東京ウイスキー奇譚 Islay Whisky’s blog

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 その1 その2 その3
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

バーでの客としての立ち居振る舞いについて

仕事の後、軽くどこかで飲んで帰るか、と思って新宿三丁目へ。初めてのお店で少し刺激を得てリフレッシュできれば、と思い以前から行ってみたかったバーへ。

ビルのエレベーターを降りるとお店の中、というたまにあるやつで、初めて訪れるバーの扉を若干の緊張とともに開ける、という儀式のようなものが省かれるパターン。6、7人も座れば満席になるくらいのお店。先客は二人連れが二組。促されるままにカウンターの一番端に座ると、いきなり隣から声を掛けられる。会社の後輩が人を連れて男二人で飲んでいたのだ。座る前には気が付かなかった。

なんでも大学時代の友人と久しぶりに会って、仕事の情報交換も含め旧交を温めている、とのこと。彼らもこの店は初めてで、どこかで食事しようかと思ったがどこも混んでいて、一軒目からバーに来たらしい。よく来るんですか?と聞かれ、ここは初めてだけどウイスキー好きなのでいろんなバーに行っている、と答える。

せっかく後輩の友達との再会を邪魔してもいけないので、その旨伝えて店を出てもよかったのだが、それだと恐縮するだろうしお店にも悪いと思って一杯だけ飲んで帰ることに。

それなら最初からフルスイング、と思いこの店のオーナーが蒸留所でハンドフィルしたGlenlivet、バーボン樽18年をいただき、飲み終わって一息ついてから退散。オーダーする際に「フルショットにしますか?」と聞かれたのでそこそこのお値段なんだろう、と薄ぼんやり考えつつお勘定すると3500円。立派な殻付きのアーモンドが出てきたことを考えるとチャージ込み、フルスイングしにいったので仕方がないとはいえ、価格と味とのバランスが今一つ。いろんな意味でもやもやとした感じで店を後に。

予定外の展開で不完全燃焼ぎみだったので、副都心線に乗っていきつけの店へ。扉を開けるといつもとは雰囲気が全然違う。えらく騒々しい。見たことない顔の6人連れがカウンターの後ろでソファ席で大声をあげている。流石にまたバーを探して彷徨いたくもなく、そしてお店はしばらくいつもの二人態勢ではなくサブの方だけでのワンオペで、それで売り上げ落ちたらサブの方の面目が立たない状況、というのも知ってもいるので顔を出したからにはお金を落とさず帰れない。そもそも客の少ない8月、それも後半だし。

仕方がないので我慢して飲むことに。カウンターメインの静かな店に50過ぎのおっさんおばはんの6人連れは同窓会帰りらしく、大きな声で下ネタは言うわ、ガハガハ笑うわ、で完全に居酒屋のノリ。私のほかにはお酒のインポーターの営業のお姉さんが営業がてら一人静かに店の方と会話しながら飲んでいるだけ。こういう場合には客としてどう立ち振る舞えばいいのか。結構悩ましい。

スタッフに言って注意してもらう、というのは簡単だ。けれどそういうことをこちらからお店にお願いして、注意された客が逆恨みして食べログ的なところで店の悪口書いて店の評判を下げる、というのもありがちだ。そもそもこういうところで騒いではいけないと歳の頃50も過ぎているにもかかわらず分かっていないのだから、訳の分からないことをするリスクは普通の人に比べて高いに決まっている。

他のお客さん、例えばカップル、もいて、雰囲気ぶち壊しで迷惑かけているのであればまだ店に注意するようお願いしてもいいのかもしれないが、私一人が我慢すれば済むならあえて波風立てる必要はないかも、と思ってしまう。あるいは私が出ていけばいいのかもしれないが、飲み足りていない、店の売上に協力したい、もう彷徨いたくない、などの理由でちょっとためらう。インポーターのお姉さんは純粋に客でもないし、営業として店に文句言うわけにもいかないという何ともしんどい立場。

店に汚れ役を押し付けるのではなく、客の私が「もう少し静かにしてもらえませんか、いつも雰囲気を楽しみに来ているので」というやり方もある。それもなかなか難しい。うまくやらないとケンカになる。常連がえらそうにしている店、みたいに店の悪口言われるリスクも残る。でもこちらが腰低く下手に出るのであれば、店からではなく客の私の方から注意した方がいいのかもしれない、そんなことをつらつらと考えながら、気が付いたら5杯も飲んでいた。

新しく一見のカップルのお客さんが入ってきて、なおかつ私が5杯飲む間にそのうるさい団体客は追加の注文を一切せず。そのうちの男性一人は寝てしまっていじられている。店の売上に貢献せず、雰囲気ぶち壊しにしている客はまあ追っ払っても問題ないだろう、と思い団体客の幹事役と思しき人がトイレに立った際に私から静かにするよう言おう、と思ったら「お勘定」とのこと。ようやくか、と思ってほっとする。

幹事がまとめて払ったが、完全にプライベートの飲み会なのに某上場化学会社の宛名で領収書もらっているのが聞こえてしまい、さらに愕然とする。固有名詞はっきり聞こえたけどここでは晒さない。

ようやくうるさい客がいなくなって静寂が戻ったが、ささくれだった神経はまだ落ち着きを取り戻さない。ふらっとリフレッシュしにバー2軒に立ち寄ったのに、金払う客の立場なのにひたすら気疲れしてしまうという予想外の展開。早めに損切りして帰宅すればよかった。

仮に1軒目、2軒目のような状況におかれたら客としてどう振る舞えばいいか、どなたかご教示いただけないだろうか。カウンターの中の人の意見も聞いてみたい。ただし店が何とかすべきだ、という意見は横に置いておいて、純粋に客としてどう振る舞うべきか。

「火の用心しない方がおかしい」というご意見はごもっともだが、私が思い悩んでいるのは一度火事になってしまったらどうするのが正しいのか、ということなので。

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(写真は上記内容と関係ありません、このウイスキー飲ませてもらって美味かったから一生懸命探してようやく1本見つけることができました)

