東京ウイスキー奇譚

こだわりが強すぎて生きていきづらい40代男性の酒と趣味への逃避の記録

ウイスキーの聖地アイラ島訪問の詳細は以下のリンクから。
訪問記 アイラ島 初日 2日目 3日目
蒸留所写真  Ardbeg1 Ardbeg2 Laphroaig1 Laphroaig2 Bowmore
アイラ島写真 
アイラ島への旅行についてのアドバイス エディンバラ2日目  グラスゴー

  

大阪にて:「最高にエロい」と称するガチャガチャにトライする勇者あらわる

久しぶりの大阪は私の知っている大阪よりも圧倒的に寒かった。日中の気温は3℃ぐらい、風がびうびう吹いていて氷点下の体感温度。間違ってコートを着ずに飛行機に乗ったので、あまりの寒さにかき氷を食べた時のような頭痛に襲われる。

昼飯は大阪名物お好み焼き定食。食べたかったミックスモダン焼きは時間がかかるというのでしょうがないなあ、と思いながら注文。おにぎりをおかずにご飯食べるみたいなもんだ、とかこれまで東京でネタにして茶化していたが、食べてみるとお好み焼きのソースと白いご飯が意外にマッチし、同行した同僚と少しうなった。
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いつもなら仕事の後は街をうろうろするところだが、あまりの寒さに元気をなくし、いつも拝見しているこちらのブログで紹介されているお店に行く。「民芸酒房 牧水」という法善寺横丁の近くにある店。

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店に入ると「おかえりなさい」と迎えられる。スタッフの女性は皆さんお年を召していて、実家でオカンにつまみ作ってもらって食べさせてもらっているような気がしてくる。寒いときの定番、麦焼酎のお湯割りを頼み、少し悩んでいわしのきずし、カキフライを注文。きずし、ってなんだ?と思われる方もいるかもしれないが、関西では青身魚を酢で〆たものをきずしと呼ぶ。念のためだがお米はなくて刺身のみ、アクセントは「き」にはこないで「ず」にくるので東京の人が正しいと思うアクセントで注文しても一瞬???という顔をされると思う。東京の人が「木津市」というのを読む感じでアクセントつけるのが正解。3文字の言葉の大阪弁でのアクセントの置き方は難しい。そしてハタハタの唐揚げ。

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周りはやはり裕福な感じの帝塚山とかに住んでいそうな大阪のおじい様中心。そんな関西でいいものずっと食べてきている人たちの話すことを聞くともなく聞かなくともなくしているうちに身体も温まったので店を出る。

ふらふらと難波の近くの商店街を歩いていたら、道端にこんな謎の物体を発見。一回通り過ぎたが、あまりのインパクトに戻ってきて写真を撮った。こんなの東京にはないわ。




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「たった500円で人生最高のエロい笑顔が生まれます 悩んでないでレッツガチャ‼」って言われても。これが怪しい一角の怪しい店の前にあるならまだわかるが、東京でいうなら渋谷センター街の入り口のツタヤのちょっと先にある、ぐらいのロケーション。大阪ならでは。面白かったのでFacebookにアップしておいた。

そしたらなんと次の日に勇者があらわれた。私の大学時代の同級生、公認会計士事務所経営、から飛んできたメッセージ。

 

 

 

 

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流石に大阪在住の人からしてみても面白かったようだが「後学のため」という枕詞はこんな時に使うものではない気がする。1年以上無沙汰だったくせにここに食いついて連絡してくるとは…。いい友人を持ったものである。

 

 

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インパクト絶大のガチャガチャ、それをスーツ着た格好で一人でガチでやっているだけで結構周りはドン引きなはずだが、そのガチャの写真写真撮ってる時点でヘンタイだ。白鵬に負けた後にずっと土俵下で行司の軍配に抗議するふりして手を挙げたまま土俵に上がらないぐらいの真の勇者だ。何が彼をそこまで駆り立てたのかはよくわからない。


 

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東京ならこの写真を外で撮っているだけで通報されても文句言えないかもしれない。しかしこの写真だけだと今一つ史上最高のエロい笑顔がでるとはとても思われない。そもそもそんなもの500円で期待する時点で、50年弱生きてきた人生から何も学んでいないとそしられても文句は言えない。

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…。今度会った時に金渡そうと思っていたのだが残念なことこの上ない。しかし今度大阪で自分がやるには恥ずかしいけど興味津々、というときにはK会計事務所の所長がやってくれるということが分かった。自分で恥ずかしい思いして500円払って男物のパンツ出てきたらちょっと打ちのめされる、のでやはり私の友人は勇者だ。だがそこから意外な展開が。

 

 

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誰がガチャやったか、特定されたら恥ずかしいぐらいの羞恥心は残っていたようである。しかしやはりもう一度眺めてみると女性用かも。いくら新品とはいえ、女性用のパンツの写真を外で撮っているスーツ着た公認会計士の姿を想像してみたらさらに笑えた。大阪の懐の深さと友人のブレイブハートに改めて衝撃を覚えたせいでいつもと大分違う路線の記事になってしまってすみません。

 

 

 

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好きなレストランを応援するということ

応援しているレストランがある。当たり前だが応援しているということは何らかの理由があるからなのだが、あまり真剣にそれについて考えてみたことがなかった。しかし今回とあるきっかけがあり、なぜ自分が応援したくなるのかを改めて考えてみた。

やはり一生懸命に美味しいものを作ろうとしていることが伝わってくると応援したくなる。もちろんすべてが口に合うとは限らないわけだし、現実問題として毎回ベストの一皿が出てくるとは限らない。例えば鮨だと魚の一番おいしいところは先ほどのお客さんに食べられてしまった、なんてことは普通にあり得る。野菜も肉も魚も、同じものは一つとしてなく、出汁の入り方も気温や湿度や素材の出来によって毎回変わってくる。でも一生懸命やっていらっしゃることを知っていれば、たまに少しのハズレがあってもまた来ようと思える。私が応援しているお店ではそうそう外れることはないが。

その延長線上で、来るたびに、とまでは言わないもののお邪魔すると新しい発見や驚きがある、というのも大事だ。いつも一定以上のクオリティの安定した味、というのは大歓迎だが、驚きがないと何度も来ようとは思わなくなってしまう。違う言い方をすると、常に進化し続けていて欲しい、ということになるのかもしれない。
生鮮食品の生産技術、流通や保存方法も日進月歩、昔と比べて食材の平均的なクオリティは間違いなく上がっている。だからそれに合わせて工夫ができる料理人と伝統に固執し続ける料理人ではどうしても差がついてきてしまうのでは、あるいは家で素人が料理するのとの差が埋まってしまうのでは、と思う。それだとそれなりのお金を出して、わざわざ何度も食べに出かける意味がないではないか。

心地よく食事できること、というのも重要だ。味だけではなくてそのレストランでの体験をもう一度味わいたいか、というのが再訪したいかどうかの分かれ道。どんなに美味しくても、寛げないと楽しくない。料理人から勝負を挑まれることは喧嘩上等、受けて立ちたいと思う気持ちもあるが、現実としてはせめて仕事じゃないときぐらいリラックスしたい。客に妙な緊張感を与える店もあるが、結果としてそういう店には味が良くても足が遠のいてしまう。それが店のせいではないときもある。例えばお店を紹介してくれた人が私にとって難しい人だったりすると、いつその方がその店に現れるかと思って寛げず、気が付いたらお店もお店の味も好きなのだが伺うのが億劫になってしまう、ということもある。
あとは自分の好みを覚えていただいている店はありがたい。私のためだけに仕入れをするわけではないのだろうが、「今日はYさんのお好きなホワイトアスパラガスのいいのがあったので仕入れておきました」などと言われたら当然居心地はいいし、また来ないわけにはいかないではないか。

