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Islay Whisky’s blog

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 その1 その2 その3
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

復興のあとを訪ねて その2

東松島から再び国道45号線を北上川沿いに走る。川幅が広く透明感の高い緑が広がり、ゴールデンウイークというのに車もまばらで人造物もあまりなく、日本離れした光景。心に波風が立っても、自然を見ると癒される。

国道には至る所に「ここから津波の際の浸水箇所」という看板が立っている。それも海抜25mと書かれているようなところでも。リアス式海岸なので津波の高さが増幅されやすいとはいえ、こんな山の中でと何度も驚かされる。

三陸に近づくと国道が寸断されているところが出てきて、被害の大きさを無言のうちに物語る。しばらく走ると視界が開け、盛り土に覆われた「町」のようなもの、が出現。というのも街の中心部だったところには道と盛り土しか基本ないのだ。街に当然あるはずの店もほとんどなければ人家もない。

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そんな中、20m近い高さと思しき盛り土の上にさんさん商店街があった。さすがゴールデンウイーク、駐車場に入る車で大渋滞。言い方は悪いが、街には土地がたくさん余っているのに駐車場に車が入れなくて渋滞しているというのはとても皮肉だ。
何とか車を止めたのが12時過ぎ。1時から南三陸観光協会の語り部プログラムで震災の話を伺う予定になっており、早く何かを食べないと、と気が焦るがどこも混みあっている。強風の中、フードコートで家人たちが所望したうに丼を食べ終わるともう1時10分前で慌てて車で南三陸ポータルセンターへ。

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観光協会で受付を済ませ、お話をお伺いするSさんとおっしゃる60過ぎぐらいの男性の方とご挨拶。まずは観光協会の隣にある展示室で事実関係のおさらいをし、それから道を150m程度歩いて200段ほどの階段を上がって志津川中学校から街の全景を見ながらお話を伺う、というのが語り部プログラムの流れだ。

南三陸町と書かれたブルゾンを着た役所の方が、防災庁舎の屋上のアンテナの周りで手をつないで屋上に避難してきた人たちを津波から守ろうとする写真を見せていただいたが、2人はSさんの幼馴染、守られているうちの1人も知り合いのおじいさん。3人とももう写真でしかお見掛けすることはできないそうだ。

ご家族やご自宅には被害がなかったのか、というようなこともこちらからお伺いするのはとても気が引けるので、中々質問ができずSさんのお話をひたすら伺う。Sさんはどのようなお仕事をされているのだろう、もしかすると教育関係の方かもしれない。感情を表に出さずに理知的に淡々とお話をされるが、地元に対する強い愛情は言葉の端々から感じ取れた。

ポータルセンターのすぐ近くが町の消防庁舎だったという。更地なので言われないと気づかないがよく見ると花束が。後程Sさんのお兄さんもこちらでお亡くなりになられたと伺った。非番だったそうだが、地震後すぐに庁舎に駆けつけて詰めておられたときに2階までしかない消防署が津波に襲われたそうだ。「非番の日だったからどこか他の町にでも出かけていればねえ」、感情をあまり出さずにそうお話になったが無念さはひしひしと伝わってくる。

国道を渡り、200段以上ある階段を上り始める。階段の横の手すりが新しくなっていて、そこまで水が上がってきたとのこと。Sさんは地震の際には気仙沼で仕事をしていて、通勤用の自分の車が津波でやられてしまい歩いて南三陸の自宅まで帰ろうとしたが途中で知り合いに車に乗せてもらうことができ、自宅に帰って家族の安否が確かめられるかと思っていたら津波で道路が寸断されてなかなか自宅に辿り着けず、家に帰れたのが真夜中過ぎだったとのこと。f:id:KodomoGinko:20170510115752j:plain
自宅は海抜10m程度のところにあったので多分大丈夫かと思ったそうだが、そこにいらっしゃった義理のお父様が亡くなられたとおっしゃっていた。奥様も南三陸の市街地の公的施設で働いていてそこも完全に津波に飲み込まれてしまったので諦めかかったそうだが、地震の後すぐに避難するよう強く勧めた上司の方のおかげで命拾いされたそうだ。

6年前の今頃に東京に帰ろうと矢本の駅で松島行のバスを待っていたら、地元のおじさんが突然缶コーヒーを奢ってくれた。「毎日葬式ばっかりで、花ばかり買っている」、と嘆いていたのを思い出す。

Sさんは地震の後気仙沼の職場がなくなってしまい、南三陸町仮設住宅の人たちに声掛けして回る役場からの仕事をされたという。なぜ仮設住宅で一人暮らしをしているのか、とはなかなか聞けなかったとのこと。どんな辛い経緯があるのかわからないからだ。目の前には志津川中学校の校庭の端に立つ仮設住宅が見える。

仮設住宅に入るときに集落のコミュニティがなくなって知らない人たちとの生活で気苦労が絶えなかったこと、この夏で仮設住宅から出ていかなければならないが、せっかくできたコミュニティがまた壊れてしまうかもしれないこと、仮設住宅から出られるのはうれしいが家賃を払う必要がある公営住宅に行くのは経済的に厳しいため仮設に残りたいと思う人たちもいること、など復興の影の部分のお話をたくさん聞いた。

この前も総理大臣と復興担当大臣がさんさん商店街に来たけれど、復興しているところしか見て帰らず、本当の姿は見ていない、また例の「東北でよかった」というのは本当にその通りで、まだ古いコミュニティの助け合いの精神が残っている東北でよかったんだ、ということもおっしゃっていた。

f:id:KodomoGinko:20170510115658j:plain上の写真は階段の上の志津川中学校前から撮った。震災前の写真を地元の写真屋さんがフェンスに貼ったそうだ。田んぼと海に挟まれた街がそこにあったが、今は町の中心には家は建てられない。

防災庁舎は残してほしくないという遺族も多くいたという。見世物にしてほしくない、という声も多かったそうだ。特に観光客が防災庁舎をバックにピースサインで写真を撮ったりする光景が耐えられなかったという。だが住民投票で6割ほどの人が賛成をし、県が20年震災遺構として保存することになった。そのために錆止め塗装を新たに施したためより見世物っぽくなったと感じる人もいたという。保存のためには錆びて朽ち果てさせるわけにもいかず、なかなか難しいのだが。 

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今は使われていない国道越しに、静かに両手を合わせてこうべを垂れた。