 

 

 

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モンテネグロとボスニアヘルツェゴビナでやたらと警察のお世話になるの巻

昼間の気温が35℃を超えるコトルから脱出し、車で2時間半ほどの世界遺産ドゥルミトル国立公園に出かけた。綺麗なところだ。こちらがBlack Lake、黒い湖。

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そしてこれがTara River Canyonを見渡す展望ポイントからの景色。ちょっとした登山。

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その帰り、幹線道路の超長い直線下り坂をちんたら走っていると突然、黒地に鮮やかに赤い縁取りが付いた制服を着た警察官が「止まれ」と書かれていると思しき制止用の棒のようなものを振り回して物陰から飛び出てきた。

どうやらネズミ捕りに引っかかってしまったらしい。

予想もしていなかったのでかなりびっくり。ガソリンが少なくなっていたのであまりスピード出さずに走っていたつもりで、前の車ともさほど変わらないスピードだったのに。

免許取りだそうとカバンに手を入れていきなり警官にズドンと撃たれてもシャレにならないし、一応旧共産国の警察相手なので慎重に対処。銭形警部を思わせる眉毛が太くてがっつりつながっている長身の警官が完全にモンテネグロ語、というかセルビア語で話しかけてくるので、何を言っているか分からないしそのまま言葉の壁を利用して立ち去ろうとしたが駄目だった。

モンテネグロジュネーブ条約加盟国ではないため、日本の免許証を携帯する義務がある。にもかかわらず国際免許しか持っていなかったので、下手するとめんどくさいことになるな、と思って素直にパトカーに連行された。もう一人の英語が少し話せる警官が「26㎞オーバーの時速76㎞で走ってただろ、罰金払え」、という。確かに何だかおもちゃのようなスピードガンみたいなブツがパトカーの助手席に置いてあるのだが、計測した数字を見せられたわけでもなく今一つ納得できない。前の車で計測してその数字で私を検挙しようとすればできてしまうではないか。

だがそんなこと言って怒らせても意味はなく、しょうがねえ、日本の点数減るわけでもなし時間も勿体ないので金で解決するのが簡単だわ、と思っていたら「罰金20ユーロ」とのこと。3000円弱。切符切られて銀行で納付するのか、と思ったら「今ここでキャッシュで払え」だって。結局罰金払ったが何の書類ももらえなかった。つまるところ私の払った20ユーロは彼らのビール代にでもなったはず。モンテネグロの警官は、地元の車捕まえるよりも他国のナンバーの車捕まえて、切符切らずにカツアゲするという副業をしているような気がする。

その数日後。今度はモンテネグロの海水浴で有名な街プトヴァの宿からバルカン半島最大の湖であるシュコダル湖に遊びに行く途中、海沿いの幹線道路と山に入っていく地方道の分岐でどっち行こうか、と一瞬迷って止まって山側の道に入ったところでまた警官が例の棒を振り回してやってきた。今度はティアドロップのサングラスをかけた強面かつガタイのいい警官一人。そして全く英語を話さない。それも超高圧的。揉めるとマジで逮捕されそうな勢い。警官が何言っていたのかはあくまでも私の想像だが、「お前あそこの分岐で一時停止しなかっただろ、パスポート見せろ」、「いやホテルが預かったままなので持ってない」、「なんで持っていないんだ」、「いやホテルがチェックアウトまで預かるというから渡してある」、「外国人はパスポート携帯しなきゃダメだろ、どこのホテルだ」、みたいな押し問答を二か国語ですれ違いながらずっと繰り広げ、最後まで俺はあそこの分岐でちゃんと止まった、と毅然と主張し続けた。国際免許見て「どこの国から来たんだ」というから「日本からだ」と答えたらようやく放免。

もしかするとモンテネグロクロアチアナンバーのレンタカーに乗っているのは、甲子園球場の1塁側にジャイアンツの帽子かぶって座っている、みたいなものなのか。もしくはサッカー日韓戦でアウェイで日の丸振るみたいなものか。気のせいなのかもしれないが。

そしてさらにその数日後、ボスニアヘルツェゴビナ、というかスルプスカ共和国のトレビニエでも捕まった。今度は駐禁。

街の中心に大きなプラタナスが生い茂って木陰ができている素敵な広場があって、その横の駐車スペースにクルマを停めて広場に面するホテルのテラス席で優雅にランチを食べた。その後オーガニックフードの店を冷やかしたり観光案内所で話を聞いたりして戻ったところ、フロントガラスに素敵な書類が。さらにご丁寧に前輪はでかい金具でロック。

駐車区画から3分の1馬身ほどはみ出て停めたせいなのか。前の車もはみ出していたから車が出せなくなっても困るのでそうしたのに。なかなかイラっとする。

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書類の一部は英語で書かれていて、30兌換マルク(2000円強、ボスニアヘルツェゴビナはなぜかいまだに旧ドイツマルクが通貨となっていて、実質ユーロと100%リンクしている)を銀行もしくは郵便局で払った後ロックを解除してやる、とのこと。

小さな銀行の支店がすぐ見つかったのだが、反則金を納付するのも一苦労、まずカウンターに8人ほどが列を作っていて、一人一人の処理に結構時間がかかって私の番が来るのに小一時間。そして英語が話せて反則金納付の書類の書き方がわかるマネージャーを連れてきてもらい、カードで下した30兌換マルク払ったら手数料をさらに払わなければならず、それをクロアチアクーナから両替して、たかだか数百円程度の両替なのにパスポート見せろとかそれはまたややこしい。後ろに並んでいたお兄ちゃんがイライラしているのが分かって申し訳ない。でもみんな毒づいたりせず紳士的。

