない。「おとーさん余市あるよ余市」などと8歳の娘も何かと口をはさみたがる。まあアイラ島に連れて行ったせいで変な教養がついてしまったのだが。
せっかくなのでいつもあまり飲まないものにチャレンジしてみようと思い、前から飲みたかったクライヌリッシュの14年をチョイス。どういう訳かこれまでお店で積極的に勧められる機会がこれまであまりなかった気がする。
早く家で口開けして試してみたいところだが、夕食の買い出しもしなければならない。突然牡蠣入りのお好み焼きが食べたくなり、嫁と娘に意見を聞くと声を揃えて「いーねー」という。早速買い物して帰宅。
豚バラ肉をカリッと焼いて、牡蠣とキャベツのたっぷり入ったタネを焼き上げておたふくソース、青のり、鰹節。うまい。そしてクライヌリッシュ。
アルコール度数が46%と少し高いこともあってアタックは若干強めで辛め。その後フローラルの優しい香りと少しワックスのような香りが立ち上がってすっと直線的に消えていく。最後にわずかにピートを感じる。素直でいい子。やはり協調性があって誰とでも仲良くやっていかれる子なのだ。さすが。
ふと思い立ってクライヌリッシュの歴史を簡単に調べてみた。
スタットフォード侯爵、のちのサザーランド公爵が1819年に蒸留所を設立した後、様々なオーナーの手を経たのちにScottish Malt Distilleriesが所有者に。1931年に大恐慌の影響を受けて一時閉鎖されるが、1938年に操業再開。だが第二次世界大戦の影響により大麦が配給制になったことで1941年に再び閉鎖。1945年11月に操業再開。
1967年に蒸留所の南側に新蒸留所の建設が始まり、1968年5月に旧蒸留所が閉鎖。その翌月から新蒸留所がクライネリッシュ蒸留所を名乗り、操業が開始される。新蒸留所は旧蒸留所の味を再現するよう蒸留器の形をコピーして作られた。
しかし1969年には旧蒸留所はブロラ蒸留所と名前を変えて再開。というのもアイラ島で干ばつが起き、当時人気が急上昇していたジョニーウォーカーで用いられるアイラ島のピートの効いたモルトが不足したため、使われていなかった旧蒸留所でピーティなモルトを作ることとなった。
しかしブロラ蒸留所は14年後の1983年に閉鎖され、その後復活することはなかった。
ジョニーウォーカーのブレンド用に使われていたことから「ブレンディッドウイスキーの水増し用のモルト」という不本意なイメージがあったが、2002年に14年物のオフィシャルシングルモルトをリリース。2005年にはダイアジオの「クラシックモルトウイスキー」のシリーズに加えられるまでになった。2008年にはステンレス製のウォッシュ・バック(発酵槽)が2つ増設され、1週間で7日の操業が可能となった。
ラベルのヤマネコはサザーランドの紋章に由来する。
参考:
http://www.maltmadness.com/whisky/clynelish.html
http://www.discovering-distilleries.com/clynelish/history.php
最近はピートのきつい雄弁なウイスキーよりも、気持ちの落ち着く大人の会話ができる酒を飲みたい気分なので、いいタイミングでの出会いだった。一度インヴァネスから北上して蒸留所に行ってみたいものだ。
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リリーフランキーのアイラ島紀行 「聖地巡礼」を見る
いつものように渋谷のバーで飲んでいたら、「これ、リリーフランキーがアイラ島に行って蒸留所巡りをするドキュメンタリー、裏で見ていってください」と言われた。裏、といってもカウンターの後ろにあるソファー席のこと。バーでソファー席に一人座って暗闇の中でDVDを観るのも何だか照れる。お言葉に甘えてDVDをお借りして家で見ることに。