瓦礫という言葉も一部の人の心を傷つけるという。瓦礫というとゴミ、という響きに聞こえるが、あれは我々の生活の痕跡であってゴミではない、ということだそうだ。

そう聞くと、何も聞かず何も言わない方がいいのかもしれない、とつい思ってしまう。だがそうすると全てが風化していってしまう。しかし根掘り葉掘り無神経に質問することで、人の心を傷つけたり精神的に大きな負担を強いることは本意ではない。そういう葛藤がある中でボランティアの方からお話を聞かせていただける語り部プログラムというのは非常に貴重だ。実はボランティアの方に精神的な負担をかけてしまっていて、彼らの義務感や使命感にフリーライドしているだけかもしれない、とも思うのだが。

予定の時間をオーバーしてSさんはたくさんのお話をしてくださった。丁寧にお礼を述べる。その後歌津の港も見て、仮設の商店街に立ち寄ってから仙台に戻った。結局結構な量の宮城産の酒を買い込んで東京へ。今回の旅で地震の記憶がない娘が命の尊さを含め何かを感じとってくれたのであればよいのだが。

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www.m-kankou.jp




 




復興のあとを訪ねて

宮城峡蒸留所訪問後は仙台のホテルで一泊。本来ならばいくつかバーを巡ってウイスキーを飲みたかったのだが、旨い三陸の魚を食べるとつい飲みたくなるのが日本酒。地元の酒を飲んで復興に貢献しすぎ、一度ホテルに戻った後は飲みに出ることができず撃沈。

翌朝車を借り仙台市若林区にある震災遺構、荒浜小学校跡へ。震災の時に流れた津波の第一波が名取川を逆上してくる映像を覚えているかもしれないが、まさにその場所。

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10時からの公開時間より前に着いてしまったので周りを走ってみるが、見渡す限りこのような感じ。家の土台が残っているところ、お墓が新しく作られているところ、流された墓石がまとめておかれているところ。かつてはそこに人の生活が確かにあったのだと思うが、それを想像するのが難しいぐらい何もなくなっている。
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この小学校の向かって右手の海岸から押し寄せた津波、2階の床上40㎝ほどまで浸水し、1階の教室前の廊下を流されてきた車が塞いでいたそうだ。

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地震のあった時4年生以上の子供はまだ学校で授業を受けていて屋上に避難したとのこと。高さのない体育館に避難していたら多くが犠牲になっていた。3年生以下の子は帰宅していたそうだ。生徒が一人犠牲になられた、ということだったがもしかしたら低学年の子だったのかもしれない。うちの子供は4年生になったばかりだ。この地区では180人ほどの方が亡くなられたと伺った。

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この近辺は居住が許可されないエリアとなってしまい、かさ上げした道路と空き地しかなかった。ここには本当の意味での復興というものはない。

それから閖上のさいかい市場へ。仮設店舗で営業している若草寿司さんで海鮮丼をいただく。大将一人がづけ台に立っていて料理に時間がかかるがいいかと言われたがこちらは特に急ぐ理由もない。待っている間に本マグロのかま焼きを出していただいてお客さんみんなと分けて食べたのだが旨くて驚いた。

国道45号線を走って塩釜へ。鹽竈神社に参拝、災いがないことをお願いする。途中で浦霞の造り酒屋が見えたので帰りに立ち寄る。

ちょうど2時から見学ツアーが始まるところに滑り込む。

f:id:KodomoGinko:20170509225347j:plain写真右下は地震の際仕込んでいた清酒のもろみが樽からこぼれてしまった、という説明を受けているところ。海から500mほどしか離れていないこの蔵元も1m弱冠水してしまい、蔵の一部は壊れその年は清酒を作ることができなかったという。醸造酒の免許しかなかったが、被災したもろみを無駄にしないため一度限り特別に蒸留酒の製造許可をもらい米焼酎を作ったそうだ。それが震災後6年経ってもまだ残っており、梅を漬けて梅酒にしてあるというので購入して帰ることに。浦霞は「うらがすみ」ではなく「うらかすみ」と濁らず読むのが正しいそうだ。知らなかった。

塩釜から松島に入り、日本三景の一つを見て回って2日目は終了。

松島の宿で休日の割に早い朝食を摂り、国宝の瑞巌寺を見に出かけた。ここも海岸からほど近く、立派だった参道の杉も一部塩害で枯れてしまっていた。襖絵が立派に復元されていたが、博物館にある本物を見ると圧倒される。国宝の本堂と庫裏だけ見て帰る観光客がほとんどだったが、本物の襖絵を見て帰ることを強くお勧めする。

再び車で北上。震災から3か月ほど経った頃にボランティアに来たところだ。当時はJRが復旧しておらず、松島の駅から矢本までバスに乗った。野蒜の駅近くは当時こんなことになっていた。

f:id:KodomoGinko:20110618170527j:plain今はヤマザキデイリーストアではなくファミリーマートが建っていて、その隣が震災伝承館となっていた。

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野蒜駅にあった券売機が保存されている。

f:id:KodomoGinko:20170509231940j:plain伝承館の2階で見た野蒜を襲う津波の映像が改めて恐ろしすぎた。狭い街並みをとてつもないエネルギーを持った津波が襲い家々をあっという間になぎ倒していく。奥様をなくされたおじいさんのインタビューも胸に突き刺さる。

被災した家の整理のお手伝いをした航空自衛隊松島基地近くに行ってみたが、そこも居住ができない地区になっていて集落そのものがなくなっていた。ここにも復興はなかった。

 

宮城峡蒸留所訪問

宮城峡蒸留所を初訪問。東京駅を9時半に出ると1時の蒸留所見学ツアーに間に合う。
仙台から仙山線に乗り換え作並へ。車窓から見る新緑が本当に美しい。その美しい景色の中に宮城峡蒸留所はある。

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仕込み水は新川から。とてもきれいなせせらぎだ。

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周りを小さな山に囲まれた蒸留所はレンガの赤い色が新緑を引き立てる。そしてニッカ池の周りはまだ桜が咲いている。高度成長期に建てられた工場とはとても思えない。

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新設されたビジターセンター。宮城峡や余市など現在市販されているウイスキーを実際にふんだんに容器に入れて香りをかぎ分ける体験ができるようになっていたりして意欲的な展示。

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このビジターセンターでプロジェクター上映されるビデオを見た後、糖化、発酵、蒸留のプロセスを見せてもらう。

 