気軽に何度も訪問できるぐらいバカ高くないことも大事。でも安ければいいというわけでもない。ちゃんとした材料を使って手間暇かけて作った料理を出していらっしゃるのだから、それなりの値段は取っていただいて構わない。利益率が低く、お店に儲けが出ないといろんな意味で疲弊してしまう。客筋も悪くなるし。変に雑誌やウェブで「値段の割に安い!」なんて取り上げられると一見の客が増えて予約も取れなくなって結果的に常連の足が遠のき、一過性のブームが去ると店の経営が安定しなくなる。だから、ちゃんとしたお店は高過ぎない、そして安過ぎることもないちゃんとした値段をとってもらいたい。

実は私にとってこれらの条件をすべて満たした店が2つある。一つは今流行りの奥渋、渋谷神山町交差点の近くにある鮨屋。10年以上お邪魔しているが、ここは紹介する人が皆驚くほどのクオリティの高い鮨が夜でも1万円ほど払えば食べられる。二年ほど前に、病院の待合で「おとなの週末」という雑誌の鮨特集を見ていたら、編集長が取材拒否された店、というコラムに書かれている鮨屋がまさにこの店としか思えなかったので大将に聞いてみたら、「一人でやっているから勘弁してくれ、って断ったんですよ」と言っていた。仕入れる魚もいいし、仕事も丁寧で、常連に愛されている店。一人でやっていらっしゃる上に場所柄もあり、周りのペースに合わせて注文ができる大人のお客さんのみ来てもらいたい。

そしてもう一軒が、こちらも渋谷だが青山寄りにあるステーキの店。かつてはお客さん全員分の塊肉を窯で焼いて、8時の焼き上がりとともにみんな一斉にメインを食べ始める、というスタイルだった店。今はいつお店に行っても大丈夫。ここのシェフの感覚の鋭さにはいつも驚かされる。例えば下の写真、宮崎の有田牛のステーキが美味いのは言うまでもないが、付け合わせのルッコラバルサミコとチーズのソースが秀逸。肉なしでこれだけ出てきたとしても問題のないクオリティ。酸味とパルミジャーノの塩味、甘みの均衡が取れていて、野菜のうまみを邪魔するどころか強く引き出す素晴らしいソースだった。
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窯で焼くスタイルなので食材の良しあしに大きく左右されるところがあり、素材に相当こだわっていることが分かるうえ、それをさらに引き出すための工夫が素晴らしく、いつ来ても驚きがある。こちらは鰤のかまと白子、ホワイトアスパラガス添え。ネギとアンチョビのソース掛け。
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今週この店に大阪の友達を連れて行った。東京で何か美味しいものを食べたいのでお店紹介して、という挑戦的なリクエストを受けたので。お店に入ると、フロアを取り仕切る(といってもそれほど大きい店ではないが)Yさんが素敵な笑顔で迎えてくださって、前回座ったカウンター席、お店で一番静かな席に通してくれる。私の好きなワインはメルローなことも、私がホワイトアスパラガスが好きなことも、ショートカットのとてもよく似合う彼女は全部覚えている。

7時から食事を始めて8時過ぎたころに、突然友人が「8時50分過ぎの山手線に乗らないと」と言い出す。てっきり今日は東京で一泊してから大阪に帰るのかと思っていたので油断していて、まだメインの肉料理が出てきていない。慌ててお店に伝えたら、全く動揺することなく「大丈夫です」と言ってくれる。ここでスタッフが浮足立ってしまうとこちらにも慌てる気持ちが共振してしまうのだが、全く動じずサービスが続いたことに舌を巻いた。

東京に不慣れな友人が新幹線の終電乗り過ごしても困るので、デザートの後渋谷の駅まで送り、バタバタさせてしまったことへのお詫びをしたかったのでお店に戻る。私の一杯のためだけにメルローのボトルを抜栓してくださったので流石にもう少し飲まないと申し訳なかった、ということもある(が、結果的にはチェックをすでに終えています、とのことでお代を受け取っていただくことができず、却って申し訳ないことをしてしまった)。

一人で飲んでいたら、気遣ってYさんがカウンターの横に来てくださったので、初めてゆっくりお話しできた。折角の機会だったので今日の料理もとても素晴らしくいろんな発見があったことをお伝えした。いつ来てもよくしてくださることにもお礼を言った。

そんな話をしていたら、彼女が「私、先週まで入院してまして」とおっしゃられたので心底驚いた。それも乳がんが見つかって、3週間ほど入院して切除されたそうだ。言われるまで全く気がつかなかった。食事中にサーブする自分に対して客に気を遣わせても、というプロ意識も当然あったのだろうが。
手術は上手く行き、転移も見つからず、無事に仕事に復帰でき、本当に何よりだと思った。彼女のいないお店は、ちょっと私には想像できない。そう思うと、なぜこの店に何度も来てしまうのか考えさせられた。それが先ほど挙げた、店を応援したくなるいくつかの理由だった。

お店を応援していることをこの機会に伝えられて良かった。娘にはお店で美味しい料理をいただいたら、ちゃんと美味しかったですといいなさい、と言っているのに、自分ができていたかといわれると疑問。違いが分からない客に対しても分け隔てなく一生懸命努力しサービスし続けられるほどハートの強い人はそんなにいないだろう。一生懸命料理を作ってくれる店が好きだ、と思うのであれば、「ちゃんとわかってますからねー」とカウンターのこちらからやはり強くフィードバックしてあげたほうが当然作っている方のやる気も出るだろうし、そういうお客さんが来たら頑張らないと、と思うのが真っ当なサービス業の人の矜持だろう。結果として、そういう客には一番の出来の皿が回ってきて、一番のサービスが受けられるはずだ。あくまでも結果として。あざとい意味でなく。

感謝の気持ちは、出来ればその場で相手に伝えたい方がいい。それはレストランであっても、バーであっても、家族であっても、友人であっても。頑張って自分の思いを相手に伝えているつもりでいても、感覚的には相手に2割ぐらい伝わっていたら上出来だろう。だから強く意識しないと、自分の思った通りの思いはなかなか伝わらない。そしてそれはお互いのためでもある。繰り返しになるが、あざとい意味ではなく。

次に仮に万が一がっかりしたことがあれば、それを上手く伝えられるような大人に私はなっているだろうか。そして良かれと思ってわたしの良くない点についてわざわざフィードバックをくれる人に感謝できるような大人になっているだろうか。そんなことを想い、少しだけ背筋が伸びた。Yさんにいつまでも元気でいてください、応援しています、と改めてメッセージを送っておいた。少しプライベートなことを含む内容なので、敢えてお店の名前を出してはいないが、機会があれば見つけて行ってみてください。

 

 

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酒飲みの考える「幸せな人生」の定義

酒を飲まない夜はなぜこんなに長いのだろう。いつもならアルコールの力を借りて昼間の緊張をほどいていくのだが、飲まないと自分の中のスイッチが入りっぱなし。夜中の田舎のコンビニか、と自嘲したくなる。周りが寝静まって真っ暗な夜更けに、ぽつんと一軒場違いにまばゆい光を放ち続ける田舎のコンビニ。

