東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

モンテネグロは猫に優しい

夏休みはモンテネグロに来ている。何でモンテネグロなの?という真っ当な質問への答えは、綺麗な海があって世界遺産はやたらと沢山あり、物価が安くて飯が美味くていい意味でも悪い意味でも超適当で、人はみんな優しいけどクルマ運転させると人が変わってガンガン飛ばす、という素晴らしい国だから、ということになる。

そしてこの国の人はどういうわけか猫に優しい。世界遺産コトルのスターリグラッド、旧市街の中は別名「猫の街」だ。レストランのテラス席の下に猫がうろうろしていても、店員は追っ払ったりしない。

こいつはコトル旧市街から数キロ離れた我々の宿の近くの海岸にいた。
人に慣れているのか、近づいてきた我々を全く警戒することなくおねだりしてきたが、我々は全く何の食べ物も持っていなかった。残念でした。

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コトル周辺の気温は40℃近くまで上がり、海からすぐなので湿度も多くてしんどい。だから人間様は老若男女みんな昼間海に入って涼んでいる。この辺の家はクーラーないところも多いし。猫も昼間の暑さでぐったり、夕涼みして体力回復、といったところか。

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そして猫の親子。日が暮れてきたので活発に動き始めたところ。子猫は好奇心旺盛なので見ていて面白い。

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コトルを離れ、60キロほどに南下したところにあるバルという街を訪れた。港町で、フェリーでアドリア海を渡るとブーツの形をしたイタリアのかかとのあたり。旧市街には城の遺跡、というか廃墟があり、なかなか面白い。無慈悲に照り付ける太陽の下を歩いて数百年前の石造りの建物の残骸を見て歩き、あまりの暑さに痛めつけられてレストランで遅めのランチを食べていると、こやつが人間様を観察しにやってきた。暑くないのか君は。

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そういえば廃墟のような城の遺跡の中にも猫がいた。お母さん猫だ。暑くて逃げる気もわかないらしい。子猫がどこか近くにいたはずなのだが、探しても見つからなかった。なんだかエジプトの壁画に出てきそうなプロポーションをした不思議な猫だった。

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そして最後はおまけなのだが、モンテネグロではなくお隣のボスニアヘルツェゴビナのトレビニエという街にいた猫。トレビニエはいい気が流れている素敵な街で、大きなプラタナスが作る木陰で涼しい広場にレストランやカフェが並び、みんな幸せそうに夏の昼下がりを過ごしていた。そこにいた一匹。

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私は特段猫好きというわけではないのだが、旅行中ということもあっていつでも写真を撮る態勢だったのでつい沢山猫の写真を撮ってしまった。猫が幸せに暮らしている街は、多分綺麗に掃除されておらず、野良猫に苦情を言う人もおらず、みんなつまらないことで思い悩んだりせずに適当に幸せに暮らしているのではなかろうか、と思う。

西天満 Rosebank、北新地 Tarlogie Sonaにて

久しぶりの大阪。夕方まで仕事があり、その後東京に帰ってくる便を押さえてあったのだが、当日の朝になって気が変わって一泊することに。三連休前の金曜日だから、というのもあるが、友人の命日が二週間ほどでやってくるのでとんぼ返りするのではなく、翌朝少し早めに大阪の郊外にある彼の墓を参ることにした。

それにしても暑い。荷物が増えるのが嫌で下着の着替えだけ持ったのでシャツとスーツはそのまま翌日も着なければならず、汗かきたくないな、と思っていたが無理な話。大阪は暑いでしょう、とお客さんに言われたが、今年の東京は実はあまり変わらないぐらいかむしろ東京の方が暑いぐらいだ、というとなぜか納得いかなさそうな顔をされた。そんなところで張り合っても何もいいことないのに、だけどそこが大阪らしい、とちょっと可笑しくなった。

チェックインし部屋で仕事の続きを終えたのが7時半。さあどこに行こうか、と思うがあまりの暑さにビールの誘惑にボロ負け、というより惨敗。宿の近くのサッポロビールの直営らしい洒落乙な店に吸い込まれ、カウンターに座ってとても上手にタップから注がれる蒸留されていない麦汁でのどの渇きをいやし、正面のスクリーンに映る私以外誰一人興味を示していない自転車のイタリア選手権を身を乗り出してがっつり見入っていると、2時間ほどが過ぎていた。

いかんいかん、せっかくの大阪なので2軒はバーを廻りたい。ここで酔っぱらってしまうわけにはいかない。2軒目はRosebank。西天満まで歩いていくとまた文字通り汗びっしょり。もう10時前だというのに。

以前伺ったのはいつのことだったろう。そう思いながらドアを押す。カウンターの両端に女性が2人。真ん中に陣取る。「鴨川のカップルみたいですね」と右端の女性が誰に言うともなくつぶやく。いやそりゃそうでしょ、いきなりどちらかの女性の隣に座るわけにもいかない。もしかすると「じゃあお隣に失礼しますので一緒に飲みましょう」というのが正解だったとすると、難易度高すぎ。

カウンターの上にBowmore、Lagavulin、Laphroaigの2017年のアイラフェスボトルが3本並んでいる。どれを飲むか悩んだが、初めて飲んで感動する旨さだったのでおととい渋谷Caol Ilaで改めて頼もうとしたら目の前で売り切れたLagavulinをお願いすることに。

だがよく考えたらRosebankに来たのならここでしか飲めないオールドのボトルをお願いすべきだと思いLongmorn。常連さんとその連れが現れ、マスターとバー業界の話をする。それも西日本各地のモルトバーの情報をよくご存じで。大体そういう話は嫌味っぽく聞こえることが多いものの、全然そんなことがない。どこかの若旦那かな、と思ってお話を伺うと高校の先生とおっしゃるのでびっくり。お連れの方は同じく先生だが教え子、だそうで二度びっくり。

その後お勧めいただいたRoyal Bracklaのハイプルーフがとても美味かったが、正直ウイスキーについて語るには酔っぱらい過ぎ。最後にこれ飲んで帰れ、というのはありますか、と聞いて出てきたGlen Grant飲み終わってお勘定をお願いした後に、東京のバーの話になってそこからまた長くなった。

