アイラモルトと焼きガニ
今月末に東京マラソンを走るので、1月は200km超えたランを2月は調整のみにし、そして禁酒を始めたのだが、あっという間に風邪を引いた。風邪なんて年に一度引くか引かないかなのに。そして思ったのが、いつもと違うことはすべきでない、ということだ。よく考えてみたら、1月に30km超をkm5分ちょっとで走った際も前の晩は吞んでいたではないか。それを言い訳に、今晩もウイスキーを飲む。
先日旨いものが食べたくなって、週末ふらっと水戸まで出掛けた。山翠でアンコウ。昔は毎年出掛けていたが、震災後は初めて。東京から100kmちょっとなので比較的近いが、予約を受けないので店で並ばされて結局午後2時になってようやくランチにありついた。
昔はあん肝は溶かして食べてください、といわれた気がするし、もっと旨くて感動した気がする。山翠ではなく山口楼に行ったこともあったが、大きなお店に私と家内しかいないぐらいの時があって、本当に地方都市は景気が悪いな、と思った記憶が蘇った。ただし初めてあんこう鍋を食べたムスメは大喜び。旨い旨い、といってぱくぱく食べていた。冷静に見るとあんこうって結構グロテスクなのに。
あんこう食べた後、カニも食べたいなあ、でも福井とかまで出張るのも面倒くさいなあ、と思っていたら、全く予期しないところで焼きガニを食べる機会があった。何と渋谷のモルトバーで。
禁酒を叩きやめてやったので久しぶりにCaol Ilaに顔を出したら、「カニ食べます?」と突然聞かれて目が点に。隣の独り吞み女子はカニグラタン食べてるし。グラタンにも心惹かれたが、焼きガニってアイラのモルトに合うかも、と思って焼いて貰うことにした。
このチョイスが本当に正解だった。レモンやカニ酢をつけなくても力強いカニの旨みが、Caol Ila12年とLagavulin16年にこの上なく合う。やはり磯の香りとアイラのウイスキーは合わない訳はない。アイラはカキの養殖でも有名で、モルトを垂らして食べたら旨かったことを思い出した。
なぜかオフィシャル縛りしたい気分だったので、その後Caol IlaのUnpeatedの15年を飲んだのだが、これが途方もなく旨くて驚いた。Speysideのウイスキーです、といわれても全く違和感がないぐらい上品でスムースでうっとりとさせられる。つい家に帰ってウェブで2本買ってしまった。数が少なくなっているので気になった方はお早めに。そしてCaol Ila渋谷でのカニフェアももうすぐ終わってしまうので、そちらもお早めに。
「ヤクザと憲法」と琴奨菊と渋谷Caol Ila
先週日曜日の昼、「ヤクザと憲法」という映画を見に行ってきた。家族でランチを食べて散歩していたら、ふと思い出して私だけタクシー捕まえて東中野へ。
ポレポレ東中野、という人を食ったような名前の映画館で14時40分の回を観ようと思って20分前についたらすでにチケット完売。パイプ椅子の補助席でないと座れない、とのこと。運よく普通の席に座れたが、通路に補助席を置き、階段に座布団まで敷いての超満員。消防法はどうなっているのか。
隣に座った兄ちゃんがLINEのメッセージをチェックしているのをチラ見してしまったのだが、SEALDS RyukyuというLINEグループのメンバーだった。なんだかな。
「実録じゃなくてこれは本物」。ヤクザに長期間密着取材して、ヤクザにはなぜ憲法14条が適用されないのか、という視点で撮られたドキュメンタリー。以下、公式HPから引用。
「脅威」を排除するためなら、ちょっとくらい憲法に触れたって…。あれ??どこかで聞いた話じゃないか!
銀行口座がつくれず子どもの給食費が引き落とせないと悩むヤクザ。金を手持ちすると親がヤクザだとバレるのだ。自動車保険の交渉がこじれたら詐欺や恐喝で逮捕される。しかし、弁護士はほとんどが「ヤクザお断り」…。日本最大の暴力団、山口組の顧問弁護士が、自ら被告になった裁判やバッシングに疲れ果て引退を考えている。「怖いものは排除したい」。気持ちはわかる。けれど、このやり方でOKなのだろうか? 社会と反社会、権力と暴力、強者と弱者…。こんな映像、見たことない!? 強面たちの知られざる日常から、どろりとしたニッポンの淵が見えてくる。
指定暴力団として警察庁に登録されている21団体のうちの一つ、大阪西成に本拠を構える東組の二次団体、堺の清勇会の事務所にカメラが入る。
二次団体といっても、清勇会の川口和秀会長は本家の副組長。そして1985年に敵対勢力との抗争の際にスナックで流れ弾に当たって19歳の女子専門学校生(スナックに置いてあったドラムセットでバンドの練習をしていた、とのこと)が死亡した事件で実行犯に発砲を指示したとして22年服役した筋金入り。だが実行犯は一度は会長からの指示があったと認めたが、のちにそれは破門された恨みで偽証した、と裁判所に手紙を送っている。つまり会長自ら冤罪の被害に遭っていて、ヤクザ者は最低限の人権もない、ということをカメラの前で主張するという映画。
細かいことはネタバレになるので割愛するが、大阪府警の家宅捜索の際のマル暴担当刑事と思しき人間がカメラを前にして吐くセリフを聞くと、ヤクザ相手であれば法律なんか関係ない、というのがひしひしと伝わってくる。
東京と大阪の2つの独立系映画館でしか現時点では上映されていないが、DVD化もされない可能性が高いし上映そのものも公権力の圧力によって終わってしまう可能性もあるので、興味がある方は急いで見に行ったほうがいいかも。