仕事の緊張を家に持ち帰りたくなく、帰宅前の少しの時間に気分転換をしたいのだが、飲まないとなると中々そんな場所は見つからない。唯一あるとするとジムぐらいだが、そもそも今回禁酒をしているのは週末のマラソンのため、レース前で運動も控えめにしておりジムにも行かれない。

場違いなテンションを下げるために仕方なく帰宅後読書したりウェブを眺めたりするのだが、何だか時間の流れがゆるやかだ。この手持ち無沙汰感はいったいなんだろう。そう考えてみてふと思った。これはもしかして定年退職後のサラリーマンが毎日感じるものと近しいのではないか。あくまでも想像にすぎないけれど。

そう思うと少し恐怖感を覚えた。仕事を離れて人との関わりあいを失い、仮に金銭的には不自由なかったとしても、自分が誰からも必要とされず時間を持て甘しながら緩やかに死を待つことを想像してみた。なかなかぞっとする。
そして手持無沙汰ついでに「幸せな人生とは何か」について考えてみた。

人との関わり合いであったり、金銭だったり、名誉だったりと幸せを象るものは沢山ある。そしてその多寡で人を羨んだり思い煩ったりする人は多いけれど、そういったものを人生のどのタイミングで得るのがいいのか、という議論はあまり聞かない。

最近話題になったかつて一世を風靡した音楽プロデューサーのように、若いうちに自らの才能により人並み外れて成功して誰もが羨むような生活を送るものの、どこかで歯車が狂い超大金持ちから普通の金持ちに転落(?)した上、自分の才能が枯渇してきているのを毎日誰よりも強く思い知らされながら生きるというのは、「今幸せか」という意味で普通の人に大きく劣るかもしれない。彼の歩んだ道程をならして見ると普通の人よりも圧倒的に幸福の総量は多いはずだが。
それに似た最も分かりやすい例は宝くじで大金を得た人だろう。一番幸せなのは当選した瞬間で、あとは右肩下がり。最初は散財して幸せを実感するものの、冷静になるといつお金がなくなるかびくびくし、金があるうちには人は集まってくるけれど金が減ると人は離れていく。宝くじ高額当選者で人生を幸せに全うした人はそう多くないような気がする。

そう考えると人生の途中で幸せのピークを迎えてそれがどんどん減っていくという人生を送る人よりも、幸せの合計量は多くなくても右肩上がりに幸せを感じられる人生を歩む人の方が人生の幸福感は強いのではないか、と思う。
違う言い方をすると、幸せ(もしくは幸せを表象する富や周りの人たちや才能その他)の絶対量が重要なのではなく、かつての自分よりも今の自分の方が幸せと感じられるか、明日の自分の方が今の自分より幸せだと信じられるかどうか、という時間連続的、相対的な幸福感が人生において一番重要なのかもしれない。

嘘だと思うなら、こんな思考実験をしてみよう。若いうちに大成功して100億円儲け、周りに人が急に増えてちやほやされたが、ほどなく99億円を失って周りの人たちが離れていきそのまま寂しい人生を送る人と、ゆっくりと時間をかけて1億円を稼ぎ、少ないながらも仲の良い友人に囲まれている人とどちらが強く幸せを感じられるのか想像してみればいい。細かな振幅はあっても緩やかな右肩上がりの人生が、急激な右肩上がりを経験した後ずっと坂を下り落ち、重力には逆らえず再び坂を上ることがないことを思い知らされながら終わる人生よりもいいに決まっている。

そう考えると今この国で生きている人たちが昔と比べて何となく幸せな感じがしないのも納得できる。そんな中で願わくば最期に近づいても損得抜きでの人との関わり合いがある人生を生きたいものだ、と思う。

こんなことを暇に任せてつらつらと考えた。

だが悲観する必要はないと気が付いた。いつもの店に飲みに出かければ、そこにはいつもの人たちがいる。お金を払う側と受け取る側という関係だけではない何かがそこにある。酒が入れば知らず知らずのうちに自分が身に着けていた鎧のようなものも自然と脱げる。バーのカウンターでは、誰が偉いとか偉くないとか、金持ちか金持ちでないかとか、若いとか年を食っているとかは全く関係なく、好きな人が好きな酒を飲む。そして不思議な連帯感がそこにある。一人で飲みに来ても、あまり寂しくもない。

しばらく酒を止めてみて、飲まない人生は随分とつまらなくなりそうで、飲めるということは本当にありがたいことだと改めて想った。

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無駄は無駄ではないことを知る

ふと、WolfburnのBatch 128がいいのではないか、と思った。そもそもオフィシャルがまだ若いのに矢鱈と旨い。だから初期の限定ボトルとなるBatch 128を買っておき、10年後ぐらいに思い出して飲んでみたら凄いことになるのでは、と考えた。だが今飲まずに買って10年後に開けるのもちょっと違う。そう思い、どこの店に行ったら飲めるのだろうと悩む。

しばらく考えて、こういう時こそInstagramだ、#ウルフバーンでBatch 128の写真を見つけてそのバーに行けばいい、そう思いついた。池袋と浜田山のバーにありそうなことが分かった。こういう時こそSNSはありがたい。

池袋はたまに行くが、浜田山は通り過ぎたことしかない。だから行ってみた。Trackside Scotchpub。駅から歩いて3分、線路沿いの角を曲がったところにあった。

金曜日の夜だが先客はいない。カウンターに座ると目の前のバックバーにいきなり70年代オフィシャルのLinkwoodが2本。ある意味結構危険な店だ。お目当てのWolfburnは…あった、ありました。ハーフでいただく。

ちょっとまだ固くて角があるが、ウッディさが前に出すぎず上品な仕上がり。香りもビスケットのような水仙のような。膝を打って「これは旨い!」というところまではいかないが、十分旨い。

ここもオフィシャルのオールドボトルが沢山。先ほどの危険な店、というのはどれ頼んでいいかわからない人が自分の知っている銘柄見つけて指差して頼むと結構な年代のものだったりする、という意味で危険。だが全部高いわけでは全然なく、後から頼んだ私の大好きなGlen Elginの90年代オフィシャルボトルはハーフショットで900円とのこと。とてもスムースなバーボン樽熟成のお手本のような一本で、口開け直後にもかかわらずちゃんと開いてくれた。

そしてマイナー系が好きだ、という話をしたらGlenugieの80年代のボトルを出してくださった。飲んだことなかったよGlenugie。でもこれも私の好きな穀物感とクリーミーさがあり、その上にいいパフューミーさが加わっている一本。

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私の後に入ってきた女性のお客さんがカウンターのボトルを見て、「そのウイスキーなんて読むんですか?しらす?」とおっしゃったので笑いを噛み殺すのに一苦労。予想もしなかった質問だったので。「そんなことも知らないの」とかそういう意味でなくノーガードの脇腹に切れ味鋭いボディー決められたかのようにツボった。そんな裏技繰り出すの止めてほしい。マダムが「白州です」と平静にスルーした大人の対応にも感心。

中野Southparkの二方さんに勧められ、中野でベルギービールのお店をやっていらっしゃったのを浜田山でモルトバー始めることにした、とのこと。面白いお店が見つかってよかった。3杯ハーフで飲んで4野口でお釣りが来た。

じゃあWolfburnを発注するか、と思ったのだが、ウェブを眺めているうちにどうしてもArranのマスターディスティラーJames Mactaggart10周年記念ボトルとTullibardineのThe Murrayが気になって仕方なくなり、売れ行き見たらどちらもすぐ売り切れているところが多かったのでとりあえず3本ずつ発注。Batch 128はまさかの後回し。久しぶりのウイスキー大人買い、といってもちょっと前にブラックニッカ アロマティック箱買いしたばかりか。