知らなかったのだが、今年の1月、すなわちマッサンブームが超盛り上がりを見せているころにWOWOWで単発の紀行番組として製作されたらしい。
私的にはリリーフランキーといえばSPA!でみうらじゅんとグラビアン魂でグラビアアイドルを巡る中年の妄想を語るゆるーい会話をしているおじさん、というイメージしかなかったのだが、アイラウイスキー好きだったとは。どうやらBowmoreが一番お好きなようで、世界で一番行ってみたかったところがアイラ島、だったそう、だ。
リリーフランキーのハの字の眉毛をみていると、孤独のグルメの原作者の久住さんと実はソックリさんなのではと思った。髪の毛の量は2000倍ぐらい違うが。
一人旅ではなくて、行きつけのバーの篠崎さんと一緒に旅に出る、ということだった。調べてみると六本木通り沿いにあるCask Strengthの方らしい。去年のクリスマス前、一度Cask Strengthに行ったことあるのだが、大箱だったにもかかわらず満席で入れなかった記憶がある。
まず二人はグラスゴーへ。一泊してランドローバーのDefenderに乗ってケナクレイグ、そこからフェリーでアイラ島、という去年の私と全く同一の入り方。フェリーに乗ってポートエレンが近づいて、白い壁に黒字でLaphroaigなど蒸留所の名前が書かれているのを見ると「アイラに来たぞ!」と叫びたくなるような気持ち、分かるわ~。やたらと通り雨が降るので虹がたくさん見られたことも懐かしい。
前後編それぞれ45分ずつで、Bowmore、Ardbeg、Kilchoman、Bruichladdichの4つの蒸留所を巡る。番組はアイラ島の雰囲気を味わってほしいという製作者側の意図なのか、あまり情報を詰め込むことがない。景色を映し出しながら謎の詩がテロップで流れる時間が非常に長い。
こちらはBowmoreの熟成庫でシェリー樽に入った2000年蒸留の14年物をバレルテイスティングしているところ。とても美味そうで、だから羨ましい。
Bowmoreの蒸留所の横で、窓からフロアモルティングを行っているところが見えたのでのぞき込んでいたら、鍬で麦を梳いている人と目が合ってお互いびっくりしたことを思い出す。
Kilchomanでは新しい蒸留所、ということで2年熟成のウイスキーをまだ名乗れないニュースピリッツの紹介がされていた。やはり世界的なブームの中でも、初期投資を回収するまで最低3年、普通は10年かかるウイスキー作りのビジネスのリスクの高さを改めて思い知らされる。
瓶詰めされたものを日本で飲むと商品、という感じがするが、実際に作っているところから見てみるとウイスキーは農産物だ、ということを強く感じる、とリリーフランキー氏が言っていたがまさに同感。麦を発芽させ、熱を加えて発芽を止め、砕いて湯で麦汁を作り、それを時間をかけて酵母で発酵させて蒸留して樽詰めしてさらに熟成させてから瓶詰め。まさに農産物。
私はBruichladdichは訪問できなかったが、再開後こだわりの強いウイスキーづくりを行っているところが映像からも伝わってきた。昼過ぎにDVD見ていたのだが、明るいうちから飲みたくなり、久しぶりに去年アイラ島の帰りにエディンバラで買ったCadenheads Authentic CollectionのBruichladdich 21年を引っ張りだして飲んだ。しみじみと美味い。なくなったら悲しいのでもう1本買おうと思ってウェブで調べたけれどどうやらもう買えないらしい。そういった一期一会なところもまさに農産物的である。
我が家の写真をすべて保存していたハードディスクが吹っ飛んだので、ここしばらくの旅の記録がすべて失われてしまったのだが、「聖地巡礼」を見て記憶を新たにすることができてとてもありがたく思った。
バーにおける「あちらのお客様からです」についての考察