川口会長もパッと見は渡世の人には見えない。分かりやすい人には我々も近づかないが、見た目は普通の人、というのは本当に危険。その会長を追ってカメラが飛田新地で回ったり(普段は絶対にありえない)、上部団体の会長の葬儀の模様が映し出されたり、選挙の投票依頼の電話が極道の携帯に掛かってきたりなど見どころ満載。来ている人の観察も含めて大変面白かった。
映画が終わって、大相撲千秋楽を見逃さないために慌ててまたタクシーで帰ってきて、琴奨菊の優勝シーンを生で見ることに成功。そして家族と一緒に夕食をとり、ストレッチした後に2月末の東京マラソンに向けてランの練習へ。
山手通りを池袋まで上がり、10㎞ちょっとのラン。平和湯で汗を流して着替え、日曜日の夜も空いている渋谷のCaol Ilaさんへ。
渋谷の駅から少し坂を上がり、雑居ビルの外階段を3階まで上がらないとたどり着かないのだが、キロ5分前半で走った後はちょっと辛い。ドアを開けると一人飲みの人が二人。日曜日の夜にバーで一人でウイスキー飲んでいるというのはなかなかハードコアだ。よく見ると奥に座っている方は一年で100本以上Caol Ila12年のボトルを開ける方。ご挨拶して昨年は何本飲んだのか聞くと、123本とのこと。全部一人で飲んでいるのではなく、元永さんとご一緒しているそうなのだが、それでもあり得ないぐらいすごい。
喉が渇いているのでとりあえずArdbegのソーダ割。そして次は敬意を表してCaol Ila12年、三杯目は同じく15年のUnpeat。元永さんいわく「今日はのんびり営業しています」とのことで、珍しくテレビがついている。そのテレビで「堤真一さんがウイスキーの産地を巡る番組の録画見ましょうよ」、ということになって店の4人全員でまったりとテレビ鑑賞。
四杯目はMortlach、SMWSの76.106。元永さんチョイスなのだが私の好みが完全にバレてしまっていて照れる。そして大阪のターロギーソナさんにお邪魔したこともすでに榊原さんから連絡が回っていた。
堤真一さんがLaphroaigやBowmoreを見学している映像を見ながら、アイラ島がどうだったか、と水を向けられたので思い出話をする。何もなくて夏でも寒い。ピートを焚いている上に手をかざしても熱くない。Bowmoreでフロアモルティングやっているところは道から覗ける。
そして「これも好みと違いますか?」といってDuncan TaylorのAultmore21年。89年蒸留。確かにMortlachに通じる果実味の強さ。Aultmore初めて飲んだが、やはり人に勧めてもらうのが一番だ。
そして堤さんがケンタッキーでJim Beamを訪問、というめちゃめちゃサントリー一社提供的な流れになり、元永さんが「これ日本に数本しかないんですよ」といってFour Rosesの手詰めのSingle Barrelを出してきてくれた。バーボンいつもは飲まないのですごく新鮮。樽の若い香りが強く効いているのに柔らかくて甘い。バニラ香の強いシャルドネのようだ。
結局番組を最後まで見終わったころには、走った後にもかかわらず6杯も飲んでしまっていて、カロリー的にはもしかすると走らないで家にいたほうが良かったのでは、という展開。でも日曜日の夜に気の置けないバーでふらっと飲めるなんて、本当に恵まれている。
北新地 ターロギー ソナ (Tarlogie Sona)にて
10歳の頃、大阪に来た。大阪に引っ越す、と言われても、湘南の海の近くの小学校から徒歩20分圏内ですべてが完結していた小学校4年生には、それがどういうことなのか全くわからなかった。
転校した梅田からほど近い小学校は、お父さんがタクシー運転手で夜は一人で過ごさなければいけない女の子が同級生だったり、町工場を経営するお父さんを持つ子供とそこで働く職人さんの子供が同じクラスだったり、家にお風呂がない子どうしが夜銭湯に行く約束を帰り道でしたり、と自分とよく似た環境で育ってきた友達に囲まれてきた私が全く経験したことのない世界だった。
市立の小学校なのに制服があった。給食費も前の学校と比べてえらく安かった。遠足に母親が魔法瓶に入れてくれた紅茶を持っていったらクラスの仲間から「ハイカラやな!」と言われて大騒ぎになった。人権教育の授業があった。クラスで幅を利かせていた同級生はだぼだぼのジーンズを履いていて、ジーンズはタックが多ければ多いほどかっこいい、とされていた。小学校から近くの公園には毎週土曜日に自転車に乗った紙芝居のおっちゃんが来ていた。近所のおばちゃんが焼いてくれていたたこ焼きは7個100円だった。住んでいたマンションの隣にあった町工場からは毎日アセチレン溶接の臭いがしていた。近所にはスーパーがなくて公設市場、というものしかなかった。カボチャはナンキンで、さやいんげんは三度豆で、おでんは関東煮(かんとうだき)で、鶏肉はかしわで、じゃんけんはインジャンだった。湘南の言葉しか話すことができず、いつも「自分、訛ってへん?」とよくからかわれた。思い返すといじめられていたのかもしれないが、私はあまり気にしていなかった、のだと思う。
そんな街には1年半しか住まなかった。小学校4年生の時にやってきて、6年生の2学期には大阪の北のベッドタウンに引っ越すことになった。わずかな時間しかいなかったので、その頃の友達は今ほとんどいない。
そんな街を久しぶりに訪れた。大阪に2泊3日の出張、会食のない日の夕方、ホテルに仕事のカバンを置いてスーツのままで。本当に梅田から10分ちょっとで歩けたので小さく驚く。JR貨物線の横を歩き、シンフォニーホールを見て、殺風景な通りを少し上がると子供の頃よく遊んだ公園があった。公園そばの交番は昭和56年に見たのと何も変わっていない。