何とか反則金を支払い、その領収書みたいなものを誰に見せたらロックを解除してもらえるのかわからないので再び観光案内所へ。
さきほど街について案内してもらった切れ長の目をした栗色の髪の超美人なお姉さんに相談したら、「ついてってあげるわ」、とのこと。車まで一緒に来てもらってロック解除の手続きしてくれる人を見つけてくれた。超親切で感激。「駐車料金払ってなかったからよ」と言われ、「いや、サインが出てないからわからなかった」といったら「確かにわからないわね、申し訳ないわ」と言われてこちらが恐縮。

不幸中の幸いは金曜日の銀行の営業時間中に駐禁切られたことに気付いたこと。これで銀行が閉まってしまったら車輪のロック解除ができず、月曜までモンテネグロでもなくクロアチアでもなくスルプスカ共和国(ボスニアヘルツェゴビナの一部)で足止め食らったかも。

異国の地、それも旧共産国での警察がらみのトラブルが続いたが、意外と何とかなるものだ。だがモンテネグロでのスピード違反と一時停止違反、ボスニアヘルツェゴビナでの駐禁をやらかしたときの対処の仕方、なんて日本国民の99.97%にとっては「ホッキョクグマのレバーを生で食べ過ぎると死ぬ」ぐらい全くなんの役に立たない豆知識、だと思う。

 

 

 


 

モンテネグロで見つけたヤバい飲み物、缶入りジャックダニエルのコーラ割り

モンテネグロのスーパーで、レジの近くにあったのでつい買ってしまった。ジャックダニエルのコーラ割り。
ホテルのミニバーに無理やり突っ込んでそろそろ冷えただろうと思ってドア開けたら落下してしまい、ひしゃげているのはご愛嬌。

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海外では日本でいうところの缶チューハイ的なRTDは流行らないものだと思っていたけど、こんなものがあったとは。モンテネグロで作っているわけもなく、よくよくラベルを見るとイギリスからの輸入もの。確か3ユーロしなかったと思う。

モンテネグロは民族的にも国家的にも言語的にも歴史的にもロシアとのつながりが強い国なので、レストランに行くと地元のセルビア語に加えてロシア語と英語でメニューが表記されている。そういうわけで店に行くと必ずウオッカが置いてあるのだが、ジャックダニエルも大抵メニューに載っている。でも乾いた痩せた石灰岩質の土地にブドウ畑がたくさんあり、地元のワインが安くてとても旨く、レストランではワインを飲むか、暑いのでビールを飲んでいる人が多い。

前置きはともかく、缶入りジャックダニエル&コーラのお味は、というと、まさに「まんま」。東京にいるとわざわざ店に入ってコーラ飲もうなんてほとんど思わないのに、こちらにいると暑くて汗かいて疲れて、冷たいコーラをカフェで飲みたくなる。それと同じでバーボンやスコッチをコーラで割るなんて畏れ多くて注文したことなどほとんどなかったが、実際飲んでみると美味い。ジャックダニエルのちょっとくどさのある樽の甘みとコーラの炭酸のシュワシュワ感が絶妙のマッチング。後味もベタっとした感じが全然ない。

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トライアスロンのレース中、エイドステーションで氷で炭酸を飛ばしたコーラが出てくるときがあって(石垣島など)、疲れた体にカフェインと糖ががっつり染み込むのがたまらなく気持ちいい。それと同様に、運動後や仕事の後での初めの一杯、というのに実はジャックダニエルのコーラ割というのは実は理に適っているのかもしれない。いつもの一杯目はタリスカーアードベッグのソーダ割りを頼んでいるけれど、今度はジャックダニエルのコーラ割りにしてみようかと真面目に思う。

ジャックダニエルのインポーターのアサヒビールさんというかニッカさん、ちょっと製品化を検討されてみてはいかがでしょうか。

 

 

 


 

モンテネグロは猫に優しい

夏休みはモンテネグロに来ている。何でモンテネグロなの?という真っ当な質問への答えは、綺麗な海があって世界遺産はやたらと沢山あり、物価が安くて飯が美味くていい意味でも悪い意味でも超適当で、人はみんな優しいけどクルマ運転させると人が変わってガンガン飛ばす、という素晴らしい国だから、ということになる。

そしてこの国の人はどういうわけか猫に優しい。世界遺産コトルのスターリグラッド、旧市街の中は別名「猫の街」だ。レストランのテラス席の下に猫がうろうろしていても、店員は追っ払ったりしない。

こいつはコトル旧市街から数キロ離れた我々の宿の近くの海岸にいた。
人に慣れているのか、近づいてきた我々を全く警戒することなくおねだりしてきたが、我々は全く何の食べ物も持っていなかった。残念でした。

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コトル周辺の気温は40℃近くまで上がり、海からすぐなので湿度も多くてしんどい。だから人間様は老若男女みんな昼間海に入って涼んでいる。この辺の家はクーラーないところも多いし。猫も昼間の暑さでぐったり、夕涼みして体力回復、といったところか。

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そして猫の親子。日が暮れてきたので活発に動き始めたところ。子猫は好奇心旺盛なので見ていて面白い。

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コトルを離れ、60キロほどに南下したところにあるバルという街を訪れた。港町で、フェリーでアドリア海を渡るとブーツの形をしたイタリアのかかとのあたり。旧市街には城の遺跡、というか廃墟があり、なかなか面白い。無慈悲に照り付ける太陽の下を歩いて数百年前の石造りの建物の残骸を見て歩き、あまりの暑さに痛めつけられてレストランで遅めのランチを食べていると、こやつが人間様を観察しにやってきた。暑くないのか君は。

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そういえば廃墟のような城の遺跡の中にも猫がいた。お母さん猫だ。暑くて逃げる気もわかないらしい。子猫がどこか近くにいたはずなのだが、探しても見つからなかった。なんだかエジプトの壁画に出てきそうなプロポーションをした不思議な猫だった。

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そして最後はおまけなのだが、モンテネグロではなくお隣のボスニアヘルツェゴビナのトレビニエという街にいた猫。トレビニエはいい気が流れている素敵な街で、大きなプラタナスが作る木陰で涼しい広場にレストランやカフェが並び、みんな幸せそうに夏の昼下がりを過ごしていた。そこにいた一匹。