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そこからまた北新地へ向かう。途中にある酒屋でウイスキー売っている値段を確かめると、ちょっと異常。イチローモルトのオフィシャルが3倍の値段で売られていたりして、アジア人向け価格なのか、本気で売っているのか。

新地の店がはねる時間。帰るお客さんもいれば、おねえさんとアフター行くおじさんたちもいて。そんな人たちを見ながらTarlogie Sonaへの階段を上がる。店に入ると「お久しぶりです、でもFacebookで見ているのであまり久しぶりの気がしませんね」と榊原さん。

お店はおじさんたちが二組いるので結構混んでいる。二組目のお客さんが出ていくところでHighland Parkの硝子製の盾のようなものが落下して割れてしまう。自分が店をやっていたら気に入っていたグラスが割れたり物が壊れたりすると辛いだろうな、と思う。

他にお客さんがいなくなり、二人でたわいない世間話をしながら時間を気にせず飲むのは楽しい。明日は6時半に起きればいいし、飛行機の中でも寝ることができるだろう。私は平日は朝が早いのでいつもは1時を過ぎて飲むことはほとんどないが、今日は関係ない。

今日は泊りなんですよね?ええそうなんです。本当は日帰りのはずだったのだけど、明日の朝墓参りしてから帰ることにしたので。中学、高校の時の親友の墓なんです。大学入ったばかりの時に交通事故で死んでしまったので、もう25年以上毎年来ているんですが。親御さんには挨拶されるんですか?いえ、お葬式の時に自分が親だったら「なんでこの子じゃなくてうちの子なの?」と思うだろうな、ととても強く思って、なんだか申し訳なく感じてそれ以来あまりちゃんとできていません。

それははるか昔、平成3年の夏のことで、もはや自分の感情が動くとはまさか思っていなかったのだが、ずっと仲が良かった二人の間につまらない諍いごとがあって、なかなか仲直りのきっかけが見つからずしばらく疎遠になってしまったときにその出来事が起こり、永遠に仲直りできなくなってしまったことが改めて悔やまれ、不意に涙が落ちそうになった。

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翌朝は自然と目が覚め、久しぶりの阪急電車に乗って大阪郊外へ。涼しかったことは過去一度もない。お墓はきれいに手入れされていて、前日にも誰かお参りした人が来た形跡が残っていた。朝早かったので花屋が開いていなくて手ぶらで来てしまったことを詫びながら、近況を手短に報告する。おそらく来年の今頃も、似たような話を書くのだろう。かつても似たようなことを書いた気がするが、それでいいのだ。一番の供養はいなくなった人のことを忘れないでいることなのだから。

 

islaywhiskey.hatenablog.com

 

 

 

 

 

本を読むことの意味(それもウイスキー飲みながら)

本を読むということは私にとって非常に重要なことだ。他者が人生の大部分を費やして辿り着いた経験知を簡単に手に入れられる。人が老いてからようやく気づいた後悔について書かれた自伝的小説を仮に読んだとすると、私が同じような過ちを犯して死ぬ前に同じように後悔する可能性はわずかながらかもしれないが下がる。その分、自分の人生を後悔なく生きることができるようになるわけだ。それも何十人、何百人といった人の人生の教訓を簡単に得ることができ、それにかかるコストは本代と読書にかかる時間のみ。(念のため言っておくがHow-to本を何百冊も読めとは死んでも言っていないので誤解のないように。それは多くの場合時間と金の無駄遣いだ。)私の生きる時間は有限で一度だけの人生だが、沢山の人が人生をかけて学んだことをわずかな費用と時間で得られる。そして人と会って話を聞くのと違っていつでも自分の都合がいいときに(寝っ転がりながらでも、酔っぱらいながらでも)それに触れることができる。こんなに費用対効果が高いものはない。

私の人生に大きな影響を与えた本「まぐれ」「ブラック・スワン」の著者ナシーム・タレブの邦訳が最近発売された。「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」という本だ。原書が2012年に出ているので、日本版が出るのに5年もかかったということになる。最近はその本を読むのが本当に楽しみだった。ちびちびとウイスキーを飲みながら読み、電車の中でのわずかな時間でも読む。そして自分の中でまた咀嚼する。
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彼の本から学べることのたくさんのうちからいくつか紹介する。

過去がこうだったから、将来もこうなるとは言えない。七面鳥は飼い主から毎日毎日手塩にかけて育てられ、七面鳥からすると飼い主からの愛情は永遠に続くと思えるかもしれないが、3年経った感謝祭の直前にそれが間違いだったことに気づくことになる。七面鳥は感謝祭のごちそうになってテーブルの上に乗る。1000日間同じことが続いたからと言って、1001日目も同じ1日になるとは限らない。逆もまた真。新しい技術や油田の発見のように毎日何の結果も出なかったとしても、ある日突然とんでもない発見をするかもしれない(逆七面鳥問題)。

したがって未来は予測できない(100年後に人間はとてつもなく荷物を運ぶのを簡単にする画期的な仕組みである車輪を発見する、と予想できる人がいたら、それはすでに「発見」されている)。予測できないが実現すると社会にとてつもなく大きな影響を与えるものをブラック・スワンといい、ブラック・スワンが起きた時に敗者にならず利益を得るものになるためにはどうすればいいのか考えるべきである。未来を予想することができると考えたり世の中で起きていることをモデルで説明できるという人は世の中に自分(あるいは人間)が知らないことはない、という傲慢な考えを他人に押し付けている。

この本がマニアックな本でとっつきにくいと感じる人も多いかもしれないが、全部を理解する必要はない。村上春樹の小説を読了して「だからなんなの?」という人がいるが、いや別に一つの結論とかってものはないんだけどそれが何か?と逆にこちらが聞きたくなる。それと一緒で、得ようとすれば学べることはいろんなところに転がっている。


酒を飲みながら、読んだことの意味を改めて自分の中で反芻する。前にも書いたが酒を飲むとずっとしまったままだった記憶の抽斗が開くことがある。バーテンダーの人と話す時間もそれなりにあるが、本から得たものを触媒にしながら時間に迫られることなく酒を飲んで記憶の抽斗から様々なおもちゃを取り出して脳内で遊んでいるうちに、本から得たものが自らの血肉になっていく気がしている。