通っていた小学校は昔のままだった。日も暮れたのに子供の声がしていたが、昔も学童保育はあったのだろうか。昔は家の前の道ばたで遊んだり、駄菓子屋に自転車で乗り付けたりしていた子供がたくさんいたのだが、歩いていて見たのはキャッチボールをする兄妹一組だけだった。
学校の正門の前には傾きかけた木造の家があり、そこのガラス窓の中には昭和の女優のポスターが飾ってあったり、観光地の土産物が置いてあったりしてちょっとしたカオスだった。小学生相手に何をアピールしているのか。築40年は経っていると思しき文化住宅がいくつも並び、出世湯、と赤い字で書かれたレトロな銭湯はそのまま残っており、シャッターを閉ざした町工場もたくさんあって、たいていの工場の前の道路は長年ふりまかれた鉄粉でオレンジ色に染まっていた。
当時はまだ日本にバブル景気がやってくる前だったのでみんな貧乏だったのだな、と以前は整理していたのだが、改めて訪れてみるとその認識は必ずしも正しくないことがはっきりわかった。公立の小学校なのに制服があったのには、着ている服の違いで子供に気まずい思いをさせないという大人の気遣いがあったのだ、と気が付いた。
なんだか胸が締め付けられ、その街を足早に去ってホテルに戻った。気分転換に着替えて走りに出かけた。あみだ池筋となにわ筋を南下すると、自分が昔住んだ街よりももっともっと古くてもっともっと小さな家が肩を並べて建っているところがたくさんあった。多くの家には電灯がともっていない。古い市営住宅がだれも住まないまま放置されてゴーストタウンのようになっているところ、大きな幹線道路の横に広大な空き地が広がっているところ、東京にはない景色が広がる。
そんな風景を眺めながら1時間半ほど走った後、ホテルに戻ってコンシェルジュの紹介のカウンター割烹の店で食事をとる。心斎橋の桝田さんに先週行って美味しかったので、同様の店があれば、と言ってお勧めしてもらった。値段は東京で同等のものを食べるのの半分ぐらい。ただもしかするとこの食事の値段と今日たくさん見た小さな家の家賃はあまり変わらないかも知れないと思うと、彼我の差はどこから来るのかと考える。かつての同級生たちは今頃どうしているのだろう。いろいろとお腹がいっぱいになる。
そんな気分を引きずりながら、ウイスキーを飲みに行く。北新地のタクシー乗り場の近くのビルの2階にある、ターロギーソナ。ターロギーというのはGlenMorangieの蒸留所の水源のことだろうがソナ、というのは何なのかよくわからない、と思いつつドアを押す。ドアには「Since 2014」と書かれている。
厚くて密度のある一枚板のカウンターが存在感を主張する。先客が二組。カウンターの真ん中に陣取り、スペイサイドのバーボン樽で何かおすすめがないかお願いすると、Scotch Malt SocietyのLongmorn10年が出てきた。猫がこちらを見ている。
期待していたほどバーボンの樽が効いている感じではなかったが旨い。
カウンターは榊原さん一人。隣の女性二人連れは、一人はどうやら常連さんらしく、もう一人がウイスキーにあまり詳しくない方で、榊原さんが丁寧に好みを聞いてそれに合わせて次のボトルを決めていて、その過程がとても興味深かった。常連の女性が頼んでいたSt. Magdaleneがとても良さそうだったので、あまりしないことだが隣の方が飲んでいるものを、といってお願いしたらそれが大当たり。
昔のSocietyの紙のラベル。1983年に閉鎖になった蒸留所の82年10月蒸留、16年熟成。度数が64.8%と高いので口に含むと力強い刺激が。かといってアルコホリックなわけでなく、力強い余韻が長く続くタイプ。これはいい。見つけたらぜひ買いたい。
次は何か珍しいものを、とお願いしたら榊原さんの師匠のお店の10周年記念のMortlach。Mortlachは大好きな蒸留所の一つだ。スムースで滑らかに口の中で広がる甘い香り。これも好みだ。
バックバーに置かれたボトルの中で、ガラスのケースに仕舞われたものはおそらく高いのだろうな、と思ってみていたが、その中で和馨、と書かれたボトルを見つけた。なんと読むのかすらわからず、聞いてみると「わきょう」、だそうだ。信濃屋がサントリーにアプローチして作った山崎ミズナラを使ったブレンディッド。後で調べたら2015年3月に539本限定で作られたものらしい。かなりのお値段だとのことだったがせっかくなので飲んでみることにした。
確かにミズナラの香りが強く感じられる。だがかつて山崎のミズナラを普通に飲めていたことを考えると昔が懐かしい。2012年の暮れに金沢に行ったとき、ふらっと入ったバーで山崎シェリーカスク、バーボンバレル、パンチョン、ミズナラと一通り飲み、その後勢い余って白州シェリーカスクとヘヴィリーピーテッドまで飲んだことを思い出した。
そんな話をしながらフェイスブックをチェックすると、2016年ヴィンテージの山崎シェリーカスクの当選メールがすでに届き始めているとのこと。私も申し込んだが残念ながら落選したようだ。2013年は3本買えたのだが、あの頃はもう戻ってこないのだろう。
気がついたら日付が変わっていた。大阪に来ると忘れていた昔の思い出がよみがえってきてつい飲みすぎる。
新橋 キャパドニックにて
いつも夜のランは我が家から郊外あるいは東京のはずれを目指すことが多かったのだが、今回は銀座に向かって走ることに。銀座8丁目にある銭湯、金春湯に行きたくなったのだ。