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私は特段猫好きというわけではないのだが、旅行中ということもあっていつでも写真を撮る態勢だったのでつい沢山猫の写真を撮ってしまった。猫が幸せに暮らしている街は、多分綺麗に掃除されておらず、野良猫に苦情を言う人もおらず、みんなつまらないことで思い悩んだりせずに適当に幸せに暮らしているのではなかろうか、と思う。

西天満 Rosebank、北新地 Tarlogie Sonaにて

久しぶりの大阪。夕方まで仕事があり、その後東京に帰ってくる便を押さえてあったのだが、当日の朝になって気が変わって一泊することに。三連休前の金曜日だから、というのもあるが、友人の命日が二週間ほどでやってくるのでとんぼ返りするのではなく、翌朝少し早めに大阪の郊外にある彼の墓を参ることにした。

それにしても暑い。荷物が増えるのが嫌で下着の着替えだけ持ったのでシャツとスーツはそのまま翌日も着なければならず、汗かきたくないな、と思っていたが無理な話。大阪は暑いでしょう、とお客さんに言われたが、今年の東京は実はあまり変わらないぐらいかむしろ東京の方が暑いぐらいだ、というとなぜか納得いかなさそうな顔をされた。そんなところで張り合っても何もいいことないのに、だけどそこが大阪らしい、とちょっと可笑しくなった。

チェックインし部屋で仕事の続きを終えたのが7時半。さあどこに行こうか、と思うがあまりの暑さにビールの誘惑にボロ負け、というより惨敗。宿の近くのサッポロビールの直営らしい洒落乙な店に吸い込まれ、カウンターに座ってとても上手にタップから注がれる蒸留されていない麦汁でのどの渇きをいやし、正面のスクリーンに映る私以外誰一人興味を示していない自転車のイタリア選手権を身を乗り出してがっつり見入っていると、2時間ほどが過ぎていた。

いかんいかん、せっかくの大阪なので2軒はバーを廻りたい。ここで酔っぱらってしまうわけにはいかない。2軒目はRosebank。西天満まで歩いていくとまた文字通り汗びっしょり。もう10時前だというのに。

以前伺ったのはいつのことだったろう。そう思いながらドアを押す。カウンターの両端に女性が2人。真ん中に陣取る。「鴨川のカップルみたいですね」と右端の女性が誰に言うともなくつぶやく。いやそりゃそうでしょ、いきなりどちらかの女性の隣に座るわけにもいかない。もしかすると「じゃあお隣に失礼しますので一緒に飲みましょう」というのが正解だったとすると、難易度高すぎ。

カウンターの上にBowmore、Lagavulin、Laphroaigの2017年のアイラフェスボトルが3本並んでいる。どれを飲むか悩んだが、初めて飲んで感動する旨さだったのでおととい渋谷Caol Ilaで改めて頼もうとしたら目の前で売り切れたLagavulinをお願いすることに。

だがよく考えたらRosebankに来たのならここでしか飲めないオールドのボトルをお願いすべきだと思いLongmorn。常連さんとその連れが現れ、マスターとバー業界の話をする。それも西日本各地のモルトバーの情報をよくご存じで。大体そういう話は嫌味っぽく聞こえることが多いものの、全然そんなことがない。どこかの若旦那かな、と思ってお話を伺うと高校の先生とおっしゃるのでびっくり。お連れの方は同じく先生だが教え子、だそうで二度びっくり。

その後お勧めいただいたRoyal Bracklaのハイプルーフがとても美味かったが、正直ウイスキーについて語るには酔っぱらい過ぎ。最後にこれ飲んで帰れ、というのはありますか、と聞いて出てきたGlen Grant飲み終わってお勘定をお願いした後に、東京のバーの話になってそこからまた長くなった。

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そこからまた北新地へ向かう。途中にある酒屋でウイスキー売っている値段を確かめると、ちょっと異常。イチローモルトのオフィシャルが3倍の値段で売られていたりして、アジア人向け価格なのか、本気で売っているのか。

新地の店がはねる時間。帰るお客さんもいれば、おねえさんとアフター行くおじさんたちもいて。そんな人たちを見ながらTarlogie Sonaへの階段を上がる。店に入ると「お久しぶりです、でもFacebookで見ているのであまり久しぶりの気がしませんね」と榊原さん。

お店はおじさんたちが二組いるので結構混んでいる。二組目のお客さんが出ていくところでHighland Parkの硝子製の盾のようなものが落下して割れてしまう。自分が店をやっていたら気に入っていたグラスが割れたり物が壊れたりすると辛いだろうな、と思う。

他にお客さんがいなくなり、二人でたわいない世間話をしながら時間を気にせず飲むのは楽しい。明日は6時半に起きればいいし、飛行機の中でも寝ることができるだろう。私は平日は朝が早いのでいつもは1時を過ぎて飲むことはほとんどないが、今日は関係ない。

今日は泊りなんですよね?ええそうなんです。本当は日帰りのはずだったのだけど、明日の朝墓参りしてから帰ることにしたので。中学、高校の時の親友の墓なんです。大学入ったばかりの時に交通事故で死んでしまったので、もう25年以上毎年来ているんですが。親御さんには挨拶されるんですか?いえ、お葬式の時に自分が親だったら「なんでこの子じゃなくてうちの子なの?」と思うだろうな、ととても強く思って、なんだか申し訳なく感じてそれ以来あまりちゃんとできていません。

それははるか昔、平成3年の夏のことで、もはや自分の感情が動くとはまさか思っていなかったのだが、ずっと仲が良かった二人の間につまらない諍いごとがあって、なかなか仲直りのきっかけが見つからずしばらく疎遠になってしまったときにその出来事が起こり、永遠に仲直りできなくなってしまったことが改めて悔やまれ、不意に涙が落ちそうになった。