いい大人にならないとかっこよくできないこと、というのは世の中に沢山あると思うのだが、その中でも難易度が相当高いものの一つが「一人で出かけたバーでスマートに他の方にお酒を奢る」、というのがある。
最難関は「バーに一人で来ている女性にお酒を奢る」、というやつであることは言うまでもない。よくある「あちらのお客様からです」ってやつは、伝書鳩にさせられるお店の方からしたらえらく迷惑だよね。女性からしてみれば「私に断らせないであんたそんなの受ける前にちゃんと遠慮してもらってよ、こんな店二度と来ない」ってなる人もいるだろう。だからバーテンダーを使うのではなく、自分で直接言わないと卑怯かもしれない。
だが実際に他の人が「あちらの女性にギムレットを差し上げて」とか言っているところは今まで一度も目にしたことはない。さすがに他の男性客がいるところではしないだけなのかもしれないが。なので「あちらのお客様からです」というのはおそらく都市伝説で、昭和的なたとえで言うとツチノコとかネッシーとか口裂け女のようなもの、平成の人のために説明するとみんな噂はするが実際に誰も見たことはないものなのかとずっと思っていた。
だが最近、ちょっと変則バージョンではあるが大事故発生の瞬間に立ち会ってしまった。店に入ると妙齢の女性が一人、その奥に50近くのおじさん一人、が先客でいた。私はL字型のカウンターの短いほうの端っこに陣取って飲み始めた。女性は何度か見たことがある方で、いつも一人でウイスキーを飲んでいる。おじさんは初めて見る顔。お店のお勧めウイスキーをショットで飲んで「これは旨い」と絶賛していたおじさんが、隣に座っていた女性に「これ、本当に旨いので一口どうぞ」と自分の飲んだグラスを渡そうとして「あ、大丈夫です~」とやんわり断られ、そこで止めておけばいいのに遠慮して断ったのかと勘違いしてさらにプッシュして完全拒絶を食らい、盛り下がってすごすごと帰っていくのを目撃。いや、羞恥心が擦り切れてきた中年男性の私でさえ、知らないおっさんの飲んだ同じグラスからウイスキー啜るのやだよ。超レアなボトルからの最後の1ショット、とかいう特殊な事情があれば考えなくはないが。
単純な親切心だったのならまだしも、こんな高いウイスキー、若い君は飲む機会なんてないだろうから一口飲んでみなよ、というつもりだったのなら何なのその微妙ななんちゃって太っ腹ぶりは。もし太っ腹なところを見せつつ本当に旨いウイスキーを飲んだ体験を他人と共有したいのであれば、「これ本当に美味しかったのでもう一杯頼むんですが、ご一緒にどうですか」とでも言って2杯頼んで奢ればいいのに、と思って離れたところから全く見ていないふりして超観察していた。(いや、実際に行動に移すためにノウハウ蓄積しているわけではなく、これからの人生において決して使うことのない全く役に立たない豆知識を収集しているだけなので、念のため。)
お店の人に奢るのは女性に奢るほどではないが、それでも難しい。その理由は、ちゃんとしたお店であればあるほど、意識しているかどうかは別にして店と客の距離感を詰めすぎないようにしている、ように思えるから。たとえば常連の客になれなれしくしすぎると、一見のお客さんの居心地が悪くなってしまう。だからこちらから店との距離を詰めて、「一杯どうですか、奢りますよ」というのはなかなか難しい。特に他のお客さんがいる前だと。そういう意味で店との関係がそれなりにしっかりと構築できてからでないと、「じゃあご一緒にいかがですか」とは言いにくい。
また私は真夜中までには引き上げるのが普通で、お店の方にお酒勧めたら朝まで働かなければならない方たちに逆に迷惑なのでは、と思う部分もある。
そういうわけでお店の人にお酒を奢らせていただく機会がこれまでなく、先日アラフォーを名乗るにはおこがましい歳になって初めて大人の階段を登ることに成功。(ちなみにアラフォーの上限は何歳?)