最近圧倒的に旨かったのはLagavulinの2017年アイラフェスティバル記念ボトル。もともとLagavulinの16年はバランスがいいけれど、それをもっともっと洗練させてピートのスモーキーさがシェリーの甘さに包まれながら長い余韻が続く感じ。熟したベリーとマーマレード。素晴らしい。あまりの出来の良さに驚きWhisky Exchangeなどで買えるかと思って全力で調べてみたけれど全然見つからない。Caol Ilaのフェスティバルも悪くないけれど、Lagavulinの出来が良すぎて埋没。渋谷のCaol Ilaさんにて。

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新橋のCapadonichさんに久しぶりに行って飲んだElements of IslayArdbegも同系統の旨さだった。ArranもBenriachもバーボン樽のしっかり効いた骨太な造りで私の大好きなタイプ。

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Capadonichは他のお店に比べていいものがリーズナブルな価格でいただけるイメージがある。お一人でやっていらっしゃるからできることなのかもしれない。お客さんもそこからメリットを受けているわけだから、その辺のことをわかったうえでオーダーする人を見ると「ああこの人大人だな」と思う。あるお客さんが注文したカクテル作っていらっしゃるときに横から別のオーダー出したりせずにしばらく待っている人とか、シュワシュワ泡が出るものを頼むときには二人で同じもの飲むカップルとかは見ていて気持ちがいい。

レストランで本当に旨いパスタを食べたいのなら、何人かで出かけたとしても同じ種類のパスタを全員で注文しろ、とか、鮨とショートカクテルは出てきたらカウンターの上に置きっぱなしにするな、とかいうようなことも本や小説から学んだ知恵で、意外と本から得た知識は私の血肉になっている。どちらかというと肉というよりは脂肪として身についている気がするが。

 

神楽坂 バー・フィンガルにて

私にとってはあまり馴染みがない街、神楽坂。私の頭の中では、新宿荒木町と同じ抽斗に収納されている。神楽坂で会食が終わって10時過ぎ。さあどうしたものか、新宿行くか、渋谷に行くか、はたまた。しばしの逡巡の後、結局神楽坂で1人飲むことに。

ググって探したバー・フィンガル。神楽坂の真ん中らへんから北に入ってしばらく行くとある路面店。照明が明るく、中が窓から見える珍しいモルトバー。誰も先客がいない。月曜日の10時では仕方ないのか。一度通り過ぎてから戻る。なぜ通り過ぎたのかは自分でもよくわからない。

カウンターに陣取ってバックバーを眺める。オフィシャルの現行品のボトルがほぼないので、人に素直にものを聞くことができない人が後輩や女性を連れて入ってくると厳しい展開になるタイプの店。だがバーテンダーの方はとても親切だ。Longmorn飲みたいんですがお勧めは、と言ったらバックバーから3本ほど見繕って持ってきてくださって、各々のボトルの特徴を細かく説明してくださった。一杯目はSignatoryのLongmorn、1990年の26年をいただく。
自分の知っていることはもう知っていることなのでいくらひけらかしても仕方なく、人から新しい何かを教えていただくことで人生がより豊かになる、と信じている。

初めて訪れるバーでは「いつからお店をやっていらっしゃるのですか」とか「この近くではウイスキー飲まれる方は多いのですか」などあえてこちらから水を向ける。もちろんウイスキーそのものの話をしてもいい。特に今回のように先客なしで1対1だと、どこかのタイミングで私に話しかけないわけにはいかないだろうから。

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二杯目はスペイサイドのバーボン樽熟成のおすすめを、と言ってStrathIslaのSociety1973年をいただく。Societyの昔のラベルのボトルが2本バックバーに出ていたうちの1本。オフィシャルのボトルもほとんどがオールドのものに思える。どのボトルもきれいに磨かれている。場所柄か出版関係と思しき4人連れが入ってきてカウンターに陣取り、静かな時間の流れが止まる。
StrathIslaを時間をかけて飲んで喧騒をやり過ごし、次のもう一杯へ。再び店には静寂が戻る。宮城峡と余市の蒸留所でウイスキー造り体験、というのができるのだが、その体験した人だけがもらえるボトルがある。聞くとお客様からのいただきものだということ。愛されているバーなのだろう。分かる気がする。

おすすめを、といったら山崎蒸留所80周年記念のボトルを出してきてくれた。「そろそろ酔っぱらってきていて折角の貴重なボトルがもったいないので、また今度にします」と言ったら「次回いらっしゃったときにはおそらく残っていないので」とのこと。確かにあと1杯取ったら終わってしまいそうだったのでいただくことに。そうやって貴重な酒を出してもらえるということは、酒飲みの1人として認めてもらえたのだな、と少し気持ちが温かくなって店を出た。これまでよく知らなかった街に改めて来てみるきっかけができた。

allabout.co.jp

 

 

 


 

竹鶴政孝著「ウイスキーと私」を読みながら飲むブラックニッカクロスオーバー

先週末にトライアスロンがあったのでレースまでしばらく禁酒していた。その間少しでも気分を紛らわせるため、こんな本を買った。ウイスキーにまつわる小説のアンソロジー。

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今宵もウイスキー (新潮文庫)

今宵もウイスキー (新潮文庫)

 

 竹鶴政孝山口瞳開高健伊集院静などの手による短編が17編収められている。その中でも開高健の文章が他のどの書き手のものとも違う圧倒的な熱量を発していることを再確認し、二十年ぶりぐらいに読んでみたくなって「輝ける闇」「ベトナム戦記」などをAmazonで発注。そして竹鶴政孝の「ウイスキーと私」も。
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ウイスキーと私」には事実と異なる点が多いという批判もあるが、明治25年の生まれの方が昭和40年代後半、すなわち80歳近くなって60年近く前の自分の来た道を振り返れば多少の記憶違いや美化もあろう。

ウイスキーと私

ウイスキーと私

 