我が家から渋谷まで出て、青山通りから六本木通り、ヒルズや六本木交差点を越えて溜池山王から虎ノ門ヒルズを通って新橋まで。そこから久兵衛のすぐ近くの金春湯へ。11.5㎞、1時間のラン。いつも通り下駄箱は縁起を担いで55のゾロ目。番台には小ちゃいおばあちゃんがちょこんと座っていて、諭吉しか持ち合わせがなかったのでそれを出すと、こちらが不安になるぐらいの時間をかけてすごく丁寧に9540円のお釣りを出してくれた。
ようやく真冬の寒さがやってきたので、走って体はポカポカだが手先は寒い。早くお風呂に入りたいので、急いで汗まみれの服を脱ぐ。風呂に入ろう、としていたら番台の下の扉が開いて先ほどのおばあちゃんが出てきて、その扉の隙間から女湯にいた女性と目が合った。こっちは全裸。向こうは着衣。別に見られても恥ずかしがるお年頃ではないので構わないが、反対のケースは何故ないのだろう、と思案にふける。
そして風呂に入ってビックリ。見てくれこのご立派な鯉のタイル画を。そしてケロヨンならぬモモテツと書かれた真っ黄色のタライを。なんで桃太郎電鉄がお風呂屋にタライを入れる理由があるのかよくわからない。
昭和の銭湯を満喫して、客引きに声を掛けられながらウイスキー好きの聖地信濃屋でも冷やかそうと銀座の街を歩く。夜10時過ぎの銀座の酒屋は戦場のようだった。クラブからの電話がガンガン鳴り、手際よく近くの店まで配達の手配。恐ろしいほど回転するのだろう。品ぞろえは本店のほうが面白いかも、と思って店を後に。
その後、新橋にあるモルトバー、Caperdonich(キャパドニック)へ。初めての訪問。
実は前日に目白の田中屋まで走って行ってウイスキーを眺めていたら、2003年に閉鎖された蒸留所でCaperdonichという蒸留所があるということを不勉強ながら初めて知った。GlenGrantの弟分的存在だったそうだ。閉鎖蒸留所なのにBBRの1991年の22年物が1万円台で買えるという。EllenやBroraだと1本20万円でも驚かないのに、なぜ1万円台?閉鎖されてすでに12年以上経つというのに値段が上がらないということは、今後も値段が上がることは想定しにくいうえにそもそも美味しいのか?投機目的ではもちろんないが、飲まずに買うのはリスク高くどこかで飲めれば、と思っていたら同名のバーがあることが判明。それが金春湯からそれほど遠くないところにあるというので行ってみることにした。
新橋の裏道の雑居ビルの4階に上がるとそこがCaperdonich。カウンターに二人連れと一人のお客さん、奥のテーブル席に6名の団体。カウンターの真ん中に席を作ってもらって陣取る。バックバーにはオフィシャルのボトルに混じって面白そうなものがたくさん並ぶ。
走って風呂に入った後は喉が渇いているに決まっている。タリスカーソーダを頼んでごくごく飲む。
内装があまり金がかかっていないしマスターも若いしバックバーも頑張っていろいろ並べました感が強いので最近できた店なのかな、と思いながら次に何を飲むか考える。そういう店がだめだ、というのではなく、むしろ若いがいいお店なのであれば応援してあげなければ、という意味で。
「次はどうされますか?」
「せっかくなのでGlenGrantでお願いします」
だが残念ながらGlenGrantはほとんど残っておらず。そこで次に飲もうと思っていたCaperdonichをお願いする。すると昨日田中屋で見てまさに買うかどうか悩んだBBRの復刻ボトルの1991年21年物が出てきた。これは旨い。最近大好きなDaluaineに通じる骨太な味わい。バーボン樽特有のバニラの香りと穀物感が絶妙。今度見つけたら買わないと。
「Caperdonichご存じなんですね」
「いや、昨日初めて知りました」
それをきっかけにマスターと話をする。店を始められてから1年ほどしか経っておらず、ウイスキー好きの人たちの間での知名度がまだ上がらない中で頑張っていらっしゃるのがよく分かった。
3杯目は目の前にあったGlen Elgin1985、28年物、ハンターレインのOMC。これもバニラの香りが漂いながら骨格を感じる私が好きなタイプ。カスクストレングスなのに45.4%とアルコール度数低くなっているが全く枯れてはいない。
走った後にごくごくウイスキーソーダ飲んで始めたので酔いが回るのがいつもより早い。そしてまだ週の前半な上に東京マラソンを1か月半後に控えて走り込まなければならないので早めに撤収。
若いバーマンが腕一本で一生懸命頑張っているのを見るとこちらも励まされる。いいお客さんが付くバーになることを祈りつつこれからも応援していきたい。
津 Amberにて
3連休初日の土曜日の午後、ふと思い立って伊勢神宮に向けてクルマで家を出た。恒例の年初の参拝。この時期の神宮参拝は早朝以外は大渋滞するので、朝一で外宮駐車場にクルマを停めて参拝し、クルマを置いたまま優先レーンを通行できるタクシーで内宮に向かうというのが正解。3人だとタクシーのほうが安い。なので早朝伊勢に着くため、とりあえず津に一泊することに。初めての津、東京から400㎞。
夜7時には駅前のホテル、というよりはビジネスホテル的なところにチェックイン。駅の近くで伊勢志摩の魚を出す店、松阪牛の焼肉屋など、魅力的な店はぼちぼち見つかったが、どこも3連休の初日の夜なので満員。仕方なくでホテルのしゃぶしゃぶ屋で軽く飲みながら食事。でも意外と旨い。
食事のあと部屋に戻り、しばらくテレビを見たりして大人しくしておこうと努力したものの、やはり飲みに出てしまう。ググって調べたAmber(アンバール)という店まで。