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翌朝は自然と目が覚め、久しぶりの阪急電車に乗って大阪郊外へ。涼しかったことは過去一度もない。お墓はきれいに手入れされていて、前日にも誰かお参りした人が来た形跡が残っていた。朝早かったので花屋が開いていなくて手ぶらで来てしまったことを詫びながら、近況を手短に報告する。おそらく来年の今頃も、似たような話を書くのだろう。かつても似たようなことを書いた気がするが、それでいいのだ。一番の供養はいなくなった人のことを忘れないでいることなのだから。

 

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本を読むことの意味(それもウイスキー飲みながら)

本を読むということは私にとって非常に重要なことだ。他者が人生の大部分を費やして辿り着いた経験知を簡単に手に入れられる。人が老いてからようやく気づいた後悔について書かれた自伝的小説を仮に読んだとすると、私が同じような過ちを犯して死ぬ前に同じように後悔する可能性はわずかながらかもしれないが下がる。その分、自分の人生を後悔なく生きることができるようになるわけだ。それも何十人、何百人といった人の人生の教訓を簡単に得ることができ、それにかかるコストは本代と読書にかかる時間のみ。(念のため言っておくがHow-to本を何百冊も読めとは死んでも言っていないので誤解のないように。それは多くの場合時間と金の無駄遣いだ。)私の生きる時間は有限で一度だけの人生だが、沢山の人が人生をかけて学んだことをわずかな費用と時間で得られる。そして人と会って話を聞くのと違っていつでも自分の都合がいいときに(寝っ転がりながらでも、酔っぱらいながらでも)それに触れることができる。こんなに費用対効果が高いものはない。

私の人生に大きな影響を与えた本「まぐれ」「ブラック・スワン」の著者ナシーム・タレブの邦訳が最近発売された。「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」という本だ。原書が2012年に出ているので、日本版が出るのに5年もかかったということになる。最近はその本を読むのが本当に楽しみだった。ちびちびとウイスキーを飲みながら読み、電車の中でのわずかな時間でも読む。そして自分の中でまた咀嚼する。
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彼の本から学べることのたくさんのうちからいくつか紹介する。

過去がこうだったから、将来もこうなるとは言えない。七面鳥は飼い主から毎日毎日手塩にかけて育てられ、七面鳥からすると飼い主からの愛情は永遠に続くと思えるかもしれないが、3年経った感謝祭の直前にそれが間違いだったことに気づくことになる。七面鳥は感謝祭のごちそうになってテーブルの上に乗る。1000日間同じことが続いたからと言って、1001日目も同じ1日になるとは限らない。逆もまた真。新しい技術や油田の発見のように毎日何の結果も出なかったとしても、ある日突然とんでもない発見をするかもしれない(逆七面鳥問題)。

したがって未来は予測できない(100年後に人間はとてつもなく荷物を運ぶのを簡単にする画期的な仕組みである車輪を発見する、と予想できる人がいたら、それはすでに「発見」されている)。予測できないが実現すると社会にとてつもなく大きな影響を与えるものをブラック・スワンといい、ブラック・スワンが起きた時に敗者にならず利益を得るものになるためにはどうすればいいのか考えるべきである。未来を予想することができると考えたり世の中で起きていることをモデルで説明できるという人は世の中に自分(あるいは人間)が知らないことはない、という傲慢な考えを他人に押し付けている。

この本がマニアックな本でとっつきにくいと感じる人も多いかもしれないが、全部を理解する必要はない。村上春樹の小説を読了して「だからなんなの?」という人がいるが、いや別に一つの結論とかってものはないんだけどそれが何か?と逆にこちらが聞きたくなる。それと一緒で、得ようとすれば学べることはいろんなところに転がっている。


酒を飲みながら、読んだことの意味を改めて自分の中で反芻する。前にも書いたが酒を飲むとずっとしまったままだった記憶の抽斗が開くことがある。バーテンダーの人と話す時間もそれなりにあるが、本から得たものを触媒にしながら時間に迫られることなく酒を飲んで記憶の抽斗から様々なおもちゃを取り出して脳内で遊んでいるうちに、本から得たものが自らの血肉になっていく気がしている。

最近圧倒的に旨かったのはLagavulinの2017年アイラフェスティバル記念ボトル。もともとLagavulinの16年はバランスがいいけれど、それをもっともっと洗練させてピートのスモーキーさがシェリーの甘さに包まれながら長い余韻が続く感じ。熟したベリーとマーマレード。素晴らしい。あまりの出来の良さに驚きWhisky Exchangeなどで買えるかと思って全力で調べてみたけれど全然見つからない。Caol Ilaのフェスティバルも悪くないけれど、Lagavulinの出来が良すぎて埋没。渋谷のCaol Ilaさんにて。

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新橋のCapadonichさんに久しぶりに行って飲んだElements of IslayArdbegも同系統の旨さだった。ArranもBenriachもバーボン樽のしっかり効いた骨太な造りで私の大好きなタイプ。

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Capadonichは他のお店に比べていいものがリーズナブルな価格でいただけるイメージがある。お一人でやっていらっしゃるからできることなのかもしれない。お客さんもそこからメリットを受けているわけだから、その辺のことをわかったうえでオーダーする人を見ると「ああこの人大人だな」と思う。あるお客さんが注文したカクテル作っていらっしゃるときに横から別のオーダー出したりせずにしばらく待っている人とか、シュワシュワ泡が出るものを頼むときには二人で同じもの飲むカップルとかは見ていて気持ちがいい。

レストランで本当に旨いパスタを食べたいのなら、何人かで出かけたとしても同じ種類のパスタを全員で注文しろ、とか、鮨とショートカクテルは出てきたらカウンターの上に置きっぱなしにするな、とかいうようなことも本や小説から学んだ知恵で、意外と本から得た知識は私の血肉になっている。どちらかというと肉というよりは脂肪として身についている気がするが。

 