現在は使われていないキルン、しかし蒸留所のシンボル。立派なレンガ造りだ。

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宮城峡のポットスチルは胴が膨らんでいるバルジ型といわれるもので、スチームで加熱しているのに対して余市は胴が膨らまないストレートヘッド、そして石炭の直火焚き。個性の違うウイスキーを作ることでブレンドの幅を広げることを意図していたとのこと。

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やはり日本の蒸留所らしく、スチルには注連縄が。日本の酒の神はやはりバッカスではなく松尾大社だろう。
樽の貯蔵庫も見せていただいたが、おそらくなんちゃって、のはず。人の出入りがあまりに多いので貯蔵に適さず、樽がサンプルで置かれているだけなのではないかと思う。違っていたらごめんなさい。

そして一通り見学が済むとお待ちかねの試飲タイム。アップルワイン、スーパーニッカと竹鶴をいただくも、流石にそれで満足できるわけもなく、有料試飲コーナーへ。

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こちらでしかいただけなさそうなもの、すなわちここでこれを飲んでおけ、というものを挙げると、竹鶴25年(こちらは蒸留所でも売切れ、入荷は未定)、鶴17年・宮城峡10年12年(終売)、シングルモルト宮城峡モルティー&ソフト・フルーティ&リッチの12年(終売)、シングルカフェグレーン12年(終売)あたり。

その中からまず竹鶴25年と宮城峡12年をチョイス、その後鶴17年をいただく。

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竹鶴25年は今調べたら実勢価格がボトル1本10万円弱、らしい。15mlで1200円だとやはり破格のお値段、ということになる。大人は45杯飲むから1本ボトル売ってくれ、などと言ってはいけない。バックバー中央の下の棚の一番右のボトル、紙のラベルが貼られていないものがそれだ。

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有料試飲コーナーの隣がショップになっていて、テンション上がっていたせいかまたも大人買い

f:id:KodomoGinko:20170506063422j:plainノンエイジのフルーティ&リッチだけ小さなボトルしか売っていなかったが、蒸留所限定のものは大体ゲット。ゴールデンウイークの後半に訪問したにもかかわらず、売り切れになっているものはなくて一安心。冷静に考えるとノンエイジの500mlでこの値段だから通常サイズだと1万円程度、結構いいお値段ですな。

戦利品を手に、帰りは駅まで徒歩で20分ほどかけて歩いて帰った。もう少し早い時期に来れば土筆もフキノトウもタラの芽もたくさん採れたに違いない。

アイラ島に続き今回も家人を連れての蒸留所訪問だったが、今回の旅行の趣旨は酔っ払いに来ること、ではなくて震災当時3歳で何が起こったのか全く記憶がない娘に何が起きたのか、そこからどのように復興しているのか/していないのかを自分の目で確かめさせること。翌日から震災遺構として公開されている仙台市若林区の荒浜小学校跡、東松島市東名と野蒜などを訪問し、南三陸町で震災の語り部からお話を伺って帰ってきた。


 

日本最南端のモルトバー Summer Glass

日本で最も南に位置するモルトバーで飲んできた。バーにウイスキーが置いてあるだけのなんちゃって、とかでなく、本物のモルトバー。

本当に最南端?と疑ったあなた、この地図見たら納得してもらえるだろう。那覇から400㎞以上離れた石垣島にある唯一のモルトバー。台湾の方がむしろ近い。石垣よりさらに南西にある西表島与那国島モルトバーがあるとはとても思えないのでこのバーが日本最南端のモルトバー、ということでいいだろう。ソースは俺。異論は認めない。

f:id:KodomoGinko:20170417215644p:image全身黒づくめのスーツに身を包み、時には命を落とすものも出る激しい活動を行ったり、ヘルメットやサングラスで変装して命がけで限界に挑戦する狂信的かつ過激な運動に身を投じてからはや4年。それまでの平凡で平和な生活を愛する一市民としての暮らしから、ここ石垣で公然活動家として2013年にデビューしてからは家族からも孤立し、休日も返上して多額の資金を活動のためにつぎ込み、また同志を運動に勧誘してきた。今年もまた過激な運動を行うために会社を半日休んで石垣島に上陸。石垣港ターミナル前の人目につかない安宿に潜伏してその日をじっと待った。毎年楽しみなんだよ石垣島トライアスロン

金曜日に石垣島入りして、日曜日に行われる大会で命を落としたりしないよう旨い石垣牛を食べさせてくれる焼肉屋でビールを一杯だけ飲んで9時過ぎには潜伏先のアジト、もとい東横インに帰ったのだが、やはり眠れず石垣島唯一のモルトバー、Summer Glassに行ってみることに。

東横インからほど近い石垣港には海上保安庁の艦艇がたくさん係留されている。というのもここは尖閣から一番近い石垣海上保安部があり、紛争の最前線なのだ。その船を背中に、夜道を美崎町に向かって歩く。

土産物屋の立ち並ぶ商店街から一本北のゆいロードに面してSummer Glassはあった。モルトバーなのに路面店、という東京ではめったにないロケーション。

扉を開けて中に入ると、かりゆしを着たおじさん二人がカウンターの端で飲んでいた。白州のハイボール

カウンターに座りバックバーを見るとかなり強烈、東京の下手なモルトバーよりも充実している。SpringbankのLocal BarleyやらArdbegの30年やらが見える。さらにカウンターの奥にはパンチョン樽が天井からつるしてある。こんなにたくさんボトルがあると選べなくて、オーダーするのに時間がかかるじゃないの。

悩んだ挙句に、一杯目は信濃屋限定のArranの2001年蒸留14年のシェリーカスクをチョイス。これは今年2月に速攻で売り切れたもののはず、こんなところ(失礼!)で飲めるとは思っていなかった。ArranのBrand Ambassadorの信濃屋だから確保できる、過去最高のフルボディのシェリーカスク、というのが売り文句だったと記憶している。

f:id:KodomoGinko:20170417215659j:plainかなり濃い深みのある褐色。そこまで超フルボディ、とは感じなかったものの、上品で深い甘みと香りが引き立ち、シェリー好きの人にはたまらないだろう。

金曜日ということもあって夜10時を廻るとお客さんが増えてくる。地元の人と観光客の比率は半々、女性が多い。観光客はカクテルを、地元の人はハイボールやカジュアルなウイスキーをロックで注文している感じ。シングルモルトをストレートで飲んでいるのは私だけだ。そもそも一人で来ているのも。

30代半ばぐらいに見えるバーマンが一人で仕切っている。お客さんが集中しなおかつカクテルの注文が多く入ると大変そうだ。彼の手が空くのを待ってから、2杯目のお勧めを聞く。Strathislaの19年、Cadenhead。