届いたばかりのブラックニッカクロスオーバーを飲みながら読む「ウイスキーと私」。あっという間に読めてしまう。「坂の上の雲」のように坂は上るのみ、天は近づくのみ、と皆が信じ切っていて実際に誰もが成長を享受できた時代があり、二回の大戦があり、平和になってからのウイスキーブームとその終焉があり、そして直近のリバイバルがあると思うととてつもない時間の重みを感じる。その一方でウイスキーという酒は人類の歴史の中では相当新しい酒の部類に入ることも再確認。そして平和な世界が来て寿屋、昔のサントリーの宣伝部員ながら芥川賞も受賞したにもかかわらず、自ら望んでベトナム戦争に従軍して戦記を書くために200人の部隊と行動を共にするものの、ベトコンに包囲されて17人しか生き残らなかった戦闘の生き残りのうちの1人となった開高健の自伝的小説「輝ける闇」を読む。

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

 

最初はクロスオーバーよりもブレンダーズスピリットの方が好きかもしれない、と思ったが時間を置くにつれクロスオーバーの尖ったアルコールの辛味がふくよかな味に変わっていく。

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一度にたくさんグラスに注ぐより、少しだけ注いで体積に対して空気に触れる面積の割合を大きくしてやると旨みが引き出される。もう少し時間が経つと本領がより発揮されるのだろう。
香りは明らかにブレンダーズスピリットの方が甘い。クロスオーバーは若干サルフェリーでニューポットのような金属っぽい感じが残る。クロスオーバーはグラスの壁にへばりつくがブレンダーズスピリットはさらさら。口に含むと力強さはクロスオーバーが圧勝。麦の感触を骨太に残しながら鼻腔をかるいピートの香りを伴い力強く揺らしていく。だが意外と癖はない。ブレンダーズスピリットはとても綺麗で気品を保ちながら喉に消える。
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どちらもよくできたウイスキーで、これが一本2000円程度で楽しめるというのは素晴らしいことだ。クロスオーバーの方が長く楽しめるかもしれない予感がして、しばらく買った事実そのものを忘れてしまって数年後に思い出して飲んだほうがいいのではないかと考えた。




 

復興のあとを訪ねて その2

東松島から再び国道45号線を北上川沿いに走る。川幅が広く透明感の高い緑が広がり、ゴールデンウイークというのに車もまばらで人造物もあまりなく、日本離れした光景。心に波風が立っても、自然を見ると癒される。

国道には至る所に「ここから津波の際の浸水箇所」という看板が立っている。それも海抜25mと書かれているようなところでも。リアス式海岸なので津波の高さが増幅されやすいとはいえ、こんな山の中でと何度も驚かされる。

三陸に近づくと国道が寸断されているところが出てきて、被害の大きさを無言のうちに物語る。しばらく走ると視界が開け、盛り土に覆われた「町」のようなもの、が出現。というのも街の中心部だったところには道と盛り土しか基本ないのだ。街に当然あるはずの店もほとんどなければ人家もない。

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そんな中、20m近い高さと思しき盛り土の上にさんさん商店街があった。さすがゴールデンウイーク、駐車場に入る車で大渋滞。言い方は悪いが、街には土地がたくさん余っているのに駐車場に車が入れなくて渋滞しているというのはとても皮肉だ。
何とか車を止めたのが12時過ぎ。1時から南三陸観光協会の語り部プログラムで震災の話を伺う予定になっており、早く何かを食べないと、と気が焦るがどこも混みあっている。強風の中、フードコートで家人たちが所望したうに丼を食べ終わるともう1時10分前で慌てて車で南三陸ポータルセンターへ。

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観光協会で受付を済ませ、お話をお伺いするSさんとおっしゃる60過ぎぐらいの男性の方とご挨拶。まずは観光協会の隣にある展示室で事実関係のおさらいをし、それから道を150m程度歩いて200段ほどの階段を上がって志津川中学校から街の全景を見ながらお話を伺う、というのが語り部プログラムの流れだ。

南三陸町と書かれたブルゾンを着た役所の方が、防災庁舎の屋上のアンテナの周りで手をつないで屋上に避難してきた人たちを津波から守ろうとする写真を見せていただいたが、2人はSさんの幼馴染、守られているうちの1人も知り合いのおじいさん。3人とももう写真でしかお見掛けすることはできないそうだ。

ご家族やご自宅には被害がなかったのか、というようなこともこちらからお伺いするのはとても気が引けるので、中々質問ができずSさんのお話をひたすら伺う。Sさんはどのようなお仕事をされているのだろう、もしかすると教育関係の方かもしれない。感情を表に出さずに理知的に淡々とお話をされるが、地元に対する強い愛情は言葉の端々から感じ取れた。

ポータルセンターのすぐ近くが町の消防庁舎だったという。更地なので言われないと気づかないがよく見ると花束が。後程Sさんのお兄さんもこちらでお亡くなりになられたと伺った。非番だったそうだが、地震後すぐに庁舎に駆けつけて詰めておられたときに2階までしかない消防署が津波に襲われたそうだ。「非番の日だったからどこか他の町にでも出かけていればねえ」、感情をあまり出さずにそうお話になったが無念さはひしひしと伝わってくる。

国道を渡り、200段以上ある階段を上り始める。階段の横の手すりが新しくなっていて、そこまで水が上がってきたとのこと。Sさんは地震の際には気仙沼で仕事をしていて、通勤用の自分の車が津波でやられてしまい歩いて南三陸の自宅まで帰ろうとしたが途中で知り合いに車に乗せてもらうことができ、自宅に帰って家族の安否が確かめられるかと思っていたら津波で道路が寸断されてなかなか自宅に辿り着けず、家に帰れたのが真夜中過ぎだったとのこと。f:id:KodomoGinko:20170510115752j:plain
自宅は海抜10m程度のところにあったので多分大丈夫かと思ったそうだが、そこにいらっしゃった義理のお父様が亡くなられたとおっしゃっていた。奥様も南三陸の市街地の公的施設で働いていてそこも完全に津波に飲み込まれてしまったので諦めかかったそうだが、地震の後すぐに避難するよう強く勧めた上司の方のおかげで命拾いされたそうだ。