1杯目はカクテルのニューヨーカーを頼み、2杯目は先日の宮城峡からのニッカつながりでBen Nevis。Cadenhead Small BatchのDalmore 24yoが続く。そして何飲もうかと思っていたら、「今度お店でイベントやるときに出す予定の酒があって、それが超旨いんですけどイベント終わったら絶対残っていないんで、ちょっと高いですけどいかがですか?」という素晴らしいオファーをいただいたのでオールドのSpringbank 12yoとDuncan TaylorのTomatin 33yo。この2本はなかなか飲めないけれど本当に旨いんです、とおっしゃるので、「じゃあせっかくだからみんなで飲みましょうよ、僕が持ちますんで」という流れになり、極めて自然な形で44になるのを前にして初体験を済ませることができました。
ニッカ宮城峡は日本のウイスキーの将来を救えるか(もしくは酔っ払いの杞憂)
寝ていたら携帯が鳴った。夜半、中学、高校時代からの友人からの電話。急ぎの用とも思えなかったので、悪いが後にしてくれい、と呟いて目をつぶる。
翌朝留守電を聞くと、「9月に出たばっかりの宮城峡ノンエイジ、めっちゃ旨いからファーストロットを箱で買っとけ」という謎のメッセージfrom大阪。
爆睡中の疲れた中年サラリーマンをわざわざ起こすほどの内容とはとても思えないが、友からの電話はありがたい。しかしそもそも初期出荷分じゃなくてもずっと同じ味のはず、味変わったらブレンダーいる意味がない。どうやらファーストロットは一番気合い入れて作っているはず、というどこぞのバーテンダーからのご託宣があったのかもしれない。
機会があればどこかで試そう、と思っているうちに10月も半ばを越えた。京都に出張に出た時に寺町サンボアで飲めるか、と思ったら残念なことに定休日。それでは、と木屋町サンボアに初めて行って頼んだら、ノンエイジが出た代わりに10年がなくなるからせっかくなので10年どうぞ、と言われ、まあいいか、と思ってそれを飲み、鶴17年を飲む。
こういっては怒られるかもしれないが、サントリーと比べてニッカのボトルのデザインは鈍臭いところもあって、品質で勝負すれば見た目は気にしない、という意味でスコットランド魂をより濃く引き継いでいるのはニッカのほうかも知れない。響のボトルはきらきらしていて女の子の部屋にあってもおかしくない気もするが、鶴のボトルが置いてあったらその女の子の顔を二度見してしまうかもしれない。というか女の子の部屋にはもう呼ばれないはずのでそんな心配をする必要はないのだが。鶴、という書は2代目の竹鶴威さんの筆によるものだそうだ。
日本のウイスキーに対する世界的な再評価の機運の高まりと同時に国内でもウイスキーへの関心が集まったという点で、朝の連続テレビ小説には一人のウイスキー好きとして感謝しなければならないのかも知れない。見たことないけど。
日本代表の活躍でラグビーのにわかファンが増えたという人もいるが、子供がテレビで見てラガーを志す、など見えない効果は少なくないと思う。ウイスキーブームも長期的には悪いことではないのかもしれない。しかしモルトウイスキーは急激に需要が高まっても、5年から10年前に蒸留した量以上には絶対に生産できない。今急に売れ出したからと言ってすぐに作れるものではないのだ。
だから急激に増えた需要にこたえるため、「宮城峡10年」ではなく「宮城峡」になった、すなわち蒸留してから10年経たない原酒を製品化したり(山崎も白州もそうですが)、グレーンウイスキーの新製品(知多)を作ったりしているのだ(ろう)。
こう書くと宮城峡ノンエイジが適当に作ったもののように聞こえるかもしれないが、先日渋谷のCaol Ilaで初めて試すことができ、その旨さに感嘆した。宮城峡飲んで、The Warehouse CollectionのMortlach1996年の18年もの、オロロソシェリーカスクとGlen Grantのオールドを飲んだが、決して宮城峡が力負けするということはなかった。4000円出せばこれが買えるのであれば、無理してスコットランドのものを飲まなくてもしばらくはこれで楽しめるし、ウイスキーって旨いものだと初めて知る人たちも増えるだろう。