週末クルマで出かけようとしていたところにいつも来てくれるクロネコのおじさんが我が家向けらしい段ボールを積んだ台車を押しているのを発見して引き取る。帰ってきて開けてみると、ArranもTullibardineも立派な箱入り、磁石で蓋が閉まる造りで驚いた。

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結局「試飲する前にボトル買うのはなんだかな」と思っていたところから、飲まずにとりあえず在庫のあるうちに買ってしまえ、となってしまいわざわざWolfburn目当てに浜田山まで行かなくてもよかったじゃん、何やってんだか、という展開。まあ嗜好品なのでそういう無駄があってもいいのでは、という適当な説明で自分を納得させた。浜田山のバーでGlenugieやElginに出会えたことを考えると無駄じゃなかったとも言える。

今度は自分が買ったボトルを飲める店をインスタで探さなければいけなくなった。改めて考えると、効率だけ求めるのなら、腕時計は中国製のデジタルウォッチでいいし、食器は100円ショップのものでいい。酒も安い酒で無駄な時間をかけず手っ取り早く酔っ払えばいい。むしろ酒なんか飲まなくてもいいかもしれない。だが私はそんな彩りのない人生を歩むほど生き急いではいない。

名古屋Bar Barns、津Bar Amberなど:オチのない年末年始の飲み食いの記録

名古屋にて

2017年のクリスマスディナーは名古屋の昭和の居酒屋で一人飲み。大須のその名も大須。絵に描いたような赤提灯。手羽先が旨い。狭い店だがアットホームでアウェイなのに変な緊張感を強いられないのがいい。

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少し歩くとBar Barnsがあるので行ってみた。階段を下りてドアを開けるまでと開けた後もいくつか客に対する注意書きのようなものがあって、ちょっと不安になった。客に対する注文の多い店は、オーナーバーテンダーの料簡が狭いか、客筋が悪いかで居心地の悪い可能性が高いので。だがそれは杞憂だった。

オーナーバーテンダーの平井さんをはじめスタッフが適度の距離感をとりつつも温かくもてなしてくれる。マイナー系の蒸留所が好きで、バーボン樽熟成の穀物感があってクリーミーウイスキーが一番の好み、というとバックバーから色々持ってきてくれた。Glenburgieの京都津之喜向けボトリングや、閉鎖蒸留所Glenlochyのボトル(最初はGlenlossieの間違いなんじゃないかと思った)、Croftengea(Inchmurrinと同じLoch Lomond蒸留所で作られているピートの強い銘柄)など珍しいものを沢山いただく。

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しかし大須亭で飲み過ぎたこともあり、テイスティングの記憶が飛んだ。帰りの新幹線で読書していたが寝落ちし、品川で降りる時に読み掛けの本を置き忘れてしまうという失態を犯す。そんなことは滅多にないのだが。ある意味いい感じで酔っ払った幸せなクリスマスだったのかもしれない。

神田にて

この冬はカキフライをたくさん食べた。神田のやまい、というとんかつの店のカキフライが途轍もなくいい。少ししっかりした衣の中にはカキが3粒ぐらい使われていて、それが一つのカキフライになっている。ここの特ロースにカキフライを二つつけてもらって食べるのが最高の贅沢の一つ。やまいちはとんかつだけでなくかつ丼でも有名だが、実はカキフライが美味いということは意外に知られていない。

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京都にて

年末になって2017年初めての京都。2泊3日だったが初日は東京からの運転疲れで引きこもり、2日目の晩に満を持して出動。東山東一条のイタリアンでの夕食後、家人たちを帰して四条寺町から一筋西を下ったところにあるBar Rocking Chairへ。カクテルが有名な店だが、ウイスキーも充実。一番奥のカウンター席に座ったのだがその奥の窓際のテーブル席で向き合ってロッキングチェアで揺れているカップルがいて、ちょっと羨ましい(女性連れの男性が、というわけではないので念の為)。
入口左には暖炉があり、その前にもロッキングチェアがあった気がする。ゆらゆらと揺れる炎を見ながら酒を飲むのは本当にくつろげて贅沢だ。前にも書いたが。
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Glenallachie、Glen Elgin、Glenrothesと頂き、せっかく京都に来たので季の美で何かいただけますか?と伺い、やはり日本の香草が溶け込んだジンを味わうのでしたら、とお勧めいただきマティーニを。薄白くもやがかかったような絶妙な色合いの一杯を頂き、そのまま幸せな気持ちで帰ればいいのに、烏丸今出川の天下一品に寄ってしまう。

今は北白川本店をはじめどの店もセントラルキッチンで作られたスープを使ってラーメンを供しているが、昔は少なくとも直営店では各々の店でスープを作っていて、私は今出川店の味が一番好きだった。改めて食べてみたけれどやはり他の店と同じ、今どきの味だった。しかし懐かしかった。

松阪・津にて

毎年恒例のお伊勢参りの途中で必ず寄りたいバーがある。津のBar Ambar。昨年は1946年蒸留のMacallanを頂いた。今年は何が頂けるか楽しみに、新東名から伊勢湾岸、東名阪を走って津へ。だがその前にもう一つのお楽しみ、松阪牛を食べに海津本店へ。

車で行って飲めないと寂しいので、津から近鉄に乗って30分ほどの松ヶ崎、という無人駅へ。そこから伊勢街道沿いを10分弱歩くと、巨大な海津本店の看板が出現。店もとても大きな和風建築、まるで大旅館。部屋に通されると今度は窓から大きな庭園が見える。なんだか凄い。

これまでは和田金とか牛銀にお邪魔していたけれど、地元の方はどうやら海津に行くらしい、と言うのを聞いてこちらにやってきたので期待も高まる。確かに松阪の中心部からは離れるので、観光客がこちらに来るというのもなかなか難しい。

家族3人で焼肉定食1人前とすき焼き定食2人前を注文。焼肉定食というと1000円ぐらいでお釣りが来そうな感じがするが、お値段8600円也。なぜかすき焼き定食の方が100円だけ高い。部屋に火鉢があって、そこに炭を敷いて網の上で仲居さんが肉を焼いてくれる。結論から言うと、こんなに旨い焼肉を食べたのは石垣島のやまもとで焼肉食べて以来2回目。正直びっくりするレベル。その後食べたすき焼きもただ柔らかいだけでなく肉の旨みが強く伝わって美味しかったが、焼肉だけずっと食べても幸せだったかもしれない。焼肉はレモンスライスの浮いた特製のタレにくぐらせてから網焼きにする。一人前わずか4切れだが、満足度は非常に高い。あまり火を通さずにすぐにレアで頂くので下手すると肉だけなら3分ぐらいで完食できるかも。時速20万円弱。次回は予約して200gのステーキとか食べるともうとろけるしかなくなるような気がする。

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そしてまた津まで戻り、家人をホテルに帰してBar Ambar(アンバール)へ。1年ぶり3回目。