6年前の今頃に東京に帰ろうと矢本の駅で松島行のバスを待っていたら、地元のおじさんが突然缶コーヒーを奢ってくれた。「毎日葬式ばっかりで、花ばかり買っている」、と嘆いていたのを思い出す。

Sさんは地震の後気仙沼の職場がなくなってしまい、南三陸町仮設住宅の人たちに声掛けして回る役場からの仕事をされたという。なぜ仮設住宅で一人暮らしをしているのか、とはなかなか聞けなかったとのこと。どんな辛い経緯があるのかわからないからだ。目の前には志津川中学校の校庭の端に立つ仮設住宅が見える。

仮設住宅に入るときに集落のコミュニティがなくなって知らない人たちとの生活で気苦労が絶えなかったこと、この夏で仮設住宅から出ていかなければならないが、せっかくできたコミュニティがまた壊れてしまうかもしれないこと、仮設住宅から出られるのはうれしいが家賃を払う必要がある公営住宅に行くのは経済的に厳しいため仮設に残りたいと思う人たちもいること、など復興の影の部分のお話をたくさん聞いた。

この前も総理大臣と復興担当大臣がさんさん商店街に来たけれど、復興しているところしか見て帰らず、本当の姿は見ていない、また例の「東北でよかった」というのは本当にその通りで、まだ古いコミュニティの助け合いの精神が残っている東北でよかったんだ、ということもおっしゃっていた。

f:id:KodomoGinko:20170510115658j:plain上の写真は階段の上の志津川中学校前から撮った。震災前の写真を地元の写真屋さんがフェンスに貼ったそうだ。田んぼと海に挟まれた街がそこにあったが、今は町の中心には家は建てられない。

防災庁舎は残してほしくないという遺族も多くいたという。見世物にしてほしくない、という声も多かったそうだ。特に観光客が防災庁舎をバックにピースサインで写真を撮ったりする光景が耐えられなかったという。だが住民投票で6割ほどの人が賛成をし、県が20年震災遺構として保存することになった。そのために錆止め塗装を新たに施したためより見世物っぽくなったと感じる人もいたという。保存のためには錆びて朽ち果てさせるわけにもいかず、なかなか難しいのだが。 

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今は使われていない国道越しに、静かに両手を合わせてこうべを垂れた。

瓦礫という言葉も一部の人の心を傷つけるという。瓦礫というとゴミ、という響きに聞こえるが、あれは我々の生活の痕跡であってゴミではない、ということだそうだ。

そう聞くと、何も聞かず何も言わない方がいいのかもしれない、とつい思ってしまう。だがそうすると全てが風化していってしまう。しかし根掘り葉掘り無神経に質問することで、人の心を傷つけたり精神的に大きな負担を強いることは本意ではない。そういう葛藤がある中でボランティアの方からお話を聞かせていただける語り部プログラムというのは非常に貴重だ。実はボランティアの方に精神的な負担をかけてしまっていて、彼らの義務感や使命感にフリーライドしているだけかもしれない、とも思うのだが。

予定の時間をオーバーしてSさんはたくさんのお話をしてくださった。丁寧にお礼を述べる。その後歌津の港も見て、仮設の商店街に立ち寄ってから仙台に戻った。結局結構な量の宮城産の酒を買い込んで東京へ。今回の旅で地震の記憶がない娘が命の尊さを含め何かを感じとってくれたのであればよいのだが。

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www.m-kankou.jp




 




復興のあとを訪ねて

宮城峡蒸留所訪問後は仙台のホテルで一泊。本来ならばいくつかバーを巡ってウイスキーを飲みたかったのだが、旨い三陸の魚を食べるとつい飲みたくなるのが日本酒。地元の酒を飲んで復興に貢献しすぎ、一度ホテルに戻った後は飲みに出ることができず撃沈。

翌朝車を借り仙台市若林区にある震災遺構、荒浜小学校跡へ。震災の時に流れた津波の第一波が名取川を逆上してくる映像を覚えているかもしれないが、まさにその場所。

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10時からの公開時間より前に着いてしまったので周りを走ってみるが、見渡す限りこのような感じ。家の土台が残っているところ、お墓が新しく作られているところ、流された墓石がまとめておかれているところ。かつてはそこに人の生活が確かにあったのだと思うが、それを想像するのが難しいぐらい何もなくなっている。
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この小学校の向かって右手の海岸から押し寄せた津波、2階の床上40㎝ほどまで浸水し、1階の教室前の廊下を流されてきた車が塞いでいたそうだ。

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地震のあった時4年生以上の子供はまだ学校で授業を受けていて屋上に避難したとのこと。高さのない体育館に避難していたら多くが犠牲になっていた。3年生以下の子は帰宅していたそうだ。生徒が一人犠牲になられた、ということだったがもしかしたら低学年の子だったのかもしれない。うちの子供は4年生になったばかりだ。この地区では180人ほどの方が亡くなられたと伺った。

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この近辺は居住が許可されないエリアとなってしまい、かさ上げした道路と空き地しかなかった。ここには本当の意味での復興というものはない。

それから閖上のさいかい市場へ。仮設店舗で営業している若草寿司さんで海鮮丼をいただく。大将一人がづけ台に立っていて料理に時間がかかるがいいかと言われたがこちらは特に急ぐ理由もない。待っている間に本マグロのかま焼きを出していただいてお客さんみんなと分けて食べたのだが旨くて驚いた。

国道45号線を走って塩釜へ。鹽竈神社に参拝、災いがないことをお願いする。途中で浦霞の造り酒屋が見えたので帰りに立ち寄る。

ちょうど2時から見学ツアーが始まるところに滑り込む。

f:id:KodomoGinko:20170509225347j:plain写真右下は地震の際仕込んでいた清酒のもろみが樽からこぼれてしまった、という説明を受けているところ。海から500mほどしか離れていないこの蔵元も1m弱冠水してしまい、蔵の一部は壊れその年は清酒を作ることができなかったという。醸造酒の免許しかなかったが、被災したもろみを無駄にしないため一度限り特別に蒸留酒の製造許可をもらい米焼酎を作ったそうだ。それが震災後6年経ってもまだ残っており、梅を漬けて梅酒にしてあるというので購入して帰ることに。浦霞は「うらがすみ」ではなく「うらかすみ」と濁らず読むのが正しいそうだ。知らなかった。