どれぐらいマッサンブームのインパクトがあったかちょっと気になって、ニッカの親会社のアサヒグループホールディングスのディスクロージャーから、洋酒セグメントの売上を引っ張ってきてまとめてみた(筆者調べ、単位億円)。
マッサンの放映が始まったのが2014年9月末だから実質2014年第四四半期から(アサヒグループホールディングスは12月末決算)。終わったのが2015年3月末(=2015年第一四半期)。2013年第四四半期からジャック・ダニエルなどを新規に販売し始めたため四半期売上が100億円を突破しているが、マッサン放映中の2014年第四四半期は150億円以上と、尋常じゃない数字になっている。毎年第一四半期、すなわち1-3月期は季節的に売上が落ちる傾向が見て取れるのに2015年は130億円超え、と物凄い数字になっている。
相撲中継で懸賞の幕が土俵に上がると音声もOff、画面もズームアウトするくせに半年も毎朝15分間アサヒビールの売上に絶大な貢献をしたコンテンツを放映する日本放送協会ってのは本当に不思議なところだ。
売れること自体は悪いことではないのだが、需要に対応するために今から蒸留所を24時間フル稼働させても、ボトルに詰められて飲まれるのは早くて5年後、普通は10年後。過去にArdbegなど80年代に閉鎖に追いやられたのも、70年代のスコッチブームの反動だったとアイラ島で説明を受けた記憶がある。
5年、あるいは10年後にウイスキーブームが持続しているかわからないのに、今一生懸命設備投資して増産するのはかなりハイリスクのように思える。そう考えると、ノンエイジの宮城峡で当面の需要をこなしながら、過剰な設備投資と粗製乱造をすることなく長期的な視点で品質を保っていってくれればいいと思う。一時的なブームは経営を無駄に不安定化させるだけで、5年後、10年後にもウイスキーを選ぶ飲み手をどれだけ増やせるかが会社の命運、あるいは日本のウイスキーの将来を賭けた本当の意味での勝負になってくる。
そういう意味で、比較的若い原酒を使いながらも旨いノンエイジを作り出したニッカという会社はすごい。良心的な価格で息の永い商品を作って、徐々に飲み手のすそ野を広げ、10年、15年後に彼らがまたウイスキーを選んでくれる、という理想の展開になればと毎晩応援しながら酔っぱらって寝ます。
ニッカ 宮城峡 シングルモルト 500ml 45%
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新宿西口 バー アーガイル
酒と両立しない趣味もたくさんある。例えばギター。ただででも上手くないのに、酔っぱらって人前で弾いたりするとその後思い返して引きこもりたくなるレベル。例えば過激な運動。今シーズンはトライアスロンとオープンウォータースイム合わせて11人が亡くなられ、一部は前日の飲酒が遠因となっていたとのこと。例えばクルマとバイク。こちらは言うまでもない。
バイクは自分でレースに出ようとは全く思わないが、レースを見るのが好きだ。年間18戦ある二輪レースの最高峰MotoGPは、何故か全戦TV地上波で録画が見られるので必ず見ていて(日テレさん、どういう酔狂かわかりませんがいずれにせよありがとうございます)、年に一度やってくる日本GP、今年は10月11日日曜日開催、を心待ちにしていた。
なのに前週の火曜日にまさかのぎっくり腰をやらかし、土曜日に部下の結婚式の主賓挨拶をあわやドタキャンか、という状態に。なんとか部下の手前しっかりこなしたものの、日曜日も自宅で安静か、と思ったが、本当に楽しみにしていたレースなので蛮勇を振り絞って出掛けた。当たり前だがバイクではとても無理で、新幹線と乗り合いタクシーでもてぎまで。
もともと体は硬いのだが、酒を飲んで喉が渇いて起きる朝は大体脱水症状で筋肉も緊張している。ウイスキーを飲むときには必ず多めのチェイサーをいただいているのだが、シングル6杯とか飲むとやはり朝は脱水気味。このところずっと何週間もウイスキーかワインをそれなりの量飲む日々が続いていて、いつかやらかすかと思っていたらやはり魔女からの天罰の一撃が。それも年に一度のお楽しみの5日前に。