神楽坂 バー・フィンガルにて

私にとってはあまり馴染みがない街、神楽坂。私の頭の中では、新宿荒木町と同じ抽斗に収納されている。神楽坂で会食が終わって10時過ぎ。さあどうしたものか、新宿行くか、渋谷に行くか、はたまた。しばしの逡巡の後、結局神楽坂で1人飲むことに。

ググって探したバー・フィンガル。神楽坂の真ん中らへんから北に入ってしばらく行くとある路面店。照明が明るく、中が窓から見える珍しいモルトバー。誰も先客がいない。月曜日の10時では仕方ないのか。一度通り過ぎてから戻る。なぜ通り過ぎたのかは自分でもよくわからない。

カウンターに陣取ってバックバーを眺める。オフィシャルの現行品のボトルがほぼないので、人に素直にものを聞くことができない人が後輩や女性を連れて入ってくると厳しい展開になるタイプの店。だがバーテンダーの方はとても親切だ。Longmorn飲みたいんですがお勧めは、と言ったらバックバーから3本ほど見繕って持ってきてくださって、各々のボトルの特徴を細かく説明してくださった。一杯目はSignatoryのLongmorn、1990年の26年をいただく。
自分の知っていることはもう知っていることなのでいくらひけらかしても仕方なく、人から新しい何かを教えていただくことで人生がより豊かになる、と信じている。

初めて訪れるバーでは「いつからお店をやっていらっしゃるのですか」とか「この近くではウイスキー飲まれる方は多いのですか」などあえてこちらから水を向ける。もちろんウイスキーそのものの話をしてもいい。特に今回のように先客なしで1対1だと、どこかのタイミングで私に話しかけないわけにはいかないだろうから。

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二杯目はスペイサイドのバーボン樽熟成のおすすめを、と言ってStrathIslaのSociety1973年をいただく。Societyの昔のラベルのボトルが2本バックバーに出ていたうちの1本。オフィシャルのボトルもほとんどがオールドのものに思える。どのボトルもきれいに磨かれている。場所柄か出版関係と思しき4人連れが入ってきてカウンターに陣取り、静かな時間の流れが止まる。
StrathIslaを時間をかけて飲んで喧騒をやり過ごし、次のもう一杯へ。再び店には静寂が戻る。宮城峡と余市の蒸留所でウイスキー造り体験、というのができるのだが、その体験した人だけがもらえるボトルがある。聞くとお客様からのいただきものだということ。愛されているバーなのだろう。分かる気がする。

おすすめを、といったら山崎蒸留所80周年記念のボトルを出してきてくれた。「そろそろ酔っぱらってきていて折角の貴重なボトルがもったいないので、また今度にします」と言ったら「次回いらっしゃったときにはおそらく残っていないので」とのこと。確かにあと1杯取ったら終わってしまいそうだったのでいただくことに。そうやって貴重な酒を出してもらえるということは、酒飲みの1人として認めてもらえたのだな、と少し気持ちが温かくなって店を出た。これまでよく知らなかった街に改めて来てみるきっかけができた。

allabout.co.jp

 

 

 


 

竹鶴政孝著「ウイスキーと私」を読みながら飲むブラックニッカクロスオーバー

先週末にトライアスロンがあったのでレースまでしばらく禁酒していた。その間少しでも気分を紛らわせるため、こんな本を買った。ウイスキーにまつわる小説のアンソロジー。

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今宵もウイスキー (新潮文庫)

今宵もウイスキー (新潮文庫)

 

 竹鶴政孝山口瞳開高健伊集院静などの手による短編が17編収められている。その中でも開高健の文章が他のどの書き手のものとも違う圧倒的な熱量を発していることを再確認し、二十年ぶりぐらいに読んでみたくなって「輝ける闇」「ベトナム戦記」などをAmazonで発注。そして竹鶴政孝の「ウイスキーと私」も。
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ウイスキーと私」には事実と異なる点が多いという批判もあるが、明治25年の生まれの方が昭和40年代後半、すなわち80歳近くなって60年近く前の自分の来た道を振り返れば多少の記憶違いや美化もあろう。

ウイスキーと私

ウイスキーと私

 

届いたばかりのブラックニッカクロスオーバーを飲みながら読む「ウイスキーと私」。あっという間に読めてしまう。「坂の上の雲」のように坂は上るのみ、天は近づくのみ、と皆が信じ切っていて実際に誰もが成長を享受できた時代があり、二回の大戦があり、平和になってからのウイスキーブームとその終焉があり、そして直近のリバイバルがあると思うととてつもない時間の重みを感じる。その一方でウイスキーという酒は人類の歴史の中では相当新しい酒の部類に入ることも再確認。そして平和な世界が来て寿屋、昔のサントリーの宣伝部員ながら芥川賞も受賞したにもかかわらず、自ら望んでベトナム戦争に従軍して戦記を書くために200人の部隊と行動を共にするものの、ベトコンに包囲されて17人しか生き残らなかった戦闘の生き残りのうちの1人となった開高健の自伝的小説「輝ける闇」を読む。

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

 

最初はクロスオーバーよりもブレンダーズスピリットの方が好きかもしれない、と思ったが時間を置くにつれクロスオーバーの尖ったアルコールの辛味がふくよかな味に変わっていく。

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一度にたくさんグラスに注ぐより、少しだけ注いで体積に対して空気に触れる面積の割合を大きくしてやると旨みが引き出される。もう少し時間が経つと本領がより発揮されるのだろう。
香りは明らかにブレンダーズスピリットの方が甘い。クロスオーバーは若干サルフェリーでニューポットのような金属っぽい感じが残る。クロスオーバーはグラスの壁にへばりつくがブレンダーズスピリットはさらさら。口に含むと力強さはクロスオーバーが圧勝。麦の感触を骨太に残しながら鼻腔をかるいピートの香りを伴い力強く揺らしていく。だが意外と癖はない。ブレンダーズスピリットはとても綺麗で気品を保ちながら喉に消える。
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どちらもよくできたウイスキーで、これが一本2000円程度で楽しめるというのは素晴らしいことだ。クロスオーバーの方が長く楽しめるかもしれない予感がして、しばらく買った事実そのものを忘れてしまって数年後に思い出して飲んだほうがいいのではないかと考えた。