今年の目玉はSpringbank Millennium Editionの50年だった。昨年の訪問もマスターに覚えていただいていた。改めて思うが、この店のオフィシャルのオールドボトルや限定ボトルの在庫には圧倒される。日本でこんなに残っているところは他にあるのだろうか、というレベル。マスターにそう言うと、「いやー田舎なんで頼む人があんまりいないんですよね」とのこと。実はワインもそうでして、とおっしゃるので見せていただいたのが97年ペトリュス。そろそろ飲まないとまずいんですけどね…でもラベルにラップを巻くのを忘れていたのでカビが生えてしまって、とのこと。ワイン好きな方にとってはラベルが重要なので、ラベルが傷んだペトリュス飲む人はあまりいないのでは、とおっしゃっていた。今普通に店で買うと100万円近くしますが、ラベル痛んでいるので55万円でいかがですか?と言われてしまった。

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青山のバーラジオで修行されていた時代にウイスキーもワインも相当買われたそうだ。そして津で独立。東京だとウイスキー人口が多いのでバックバーの回転も速くなるが、津だとそこまで売れないので物凄いものが残っている。

Tullibardineの27年のオールド、おそらく60年代蒸留も印象に残る一杯。またGlen Albynも初めて飲んだ。

わざわざ東京から飲みに出かける価値は十分あると思う。来年も間違いなく来るだろう。

 

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その他

年末に築地の宮川食鳥鶏卵店で1時間半並んで合鴨を買い、家で鴨鍋を食べたらあまりの旨さにはまってしまった。年末でなければそこまで混まない上、値段もバカ高くなく、家ですき焼きするのを一度スキップしてぜひ築地で合鴨買って鴨鍋食べてください。
鍋で鴨の脂を炒めてそこに1カップのみりんとしょうゆ、酒、お出しを半カップずつ入れ、煮立ったら合鴨、ゴボウのささがき、セリ、ネギ、焼き豆腐と麩を入れてゆずの皮を削るだけ。とても簡単に幸せな気持ちになれる。京都の鞍馬口駅前の鞍楽ハウディに入っている鶏楽で真鴨を買って合鴨ではない本物の鴨鍋作ったがそれも美味だった。

そして築地のもう一つのおすすめは大政のタコ。友人が某有名イタリアンレストランでのクッキングスクールに参加した時、築地でどこで何を買ったらいいかを教えてもらえるツアーにも連れて行ってもらい、タコはこの店で間違いない、と聞いて来た。築地でタコを売っているところはあっても、タコを塩もみした後茹でているのはこの店だけ。手間がかかるだけあって本当に旨いとのことで、レシピを見ながらリゾットとタコのガーリックソテー作ったが本当に旨かった。

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今年は自分で作るほうもより頑張ろうかと思っております。

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浅草サンボアにて

年末にランニングで浅草に行き、前から行きたかった温泉銭湯の蛇骨湯で汗を流した。流石かつての東洋一の歓楽街、大好きな昭和の居酒屋も含めたくさん惹かれる店があったが、年の暮れに家人をほったらかしにして街をふらふらしている訳にもいかず、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。

そして新年を大して意識しないままに私の2018年は始まり、4日から出社、翌日金曜日の夕方には流石に手持ち無沙汰になり、早く切り上げる。さあどうする、そうだ浅草行こう、と思い立ち地下鉄に。

私は銀座線が好きだ。そして丸ノ内線も。古いだけあって浅い地下に作られていてすぐ乗れ、バスのような温かみを感じる。昔は銀座線は終点直前に一瞬停電して車内が真っ暗になっていたような気がするが、それはいつまでだったのだろうか。あるいは記憶違いなのだろうかと訝しみながら構内で反対側のホームに通り抜けできない古い造りの田原町で降り、国際通りを上がる。

いつもの金曜の夜だともっと賑やかなのだろう、ようやく築地の河岸も始まったばかり、まだ休みの人も多いのだろうか、と思いながら路地をぶらつくが、ホッピー通りに辿り着くと楽しそうに飲んでいる人たちが沢山いた。ぼっちだとちょっと入りにくいところもあり、一人で静かに飲める店はないかと探して結局水口食堂に落ち着く。

壁一面に貼られた木札がお品書き、おそらく100以上あるのだろう、なかなかに悩ましい。冷えた体を温めるべく麦焼酎のお湯割りを注文。頼んだカキフライも名物のいり豚も下町の食堂というか居酒屋としてはお上品な量だったので物足りず、肉豆腐を追加したらこれが豆腐ほぼ一丁分が入っているという特大サイズ、最後にぶちのめされる。一人で大テーブルの端に座って皿をつついていたら、松方弘樹を思い起こさせる、貫禄のあるがっしりした体つきをした常連客が入ってきた。藤井、と名前が大きく胸に書かれた外套を着ている。コートではなく、ゴム引きの外套。その下には和服を着ていても全くおかしくない。こういう街にはこういう人がふさわしい、と妙に感心しながら店を出た。

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最後に暴力的に腹が満たされ、寒空の下でまた街をふらつきバーを探す。そういえば浅草にはサンボアがあった。

街が意外とコンパクトなのですぐに店は見つかり、バーにしては明るいライトに店内が照らされているのが通りから見える。もっと古めかしいのかと思ったが店に入るとイメージが覆され、まだ新しいカウンターが肘に気持ちいい。だが寺町サンボアを思い出す。

何を頼もうか、ここでも悩むがバックバーにWolfburnを見つけたのでお願いする。私の好きなCaperdonich蒸留所(閉鎖)のウォッシュ槽が仕込み水のタンクとして使われている、スコットランドで最も北にある蒸留所。2013年1月25日に復興後初めての蒸留が行われた新しいブランド。ラベルに描かれているオオカミはスコットランドの北にはかつて沢山生息していて、言い伝えでは海面を歩くことのできる海狼がいると信じられていた。そしてそれを見ることができた人には幸運が訪れるとされた。

アメリカンオーク樽熟成のまだ若い薄飴色の液体がショットグラスになみなみと注がれる。この店は常にダブルショット。カウンターの上に置かれたコースターのユニオンジャックがチョコレート色のカウンターに映える。そしてあては薄皮つきの落花生。サンボアに来た、と思わせられる瞬間。

f:id:KodomoGinko:20180105202751j:plainコースターには100th anniversary renewed in 2018と書かれていた。落花生の薄皮を乱雑に床に落とすのはためらわれるぐらいの新しさ。

Wolfburn Northlandを少しずつ味わいながら店の中を眺める。どう聞いてもみずほ銀行の管理職のおじさんとしか思えない会話をしている二人連れ以外は若者ばかり、なのにやはり、というか夕刊が置いてあった。読売とスポーツ新聞。当たり前だが寺町サンボアではないので京都新聞はない。今どきの若い人たちは紙の新聞なんて読んだりしないだろう、やはり新聞は綺麗に折り畳まれたままの姿でカウンターの端にあった。

「次は何にしますか?」白いバーテンダーコートを着た若いバーテンダーが聞く。ぐるっと見渡して、季の美のマティーニを頼む。作ってもらっているうちに、若い客が店に入ってきてバーテンダーと新年の挨拶を交わした後、バーテンダーがその客に何か小さく囁き、彼はすぐに照れたように帽子を取った。

店の中では帽子を取る。昔はそれが普通だった気がするが、最近はそんなことを注意する店などほとんどないだろう。新聞にしろ、脱帽のルールにしろ、浅草にはまだ大人の店が残っていた。


外に出るとまだスーパームーンの名残が残っていて、月明かりが街を明るく照らしていた。何かに祝福されているような気分になって家路に着いた。

 

 

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浅草サンボア

食べログ 浅草サンボア

 

 

 

 


 