駅から歩いて5分ぐらい、雑居ビルの階段を3階まで上がって扉を押すと、満席のカウンター。アウェーの店でちょっとどうしようか、と思ったが一人なのにテーブルに席を作ってもらった。
バックバーにはパッと見200本程のボトルが。でもテーブル席からはあまりよく見えない。辛うじて一番上の棚にBowmore30年のオールドとかArdbeg Perpetumeがあるのが見えて、ちゃんとしたモルトバーなのだな、と分かった。
何を一杯目に飲むか悩んでいたのでアイラのお勧めを、と女性のバーテンダーの方にお願いしたら「Caol Ilaの黒くておいしいやつです」と言われDouble Maturedが出てきてそれをいただく。鉄板。旨い。そしてカウンターが空いたのでそちらに移動。お店の方はどなたも腰が低く、一見の私を温かく迎えてくれる。すごくラフな格好で行ったので、お店の人もお勧めをお願いします、と言われてもどれぐらいの値段のものを出していいのかわからなかったようだった。
「2杯目はどうされますか?」
「何か珍しいものがあれば」
「少し高くてもいいですか?」
「全然かまいません」
という会話の後でオファーされたのがいきなりのPort Ellenの22年。いきなりそんなの出されてちょっとびっくりする。鮨屋に行ってお任せしたら2貫目にいきなり大トロ出てきたわ、ってな感じ。1杯4000円とのこと。それでもリーズナブル。
だがカウンターに見たことのないSpringbank、それも1964年ビンテージと書かれているものが出ていて「これは何ですか?」と聞く。スイスのインポーターの100周年記念のもののよう。
「Port Ellen も魅力的なのですが飲んだことあるのでこちらのSpringbankをお願いします」「こちらも1杯4000円ですけれどよろしいですか?」「お願いします」といって飲ませてもらった。カラメルとヘーゼルナッツの香りの濃厚かつまろやかな甘み。
そしてその後オールドのJohnnie Walker Black Labelとニッカの樽出しウイスキー原酒、おそらく90年代のもの、をいただいた。いずれもショット800円という驚愕のプライス。
どうやら最初にオーダーをとってくれた女性がオーナーさんらしく、カウンターで話し相手になってくれたのがマスター。Johnnie Walkerが出てきてすぐに私が80年代前半ですね、と言ったので「一発で分かった人は初めてです」とのこと。その後ウイスキー談義に花が咲き、閉鎖蒸留所についてまとめた英書を見せてもらったり、12月には珍しいボトルを開けるのでぜひ来てください、と教えてもらったりした。
どんなボトルを開けるかというと、こんな恐ろしいものが登場するらしい。
1946年蒸留の52年物Macallan。戦争直後だったので物資がなく、ピートだけで炊いてさらにシェリーが効いていないという非常に珍しいもの。今年の12月に来れば1杯1万5千円ぐらいで飲めますよ、とのこと。
調べてみるとボトルで180万円ぐらいのものらしい。私の飲んだSpringbankもイギリスのウェブサイトではボトルが2500ポンド、40万円強で売られていた。結局上の写真の4本をいただいたがお勘定は7000円程度。また東京を離れたところに恐ろしい穴場を見つけてしまった。
食事の時も津の地酒「初日」を飲み、ウイスキーも4杯飲んだので結構いい感じになって宿に帰る。そして翌朝は6時起きでスーツを着て出かけ、外宮と内宮の正宮で御垣内参拝、多賀宮と荒祭宮に参拝し、内宮で御饌をお願いしてすがすがしい気分になって帰ってきた。
祈祷申し込みのところで賛助会員になりたい旨を告げて然るべき志を納めると、神宮からのお礼として通常正宮の垣の外からお参りするところをご神職に垣の中に連れて行っていただいて参拝することができる。垣の中なので御垣内参拝。正宮でお参りするのに長蛇の列ができていても、並ばず参拝することが可能。ただし正装してネクタイは必須。
そして来年の1月3連休は神宮会館に泊まれるように直接現地で1年後の予約を取ってきた。そうすればおかげ横丁で飲んだくれても問題ないし、自家用車で優先レーン走って内宮のすぐそばまで行かれる。その前日はまた津に来ようと思う。
渋谷Caol IlaにてDailuaineで飲み納め
丸亀のサイレンスバーに行ってきた報告にいつもの渋谷のCaol Ilaへ。京都で買った今が旬の赤かぶと定番の長芋の漬物を土産に持参。日持ちしないので帰京したその日に出かける。
一度帰宅してから飲みに行くのは家庭人にとって難度が高いが、「運動しに行ってくる」というとハードルが格段に下がる。着替えと漬物をリュックに入れ10㎞ちょっとのラン。その日も東京まで450㎞ドライブしたので固まってしまった股関節周りをほぐす。吉祥寺の弁天湯にて汗を流した後、着替えて井の頭線で渋谷へ。
日曜日は客層がいつもと違う。20代女子と50代男性の謎の二人連れと、一人で飲みに来ている50代女性の間に座る。奥にもお客さんがいて、日曜日だけは一人でカウンターに立つ元永さんも大忙し。
とりあえずArdbegソーダを頼んでお土産を渡す。丸亀に行ったはずなのになんで京都の漬物?という顔をされたので今日京都から帰ってきたので、と説明。
店が空き始め、ようやくゆっくりできるようになり土産話。寒空の中、クリスマスの日に丸亀の街を歩いて寂しかったこと。サイレンスバーでCaol Ilaの名前を出して丸岡さんによくしてもらったこと。