塩釜から松島に入り、日本三景の一つを見て回って2日目は終了。

松島の宿で休日の割に早い朝食を摂り、国宝の瑞巌寺を見に出かけた。ここも海岸からほど近く、立派だった参道の杉も一部塩害で枯れてしまっていた。襖絵が立派に復元されていたが、博物館にある本物を見ると圧倒される。国宝の本堂と庫裏だけ見て帰る観光客がほとんどだったが、本物の襖絵を見て帰ることを強くお勧めする。

再び車で北上。震災から3か月ほど経った頃にボランティアに来たところだ。当時はJRが復旧しておらず、松島の駅から矢本までバスに乗った。野蒜の駅近くは当時こんなことになっていた。

f:id:KodomoGinko:20110618170527j:plain今はヤマザキデイリーストアではなくファミリーマートが建っていて、その隣が震災伝承館となっていた。

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野蒜駅にあった券売機が保存されている。

f:id:KodomoGinko:20170509231940j:plain伝承館の2階で見た野蒜を襲う津波の映像が改めて恐ろしすぎた。狭い街並みをとてつもないエネルギーを持った津波が襲い家々をあっという間になぎ倒していく。奥様をなくされたおじいさんのインタビューも胸に突き刺さる。

被災した家の整理のお手伝いをした航空自衛隊松島基地近くに行ってみたが、そこも居住ができない地区になっていて集落そのものがなくなっていた。ここにも復興はなかった。

 

宮城峡蒸留所訪問

宮城峡蒸留所を初訪問。東京駅を9時半に出ると1時の蒸留所見学ツアーに間に合う。
仙台から仙山線に乗り換え作並へ。車窓から見る新緑が本当に美しい。その美しい景色の中に宮城峡蒸留所はある。

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仕込み水は新川から。とてもきれいなせせらぎだ。

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周りを小さな山に囲まれた蒸留所はレンガの赤い色が新緑を引き立てる。そしてニッカ池の周りはまだ桜が咲いている。高度成長期に建てられた工場とはとても思えない。

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新設されたビジターセンター。宮城峡や余市など現在市販されているウイスキーを実際にふんだんに容器に入れて香りをかぎ分ける体験ができるようになっていたりして意欲的な展示。

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このビジターセンターでプロジェクター上映されるビデオを見た後、糖化、発酵、蒸留のプロセスを見せてもらう。

 

現在は使われていないキルン、しかし蒸留所のシンボル。立派なレンガ造りだ。

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宮城峡のポットスチルは胴が膨らんでいるバルジ型といわれるもので、スチームで加熱しているのに対して余市は胴が膨らまないストレートヘッド、そして石炭の直火焚き。個性の違うウイスキーを作ることでブレンドの幅を広げることを意図していたとのこと。

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やはり日本の蒸留所らしく、スチルには注連縄が。日本の酒の神はやはりバッカスではなく松尾大社だろう。
樽の貯蔵庫も見せていただいたが、おそらくなんちゃって、のはず。人の出入りがあまりに多いので貯蔵に適さず、樽がサンプルで置かれているだけなのではないかと思う。違っていたらごめんなさい。

そして一通り見学が済むとお待ちかねの試飲タイム。アップルワイン、スーパーニッカと竹鶴をいただくも、流石にそれで満足できるわけもなく、有料試飲コーナーへ。

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こちらでしかいただけなさそうなもの、すなわちここでこれを飲んでおけ、というものを挙げると、竹鶴25年(こちらは蒸留所でも売切れ、入荷は未定)、鶴17年・宮城峡10年12年(終売)、シングルモルト宮城峡モルティー&ソフト・フルーティ&リッチの12年(終売)、シングルカフェグレーン12年(終売)あたり。

その中からまず竹鶴25年と宮城峡12年をチョイス、その後鶴17年をいただく。

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竹鶴25年は今調べたら実勢価格がボトル1本10万円弱、らしい。15mlで1200円だとやはり破格のお値段、ということになる。大人は45杯飲むから1本ボトル売ってくれ、などと言ってはいけない。バックバー中央の下の棚の一番右のボトル、紙のラベルが貼られていないものがそれだ。

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有料試飲コーナーの隣がショップになっていて、テンション上がっていたせいかまたも大人買い

f:id:KodomoGinko:20170506063422j:plainノンエイジのフルーティ&リッチだけ小さなボトルしか売っていなかったが、蒸留所限定のものは大体ゲット。ゴールデンウイークの後半に訪問したにもかかわらず、売り切れになっているものはなくて一安心。冷静に考えるとノンエイジの500mlでこの値段だから通常サイズだと1万円程度、結構いいお値段ですな。

戦利品を手に、帰りは駅まで徒歩で20分ほどかけて歩いて帰った。もう少し早い時期に来れば土筆もフキノトウもタラの芽もたくさん採れたに違いない。

アイラ島に続き今回も家人を連れての蒸留所訪問だったが、今回の旅行の趣旨は酔っ払いに来ること、ではなくて震災当時3歳で何が起こったのか全く記憶がない娘に何が起きたのか、そこからどのように復興しているのか/していないのかを自分の目で確かめさせること。翌日から震災遺構として公開されている仙台市若林区の荒浜小学校跡、東松島市東名と野蒜などを訪問し、南三陸町で震災の語り部からお話を伺って帰ってきた。


 

日本最南端のモルトバー Summer Glass

日本で最も南に位置するモルトバーで飲んできた。バーにウイスキーが置いてあるだけのなんちゃって、とかでなく、本物のモルトバー。

本当に最南端?と疑ったあなた、この地図見たら納得してもらえるだろう。那覇から400㎞以上離れた石垣島にある唯一のモルトバー。台湾の方がむしろ近い。石垣よりさらに南西にある西表島与那国島モルトバーがあるとはとても思えないのでこのバーが日本最南端のモルトバー、ということでいいだろう。ソースは俺。異論は認めない。

f:id:KodomoGinko:20170417215644p:image全身黒づくめのスーツに身を包み、時には命を落とすものも出る激しい活動を行ったり、ヘルメットやサングラスで変装して命がけで限界に挑戦する狂信的かつ過激な運動に身を投じてからはや4年。それまでの平凡で平和な生活を愛する一市民としての暮らしから、ここ石垣で公然活動家として2013年にデビューしてからは家族からも孤立し、休日も返上して多額の資金を活動のためにつぎ込み、また同志を運動に勧誘してきた。今年もまた過激な運動を行うために会社を半日休んで石垣島に上陸。石垣港ターミナル前の人目につかない安宿に潜伏してその日をじっと待った。毎年楽しみなんだよ石垣島トライアスロン