ブラックニッカ アロマティックがフライング気味に届く

先週転倒して走れなくなったバイクの応急処置が終わったとの連絡を受け、宇都宮で引き取って門前仲町近くのディーラーまで自走。東北道でそれなりにスピード出したが問題なさそう。修理の依頼をして帰宅したら、玄関にブラックニッカ アロマティックのケースが置かれていた。確か発売日は21日火曜日だったはず、なので2日ほどフライング。

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青いブレンダーズスピリット、黒いクロスオーバーと来て今年最後の限定発売の赤いアロマティック。

早速飲んでみた。

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淡い熟れたバナナの香りと薄い輪ゴムの匂い、口に含むと若草、コルク、アプリコットジャムとトフィーの甘味、フィニッシュは穀物の甘みが静かに消えていく。飲み疲れしない優しさでウイスキーを飲みつけていない人にも受け入れられそう。

黒のクロスオーバーは口開けしたばかりだとアルコホリックというかアタックがきつくてちょっと、と感じたが時間が経って柔らかみが増すとモルトとピートがしっかり重なり合って私好みの味に変わった。青のブレンダーズスピリットは最初から旨かったがアロマティックも同様に口開けしてすぐでもスムースな飲み口で旨い。

以下が現在の家飲みラインナップ。直近の一番のお気に入りはBBRのGlenGoyne13年、2000年蒸留、こればかり飲んでいるのですぐ無くなりそうで直近Longmorn1990年26年ものを開けたところなのだが、アロマティックもローテーション入り間違いなし。

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この価格でこの旨さならウイスキー初心者も含めて買ってみて損はないと思う。
限定発売で販売数量は12000箱。年間のブラックニッカの出荷量は360万箱(700mlx12本)なのでそのうちのわずか0.33%という言い方もできる。気になった方はお早めに入手されることをお勧めします。


 

 

宇都宮の南海部品でバイクに再会した時、リアのウインカーが割れたままで東京に帰るかどうか悩む。そのままだと整備不良で捕まるリスクがあり、すこし悩んでLEDのウインカーに換装したいとお願いした。親切な対応で作業を受けてくださった方は先週電話越しにバイクを受け入れて修理してくれること快く引き受けてくれた方。今日初めて会った彼が店の中でてきぱき働いているのをよく見ると歩き方がぎこちなく、左手も力が入らず不自由なよう。バイクの事故の後遺症なのだろう。

そんな彼がバイクで転んだ私にとてもにこやかに対応してくれ、複雑な気持ちになった。家族のために事故のないよう東京に帰らないといけないと改めて思ったが、失ってからでないと分からないありがたさもたくさんあり、ありがたさに気づける人の方がもしかすると人にやさしくできたりして幸せなのかもしれないとも思う。人に親切にされると自分の至らなさを思い知らされて辛くなる。本当はとてもありがたいことなのだが。

 

一期一会

久しぶりにバイクに乗って、久しぶりに盛大に転んだ。そしてあまりよく知らない土地で初めて会う人たちに親切にしてもらい、長い話をして別れ、初めての店で酒を飲んで家路についた。人生とは、などと大きく振りかぶるつもりもないが、一期一会、予想もつかない出来事というのはこういうことなんだな、ということを改めて思い知った。

土曜の午後、少し遅めの紅葉を見にバイクで塩原から日光へ。快晴だが風の強い東北道を下り、山に分け入っていくと空が暗く重くのしかかる。ヘルメットのシールドに水滴がつき、指先がどんどん冷たくなっていく、東京を出た時には予想していなかった展開。こんなところで転んだら電話も通じないしシャレにならない、と慎重に運転しているうちに水滴ではない白いものが降ってきた。

盛りは過ぎていたものの、広葉樹が完全に裸になっているようなところに突然燃えるような紅葉があってとても美しい。だがちらつく雪で視界が悪いうえ濡れた路面で転ばないのに必死で紅葉狩りを楽しむどころではない。日塩紅葉ラインに辿り着いて山を下りて来るうちに陽射しが出てきて路面も乾き、ようやく紅葉を楽しめるようになった。

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途中でバイクを降りて写真を撮ったりする余裕ができ、相当街に近づいたところでいきなりの転倒。自分でもびっくり。正直気が抜けていたのかもしれない。スピードは大して出ておらず、しっかりバイクを倒し込まないと曲がれない180度コーナーで若干乱暴にフロントブレーキの操作をしてしまい、乾燥はしていたがつるつるだった路面で前輪が滑って転んだ、というのが冷静になってからの分析。

不幸中の幸いはしっかりとしたプロテクターの入ったレザージャケットを着ていたのでほぼケガがなかったこと、対向車も後続車もいなかったこと。バイクのダメージは限定的だがクラッチレバーが折れてしまい、エンジンは掛かるものの自走不能に。

バイクを起こしていたら対向車線の車が止まって夫婦が降りてきて手伝ってくれる。保険会社に電話してレッカーを要請。1時間以上かかるという。オペレーターはマニュアル通りの丁寧さで対応してくれるものの、山の中の吹きさらしの路上から冷え切った体で電話している、というところまでは思いが至らない。電話をつなげたままでお待ちください、と言われたままずっと待たされ、少しでも日当たりがいいところに行かないと凍えてしまうので片手で携帯持ちながら坂道をバイクにまたがって下って行こうとしたら今度は立ちゴケ。バランスを崩して左足で踏ん張ろうと思ったらそこは溝。携帯が壊れたら万事休すだった。

そのかっこ悪い現場にツーリングの人たちが通りかかってまた助けてもらう。事情を話し、山を登ると雪が降っているので気を付けてください、と伝える。
件のオペレーターにレッカー到着までにバイクをどこに持っていくのか自分で探してください、レッカー車には同乗できないので自分で帰宅の足の手配をしてくださいと宿題を出される。

保険で無料対応なのは50㎞までのレッカーとのことだが最寄りのディーラーを調べたら一番近いところでも120㎞先。1㎞当たり500から600円程度レッカー代かかるので東京までだと10万円コース。バイクを買った店に電話で相談して、近くのバイク修理・販売店に片っ端から電話してみるものの「外車は扱ってません」「自分のところで売ったバイクしか面倒見ません」という答えしかなく途方に暮れる。

悪戦苦闘しているうちにあっという間に時間が経ち、レッカー車が到着。街から上がって来るのかと思ったら峠を下ってきたのと、車が載せられるぐらい大きなのが来たので少し驚く。20代前半から半ばに見える若いお兄さんが降りてきて事情を説明。名刺をいただき自己紹介され、「身体冷え切っているでしょう、レッカーの助手席座っといてください」と声を掛けられて言葉に甘える。結局行先もそのSさんが宇都宮の南海部品がいいですよ、と教えてくれる。後日ディーラーからクラッチレバーを南海部品に送ってもらって装着し、翌週末にでも電車で宇都宮まで来て東京までバイクで自走して帰ってくることに。

宇都宮までは本来無料の50㎞をわずかに超えるが、「ほんのちょっとだからいいですよ」と言ってくれ、本来ならレッカーには同乗できないことになっているけど南海部品まで乗せていってくれる、と言う。大きな駐車場に停まったのでどうしたのかな、と思ったら「体冷えて寒いでしょうから自動販売機であったかいもの買って飲んだらどうですか?」と言ってくれる。1時間半ほどトラックの中で話し、レッカーの仕事がどんな仕事なのか、峠はどの辺が危ないのか、先週末に新潟に抜ける峠道で動けなくなってしまった車を助けに行ったら積雪30㎝だったとか、サマータイヤでスキーに来る人を助けるのは仕事ながらアホらしい、とかいろんな話を聞いた。