 

復興のあとを訪ねて その2

東松島から再び国道45号線を北上川沿いに走る。川幅が広く透明感の高い緑が広がり、ゴールデンウイークというのに車もまばらで人造物もあまりなく、日本離れした光景。心に波風が立っても、自然を見ると癒される。

国道には至る所に「ここから津波の際の浸水箇所」という看板が立っている。それも海抜25mと書かれているようなところでも。リアス式海岸なので津波の高さが増幅されやすいとはいえ、こんな山の中でと何度も驚かされる。

三陸に近づくと国道が寸断されているところが出てきて、被害の大きさを無言のうちに物語る。しばらく走ると視界が開け、盛り土に覆われた「町」のようなもの、が出現。というのも街の中心部だったところには道と盛り土しか基本ないのだ。街に当然あるはずの店もほとんどなければ人家もない。

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そんな中、20m近い高さと思しき盛り土の上にさんさん商店街があった。さすがゴールデンウイーク、駐車場に入る車で大渋滞。言い方は悪いが、街には土地がたくさん余っているのに駐車場に車が入れなくて渋滞しているというのはとても皮肉だ。
何とか車を止めたのが12時過ぎ。1時から南三陸観光協会の語り部プログラムで震災の話を伺う予定になっており、早く何かを食べないと、と気が焦るがどこも混みあっている。強風の中、フードコートで家人たちが所望したうに丼を食べ終わるともう1時10分前で慌てて車で南三陸ポータルセンターへ。

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観光協会で受付を済ませ、お話をお伺いするSさんとおっしゃる60過ぎぐらいの男性の方とご挨拶。まずは観光協会の隣にある展示室で事実関係のおさらいをし、それから道を150m程度歩いて200段ほどの階段を上がって志津川中学校から街の全景を見ながらお話を伺う、というのが語り部プログラムの流れだ。

南三陸町と書かれたブルゾンを着た役所の方が、防災庁舎の屋上のアンテナの周りで手をつないで屋上に避難してきた人たちを津波から守ろうとする写真を見せていただいたが、2人はSさんの幼馴染、守られているうちの1人も知り合いのおじいさん。3人とももう写真でしかお見掛けすることはできないそうだ。

ご家族やご自宅には被害がなかったのか、というようなこともこちらからお伺いするのはとても気が引けるので、中々質問ができずSさんのお話をひたすら伺う。Sさんはどのようなお仕事をされているのだろう、もしかすると教育関係の方かもしれない。感情を表に出さずに理知的に淡々とお話をされるが、地元に対する強い愛情は言葉の端々から感じ取れた。

ポータルセンターのすぐ近くが町の消防庁舎だったという。更地なので言われないと気づかないがよく見ると花束が。後程Sさんのお兄さんもこちらでお亡くなりになられたと伺った。非番だったそうだが、地震後すぐに庁舎に駆けつけて詰めておられたときに2階までしかない消防署が津波に襲われたそうだ。「非番の日だったからどこか他の町にでも出かけていればねえ」、感情をあまり出さずにそうお話になったが無念さはひしひしと伝わってくる。

国道を渡り、200段以上ある階段を上り始める。階段の横の手すりが新しくなっていて、そこまで水が上がってきたとのこと。Sさんは地震の際には気仙沼で仕事をしていて、通勤用の自分の車が津波でやられてしまい歩いて南三陸の自宅まで帰ろうとしたが途中で知り合いに車に乗せてもらうことができ、自宅に帰って家族の安否が確かめられるかと思っていたら津波で道路が寸断されてなかなか自宅に辿り着けず、家に帰れたのが真夜中過ぎだったとのこと。f:id:KodomoGinko:20170510115752j:plain
自宅は海抜10m程度のところにあったので多分大丈夫かと思ったそうだが、そこにいらっしゃった義理のお父様が亡くなられたとおっしゃっていた。奥様も南三陸の市街地の公的施設で働いていてそこも完全に津波に飲み込まれてしまったので諦めかかったそうだが、地震の後すぐに避難するよう強く勧めた上司の方のおかげで命拾いされたそうだ。

6年前の今頃に東京に帰ろうと矢本の駅で松島行のバスを待っていたら、地元のおじさんが突然缶コーヒーを奢ってくれた。「毎日葬式ばっかりで、花ばかり買っている」、と嘆いていたのを思い出す。

Sさんは地震の後気仙沼の職場がなくなってしまい、南三陸町仮設住宅の人たちに声掛けして回る役場からの仕事をされたという。なぜ仮設住宅で一人暮らしをしているのか、とはなかなか聞けなかったとのこと。どんな辛い経緯があるのかわからないからだ。目の前には志津川中学校の校庭の端に立つ仮設住宅が見える。

仮設住宅に入るときに集落のコミュニティがなくなって知らない人たちとの生活で気苦労が絶えなかったこと、この夏で仮設住宅から出ていかなければならないが、せっかくできたコミュニティがまた壊れてしまうかもしれないこと、仮設住宅から出られるのはうれしいが家賃を払う必要がある公営住宅に行くのは経済的に厳しいため仮設に残りたいと思う人たちもいること、など復興の影の部分のお話をたくさん聞いた。

この前も総理大臣と復興担当大臣がさんさん商店街に来たけれど、復興しているところしか見て帰らず、本当の姿は見ていない、また例の「東北でよかった」というのは本当にその通りで、まだ古いコミュニティの助け合いの精神が残っている東北でよかったんだ、ということもおっしゃっていた。

f:id:KodomoGinko:20170510115658j:plain上の写真は階段の上の志津川中学校前から撮った。震災前の写真を地元の写真屋さんがフェンスに貼ったそうだ。田んぼと海に挟まれた街がそこにあったが、今は町の中心には家は建てられない。