金曜日に石垣島入りして、日曜日に行われる大会で命を落としたりしないよう旨い石垣牛を食べさせてくれる焼肉屋でビールを一杯だけ飲んで9時過ぎには潜伏先のアジト、もとい東横インに帰ったのだが、やはり眠れず石垣島唯一のモルトバー、Summer Glassに行ってみることに。

東横インからほど近い石垣港には海上保安庁の艦艇がたくさん係留されている。というのもここは尖閣から一番近い石垣海上保安部があり、紛争の最前線なのだ。その船を背中に、夜道を美崎町に向かって歩く。

土産物屋の立ち並ぶ商店街から一本北のゆいロードに面してSummer Glassはあった。モルトバーなのに路面店、という東京ではめったにないロケーション。

扉を開けて中に入ると、かりゆしを着たおじさん二人がカウンターの端で飲んでいた。白州のハイボール

カウンターに座りバックバーを見るとかなり強烈、東京の下手なモルトバーよりも充実している。SpringbankのLocal BarleyやらArdbegの30年やらが見える。さらにカウンターの奥にはパンチョン樽が天井からつるしてある。こんなにたくさんボトルがあると選べなくて、オーダーするのに時間がかかるじゃないの。

悩んだ挙句に、一杯目は信濃屋限定のArranの2001年蒸留14年のシェリーカスクをチョイス。これは今年2月に速攻で売り切れたもののはず、こんなところ(失礼!)で飲めるとは思っていなかった。ArranのBrand Ambassadorの信濃屋だから確保できる、過去最高のフルボディのシェリーカスク、というのが売り文句だったと記憶している。

f:id:KodomoGinko:20170417215659j:plainかなり濃い深みのある褐色。そこまで超フルボディ、とは感じなかったものの、上品で深い甘みと香りが引き立ち、シェリー好きの人にはたまらないだろう。

金曜日ということもあって夜10時を廻るとお客さんが増えてくる。地元の人と観光客の比率は半々、女性が多い。観光客はカクテルを、地元の人はハイボールやカジュアルなウイスキーをロックで注文している感じ。シングルモルトをストレートで飲んでいるのは私だけだ。そもそも一人で来ているのも。

30代半ばぐらいに見えるバーマンが一人で仕切っている。お客さんが集中しなおかつカクテルの注文が多く入ると大変そうだ。彼の手が空くのを待ってから、2杯目のお勧めを聞く。Strathislaの19年、Cadenhead。

石垣島には他にモルトバーあるのですか?」「いや、ここだけです」「こんなマニアックなボトルを地元の人は飲まれるんですか?」「いや、あまりシングルモルトは知られていないですね」。雰囲気がいいので普通のバーとして使われているようで、マニアックな品揃えを見て目を回す人はなかなかいないようだ。Friends of Oakのボタンの花のラベルのCaperdonich21年が置いてあってびっくり。120本しかボトリングされていないはずなのに、日本で2本目をここで見るとは。

いつもどこで飲んでいるのですか?と逆に聞かれたので、一番よく行くのは渋谷のCaol Ilaさんです、と答えたら有名ないいお店ですね、とのこと。自分の行きつけの店が石垣でも知られていた。

そして「これ飲んで帰れ、というのは何かありますか?」と伺って出てきたのはケルティックラベルのG&M、Mortlachの35年。1974年蒸留。私の方が数年年上。いい感じで私の記憶にインプットされているMortlachに近い。いい意味で奥行きのない、不安げな平べったいベースに繊細なフローラルの香りが乗っている。これで今晩は終わりにしようか、と思いしみじみと最後の一杯を楽しむ。翌日はレース前日なので当然禁酒、そしてレース後も東京に着いたら運転が待っているので酒が飲めないと分かっていて、手元の酒が余計名残惜しくなる。

結局フルショット3杯飲んで帰ることに。6000円ちょっと。クオリティ考えると安い。

5年前の今頃に初めてフルマラソンを完走し、4年前にここ石垣で初トライアスロントライアスロンというと何だか凄そうに聞こえるかもしれないが、1.5㎞泳いで40㎞自転車乗って10㎞走る、というオリンピックディスタンスというやつだとフルマラソンの方がよっぽどしんどい。というのもフルマラソンは同じ筋肉を3時間半から4時間ぐらい酷使しっぱなしだが、トライアスロンだといろんな筋肉に負荷が分散する上に、大体3時間ちょっとで終わるからだ。

なんでそんな過激な活動に身を投じ命がけで戦って資金もつぎ込み家族から孤立しているのか、と聞かれることがある。自分でもよくわからなかったが、米帝とその傀儡に正義の鉄槌を下して暴力革命による人民政府樹立を目指しているから、ではもちろんなく、何か少し遠めの目標を設定してその目標をクリアしようとしている自分を自分自身で肯定したいから、ということなのではないかということに最近気づいた。

正直レース中は辛い。辛いがレースが終わった途端に次はもっと頑張ろう、と考える。今回は自分を追い込みきることができず、余裕を残してゴールしてしまったことで悔いが残った。自分の限界の遥か手前で勝手に壁にぶつかった気になり、手を抜いてしまう自分はいろんな場面で現れる。そしてそんな自分がいることすら認めたがらない自分がいる。レースに出ると、そんな自分のダメさ加減を思い知らされる。 