石垣島には他にモルトバーあるのですか?」「いや、ここだけです」「こんなマニアックなボトルを地元の人は飲まれるんですか?」「いや、あまりシングルモルトは知られていないですね」。雰囲気がいいので普通のバーとして使われているようで、マニアックな品揃えを見て目を回す人はなかなかいないようだ。Friends of Oakのボタンの花のラベルのCaperdonich21年が置いてあってびっくり。120本しかボトリングされていないはずなのに、日本で2本目をここで見るとは。

いつもどこで飲んでいるのですか?と逆に聞かれたので、一番よく行くのは渋谷のCaol Ilaさんです、と答えたら有名ないいお店ですね、とのこと。自分の行きつけの店が石垣でも知られていた。

そして「これ飲んで帰れ、というのは何かありますか?」と伺って出てきたのはケルティックラベルのG&M、Mortlachの35年。1974年蒸留。私の方が数年年上。いい感じで私の記憶にインプットされているMortlachに近い。いい意味で奥行きのない、不安げな平べったいベースに繊細なフローラルの香りが乗っている。これで今晩は終わりにしようか、と思いしみじみと最後の一杯を楽しむ。翌日はレース前日なので当然禁酒、そしてレース後も東京に着いたら運転が待っているので酒が飲めないと分かっていて、手元の酒が余計名残惜しくなる。

結局フルショット3杯飲んで帰ることに。6000円ちょっと。クオリティ考えると安い。

5年前の今頃に初めてフルマラソンを完走し、4年前にここ石垣で初トライアスロントライアスロンというと何だか凄そうに聞こえるかもしれないが、1.5㎞泳いで40㎞自転車乗って10㎞走る、というオリンピックディスタンスというやつだとフルマラソンの方がよっぽどしんどい。というのもフルマラソンは同じ筋肉を3時間半から4時間ぐらい酷使しっぱなしだが、トライアスロンだといろんな筋肉に負荷が分散する上に、大体3時間ちょっとで終わるからだ。

なんでそんな過激な活動に身を投じ命がけで戦って資金もつぎ込み家族から孤立しているのか、と聞かれることがある。自分でもよくわからなかったが、米帝とその傀儡に正義の鉄槌を下して暴力革命による人民政府樹立を目指しているから、ではもちろんなく、何か少し遠めの目標を設定してその目標をクリアしようとしている自分を自分自身で肯定したいから、ということなのではないかということに最近気づいた。

正直レース中は辛い。辛いがレースが終わった途端に次はもっと頑張ろう、と考える。今回は自分を追い込みきることができず、余裕を残してゴールしてしまったことで悔いが残った。自分の限界の遥か手前で勝手に壁にぶつかった気になり、手を抜いてしまう自分はいろんな場面で現れる。そしてそんな自分がいることすら認めたがらない自分がいる。レースに出ると、そんな自分のダメさ加減を思い知らされる。 

 

plaza.rakuten.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

松山にて

のんびりしに松山に行ってみた。8時半に我が家を出て、9時45分に機上の人となり、12時前には松山市内にいた。近い。
宿と飛行機を予約した以外は無鉄砲な旅、とりあえず松山市民のソウルフードとやらを食べに行ってみる。

f:id:KodomoGinko:20170411220228j:plain昭和好きな私にはかなりグッとくる店構え。メニューはこれだけ。

f:id:KodomoGinko:20170411221926j:plainちゃぶ台が置かれた畳敷きの座敷にあがり、鍋焼き玉子うどんとお稲荷さんを頼む。四国はうどんとお稲荷さんが大体セットだ。 

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そしてしばらく待ってやってきたのがこちら。アルミの蓋を開けるといりこ出汁の香りがふわっと立ち上る。食べてみると、あ、甘い…。出汁もそもそも甘いし、結構な量の牛肉を煮付けたのが入っていてその味付けがとても甘く、時間を置くとその味が染み出てただでさえ甘い出汁をさらに甘くしていく。そしてうどんはやわやわ。同じ四国でも香川のうどんとどれだけ違うねん、といいたくなる。文化が違うのだろう。
でもなんだか癖になる味で、小さめの鍋に入った一人前がペロッと食べられる。

店を出るときに見た貼り紙が秀逸だった。

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アサヒを堪能した後で松山城へ。ロープウェーに乗り天守閣に近づくとソメイヨシノが満開。東京の桜と違って、花がぼんぼり状になっている丸い形がすごくしっかりしているのと、一本の木についている花の量が多いのと、ピンク色が濃いので驚く。

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そして東京よりも圧倒的に人が少ないのもいい。春と秋は京都に行くことが多かったのだがいいじゃん松山。満開の桜を堪能。
下りは歩いて古町方面へ降り、お堀端を散歩、てくてく松山市駅まで歩いて市内電車、というかちんちん電車で道後温泉へ。そして宿でゆっくりお湯に浸かり、修学旅行で食べるようなご飯を食べ、夜の街へ。夜10時過ぎでも道後温泉本館からは煌々と灯りが漏れる。

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一軒目のバーは「ゆめまぼろし」。階段を上がって店に入ると、箱の大きさに少しびっくりする。スタッフが3人以上のバーに行くことが最近あまりないのですごく新鮮。居酒屋的に盛り上がっている団体さんもいれば、長くて広い一枚板のカウンターの端で静かに飲む二人連れなどがいて、大きな店ならではの雰囲気。

こちらは店の世界観が名前から想像がつくように織田信長一色。オリジナルカクテルは直径30㎝はあろうかという朱塗りの杯や瀬戸黒のような茶器に入っていたりする。

モルトバーではなくカクテルを中心としたお店なので、色々悩んだ挙句スタンダードにマンハッタンを注文。きりりと冷えて美味い。バーでカクテルを頼むのが好きな人が多いのもよくわかる。

二杯目は泡盛と黒糖ベースのオリジナルのカクテルをいただく。店の方も気を遣って話しかけてくれ、地元の人は道後温泉ではなく少し離れたところにある銭湯で夜中まで空いているところがあるのでそこに行くのだとか、お鮨は太平寿司が間違いないとか、実は松山は焼き鳥を結構食べるのだとか、地元の人しか知らない話を親切に教えてもらう。バーテンダーの腕はコンテスト入賞で幾度となく証明されている雰囲気のよいバーで2杯飲んで3000円ちょっと、というのは中々なものだ。