防災庁舎は残してほしくないという遺族も多くいたという。見世物にしてほしくない、という声も多かったそうだ。特に観光客が防災庁舎をバックにピースサインで写真を撮ったりする光景が耐えられなかったという。だが住民投票で6割ほどの人が賛成をし、県が20年震災遺構として保存することになった。そのために錆止め塗装を新たに施したためより見世物っぽくなったと感じる人もいたという。保存のためには錆びて朽ち果てさせるわけにもいかず、なかなか難しいのだが。 

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今は使われていない国道越しに、静かに両手を合わせてこうべを垂れた。

瓦礫という言葉も一部の人の心を傷つけるという。瓦礫というとゴミ、という響きに聞こえるが、あれは我々の生活の痕跡であってゴミではない、ということだそうだ。

そう聞くと、何も聞かず何も言わない方がいいのかもしれない、とつい思ってしまう。だがそうすると全てが風化していってしまう。しかし根掘り葉掘り無神経に質問することで、人の心を傷つけたり精神的に大きな負担を強いることは本意ではない。そういう葛藤がある中でボランティアの方からお話を聞かせていただける語り部プログラムというのは非常に貴重だ。実はボランティアの方に精神的な負担をかけてしまっていて、彼らの義務感や使命感にフリーライドしているだけかもしれない、とも思うのだが。

予定の時間をオーバーしてSさんはたくさんのお話をしてくださった。丁寧にお礼を述べる。その後歌津の港も見て、仮設の商店街に立ち寄ってから仙台に戻った。結局結構な量の宮城産の酒を買い込んで東京へ。今回の旅で地震の記憶がない娘が命の尊さを含め何かを感じとってくれたのであればよいのだが。

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復興のあとを訪ねて

宮城峡蒸留所訪問後は仙台のホテルで一泊。本来ならばいくつかバーを巡ってウイスキーを飲みたかったのだが、旨い三陸の魚を食べるとつい飲みたくなるのが日本酒。地元の酒を飲んで復興に貢献しすぎ、一度ホテルに戻った後は飲みに出ることができず撃沈。

翌朝車を借り仙台市若林区にある震災遺構、荒浜小学校跡へ。震災の時に流れた津波の第一波が名取川を逆上してくる映像を覚えているかもしれないが、まさにその場所。

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10時からの公開時間より前に着いてしまったので周りを走ってみるが、見渡す限りこのような感じ。家の土台が残っているところ、お墓が新しく作られているところ、流された墓石がまとめておかれているところ。かつてはそこに人の生活が確かにあったのだと思うが、それを想像するのが難しいぐらい何もなくなっている。
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この小学校の向かって右手の海岸から押し寄せた津波、2階の床上40㎝ほどまで浸水し、1階の教室前の廊下を流されてきた車が塞いでいたそうだ。

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地震のあった時4年生以上の子供はまだ学校で授業を受けていて屋上に避難したとのこと。高さのない体育館に避難していたら多くが犠牲になっていた。3年生以下の子は帰宅していたそうだ。生徒が一人犠牲になられた、ということだったがもしかしたら低学年の子だったのかもしれない。うちの子供は4年生になったばかりだ。この地区では180人ほどの方が亡くなられたと伺った。

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この近辺は居住が許可されないエリアとなってしまい、かさ上げした道路と空き地しかなかった。ここには本当の意味での復興というものはない。

それから閖上のさいかい市場へ。仮設店舗で営業している若草寿司さんで海鮮丼をいただく。大将一人がづけ台に立っていて料理に時間がかかるがいいかと言われたがこちらは特に急ぐ理由もない。待っている間に本マグロのかま焼きを出していただいてお客さんみんなと分けて食べたのだが旨くて驚いた。

国道45号線を走って塩釜へ。鹽竈神社に参拝、災いがないことをお願いする。途中で浦霞の造り酒屋が見えたので帰りに立ち寄る。

ちょうど2時から見学ツアーが始まるところに滑り込む。

f:id:KodomoGinko:20170509225347j:plain写真右下は地震の際仕込んでいた清酒のもろみが樽からこぼれてしまった、という説明を受けているところ。海から500mほどしか離れていないこの蔵元も1m弱冠水してしまい、蔵の一部は壊れその年は清酒を作ることができなかったという。醸造酒の免許しかなかったが、被災したもろみを無駄にしないため一度限り特別に蒸留酒の製造許可をもらい米焼酎を作ったそうだ。それが震災後6年経ってもまだ残っており、梅を漬けて梅酒にしてあるというので購入して帰ることに。浦霞は「うらがすみ」ではなく「うらかすみ」と濁らず読むのが正しいそうだ。知らなかった。

塩釜から松島に入り、日本三景の一つを見て回って2日目は終了。

松島の宿で休日の割に早い朝食を摂り、国宝の瑞巌寺を見に出かけた。ここも海岸からほど近く、立派だった参道の杉も一部塩害で枯れてしまっていた。襖絵が立派に復元されていたが、博物館にある本物を見ると圧倒される。国宝の本堂と庫裏だけ見て帰る観光客がほとんどだったが、本物の襖絵を見て帰ることを強くお勧めする。

再び車で北上。震災から3か月ほど経った頃にボランティアに来たところだ。当時はJRが復旧しておらず、松島の駅から矢本までバスに乗った。野蒜の駅近くは当時こんなことになっていた。

f:id:KodomoGinko:20110618170527j:plain今はヤマザキデイリーストアではなくファミリーマートが建っていて、その隣が震災伝承館となっていた。

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野蒜駅にあった券売機が保存されている。

f:id:KodomoGinko:20170509231940j:plain伝承館の2階で見た野蒜を襲う津波の映像が改めて恐ろしすぎた。狭い街並みをとてつもないエネルギーを持った津波が襲い家々をあっという間になぎ倒していく。奥様をなくされたおじいさんのインタビューも胸に突き刺さる。

被災した家の整理のお手伝いをした航空自衛隊松島基地近くに行ってみたが、そこも居住ができない地区になっていて集落そのものがなくなっていた。ここにも復興はなかった。