 

plaza.rakuten.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

松山にて

のんびりしに松山に行ってみた。8時半に我が家を出て、9時45分に機上の人となり、12時前には松山市内にいた。近い。
宿と飛行機を予約した以外は無鉄砲な旅、とりあえず松山市民のソウルフードとやらを食べに行ってみる。

f:id:KodomoGinko:20170411220228j:plain昭和好きな私にはかなりグッとくる店構え。メニューはこれだけ。

f:id:KodomoGinko:20170411221926j:plainちゃぶ台が置かれた畳敷きの座敷にあがり、鍋焼き玉子うどんとお稲荷さんを頼む。四国はうどんとお稲荷さんが大体セットだ。 

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そしてしばらく待ってやってきたのがこちら。アルミの蓋を開けるといりこ出汁の香りがふわっと立ち上る。食べてみると、あ、甘い…。出汁もそもそも甘いし、結構な量の牛肉を煮付けたのが入っていてその味付けがとても甘く、時間を置くとその味が染み出てただでさえ甘い出汁をさらに甘くしていく。そしてうどんはやわやわ。同じ四国でも香川のうどんとどれだけ違うねん、といいたくなる。文化が違うのだろう。
でもなんだか癖になる味で、小さめの鍋に入った一人前がペロッと食べられる。

店を出るときに見た貼り紙が秀逸だった。

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アサヒを堪能した後で松山城へ。ロープウェーに乗り天守閣に近づくとソメイヨシノが満開。東京の桜と違って、花がぼんぼり状になっている丸い形がすごくしっかりしているのと、一本の木についている花の量が多いのと、ピンク色が濃いので驚く。

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そして東京よりも圧倒的に人が少ないのもいい。春と秋は京都に行くことが多かったのだがいいじゃん松山。満開の桜を堪能。
下りは歩いて古町方面へ降り、お堀端を散歩、てくてく松山市駅まで歩いて市内電車、というかちんちん電車で道後温泉へ。そして宿でゆっくりお湯に浸かり、修学旅行で食べるようなご飯を食べ、夜の街へ。夜10時過ぎでも道後温泉本館からは煌々と灯りが漏れる。

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一軒目のバーは「ゆめまぼろし」。階段を上がって店に入ると、箱の大きさに少しびっくりする。スタッフが3人以上のバーに行くことが最近あまりないのですごく新鮮。居酒屋的に盛り上がっている団体さんもいれば、長くて広い一枚板のカウンターの端で静かに飲む二人連れなどがいて、大きな店ならではの雰囲気。

こちらは店の世界観が名前から想像がつくように織田信長一色。オリジナルカクテルは直径30㎝はあろうかという朱塗りの杯や瀬戸黒のような茶器に入っていたりする。

モルトバーではなくカクテルを中心としたお店なので、色々悩んだ挙句スタンダードにマンハッタンを注文。きりりと冷えて美味い。バーでカクテルを頼むのが好きな人が多いのもよくわかる。

二杯目は泡盛と黒糖ベースのオリジナルのカクテルをいただく。店の方も気を遣って話しかけてくれ、地元の人は道後温泉ではなく少し離れたところにある銭湯で夜中まで空いているところがあるのでそこに行くのだとか、お鮨は太平寿司が間違いないとか、実は松山は焼き鳥を結構食べるのだとか、地元の人しか知らない話を親切に教えてもらう。バーテンダーの腕はコンテスト入賞で幾度となく証明されている雰囲気のよいバーで2杯飲んで3000円ちょっと、というのは中々なものだ。

そして二軒目はどこに行こうか悩んだ挙句にEpitaphという比較的新しいバーを見つけ、昔のロックが好きな人間としては反応せざるを得ない店名でつい行ってみたくなる。賑わっている界隈の新しいビルの4階、暗証番号を入れないと開かないドアのように見えたが押してみるとすんなり開く。

ここも大箱だがそれなりの客の入り、L字型のカウンターの角に陣取る。目の前にはMcIntoshの古い真空管アンプとそれとは対照的にハイテクの塊のLynnのアンプとプレイヤーが。そして店にはアナログレコードがたくさん飾ってある。

実は私はウイスキーも好きだが音楽もジャンルを問わず大好きで、音楽を聴きにロックバーにもちょくちょく行くのだが、そういうところの酒はあんまりこだわりがないところが多くて残念だった。旨いウイスキーの種類が多くて好きな音楽が会話を邪魔しないがしっかり聴こえるボリュームで流れているバーというのがあれば最高だ、と思っている。そのためにはある程度の店の大きさが必要となるので、東京だとなかなか難しい。

いくつか珍しいものを、と言って選んでもらって飲んだのが以下の3本。

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店の名前はやはりKing Crimsonから来ている、ということを教えていただき、だったら久しぶりにRedを聴きたいな、と思ったが置いていなかった。残念。

知らない街でバーを選ぶのはなかなか難しい。後からアイリッシュウイスキー専門のバーがある、というのを地元の雑誌を見て知って、また今度来た時に行かなければ、と思った。また昔からあるバーで忘れ去られてしまったようなボトルを見つけて飲むのも普段来ない街に来た時ならではの楽しみだ。四国で最大の街である松山はバーがたくさんある。今度は古めの店にも行ってみようと思う。

翌朝、宿の風呂にもまた入ったがどうしても改めて道後温泉本館に行きたくなり、3階の個室へ。宿の湯はここから引いてきているので、ここで入る温泉が一番新鮮なのだ。

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3階の客専用の風呂は空いていて、そしてかけ流しの湯量が半端ない。玉のような滑らかなお湯なのだが、風呂につかった途端に手足の先がピリピリするぐらい温泉成分が強い。宿の風呂とは全く違う。ゆっくりと風呂の中で体を伸ばして、最近の疲れを流し落とす。風呂上がりにいただく坊ちゃん団子も、風情のある建物も大好きで、ずっとこのままの形を残してほしいと強く願う。

松山は食べ物も旨いし、飲み屋も多いし、桜もお城もきれいで温泉も最高、温暖で土地が豊かなので人も優しく温かい。そして街で子供を見かけることが多くて活気があってよい。地方都市に行くとまともな本屋がないところ、すなわち文化が廃れてしまっているようなところが多いのに、ここはそんなこともなく、引退したらこの街に住みたいかも、と正直思った。いいところだと改めて思い知らされた。