そして二軒目はどこに行こうか悩んだ挙句にEpitaphという比較的新しいバーを見つけ、昔のロックが好きな人間としては反応せざるを得ない店名でつい行ってみたくなる。賑わっている界隈の新しいビルの4階、暗証番号を入れないと開かないドアのように見えたが押してみるとすんなり開く。

ここも大箱だがそれなりの客の入り、L字型のカウンターの角に陣取る。目の前にはMcIntoshの古い真空管アンプとそれとは対照的にハイテクの塊のLynnのアンプとプレイヤーが。そして店にはアナログレコードがたくさん飾ってある。

実は私はウイスキーも好きだが音楽もジャンルを問わず大好きで、音楽を聴きにロックバーにもちょくちょく行くのだが、そういうところの酒はあんまりこだわりがないところが多くて残念だった。旨いウイスキーの種類が多くて好きな音楽が会話を邪魔しないがしっかり聴こえるボリュームで流れているバーというのがあれば最高だ、と思っている。そのためにはある程度の店の大きさが必要となるので、東京だとなかなか難しい。

いくつか珍しいものを、と言って選んでもらって飲んだのが以下の3本。

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店の名前はやはりKing Crimsonから来ている、ということを教えていただき、だったら久しぶりにRedを聴きたいな、と思ったが置いていなかった。残念。

知らない街でバーを選ぶのはなかなか難しい。後からアイリッシュウイスキー専門のバーがある、というのを地元の雑誌を見て知って、また今度来た時に行かなければ、と思った。また昔からあるバーで忘れ去られてしまったようなボトルを見つけて飲むのも普段来ない街に来た時ならではの楽しみだ。四国で最大の街である松山はバーがたくさんある。今度は古めの店にも行ってみようと思う。

翌朝、宿の風呂にもまた入ったがどうしても改めて道後温泉本館に行きたくなり、3階の個室へ。宿の湯はここから引いてきているので、ここで入る温泉が一番新鮮なのだ。

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3階の客専用の風呂は空いていて、そしてかけ流しの湯量が半端ない。玉のような滑らかなお湯なのだが、風呂につかった途端に手足の先がピリピリするぐらい温泉成分が強い。宿の風呂とは全く違う。ゆっくりと風呂の中で体を伸ばして、最近の疲れを流し落とす。風呂上がりにいただく坊ちゃん団子も、風情のある建物も大好きで、ずっとこのままの形を残してほしいと強く願う。

松山は食べ物も旨いし、飲み屋も多いし、桜もお城もきれいで温泉も最高、温暖で土地が豊かなので人も優しく温かい。そして街で子供を見かけることが多くて活気があってよい。地方都市に行くとまともな本屋がないところ、すなわち文化が廃れてしまっているようなところが多いのに、ここはそんなこともなく、引退したらこの街に住みたいかも、と正直思った。いいところだと改めて思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イチローズモルト秩父ウイスキー祭り2017がシングルカスク部門世界一の快挙達成

専門家によるティスティング審査で行われる国際的ウイスキーコンテスト、イギリスのウイスキー・マガジン主催の「ワールドウイスキーズアウォード」にて、イチローモルト秩父ウイスキー祭2017 Fino Hogsheadシェリー樽2010年蒸留の6年物がWorld's Best Single Cask Single Maltの世界最高賞を受賞しました!

 

イチローモルト以外にも、サントリー響21年がブレンディッドウイスキー部門で、 富士御殿場蒸溜所シングルグレーンウイスキー AGED 25 YEARS SMALL BATCHがグレーンウイスキー部門で、サントリースピリッツがディスティラー・オブ・ザ・イヤー、本坊酒造がクラフトプロデューサー・オブ・ザ・イヤー、そしてキリンビール マスターブレンダー田中城太氏がマスターディスティラー/マスターブレンダー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

 

whiskymag.jp

 

一月ほど前の記事にてこれはコンテストでかなりいい評価になるのでは、と予想していたが、やはりその通りとなった。その時は秩父ウイスキー祭りボトルはしばらく温存しておきます、とBar Nadurraの松平さんがおっしゃっていたが以下のように解禁になったようなので、試してみたいとお考えの方は池袋方面に出撃されてはいかがだろうか。全世界で293本しかリリースがないので、これを飲んだことがある、と言える人は相当幸せな人かと思われます。良心的なお値段で出されているようなので、これだけ飲んで帰るなどという無粋なことはなさらず、こちらで以前紹介したLinkwoodなども含めいろいろ試してみてください。





おめでとうベンチャーウイスキー、肥土社長、吉川さん!

 

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幻の蒸留所、Kininvieオフィシャル17年

最近珍しい酒を飲んだので少し備忘録的に書いておく。Kininvie。Balvenieと一緒に作られているのだが、Balvenieが自家でフロアモルティングされているのに対しKininvieはモルトスターから買ってきた麦で作られている。そして発酵にかかる時間もBalvenieより長い。正確に言うと蒸留と発酵はKininvie独自に行っているが、発酵する前の液体はBalvenieの蒸留所から送られてきている。

蒸留所は1990年開設と比較的新しいのだが、ブレンディッドのClan MacGregorに使われたり、GlenfiddichとBalvenieと一緒にMonkey Shoulderにブレンドされていて、ほとんどオフィシャルのボトルが発売されていない幻の酒。Monkey Shoulderって飲んだことがなく、単なるブレンディッドかと思っていたらバッテッドのトリプルモルト、すなわちグレーンウイスキー使っていない3種のモルトウイスキーからのみ出来ているとは知らなかった。

アメリカンオークとシェリー樽で熟成されていて、大げさに「幻の酒!」と叫ぶようなものではないにせよ真面目に作られていて旨い。これまでほとんどリリースされなかったものをわざわざ出してきたのだから、流石に不味いものは出てこない。

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その隣の二本はいずれも有名バーの周年記念ボトル。一番右は最近リリースされたばかりの日赤通りのヘルムズデールのClynelish、真ん中は目黒マッシュタンのArran。たまたま店の方とお話ししていて「よそのお店の記念ボトルを自分の店のお客様には勧めにくいんですよ」という話をされたので、お店のバックバーの回転に貢献するためにもこちらからあえてお願いしていただいた。

あとは季節がら桜のラベル。九州の酒屋キンコーさんのボトル。1982年のGlenLivet30年。

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実は10日ほど前にこのKininvieを飲んでからしばらく禁酒をしていた。というのも昨日、5人で読売新聞社前から芦ノ湖までタスキをつないで走り切る「なんちゃって箱根駅伝」の4区21㎞を走ったため。今年で21回目の開催かつ20チームほどで競り合うというかなりガチで伝統あるレース。私は2003年から毎年参加(ただし東日本大震災の年は中止)しているので14回目の参加になる。自分だけのレースならともかく、チーム戦なのでタスキがつながらない事態を招くわけにもいかず、節制して臨むことにしたのだ。