お勧めいただいたボトルを調子に乗って飲んでいたらお勘定が二諭吉を超えて、大して現金を持って行かなかったので久しぶりにドキドキしたこと。もしかするともう一杯頼んでいたら手持ちの現金が尽きていたかもしれない。ただし東京で同じものを飲めばそんなものでは済まない、というのは百も承知。
それなのに店に出てすぐのところに真新しいキーホルダーが落ちているのを見つけて交番に届けたら高松に帰る終電に乗り遅れそうになって、酔っぱらっているのにダッシュしたこと。
高松の吉甲でアナゴの刺身を初めて食べて旨かったこと、カワハギの肝が大きくて甘くてびっくりしたこと。明石の菊水鮓は江戸前鮨とは違ったタネを使っていて淡路島のウニやアナゴの巻きずしなどどれをとってもいつも安定して旨いこと。
そんな話をしながら、またDailuaineを飲む。
そして私の2015年は静かに終わりに向かう。あまり人気のないシングルモルトを好き好んで飲んで新しい年を迎えるぐらいが私にはちょうどいい。
伝説のモルトバー 丸亀 サイレンスバー
伝説のモルトバー、丸亀のサイレンスバーへ。
全く無計画の行き当たりばったりの旅行中、夕食後家人たちをホテルに残し、高松駅からディーゼルエンジンの特急に20分ほど揺られて丸亀へ。
バーは駅から1㎞ほどなのでタクシーに乗るほどでもなく、満月の月明かりの下独り歩く。街は寂しい。クリスマスの夜9時なのに、駅を離れると人気はほとんどない。10分ほどすると港町につく。船が出航の準備をしている。こんなところに本当にバーはあるのだろうか。
岸壁から一本離れた元倉庫らしき建物に、件のバーを見つけた。ネオンが控えめに光る。ドアを開けると、団体のお客が2組。地元の人たちのようだ。カウンターはがら空きなのだが、そこは世の中クリスマスで予約が入っているらしく、若いバーマンが一番端に席を作ってくれた。
ここの噂を渋谷のCaol Ilaで聞いて、機会があったら一度訪ねようと思っていた。なぜこのバーが伝説のバーといわれるかはこちらを見て欲しい。想像もできない数のオールドボトルが眠っていて、丸岡さんとおっしゃるバーテンダーがあまりにかっこいいのだ、と聞いていた。
見るところ丸岡さんはいらっしゃらず。まず一杯目はタリスカーソーダ。高松で穴子の刺身を初めて食べ、ふわふわとした食感のカワハギの肝などをしこたま食べてうどんで締めた後だったので、渇いた喉にソーダがしみじみ沁み込んでいく。
さあ二杯目は何を頼もうか、と考えていたら御大が登場。私の後に店にきて隣に座ったお客さんに「東京からわざわざありがとうございます」と声をかける。出たとこ勝負の私と違って彼は事前に電話を入れていたようだ。いくつもバーの名前を挙げて、そこのだれだれさんから紹介されてきました、と言っていた。丸岡さんは店の名前を言われるとそこのバーテンダーの名前がすらすら出てくる。
私も名前を聞かれて渋谷のCaol Ilaからの紹介できた、というと、小林君のところか、この前行ったよ、とのこと。
カウンターががら空きなのに二人端っこで片寄せあっているので、 「バーで知り合うっていうのもいいですね」と言われたのだが、その時はまだ隣の方とは一言も口をきいていなかった。
タリソー作ってくれた若いバーマンは、実は丸岡さんの息子さんの大介さんだったことが後程判明。一息ついて店内を見渡すと、L字型のカウンター十数席ほどの後ろにはびっしりとボトルが並べられている。私は丸岡さんにハイランドかスペイサイドで何かおすすめのものをお願いします、とお願いした。そうするとカウンターの裏に彼は消えて、しばらく経ってDalmore 12年の70年代か80年代と思しき黒いラベルのボトルとともに現れた。
「これは男らしいウイスキーなので試してみてください」
私はこれまでDalmore飲むきっかけがなかったので比較のしようがないが、オールドになってもストラクチャーがはっきりしているので確かに男らしいなあと思いながらいただく。
「一杯目はなんでしたか?」
「タリソーいただきました」
「うちは毎日一本はタリスカー空くね、若いころはウイスキーをわざわざソーダ割にして飲むなんて、と思っていた頃があったけど、お客さんから教えられたよ。旨いウイスキーはどう飲んでも旨いんだって。そこからタリスカーソーダばっかりだね」
そう言いながら自分のグラスでぐいっと飲まれる。実は丸岡さんが一晩でボトル半分ぐらい飲んでいるのではないか、と思って声を出さずに笑ってしまう。
次、何をお願いしようか悩み、このところ最もおいしいものの一つだ、と思うようになったDaluaineをお願いした。
「珍しいものを知っていらっしゃますね、ほとんど注文を受けたことないです」
「いや、最近好きなんですよ」
「じゃあちょっと持ってきますか」
そして持ってこられたのがThe Societyのもの。 昔はロゴは紙のラベルに描かれていたとは知らなかった。1981年4月蒸留の15年物。何だかさらにすごくなってきた。
丸岡さんはThe Societyの設立メンバーだとのこと。ボトルナンバーが1番のものも倉庫には何本かあるらしい。もうこのあたりのものになると、私が感想を述べるのもおこがましくなってくる。
どうして店を開こうと思ったのか、という話を教えていただきながら飲み続ける。一見の客の私にここまで良くしていただくのも恐れ多いと思いながら、問わず語りに耳を傾ける。
「アイラが好きなんでしょ」と言って次に持ってきてくださったのはこちら。Bulloch LadeのCaol Ila、12年43°。