S君は塩原の実家に住んでいて、私が若いころに乗りたかったS13シルビアを駆って峠でドリフトするのが楽しみらしい。だからレッカーの仕事もある意味仕事と趣味の両立のような感じだそうだ。でも全然ヤンキーっぽくなく、今どきの顔立ちの整った目のきれいな好青年だった。「僕らも地元だけど峠は一人では行きませんよ」。そう言われ少し反省。一人呑み、一人遊びが好きなのだから仕方がないのだが。

1時間半ほどで目的地に到着、遠慮するS君の手に心付けを無理やり握らせ、お礼を言って別れる。

宇都宮の駅までバスで出るともう7時過ぎ。家人も心配しているだろうと思い、「バイクにトラブル発生したので今まだ宇都宮、先に食事済ませといて」とLine。さすがに転んだとは言えない。

駅前の焼鳥屋で角ハイボールを飲みながら、今日出会った人たちはみんな親切だったことに想いを馳せる。バイクは傷つき、直すのにも物入りではあるものの、それよりも目に見えない得たものが大きかった気がした一日だった。


 

卵焼きとマグダラのマリア

仕事のあと、遅めの時間にいつものバーへ。たまに店で顔を見かけ軽く挨拶を交わすぐらいの仲だった男性と隣り合わせに。彼の前にはアイラとスペイサイドの酒が数本並んでいる。私のタリスカーソーダが半分なくなった頃、彼に話しかけられた。彼と話すのは初めてのことだった。

 

 この店でお通しが出てくると、お袋がよく冷蔵庫の中のあり合わせのもので親父の酒のつまみを作っていたのを思い出すんですよ。

 

ここでは出来合いのお通しが出てきたことはなく、手作りで必ず一手間掛かっている。毎日の準備はさぞかし大変だろう。私より一つ、二つ若いぐらいの彼が遠くを見るような目をしながら続けた。

 

 お袋の作ったしらす入りの卵焼きをつまみに焼酎を飲むのが親父は好きでした。釜揚げしらすの柔らかな塩気と、卵の甘さがなんともいえず、僕もその卵焼きが大好きで、酒も吞まないのにもらって食べました。あの味が懐かしい。もう一度お袋の作った卵焼きを食べたいです。

 

話を聴きながら不思議な感じがして、一口ソーダを啜ってなぜそう感じたのかようやく気がついた。過去形なのだ。それに気づいてか、若干の間を置いて彼は再び口を開いた。

 

 母はずいぶん前に死んじゃいましたけどね。

 

意外だった。あまり年の変わらないように見える彼が随分早く母親を亡くした、ということがすぐには飲み込めなかった。私の両親は二人とも元気に暮らしているせいで。

 

丁度そのとき店に3人連れが入ってきたので、彼はじゃあそろそろ失礼します、と言って去っていった。ほんの短いすれ違いのような会話だった。

 

わずかなエピソードからも、彼の家庭がとても温かいものだったことが分かる。そして彼は若い頃にそれをいきなり失って苦労したであろうことも。幸せは時間をかけないとやってこないし時間をかけてもやってくるとは限らないほど儚いが、不幸せは一瞬にして訪れる。丹精に手をかけ育てたバラが心ないどこかの誰かに手折られるのは一瞬であるかのように。彼の人生の前半もそんな不条理に翻弄されたのかもしれない。

 

誰かと話がしたかったから店に寄った訳でもないのに、話し相手が突然出来て突然いなくなると寂しさを感じるのは不思議なものだなあ、と薄ぼんやりと考える。

 

お母さん、夢の中でいいのでもう一度だけ彼に卵焼きを食べさせてあげてほしい、息子さんはあなたのことをいつも思い出して会いたいと思っているんですよ。しらす入れるの忘れないでね。

 

顔を見たこともない天国の彼のお母さんにそうお願いしながらグラスを空け、勘定を済ませ渋谷の坂の上に立つと、若葉が生い茂る樹の間から夜の街の眩しさに負けないぐらい白く輝いている三日月が見えた。

 

そしてカレンダーの写真が何枚か変わった頃、私は大阪にいた。日中は仕事で顧客回り。「大阪は東京と違ってえらい暑いでしょ」とどこに行っても言われ、ここもと東京も異常気象で直近は大阪より暑いぐらいなんです、というとどこに行っても納得いかなさそうな顔をされる。そんなところまでいちいち東京と張り合わなくてもいいのに、と可笑しくなる。

いや、私も大阪に9年、京都に4年おりましたので東京とは種類の違う蒸し暑さだというのは肌で知っているんですけどね、というと不思議がる人が多く、そんな時は東京に出てきてから20年以上経っていて大阪弁が上手く話せなくなってしまったので仕事の時は東京弁で話すようにしているんですよ、家内は関西育ちなので家では違いますが。

ああなるほど、大阪だったんですね、どちらでしたか、とその後ローカルな話題で打ち解けるのがお決まりのパターン。

その日の夜の飛行機を予約してあったが、気が変わって翌日の土曜日の便に変更。仕事が終わり、急遽取った西梅田の宿に荷物を置くと窓からはプラザホテルも大阪タワーマルビルの電光掲示板もなくなっている景色が見え、大阪を離れてからの月日の長さを思い知らされた。

軽い食事のあと、西天満のバーで一人ゆっくりとウイスキーを飲んでいると日付の変わる少し前になっていた。このままホテルに帰っても良かったのだが、せっかくなので以前何度かお邪魔した新地のバーに立ち寄ることに。

店から出てくる人と、それを見送る胸ぐりの深いドレスの女性や和服姿のママたちをかき分けながら、大阪も意外と景気いいなと思いつつタクシーの営業所の斜向かいにある雑居ビルの階段を登る。

ドアを開けると「お久しぶりです」と声を掛けられる。カウンターにいた二人連れが丁度お会計をしていた。「今日は随分賑やかだったんですが、ようやく静かになりました。東京からわざわざありがとうございます」「いや、今晩帰る予定だったのですが、せっかく金曜日の晩に大阪にいるので一泊してから帰ろうと思ったんです」「わざわざ来てくださったんですね、それならいいものをお出ししましょう」、という流れでSt. Magdaleneという80年代前半に閉鎖された蒸留所のボトルが出てきてそれを頂いていた。

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Facebookでつながっているのであまり久しぶりな気がしませんね、などと言いながら一人でカウンターに立つオーナーバーテンダーの長谷川さんと近況報告などしていると、背中にドアが静かに開く気配が。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」客が一人入ってきて、カウンターに通されて冷たいおしぼりを受け取っているのを見て驚いた。先日渋谷で卵焼きの話をしながら一緒に飲んだ彼がそこにいたのだ。彼も私同様にびっくりしていた。


 凄い偶然ですね、それも大阪で。バーなんて世の中星の数ほどあるのに。


 いや、ウイスキーが好きな人が行くバーは星の数なんてないですよ。だからこんなところ、失礼、悪い意味ではなくて、でお会いするんです。でも私もびっくりしました。またお会いできないかな、とずっと思っていまして。いや、これも変な意味ではなく、ご報告したいことがあったものですから。


 ではまず何かオーダーして頂いて、一息ついてから。

そう私が言うと、彼は私が飲んでいるものと同じものを、同じくストレートで、と注文。二人で乾杯して改めて味わうと、香ばしいビスケットとわずかのオレンジピールの香りが口に含むとキャラメルやシャルドネの樽香のような甘みに変わっていき、長く余韻の残る素晴らしい一杯だった。

 どうして大阪にいらっしゃるのですか?お仕事で?