そしてわざわざ禁酒までした結果は、というと、山登り5区の担当は胃腸炎で2日ほど固形物を食べていない、という状況の中で2時間で走り切り、私の前走者は3区21㎞を1時間34分で走り切ったのに、4区の私は1時間51分というタイムでチームの足を引っ張ってしまった。

わざわざ禁酒までしたのに自分の力が発揮できずチームに対しても自分に対しても何だか悔しくて、打ち上げ後は気が付いたら(?)渋谷のいつものバーのカウンターに座り、久しぶりにバーで飲む有難味をしみじみと噛みしめながら時間を過ごした。だらだら飲むよりもせっかくの機会に何を飲むか真剣に考えて、決めた後はくつろいで飲む、というのもメリハリがあってなかなか良かったように思う。

 

 

 

 

いいバーを見つけるのが難しいたった一つの理由

いいバーはなかなか見つからない。少なくとも食べログのような一般的インターネットメディアを使って探すのは非常に難しい。それにはちゃんとした理由、それも構造的な理由がある。いいバーほど「隠れて」いるのだ。あえて意図的に「隠されている」と言ってもいい。

いいバーは、当たり前だが常連客から愛されている。その愛情の対象は、バーのオーナーやバーテンダーかもしれないし、彼らの紡ぎ出す一杯の旨さなのかもしれない。あるいはバックバーにあるボトルの趣味かもしれない。だが我々にとってそれらに負けず劣らず重要なのは、店の雰囲気であり、その雰囲気を作っている自分以外のお客さんなのだ。

したがって常連客にとって、自分の愛する店の雰囲気を尊重してくれるかどうかわからない一見のお客さんがいきなり増えることは何のアップサイドもない。だからいい店であればあるほど、あるいは常連客に愛されている店であればあるほど、誰の目に触れるかわからない食べログのような一般的メディアに店を愛する客からわざわざ好意的なコメントを寄せるというインセンティブが全く働かない、という仕組みになっている。

だからいい店を探すのは難しいのだ。

もっと言うと、食べログ的なメディアはバーのような趣味性の高いところを評価するのにははっきり言って適していない。その一つの理由は、ネット上の「情報の非対称性」、砕けた言い方をすると「悪口バイアス」による。

振り返ってみてほしい。あなたは一度行ったお店でとても良くしてもらったとき、食べログでお店のコメントを書かなきゃ、と思ったことがあるだろうか。逆にすごく嫌な気分にさせられた時の方が、食べログみたいなところで何か書いてやろう、と思うのではないか。


人はおそらく何かを誉めるよりも批判する方が好きな生き物だ。それは酒場で上司の悪口言いながら飲んでいる人の数と、上司を褒め称えながら酒飲んでいる人の数と比べてみればすぐにわかる。さらに飲食に関しては「サービス業の人にお金払っているんだから良くしてもらって当たり前、お金払っているのに気分害されるなんてとんでもない」、という心理が働くので、人は批判的なコメントをまき散らしがちになる。

つまり口コミサイトでは、通常悪いコメントの方が良いコメントよりも多くなるバイアス、偏りが自然発生する仕組みになっている。それはバーだけではなく通常の飲食店に対してもそうだ。そしてこのバイアスは、一般人が簡単に情報発信できるようになるにつれて脅威を増す。少しでも気に入らないことがあるとわざわざご丁寧にネットに批判のコメントを書く一部の人たちの情報の方が、店に好感を持って家に帰っていく大多数の人たちの感想よりも圧倒的に多くSNS食べログ的なメディアに転がっていて、その情報に基づいて店を選ぶ人たちが一定量いるからだ。

違う言い方をすると、ネット上ではラウドマイノリティがサイレントマジョリティを駆逐する。そして人を疑うことを知らない多くの善良な人たちは、ネガティブなバイアスを自分で補正することなく口コミ情報を素直に信じて批判的な口コミの書かれている店を避けたり、食べログ2点台から3点台前半の店には行かなかったりする。

仮に情報の受け手側の多くがこの「悪口バイアス」を自ら補正できないとするならば、情報の出し手側で補正する方法はあるのだろうか。

その方法の一つはサイレントマジョリティをラウドマジョリティにすること。具体的には「訪れたらいい店だったのでその感動を折角なので他者に伝えたい」というような善意の情報量をウェブ上で増やすこと。そうすれば少しはバランスがとれるようになる。そのためにフェアなコメントをしてくれるレビュアーを増やすため、サービスプロバイダー側はいろんな工夫をしている。

だがバーのような業態に関しては、残念ながら飲食店とは異なり最初に述べたようにそれを阻む構造的なイシューがある。店に好感を持っているリピーターが善意の情報を一般の人たちに向けて多く発信する動機が存在しないのだ。そのために、口コミサイトにおける評判は通常の飲食店以上にさらによりバランスの取れていない、すなわち悪口の流通量の方が好意的なコメント量よりも常に多くなっているという可能性が高い。

もちろん客が少なすぎてお気に入りの店が潰れてしまっては元も子もないので、常連客も何か店の宣伝をしなければ、と思って何らかの好意的な情報を発信することはあるだろう。だが先ほどの理由で、誰でも見るメディアである食べログ的なところではなく、店の雰囲気を尊重するバーでのマナーをわきまえた人たちがいる確率が高いところ(=特定の趣味を持った人たちが見ている可能性が高いSNSのコミュニティやブログなど)で紹介する可能性が高い。

したがって、ことバーのような趣味性の高い業態に関する情報を食べログ的な一般メディアで集めるのは極めて難しい。そしてそれらのメディアに出ている口コミの内容がポジティブでなかったとしても、必ずしも悪い店とは限らない。先ほど言ったように、情報を得られたとしても通常よりもきついバイアスがかかっている可能性があるし、情報の受け手側がバイアスを修正すべきなのだ。
好意的な評価よりも悪口の方が多い、というのはまだ情報があるだけいいかもしれないが、そもそも情報がない、あるいは少ない、ということも上記の理由で多々ある。このネット社会で「情報がない」というのは存在しないのとほぼ同義に近い。存在しない店が存在し続けるのは当然ながら極めて難しい。