そしてGlenFarclas25年43°、Grant Bondingのボトリング。どうしてこういうものが残っているのだろう、と不思議になる。ボトルのネックの埃は払っては罰が当たりそうな気がしてきた。蒸留されたのは日本でオリンピックが開催される頃かその前かもしれない。丸岡さんはそれぞれのボトルについて蘊蓄を語らないが、伺えばたくさんのエピソードが紡ぎだされるのだろう。
「日本中のウイスキー好きなバーの方から良くして頂いてありがたいんです」とおっしゃっていたが、ウイスキー好きで彼に敬意を払わない人がいたらびっくりしますよ、と思いながらグラスを傾ける。
そして締めにはCadenheadのSpringbank。
何気なく持って来られて自分の前に置かれたボトルによって、自分が生まれる前の世の中に間違って辿り着いてしまったかのような「時間」という概念が麻痺するという初めての経験。
そんなタイムスリップを経験するには、東京からいくつもの大きな橋を渡ってやってきて、人気のない道を満月の明かりに照らされて歩くことが求められていたのかもしれない。
大事にしたいバー
ひょんなことから、2日連続して同じモルトバーに行った。
「あと三杯は飲んでいただけないと赤字になるのでお出しできません」
しばらく前に腰を痛めずっと運動できなかったせいで、ウイスキーばかり飲んでいる日々が続いた。前日飲みすぎて朝起きるのが辛かったにも関わらず、仕事が終わると「今晩はどこで飲もうか、何を飲もうか」と考えていたり。正直、最近何度か「もしかして俺アル中?」と自問自答した。
そんな中、昨日はトレーニング、クルマ、相撲観戦(テレビでだが)、ランニング、銭湯めぐり、モルトバーめぐりという多くの趣味を両立できた。リア充、ってやつかもしれない。
朝9時から洗車。そして子供を習い事にピカピカになった車で送り、その足でジムに行って時間をかけてストレッチと軽い筋トレ。シャワーを浴び、海ほたるで友人と待ち合わせ。渋谷から30分もあれば行くぜ、と思っていたら大間違い。3号線上りもC1も東京港トンネルもアクアラインも海ほたる駐車場も渋滞していて、海ほたるのスタバでコーヒー飲み始めるまで1時間以上。だが時間をかけて到着した海ほたるから見る浦賀水道は日差しがキラキラ反射して息をのむ美しさ。
そこから木更津金田のIC出てすぐのお店で、ポルシェ好きなモータージャーナリストやクルマ雑誌の編集者の方々が集まる会に参加。いろんな経緯で、なぜか過去から参加させていただいている。久々にお目にかかる方もいたが、全然皆さんお変わりなく、楽しい時間を過ごす。ポルシェの会、と書くとなんか高いクルマびらかし系と思われて感じ悪いと思われるかもしれないが、基本は「古いクルマを持っている人のほうがエライ」という謎の会。私のクルマはもう20歳で、普通の感覚で行くと結構おんぼろグルマなのだが、それでもまだ若いほう。
手前から3台目は1972年製だから私とほとんど歳が変わらない。
ちょっと前までは国産スポーツカーみたいな値段で買えたクルマも多かったのだが、直近は欧州で昔のポルシェの人気が高まったことから、信じられないような値段がつくケースも。下の写真のクルマは某モータージャーナリストの所有だが、おそらく欧州に輸出されると地方県庁所在地の新築70平米のマンション一室ぐらいの値段になる。
97年以前のポルシェは、ドイツ人をはじめとするヨーロッパ人の間でカルト的な人気を博しているために高値が付くようになってきている。ある意味ウイスキーとも近い。
クルマの仕事をしていて趣味もクルマ、という人たちは、クルマ見ながらずっと話していても全く飽きない、それも前会った時のクルマと何も変わっていないのに、という濃い人たち。
ランチを食べながら雑談していたのだが、アナゴ天丼の大きさにびっくりした。意外とあっさり食べられて二度びっくり。
それから帰宅し、照ノ富士が白鵬を寄り切ったのに大興奮した後、夕食を食べて腰痛からの復帰後2回目となるランへ。軽く10㎞強走って東京23区を離れ、いつも行く風情のある銭湯に使って汗を流す。
家族のある身だと、一度家で夕食を食べてから一人で外出するのはハードルが高いが、「ランニング行ってきます」とか「ジム行ってきます」というとリンボーダンス並みにハードルが下がる。それを利用してランニングからの銭湯めぐり、そして風呂上がりのウイスキーソーダのコンボを楽しむ、という黄金コース。
一杯目はLaphroaigソーダ。尿酸値問題でビールの飲めない私にとっては、風呂上がりの一杯はウイスキーソーダ。それもピーティーなやつ。体にしみこんでいく感じをゆっくりと味わう、つもりが結構な勢いで飲み干してしまう。
二杯目は少し悩む。カウンターの奥に先日飲んでそのコストパフォーマンスに驚いたGlenDronach 8yo Hielanがあったので、それに似たものをお願いしたらGlenLivetのNadduraが。シェリー樽の効いた上品な味。
三杯目はBen Navisを、とお願いしたら「これしかないんです」と見たことのないボトルを出してきてくれて、いきなり質問された。「あと何杯飲めます?」「えーと、あと二杯ぐらい?」「それだとちょっと…」「え、最後に飲んだほうがいいという意味ですか?」「いや、正直この値段で出すと赤字なので、できれば三杯ぐらい飲んでいっていただけませんか?」いやー初めてだわこの展開。そのスペシャルなBen Navisは最後に温存して飲むことに。
気を取り直してお勧めいただいた三杯目はGlenFarclasを小さな樽に入れて4年間熟成させたWee Cask。4年とは思えない熟成感。Farclasってボトラーズにはほとんど出さないイメージなんだけど。でもまぎれもなくあの家族経営の蒸留所の味がする。