と彼が聞く。

 ええ、今日一日仕事して、夜に東京に戻る予定だったのですが一泊することにしました。明朝、昔亡くなった親友の墓参りをしてから帰ることにしたんです。実は毎年命日近くに来てまして。今年はまだちょっと早いんですが。


だからこの時期にお見えになるのですね、いつも暑い頃にいらっしゃるイメージがあります、と長谷川さんが口を挟んだ。

 いつ頃その親友は亡くなられたんですか?

 私が一浪して大学に入った年の夏、ですからもう25年以上前になります。彼も浪人して、まず受からないだろうと言われていた東京の大学に翌年見事合格して、彼女も出来て幸せな生活をしている、と聞いていました。私がある日下宿に帰ると、留守番電話がやたらと点滅していて、M君がアルバイト先の塾に原付で向かう途中でコンクリートミキサーに巻き込まれて亡くなった、早く連絡しなさい、といううちの母の涙声のメッセージが吹き込まれていました。
 それからしばらく、彼が第一希望の大学に受かっていなければ死なずに済んだかも、と思ったりして幸せというのが一体何なのかが分からなくなりました。今も分かっているわけではありませんが。


今日は前回と違って、彼が聞き役に回る日だった。

 

 明日はM君の親御さんのところに顔を出されるのですか?

 いえ、お葬式の時に私を見て「なんでこの子じゃなくてうちの子がこんな目に遭わなければいけないの?」と思われるだろうな、ととても強く感じられ、それ以来何だか申し訳なくて後ろめたくて、ちゃんとご挨拶できなくなってしまいました。本当に立派なご両親だったから、そんなことは決してお考えにならなかったと思いますが。
 だから毎年一人で墓参りだけ行って帰ることにしているのです。
 実は中学、高校の6年間ずっと彼とはとても仲が良かったんですが、高校3年生の時にMと私の間でつまらない諍いごとがあって、お互いその後は受験もあって忙しく、ずっと仲直りするきっかけを見つけられないままになっていたんです。
そしてその出来事が起こって、永遠にMとは仲直りできなくなってしまいました。
四十九日の法要の時にお母様が「あの子が一番近しく思っていたのはYくんだったのよ」と私の名前を挙げてくれた時には後悔で胸を締め付けられました、改めて申し訳なくて。
 
 

 そうでしたか。でも多分M君とは仲直りできると思いますよ。


そういって彼は微笑んだ。


 どうして? どうしてそう思うんですか?


彼を問い詰めるような私の声がさほど広くないバーに響いたことに、自分でも軽く驚いた。

 ごめんなさい、大きな声を出してしまって。


 いえいえ、こちらこそ驚かせてしまってすみません。早くお伝えしなきゃ、と思っていたのですが、実はご報告というのは、Yさんと前回お会いしたあの晩、夢の中に母が出てきて、私に卵焼きを作ってくれたのです。それも私が大好きだった、しらすが入った卵焼きを。母が亡くなってから初めて母と会えました。そしてあの懐かしい味の卵焼きが食べられました。本当に、本当に嬉しかったです。それを早くお伝えしたかったのです。でも大阪でお会いするとは思いませんでした。だから、YさんもきっとM君と会えて仲直りできますよ。


そういえば、と長谷川さんの顔が真顔に変わった。今飲んでいるSt. Magdalane、ウイスキーの中では唯一聖人の名前が付いているんです。聖マクダレーン。日本では「マグダラのマリア」と言った方が通りがいいでしょう。そう、あのダヴィンチ・コードで出てきた、イエス・キリストの死後、神の子の復活を最初に目撃し証人になった女性のことです。そんな酒をこんな偶然にも東京から遠く離れたこのバーでお二人がお会いできて飲んでいるんですから、天国にいるお友達にだってきっと会えると思います。彼が亡くなったお母さんと再びお会いできたように。


Mが亡くなったのは平成も初めの頃のこと、何度となく私の心の中で後悔が繰り返された出来事だったので、もう大きく心が動くことはないだろう、と思っていたが、彼らの言葉を聞いて大粒の涙がこぼれて止まらなくなった。

願えば、叶う。そう信じてMと仲直りが出来る日を心待ちにしている。

 

 

(フィクションです)


 


 

焚き火を眺めると心が落ち着く理由を(飲みながら)考える

台風に直撃された9月の3連休、焚き火を囲みながら外で夜ウイスキーを飲むという人生初の体験をした。残念ながら星空の下で、という訳にはいかなかったが。

キャンプ上級者の友人家族と山梨県北杜市のキャンプ場へ。バンガローの横に雨よけのタープを男二人で張って、炭をおこして薪と一緒に焚き火台に置く。台風が接近している割には雨風共に強くない。飯盒で米を炊き、七輪でサンマを焼き、ダッチオーブンローストチキンを作り、クラムチャウダーで暖を取りながらふた家族で楽しい夕ご飯。ついでにつまみの燻製も作る。ちびっ子たちはたらふく食べて幸せそうだ。食事が終わると家人たちは屋根の下に引っ込むが、我々二人はタープに落ちる雨音を聞きながら焚火に当たってウイスキーを啜る。 つまみに作ったチーズとかまぼこの燻製はおかずとして食べられてしまった。

焚火は薪の下から沢山の青い炎の筋が伸び、その先端が輝きながら赤く細く揺れ、まるでたくさんの蛇がこちらに向かって舌をちらちら揺らしているようで、ぼおっと眺めていても全く飽きない。

ほんのり立ち上る煙に燻されながら気の置けない友人とウイスキーをゆっくり飲みつつ話をしていると、こんなに幸せなことはあまりないかもしれない、という気がしてくる。

普段は焼酎を飲む友人も、G&M Macphail's CollectionのPulteney 2005を美味い美味い、と言って飲んでくれる。舌の上でバーボン樽ファーストフィル独特の南国の花や黄桃を思わせる甘い香りがフレッシュグレープフルーツの味に置き換えられていく。

人間が文化的な生活を送るようになったのは人類の歴史の中でほんのつい最近、ここ数百年ぐらいで、それより前の二千年ぐらいは暗くなったら焚き火を囲んで野生動物から身を守り、暖を取りながら群れでくつろぎさまざまな会話をしていたはず。闇の中でも焚き火があれば大丈夫、と太古の記憶がDNAに刷り込まれているから、揺れる炎を見ているとそれが蘇って心から寛げるのではないか、というのが私の勝手な仮説。

蛇のような細長くて動くものが大嫌いな人は大脳の中の理性が及ばない古い皮質が真っ先に反応して反射的に怖がるというが、それも人間としての本能が世代を超えてDNAに刷り込まれているわけだから、焚き火でほっとするのは動物として正しい反応なのかもしれない。

口切りしたボトルを二人で三分の二ぐらい飲んでしまい、火の始末をしてから就寝。翌日は朝7時から近所のパン屋がキャンプ場にパンを売りに来るのの整理券をもらうために並び、その間に七輪に再び火を起こしてお湯を沸かし、コーヒー豆をミルで挽いてハンドドリップ。朝からまた至福の時間。

至福の時間を再現できればと、家のベランダや屋上でも焚き火ができるように焚火台を買い、また同じPulteneyを手に入れた。寒くなったらまた火を囲みながら、友と語らいたいと思う。
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