ぎっくり腰になったのが火曜日、翌日の水曜日は痛む腰を抱えて足を引きずって歩くがそれでも酒を飲む。どうしても少し遅めの時間に人と会って新宿で話をしなければならなかったので。新宿にてモルトバーを探し見つけたのは西口の「アーガイル」。ここも昭和の雑居ビルの中にあるが、エレベーターを降りると雰囲気のあるドアが待ち構えている。
ドアを押してカウンターに陣取り、まずは挨拶代わりにArdbegのソーダ割り。それからカウンターの奥の多くもなく少なくもない数のボトルに目を凝らす。
見たことのないSpringbankのラベルがあったので、ボトラーズなのかと聞いたところお店の10周年記念のボトルだったそうだ。とはいえ2009年のボトリングで、お店自体はすでに15年ほどやっていらっしゃるそう。そちらを2杯目にいただく。
最近はウイスキー一本やりで押し続けるよりも、途中でカクテルを挟むことが多い。ウイスキーが数の多い演目から一つを選ぶ規定演技だとすると、カクテルは自由演技で面白い。バーテンダーを作っていただいて美味しくいただいた。
脱水は腰痛によくないので4杯で切り上げると最初から決めていたので、最後の1杯を何にしようか悩み、お店の方に相談してお勧めしてもらったのがThe MaltmanのMortlach、シェリーカスク15年 1998。これは旨かった。
アーガイルは新宿西口ということもあって客の年齢層は高くもなく低くもない。照明も少し暗めで大人な感じ。次にまた旨いウイスキーを勧めてもらえる予感がするバーだった。
有楽町 キャンベルタウンロッホ / 渋谷 カリラにて
土曜の朝、小刻みな揺れから大きな横揺れを感じて目を覚ました。東京は震度4と言うが、体感的には震度5はあったと思う。95年に京都で体感した揺れと同じぐらい。
娘の様子を見に行き、異常がないことを確かめるとテレビで状況を確認。幸いなことに大事にはなっておらずほっと一息。が、予想以上に酔いが残っていることに気づき、これだと家族を守る身としては問題あり、と反省。そして昨日はかなり飲んだなあ、と思い起こした。
先週の土日は仕事で36時間耐久接待、飲酒量限界ぎりぎり睡眠時間4時間の上に雨中のゴルフつき、で体を休めるどころの騒ぎではなく、今週に入ってから仕事も半期末を控えて加速度的に忙しくなり、金曜日にかけて体力の限界を意識する展開。だが奇跡的に金曜日はそれほど遅くなく会社を出た。
気分転換にいつもと違うところに行こう、と花の銀座へ。人ごみの中に出ると、目的地のある人たちがみんな解放感にあふれて夜を楽しもうとする中で、独りあてどもなくとぼとぼ歩く中年オヤジの悲哀を味わう。
結局向かったのは、そんな気分にぴったりの有楽町ガード下すぐ横の高度成長期直後に建てられたと思しき煤けた雑居ビルの地下一階。張られたくすんだ色のリノリウムがところどころ剥げている急勾配の階段を下りて、ボトルが入っているのだろう木箱をよけながら件のバーの引き戸を引く。
キャンベルタウンロッホ。東京のモルト好きの間では知らない人はいないかも知れない。入り口に近いところにいた常連らしき3人組と一番奥で一人飲んでいたお兄さんは立ち飲み。客が6人も入れば閉所恐怖症の人は逃げ出したくなるだろう。
カウンターの上にはボトルが3列に端から端まで並べられていて、客の手元が見えない。カウンターの奥にも当然ぎっしり。
奥から2番目の席を確保し、何を頼むかしばし思いに沈む。3人の体重を合計したら0.3トン弱ぐらいだと思われる中年の常連さんたちがずっとFriends of Laphroaigに入会したら限定ボトルがどうたらこうたら、最近の中国人のウイスキー爆買いは中国株暴落がとまっても終わらないだろう、日本のウイスキーが暴騰していて困るなどという話をしている。最近他人が話していることを聞いても何とも思わなくなった。独り吞みが多いので身につけた特技かも知れない。
とりあえずArdbegのUigeadail(ウーガダール)のソーダ割りを頼む。