そしてThe MaltmanのBunnaHabhainと鴨のスモークを頼んで、ようやく先ほどチラ見させてもらったBen Navisへ。
見たことないラベル。一口飲んで力強い味わいが口から鼻に抜けてなかなか消えない、分厚い香り。先日はBen Navis200周年記念ボトルを飲んだが、ここまで味わいはしっかりしていなかった。
「ウェブには載せないでくださいね」と言われた。それだけ貴重だということだろう。その趣旨を尊重して、どの街かも書かないし、どのバーでいただいたかももちろん秘密。
結局五杯飲んでつまみを一皿もらったにもかかわらず、諭吉を出したら三漱石と小銭が返ってきた。破格に安いのではないかと思う。でもどこのバーかは仁義があるので書けません。
クライヌリッシュ14年を信濃屋本店で買う
バランタイン12年のバッティッドモルトを飲み終わってしまい、我が家のバラエティが一つなくなってしまった。1本ぐらいなくなったところで、口開けしてあるボトルは10本近くあるので本当は困りはしない、のだが、それを言い訳にウイスキー飲みにとって日本で最も危険な場所の2か所のうちの一つ、信濃屋本店までてくてくと小一時間ほどかけて歩いて出かけた。
信濃屋をご存じない方のために簡単に説明すると、イメージ、明治屋や紀伊国屋のような輸入食品に強みを持つスーパーマーケットだが、信濃屋だけに向けたボトルをボトラーが用意したりするぐらいの高い信頼を得ているウイスキーのインポーター。ウイスキーのリテイラーとして世界のトップ3に選ばれたこともある。プロの料飲食店のみなさんも買い出しに来られるようなところ。本店は下北沢と三軒茶屋の間にあり、ウイスキーだけでなくワインやその他洋酒だけを扱う大きな店舗がある。
ちなみに信濃屋以外にもう一店日本で超危険な場所は目白の田中屋。
散歩を兼ねて家人たちと来たので、バランタインの値段よりも大幅に高いものを買うのは気が引けた。そこでそこそこの値段でいいものを選ぶことに。カリラ12年やグレンファークラス12年のリッターボトル、ベンネヴィスなどなど迷って仕方がない。「おとーさん余市あるよ余市」などと8歳の娘も何かと口をはさみたがる。まあアイラ島に連れて行ったせいで変な教養がついてしまったのだが。
せっかくなのでいつもあまり飲まないものにチャレンジしてみようと思い、前から飲みたかったクライヌリッシュの14年をチョイス。どういう訳かこれまでお店で積極的に勧められる機会がこれまであまりなかった気がする。
早く家で口開けして試してみたいところだが、夕食の買い出しもしなければならない。突然牡蠣入りのお好み焼きが食べたくなり、嫁と娘に意見を聞くと声を揃えて「いーねー」という。早速買い物して帰宅。
豚バラ肉をカリッと焼いて、牡蠣とキャベツのたっぷり入ったタネを焼き上げておたふくソース、青のり、鰹節。うまい。そしてクライヌリッシュ。
アルコール度数が46%と少し高いこともあってアタックは若干強めで辛め。その後フローラルの優しい香りと少しワックスのような香りが立ち上がってすっと直線的に消えていく。最後にわずかにピートを感じる。素直でいい子。やはり協調性があって誰とでも仲良くやっていかれる子なのだ。さすが。
ふと思い立ってクライヌリッシュの歴史を簡単に調べてみた。
スタットフォード侯爵、のちのサザーランド公爵が1819年に蒸留所を設立した後、様々なオーナーの手を経たのちにScottish Malt Distilleriesが所有者に。1931年に大恐慌の影響を受けて一時閉鎖されるが、1938年に操業再開。だが第二次世界大戦の影響により大麦が配給制になったことで1941年に再び閉鎖。1945年11月に操業再開。
1967年に蒸留所の南側に新蒸留所の建設が始まり、1968年5月に旧蒸留所が閉鎖。その翌月から新蒸留所がクライネリッシュ蒸留所を名乗り、操業が開始される。新蒸留所は旧蒸留所の味を再現するよう蒸留器の形をコピーして作られた。
しかし1969年には旧蒸留所はブロラ蒸留所と名前を変えて再開。というのもアイラ島で干ばつが起き、当時人気が急上昇していたジョニーウォーカーで用いられるアイラ島のピートの効いたモルトが不足したため、使われていなかった旧蒸留所でピーティなモルトを作ることとなった。
しかしブロラ蒸留所は14年後の1983年に閉鎖され、その後復活することはなかった。
ジョニーウォーカーのブレンド用に使われていたことから「ブレンディッドウイスキーの水増し用のモルト」という不本意なイメージがあったが、2002年に14年物のオフィシャルシングルモルトをリリース。2005年にはダイアジオの「クラシックモルトウイスキー」のシリーズに加えられるまでになった。2008年にはステンレス製のウォッシュ・バック(発酵槽)が2つ増設され、1週間で7日の操業が可能となった。
ラベルのヤマネコはサザーランドの紋章に由来する。
参考:
http://www.maltmadness.com/whisky/clynelish.html
http://www.discovering-distilleries.com/clynelish/history.php
最近はピートのきつい雄弁なウイスキーよりも、気持ちの落ち着く大人の会話ができる酒を飲みたい気分なので、いいタイミングでの出会いだった。一度インヴァネスから北上して蒸留所に行ってみたいものだ。
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