だからいいバーを脚を使わずに探すのは非常に難しいし、さらにいうとバーという商売というのは非常に難しいと思うのだ。
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そういう訳で、常連客には一定の義務がある。自分たちにとって居心地のいい店であることを保つために、店は何か(例えば売上)を犠牲にしているかもしれない、ということに少しでも想いを馳せることは最低限のマナーだ。店の席が埋まり始めて酔いが回ってきたところで他のお客さんが来たら、お勘定をもらってさくっと帰るというのも一つの見識だ。店が他のお客さんに勧めにくいボトルを積極的に飲んでバックバーの回転に貢献する、というのもありだろう。だが、しょっちゅう店に顔を出して、店に金を落とすということ以上のことはないと思う。「あの店良かったのに潰れてしまって残念だ」、みたいなことを言う人がたまにいるが、「そう思うんだったらもっと頻繁に行ってあげればよかったんじゃないですか」と言うようにしている。そして微力ながら恩返しするために、品のいいマニアックな人しか読んでいないように思われる(?)当ブログでいつもお世話になっているお店について控え目に紹介しているつもりだ。

最後にウェブ上のバイアスについて一言。Facebookにはいろんな批判があることは承知しているが、彼らの最大の美点は「いいね!」ボタンがあることだ(はてなスターも同様だが、「いいね!」と比べるとメッセージの拡散性が低いように思われる)。悪口ばかりが溢れがちで人が何かを誉め讃えることがなかなかない世の中において、簡単に「いいね!」といえるというのは本当に素晴らしい。だから皆さんもできるだけ「いいね!」をクリックすることで、少しでも悪意を善意が駆逐する世の中になるようお手伝いをお願いします。

洋食が好きでたまらない

洋食が好きでたまらない。肉や魚と、付け合わせのサラダと美味しいごはん、という黄金の組み合わせ。とんかつ、カキフライ、ポークソテー。どれもつやつやに光るお米と一緒に食べるととても幸せになる。

休日にわざわざ洋食を食べに行こう、と思うのは御徒町の「ぽん多」。初めての人をやや威圧する店構え。立派な木彫りの看板。入り口横に「創業   明治三十八年」と書かれている。

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食べ物屋にしては重い木のドアを開けるとキッチンとカウンターがあるのだが、その左には下の色紙が飾ってある。

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「これはいくさに負けなかった国の味である」。明治38年、1905年と言えば日本海海戦東郷平八郎率いる帝国海軍がバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした年だ。明治維新からわずか40年足らずで列強の地位の一角を占めるようになった日本の誇りがここぽん多にある。

家人が一緒だったのでカツレツ、ポークソテー、カキフライという3種を注文。キリンの中瓶を飲みながらじっと待つ。カツレツをとんかつと言ってしまうと訂正されるので注意。

最初に出てきたのはカキフライ。牡蠣の粒が大きい。衣はカリッと、噛むと中は官能的に柔らかく、海の塩と牡蠣のミルクの甘さが混然一体となって滲み出てきて後頭部がざわざわするぐらい。家族で奪い合いになる。

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そしてお待ちかねのカツレツが登場。肉の甘みが強い。ソースをつけずに食べるのが好きだ。ソースなしでも衣についている味とラードの旨みで全くご飯に負けない。綺麗に揚がっているので皿に接している面の衣が油でべとっとすることがない。

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そして一番の楽しみはポークソテー。肉そのものも旨いし、和風の甘辛いソースがご飯にぴったり。これぞ日本の洋食、という感じ。レタスも驚くほどパリッとしていて、レタスにソースつけるだけで大げさでなくご飯一杯は食べられそうだ。

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このポークソテー、下手な店でステーキ食べるよりも肉食べた、という気になる。牛肉にないぷるんという豚肉の弾力。噛めば噛むほど中から出てくる肉の旨み。これはやはり誇り高い日本の味だ。お勘定は少しお高いが、古き良き日本のサービスと日本の洋食の最高峰を楽しめると思うとそれだけの価値はある。

ぽん多本家

食べログぽん多本家

 

 

もう一つ私の大好きな洋食は神田の万平。ここのカキのバター焼きを食べると本当に幸せになる。小さなお店なのでいつも相席になるが、お客さんも気持ちいい人が多い。店構えは特別なことは何もないけれど手入れが行き届いていて、パリッとした暖簾からは江戸のプライドが伝わってくる気がする。

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本来はとんかつの店なのでロースもヒレも旨いが、牡蠣に小麦粉をまとわせてバター醤油で甘辛く味付けたカキバター焼が絶品。このアルマイトのようなお皿がクラシックな洋食屋ではお約束のような気が。

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ご飯に合うことこの上ない。最近いろんなところで紹介されてしまったので、なかなか入れなくなってしまって冬のこの時期の楽しみが奪われてしまった。

近くのとんかつ屋のやまいちもいいけれど私にはちょっとラードの味が強いので、とんかつよりもかつ丼がおすすめ。かつ丼をここまで丁寧に作っているとんかつ屋はあまりない。

どこの店も食べる人のことを考えて丁寧に作っているのが皿から伝わってくる。そんな店は、店構えが違う。適当な仕事しかしない店は、店構えも適当でこだわりが感じられない。初めての店を選ぶときは、外観の写真をチェックすることをおすすめする。

店の入り口まで来て何か違う、と感じたら大体外れだ。
人間、飲める酒の量も食べる食事の回数も決まっていると考えると、変な酒で無駄に酔っぱらったり納得いかない食べ物で腹を満たしたりしている場合ではない。

 


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あの日から6年:思い出とPeer Pressure、ブラックニッカ クロスオーバー

あの日から6年が経つ。当時1ヶ月後に幼稚園に入ることになっていた娘は既に9歳。昨日「地震のこと覚えてる?」と聞いたら「覚えてない」と即答されたが、大人が不安に思っていたことは確実に伝わっていて、記憶の底に残っているはず。
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地震直後に家内と娘を京都の親戚が持つ使っていない家に送り、幼稚園が始まるまでそこに居させた。娘と家内の顔を見るために毎週末新幹線に乗った。
土曜の朝、京都で一人掘り炬燵に座って原発についてのニュースを暗澹たる気持ちで見ていたら、3歳の娘が座っている私の背中にくっついて立った。しばらくそのままテレビを見ていたのだが、ふと振り返ると彼女は私の背中で声を出さずに泣いていた。こんな小さな子が耐えられなくて泣いてしまうぐらい辛いのか、と思って呆然とした。
そして声を出さず黙ってぽろぽろ涙を流していたことを思うと「もっと大変な思いをしている人がたくさんいるから自分たちは少々の不便は我慢しなければ」という大人の思いがまだ小さな子どもにも何となく伝わっていたのかも知れない。
そして全く地震の実害のなかった我が家でこうなのだから、被害を受けた地域の無数の人たちとその家族は比べものにならないほど辛い思いをしているのだろう、と思っていたたまれなくなった。