ホワイトホースのロゴが入ったグラスに、無骨に入ったアイスキューブ。初めて飲んだときは蒸留所の横のカフェでストレートを、2度目は京都サンボアにてソーダ割り。もう少しピートがきつくてオイリーなイメージがあったのだが比較的スムース。瓶の中身が残り少なくなっていたからかも知れないが。
次は何飲もうかとカウンターの奥をのぞき込む。カウンター一杯の瓶のせいでグラスの中身がなくなっているかカウンター越しには分からず、何度も気を遣って確認してくれる。私がオーダーしようとすると、常連の話し声が一瞬止まる。明らかに「試されて」いる。一杯目の時もよく考えるとそうだったかも。でもいちいち一見さんの注文なんか気にしなくてもいいじゃないの。
2杯目はCaol Ilaの2009年のフェスティバル。European Oak Sherry Cask、ということだったがそんなにシェリー樽の香りがきついわけでなくCaol Ilaの穏やかな性格が良く出たしみじみとしたウイスキー。
この店はマニアックな品揃えをしているのに、年間500本もボトルが入れ替わるという。それはどれぐらいのことなのか、空きっ腹に飲んで酔いが回り始めた頭で考えてみた。大きなお世話だが。
一杯45ml1500円とすると一瓶700mlで15杯22500円、500本売ると年間売上げ1125万円。家賃が20万、人件費が40万だとすると経費が年720万。一本の仕入れ価格が平均8000円だとすると500本で400万だから、ほとんど収支トントン。
違う見方をすると、年間7500杯の売上げだから一日およそ22杯程度(月2回休むペース)。一人3杯飲むとすると7人来客があってブレークイーブンか。
そんなことばかり考えていると、結局頭は休まらない。ちなみに私の勤め先は税務署ではない。
3杯目はGlenmorangieのTraditional、57.2度のカスクストレングス。こちらはお店のおすすめ。オフィシャル2杯飲んだのでボトラーズではなくまたオフィシャル出して頂いた。深く揺れながら広がっていく立体感のある液体が、食事前の胃の中に流れ込んでいくのが分かる。そして香りが喉の奥から鼻腔の上の部分を刺激して外に抜けていく。
オーナーがいらっしゃって、外は大雨が降っている、というので少しゆっくり目に時を過ごし、チェイサーを飲み干して勘定を済ます。3杯でいくらになるのだろう、と思っていたら5000円でお釣りが来た。
その後銀座で軽く一人飯。渋谷に出て、そのまま帰宅するつもりだったがまだ9時過ぎだったこともあり、つい足がもう一軒に向かってしまう。
寄ってくる客引きを目線で殺しながら焼き鳥を焼く臭いに燻されつつマークシティの南側の坂を少し登り左手に曲がり、ファッションヘルスを通り過ぎた右側。最近居心地のいいCaol Ila。
ドアを開けると先客おらず。元永さんとスタッフもう一人の方と世間話。「いや、今日は珍しくここに来る前に飲んできたので、結構いい感じです」「どこで飲んできはったんですか?」「有楽町で」「あーキャンベルタウン」。すぐばれる。
バーの方に客の方から酒の話するのは、認めてもらいたいという欲求があるから仕方ないのだろうが、中途半端な知識しかない素人がプロ相手に議論しても多分めんどくさがられるのが関の山だろう。自分の仕事について素人が絡んできたところを想像してみるといい。バーで働く方も年がら年中酒のことしか考えていないわけではないはずなので、何か別の話題、たとえば最近旨かったもの、とか行って良かったところ、とかの話をした方が客のあるべき姿では、と思った。
渋谷でも3杯。世界で最もCaol Ilaの種類の多いバー、というキャンベルタウンロッホとは違った意味でとがったバーなのだが、後から来た客の平均年齢が20代という凄いことになっていた。お店の方は気を遣われていたが私は前述した通り独り吞みに慣れているので、煙草の煙をこちらに吹かされない限りは少々五月蠅くてもあまり気にならない。元永さんに近所に激旨の鶏の唐揚げ売っている肉屋があることを教えて貰い、早速土曜の昼にはかりっと揚がった唐揚げが胃の腑に収まった。