当時は渋谷のスクランブル交差点は真っ暗だった。LEDのスクリーンや三千里薬局のネオンも節電のため全部消えていた。平日の夜は外食せざるを得ず、会社の周りの居酒屋によく行ったが、みんな飲み歩く気分でもなく自粛ムード、というか「今飲み歩くなんてあり得ないだろう、東北の人たちがあんなに辛い思いをしているのに」という同調圧力が強くてどのお店もガラガラで、顔を出すととても喜ばれた。来ないお客のために用意して無駄になってしまう食材があればそれ食べるのでお任せで、とどこに行っても言っていた。週末は京都で新幹線を降りると街が明るくまぶしくてびっくりした。当然、と思っていたことは当然でないことを改めて教えられた。

やはり当時一番不思議だったのは、あまりにも強い同調圧力だった。昨日日本に初めて来たアメリカ人を連れて新幹線に乗ったのだが、彼は車内があまりに静かなことに驚いていた。何で街でも新幹線の中でもこんなに日本は静かなの?と聞かれて、多分Peer Pressureだと思う、と答えた。そうしないと周りから後ろ指差される、だから明文化されていない規律に服従しなければならない、という圧力のことだ。当時はその圧力がとんでもなく強かった。原発メルトダウンしようとしている時に「みんな逃げずにいるのに、お前何で東京から逃げるの?フクシマ50とか命張って頑張ってるのにありえなくね?」的な言葉がインターネット掲示板的なところに満ちあふれていた。

東電の関係者が圧力容器が爆発しそうなときに福島第一から退避しようとして大きな非難を浴びた。それと同様の非難が、万が一のことを考えて東京を離れようとしていた一般の人たちにもぶつけられていた。東電や政府関係者がいないと原発事故は収束しないので彼らに残れ、というのは百歩譲って理解できるが(本当にダメになってしまうときに(実際に本当にダメになってしまう一歩寸前だった)技術や知識を持って現場で動ける人たちが現地で全員死んでしまえば、その後誰も何も出来なくなってしまうことをみんなちゃんと考えたのだろうか)、我々一般人が東京にしがみついていたところで何の問題解決にもならない。だがたとえばツイッターを多用する社会学者的な言論人が家族と東京から避難したときは悪意ある言葉がたくさんインターネット上にばらまかれた。
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原発に万一のことがあっても緩やかに放射能で汚染されるだけだから慌てて逃げるやつはバカだ、みたいな言い方もよく聞いたが、最悪の事態が起これば1300万人、日本の人口の1割を超える人たちが日本の西側に大移動する、という飛んでもないことが起きたはずで、そうなれば地震当日の都内のようにどこも大渋滞、公共交通網も機能しない事態になっていたことは想像に難くない。そうなる前に東京を念のため離れ何もなかったら戻ってくる、というのは大したコストも掛からないヘッジなのでリスクリターンを考えたら当然のことだと思うが、それを感情的に許さない人たちがたくさんいた、ということだ。津波に関しては少しでも大きな余震が来たら高台に逃げることが強く推奨されていたのに、違うリスクについては何の根拠もなく過小評価(することが正義だと)されていたのだ。

人は自分が何らかの事情で出来ない、あるいは自ら何らかの理由で抑圧している欲望を他人がやってのけた時、他人が欲望を満たしたことが露見した時に最も嫉妬心が刺激される。くっそー、あいつだけいい思いしやがって、というやつだ。長い列に並んで横入りされると腹を立てたり、主婦が不倫するタレントを嫌うのも、もしかしたらそういうことなのかも知れない。実はこの「空気の重さ」みたいな同調圧力が日本の社会を目に見えない形で形作っていて、それが何かのきっかけで噴出するのではないのだろうか。

日本人はゴミ捨てるときに手間かけてリサイクルするのは素晴らしい、新幹線を降りるときはリクライニングを直すのは他人に対して配慮していて素晴らしい、携帯電話を車内で使わないのは素晴らしい、道にゴミが散らばっていないのは素晴らしい、高速道路で一台一台譲り合って交互に合流するのはマナーが良くて素晴らしい。その素晴らしさの裏には嫉妬心と密接に結びついた同調圧力が存在する。そんなことを昨日、都内某所のバーで飲みながらつらつら考えた。やはり酒を飲むと記憶の抽斗が開く。そして最後にお店の方と二人、ブラックニッカを飲んだ。

 

モルトバーと呼ばれるところで閉店間際まで、あるいは他のお客さんが居なくなるまで色々飲んだあと、お店の方と「じゃあ二人でゆっくり飲みますか」となった時、すなわち営業ではなくプライベートに近い形で飲む時の「あるある」の一つに、「ブラックニッカ飲みましょう、これが一番コストパフォーマンス高いよね」というのがある。少なくとも2つの有名なモルトバーで同じセリフを聞いたし、実際熟成されたスコットランドシングルモルトをおすすめ頂いて何杯も飲んでお勘定が済んだあと、お店の方が裏からブラックニッカを持ってきて、お勘定要らないので、といわれながら改めて一緒に飲んだことも何度かある。そして二人でしみじみと「これって旨いよねー」とつぶやいてしまう。昨日もまさにその展開だった。

昨日伺った話だと、直近ブレンダーズスピリットが再発売されたばかりだが、5月にはシェリーの香りとピートの煙さが同時に楽しめるクロスオーバーというのがリリースされるらしい。これもとても楽しみだ。

キーモルトはピートの強いモルト(ということは余市?)で、それぞれの酒販店から入った予約の数だけしか作らない、ということで限定発売、ということだそうだ。今年はブレンダーズスピリットの再発売とあと2種類ブラックニッカの限定品がリリースされるうちの一つ、ということらしい。しばらくするとプレスリリースで詳細が明らかになるらしいが、どうやらフライング気味に情報が出てしまっている模様。

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数量限定と聞いて、また本当の大人はやらないはずの大人げない大人買い、というのをやってしまった。まとめて買ったはずのブレンダーズスピリットも、飲んでしまったり人にあげたりで随分なくなってしまったので、と自分に言い訳しながら。